次の瞬間、稲妻のように首を巡らせ、半身を食い千切られる。
そんな確信。
考えるよりも先に身体が動いた。
左手に握ったサーベルの鞘。
それを鞘口から雌竜の目に突き入れた。
ゴガッ―
鞘の中の猛毒が逆流し、眼球が内側から焼かれる。これまでと比にならない激痛、雌竜は悲鳴さえ上げられずに痙攣した。
こいつァ効くぜ―
身体を支えていた矢から手を離し、アイリーンはひらりと宙に舞う。
ここでケリをつける。
―NINJA舐めんな!
目から突き出た鞘の尻に、回し蹴りを叩き込んだ。
ぐりゅん、と鞘が柔らかい組織を突き抜けていく。怖気が走るような感触だった。鞘の本体が、完全に、雌竜の頭部に埋没して見えなくなった。
―!!
形容しがたい断末魔の叫びを上げ、めちゃくちゃに暴れ回る雌竜。この一撃はおそらく脳まで届いた。さらに毒まで流し込まれたとなれば。
殺った、という確信があった。
だが喜ぶ暇もなく、アイリーンの視界が青緑色で埋め尽くされる。
ガツン、と衝撃があり、瞼の裏で星が散った。
がっ―!?
暴れる雌竜の頭部がアイリーンを直撃したのだ。牙が当たらなかったのが不幸中の幸いだが、そのまま吹っ飛ばされてしまう。
―なっ、に。が―
一瞬、気を失ったらしい。前後不覚。ひゅうひゅうと耳元で風が唸る。奇妙な浮遊感を覚えたアイリーンは、パッと目を見開いてから、愕然とした。
嘘だろ
天地が、逆転していた。―違う。ほぼ真上に吹っ飛ばされて、驚くような高度にいた。『身体軽量化』の紋章を刻んでいるアイリーンはとにかく体重が軽い。だから巨体の頭突きを受けて、こんな高さまで―
いや、今はそんなことはどうでもいい。
どうやって着地する。このままじゃ頭から落ちる。
受け身? 取れるか? 数秒の間に何とか―体勢を―
Siv !
落ちていくアイリーンを見上げながら、ケイは叫んだ。
Vi helpos ŝin !
皮のマントを外し、宙に放り投げる。風が渦を巻く。一同は、羽衣をまとった乙女の姿を幻視した。
― Vi estas tiel rapida, huh ? ―
あどけない、それでいて妖艶な囁きが聴こえたかと思うと、突風がケイのマントをさらっていく。ばたばたとはためいて飛んでいくマント―それは上空のアイリーンにまとわりつき、落下の軌道をわずかに逸らした。
ぬわーっ!
森の方へと落ちていったアイリーンは、そのまま木立に突っ込み、バキバキと枝を折る音を響かせながら姿を消した。多少怪我はするかもしれないが、地面に叩きつけられるよりはマシなはずだ―
ぐぅッ―
馬上で揺られながらケイはうめく。えげつないほど魔力を持っていかれたからだ。咄嗟の術の行使、触媒を取り出す暇も、きちんと呪文を唱える余裕もなかった。精霊(シーヴ)に全て丸投げ、この程度で済んだのはむしろ手心があったと考えるべきか。
グルルルオアアアァ―ッ!
それをよそに、満身創痍の雄竜が悲痛な叫びを上げて、痙攣する雌竜に駆け寄っていく。鼻先を雌竜の顔に押し当てて揺するも、反応はない。
相方が事切れたことを悟った雄竜は、ぴたりと動きを止める。
グロロロロ……と地響きのような唸り声。
振り返る雄竜。残された片目が爛々と光っている。
ゴガアアァァァ―ッ!!
咆哮し、土煙を巻き上げながら突進してくる。激情に駆られ、全身の傷から噴水のように血煙を噴き上げていた。
これが最後の突進だ。ケイは悟った。
残り少なくなった矢を放ちながら、サスケを走らせる。追跡してくる敵へ矢を浴びせかける引き撃ち戦法、弓騎兵の真骨頂。
(―速い!)
が、徐々に距離が詰められる。足場が悪い。直線勝負でも不整地ではサスケより”森大蜥蜴”に軍配が上がるようだった。この勢い―下手に方向転換すれば、足が緩んだところを飛びかかりや薙ぎ払いで狩られてしまう。
刺し違えてでも貴様は殺す、とそんな気迫が伝わってくる。
(今を凌げば、奴は力尽きるはず)
とにかく時間を稼がねば、そう考えながら矢筒に手を伸ばすケイ。
しかしその手が空を切った。
クソッ、矢が……!
とうとう尽きた。
腰の矢筒も、鞍に備え付けた矢筒も、いつの間にか空っぽになっていた。
竜の鱗さえ貫く弓を持っていても、矢がなければ弓使いは無力―
―うおおおお!!!
と、雄叫びが響いた。
村の方を見れば、逃げたはずのゴーダンが槍を構えていた。投槍ではなく、普通の短槍のようだが、無理やり投槍器(アトラトル)にセットしている。どこかで新しく調達してきたのか。
おおおおおおおおッ!
遠投。ビュゴォッと重い風切り音を響かせ、弧を描いた短槍が雄竜の足の付け根に突き刺さる。
わずかに―ほんのわずかに、突進の勢いが鈍った。
その隙に、ぐいと手綱を引く。
サスケが急激に方向転換し、雄竜を振り切る。追随しきれず木立に突っ込んだ雄竜は、それでも木々を薙ぎ倒しながら無理やり追いかけてきた。
喰らいやがれ―!
その横っ面にロドルフォが仕掛ける。無事な右目の周囲に、矢の雨が降り注ぐ。
ゴガァッ!
ケイとサスケしか眼中になかった雄竜も、流石に鬱陶しかったのかロドルフォを睨んで吠えかかった。が、その瞬間、開いた口にロドルフォが連射していた矢が一本、ひょいと入り込んでしまう。
ゴゲッ
そのまま喉に刺さったか、素っ頓狂な鳴き声を上げて目を白黒させる雄竜。思わずその足が止まる。
ケイは、雄竜を中心に弧を描くようにサスケを駆けさせながら、歯噛みする。絶好のチャンスだが、矢がないことには―
ケ―イ!
マンデルの声。
見れば、雌竜の身体によじ登ったマンデルが、弓を構えている。
つがえられているのは―血塗れの矢。
青い矢羽。ケイが雌竜に撃ち込んだ長矢の一本だった。ケイの矢が尽きたことを察したマンデルは、まだ使える矢を探していたらしい。
これを使え!!
曲射。マンデルの弓から放たれた長矢が、風に乗って飛ぶ。時間がやけにゆっくりと流れているように感じた。極限の集中状態。空中でわずかにしなる矢が、はためく矢羽が、その羽毛の一本一本までもが、はっきりと視えた。
手を伸ばす。
握り込む。
ビゥンッ、と伝わる振動。
ケイの手の中に、青い矢羽の、必殺の一矢があった。
“竜鱗通し”を構える。矢をつがえる。
―引き絞る。
駆けるサスケの揺れも、風の流れも、全てが計算され尽くしているように感じた。
世界が止まっているようだった―マンデルの声援も、ゴーダンの雄叫びも、サスケの息遣いも、あらゆる音を置き去りにしてケイは静寂の中にいた。
標的を睨む。頭を巡らせてこちらを見やる、満身創痍の”森大蜥蜴”を。
視線が交錯する。『奴』が次にどう動くか―
なぜか、手に取るようにわかった。
放つ。
カァンッ! と快音。
周囲の音が押し寄せるようにして、世界があるべき速度に戻った。矢が突き進む。ただならぬ気配を察して、本能的に避けようと頭を動かす雄竜。
その額に、吸い込まれるように、矢が着弾した。
カツーンと硬質な音が響き渡る。数少ない弱点―『第三の目』。矢は砕けずに、深く深く突き刺さった。
―
雄竜が仰け反る。ほとんど後ろ脚で立ち上がるようにして。
天を睨んだ右目の端から、涙のように赤い血が溢れ出した。
巨体が傾く。
地響きを上げて、倒れ伏す。
そしてそのまま、二度と再び、動くことはなかった。
98. 始末
前回のあらすじ
森大蜥蜴 グエーッ!
ズ、ズン、と地響きを立てて倒れ伏す”森大蜥蜴”。
―やったか!?
矢筒に手を伸ばした格好のまま、ロドルフォが叫んだ。
ケイは速やかに距離を取り、伏して動かぬ雄竜を睨む。
……死んだ、のか?
半信半疑。すぐさま駆け寄ってきたマンデルが、追加で何本か矢を手渡してきた。油断なく”竜鱗通し”を構え、いつでも矢を放てるよう待機する。
それでも、動かない。
どうやら仕留めたらしい―そんな実感が、じわじわと染み込んできた。
終わった……?
傍らのマンデルが茫然と呟く。
……ああ
ふぅ、と溜息をついて、ケイは”竜鱗通し”を下ろした。
俺たちの、勝ちだ……!
ケイの宣言に、マンデルが声もなく脱力して、その場に座り込んだ。
やった……やったのか! ―やったんだぁ!!
ロドルフォが喜色満面で跳び上がる。
その叫び声に、うおおおお―ッ! と村の方からも歓声が上がった。
固唾を飲んで見守っていた村の住民たちが互いに抱き合って喜んでいる。野次馬の探索者たちも大興奮で、一部の吟遊詩人(ホアキン)に至っては涙を流しながら天に感謝の祈りを捧げていた。
片膝をつき、苦しげに肩で息をしていたゴーダンは、そのまま力尽きたように大の字になって地べたに寝転がった。キリアンはどこか皮肉げな笑みを浮かべ、首を振りながら何事か呟いている。元気にはしゃいでいるのはロドルフォくらいのもので、他はケイも含め疲労困憊といった様子だ。
やったぞォ―!
うおおおおお!
英雄だああ!
ひとしきり喜んだ村人たちが、今度はズドドドと大挙して押し寄せてきた。ケイはサスケから飛び降りて彼らを迎え入れ―ることなく、木立へと急ぐ。
アイリーン!!
吹っ飛ばされたまま、姿を見せないアイリーンが心配でならなかったのだ。
アイリーン! どこだー! アイリーン!!!
……こっちだよ~
頭上から声。
振り仰げば、木の枝にアイリーンがブラーンと引っかかっていた。
アイリーン!! 大丈夫か!? 降りられないのか!?
いや、だいじょうぶ……でもちょっと痛くてさ
なんだって!? 怪我したのか!? アイリーン!!
そんなに叫ばなくても。よっ、と
勢いをつけて飛び降りたアイリーンは、しかし着地すると同時に イテテ と呻いて尻もちをついた。
アイリーン! 大丈夫かっっ!?
へへっ……体の節々が痛えや
苦笑いするアイリーン。ケイのマントに包まれていたおかげで、擦り傷などはないようだが、服の下は痣だらけだろう。
これを
ケイはすぐさま腰のポーチから高等魔法薬(ハイポーション)を取り出した。もう在庫がほとんどない貴重な薬だ―とろみのある青い液体の入った小瓶。受け取ったアイリーンは、少しためらってから、グイッと中身を煽った。
―ヴぉェッ、まっっっっず! ……うぇっ、まっず……。トイレの消臭剤を炭酸で割っても、もうちょいマシな味がするぜ……
気持ちはわかるぞ
うんうん、と頷くケイ。ついでに、アイリーンの髪の毛に芋けんぴのような木の枝がくっついていたので、取り払っておく。
あ~……けど、やっぱ効くなぁ~
痛みが引いてきたらしく、表情を緩めたアイリーンは、三分の一ほど飲んでから瓶を返してきた。
サンキュ。これくらいでいいや
いいのか?
だいぶ良くなった。致命傷でもなし、ここは節約しとこう
ひょいと立ち上がるアイリーンだが、 おっとと と早速フラついている。
……本当に大丈夫か?
咄嗟にその体を支えながら、ケイは心配げに尋ねた。ハイポーションが貴重なのは確かだが、それを惜しんで後遺症が残ったりするようでは本末転倒だ。気を遣わずに一気飲みしてほしかった―いや、今からでも口に突っ込むべきか?
……おい、待て、待て待て
瓶を片手ににじり寄るケイを、アイリーンは慌てて押し留めた。
だいじょーぶだって! まだちょっと痛えけど、死ぬほどじゃない。……別に強がって言ってるわけじゃないぞ? 優先順位の問題だ
そう言って、ケイが持つ小瓶を指で弾く。キン、と澄んだ音がした。
オレは今、確かに万全じゃないが、寝とけばそのうち治る。それに対しこれぐらいのポーションを残しておけば、理論上腸(はらわた)が飛び出るような怪我でも治せる。……少なくとも生命力(HP)的には、な。どれだけ安静にしても、飛び出た腸は戻らない。だから『今』ポーションは飲み干すべきじゃない、そうだろ?
すっ、と優しく、ケイの手を押し戻す。
……そうだな
瞑目したケイは、頷いて、ポーションをしまった。
本音を言えば―やはり飲んで欲しくはある。ケイの無茶に付き合った結果、負傷してしまったのだから。だが、アイリーンの言葉は尤もだったし、本人にそのつもりがない以上、いくら心苦しく思ってもそれはケイの独りよがりにすぎない。
もともと、アイリーンはリスクを全て承知で付いてきてくれたのだ―この期に及んであれこれ言い募るのは、野暮というもの。
……ありがとう
ケイにできるのは、心から感謝の念を伝えることだけだった。
おかげで、助かった
なぁに、お安い御用さ