以前、『茶会』で話し合ったときもそうだったが、アイリーンとその連れのケイが保持している魔術の知識は、かなり洗練されている。それを少しでも吸収したい―自らの研究にも取り込んでいきたい。同じ商会に所属して接点を設ければ、また魔術談義もできるかもしれない。そんな知的好奇心と、貪欲な探究心が、この度の契約につながった。

―というわけで、いかがでしょうか

『ああ、うん。私としては問題ない』

ありがとうございます。では―

『―しかし、ひとつ疑問があるんだが…… 契約者は、死傷の危険性がある狩猟やその他のイベントに、自発的には参加しないよう努力する 、この条文は本当に必要なのかね……?』

あ、ああ、それですか

ヴァシリーの指摘に、商人は苦笑い。

実はその……ヴァシリー殿もご存知の、我らが商会の専属魔術師たちがですね

『アイリーンとケイのことかい?』

そうです。その、御二方がですね、その~……実はつい先日、ウルヴァーン郊外の開拓村に”森大蜥蜴”が出現しまして。そちらの討伐に赴かれてしまったんです

『はぁ?』

一瞬、ヴァシリーは誤訳を疑ったが、この条文を見る限り―つまりは、そういうことなのだろう。

『それでこの条文か……いや、そんなことより、二人はどうなったんだね?』

ご無事です。どころか、“森大蜥蜴”を二頭も仕留めてしまわれて

『はぁ? 二頭……!?』

椅子の背に止まって目を丸くする鴉に、商人の男は、(鳥もこんなに表情豊かになるんだなぁ)などと可笑しく思った。

おかげで、我らが商会も素材を捌くのに大わらわですよ

『それは……凄まじいな。しかし、まさか、たった二人で討伐を?』

ケイの強弓、そして馬賊相手の死闘を知るヴァシリーは、あの二人ならばやりかねないと考えた。

いえ、流石に現地の住民や有志の方々と協力して、とのことですが

『それにしても大したものだな。いやはや……無茶するもんだ』

全く、同感です

これ以上なく、しみじみと頷く商人。

そういった事情で、こちらの条文が追加されたというわけです

『確かに、投資するだけして死なれたのでは商会側も堪るまいよ』

まあ私は心配はいらないから安心してくれ、とおどけて言うヴァシリーに、商人の男は朗らかに笑った。今後ウルヴァーン支店でヴァシリーを担当することになるわけだが、この魔術師とはうまくやっていけそうだ、と密かに胸を撫で下ろす。

というわけで、よろしければ契約書にサインを

『相分かった。……あ』

ぴょん、とテーブルに乗り移ったヴァシリーが、『しまった』という顔をする。遅れて商人も気づく。この鴉(からだ)でどうやってサインするのか、と。

『あ~……その、あれだ。インク壺を貸してくれたまえ、鉤爪で何とか』

あ、はい……こちらをどうぞ

『ありがとう。いやしかし、脚で文字を書くわけか。なかなか骨だぞコレは……』

ローテーブルの上で片足立ちし、四苦八苦するヴァシリー。書類がズレないように慌てて押さえる商人。

『ああっインクがこぼれた!』

ああっ契約書が!!

一人と一羽がぎこちなく奮闘する様は、傍から見れば噴飯ものだったが、幸いにして覗き見る者は誰もいなかった。

静かに始まった商談は、こうして、にぎやかに終わっていく。

次回 100. 平穏

サティナに帰還し、平穏な日々のありがたみを噛みしめるケイだったが―

100. 平穏

前回のあらすじ

ジェイミー どっかにいい男いないかなぁ

ホアキン  なかなか歌がまとまらない……!

ヴァシリー 鳥の脚でサインするのは難しいという知見を得た

やっぱり家は落ち着くな……

自宅のリビングでどさりと荷物を下ろし、ケイはホッと一息ついた。

違いねえ。愛しの我が家!

その隣ではアイリーンが猫のように、 うーん と背伸びをしている。

(……そうか、俺も『落ち着く』ようになったか、この家で)

ケイはそんな感慨を抱く。見慣れた家具。古びた木の香り。思い出深い窓ガラス。しばらく暮らすうちに、この家にもすっかり愛着が湧いていたらしい。留守中も商会で雇った使用人たちは、きちんと手入れをしていてくれたようで、埃もなく綺麗に片付いている。

そう、ケイたちは、サティナへと帰還していた。

嵐のような日々だった。“森大蜥蜴”の討伐。素材の監視を兼ねた宴。コーンウェル商会の人員の到着、商人との交渉、解体、報酬の分配、etc, etc… 休めたのは討伐直後くらいのもので、それからは目の回るような忙しさだった。

どうにかやるべきことを済ませて、村人たちに惜しまれながらヴァーク村を発ったのが四日前。マンデルを除く、討伐のメンバーたちと別れたのもそのときだ。

『本当に……夢のようだった。ありがとう』

『これで胸を張って結婚を申し込める! さらばだ!』

ゴーダンとロドルフォは、それぞれの故郷に帰っていった。ゴーダンは東の辺境の村へ、ロドルフォは西の沿岸部へ。ケイがボーナスを弾んだこともあり、銀貨ではち切れそうな革袋と、『記念品』の色鮮やかな”森大蜥蜴”の皮の切れ端を携えて。

『今回のことは……家族に話しても、信じてもらえないかもしれないな』

そう言って笑うゴーダンはちょっとした豪農の次男坊らしく、家族に金を預けたら今度はサティナまで遊びに来るつもりとのこと。ちなみに、ケイを追う雄竜に投げつけた5本目の槍は、商会の護衛『オルランド』から借り受けたものだったそうだ。

『いやーもうこれ家宝にするっス! ありがてえ』

“森大蜥蜴”の血がついた短槍を回収して、オルランドは童心に帰ったように顔を輝かせていた。討伐には参加せず馬車の『護衛』に専念していたオルランドたちだが、そのあとの素材の監視や商会の人員の誘導などでは、よく働いてくれた。

『この鮮やかな青緑! サンドラのブルネットの髪によく似合うに違いない!』

ロドルフォは恋人に結婚を申し込むそうだ―“森大蜥蜴”の皮を髪飾りにして贈るのだとはしゃいでいた。実はケイは別れ際まで結婚の件を全く知らなかったのだが、もし事前に話を聞いていたら討伐のメンバーに選ばなかったかもしれないな、とは思った。

ちなみにキリアンだが、報酬を受け取ったあと、人知れず姿を消していた。討伐の日を境に、めっきりと老け込んでしまったように見えたキリアン―彼の助力がなければ、森の様子もわからず、ゴーダンとロドルフォも仲間にならず、アイリーンが毒で雌竜を仕留めることもできなかった。今回の狩りの成功も、彼に依るところが大きい。

何度も礼は言ったが、それでも別れの挨拶くらいはしたかった。なぜ何も言わずに去ってしまったのか―正直なところ、少し悲しく思う。ただ、ヴァーク村に残ったホアキンによれば、キリアンは”森大蜥蜴”との戦いで、心に傷を負ってしまったらしいとのこと。

忘れたかったのかもしれない。

忘れられたかったのかもしれない―

†††

荷物を置いたケイたちは、大通りを挟んで斜向いの商業区を訪れた。コーンウェル商会傘下の高級宿―いつもサスケとスズカを預かってもらっている宿だが、今日はマンデルがここで一泊する。ヴァーク村からサティナまで、四日間の旅の疲れを癒やしてから、タアフ村に凱旋しようというわけだ。

マンデル、いるかー?

レセプションで教えてもらった二階の部屋。ドアをノックすると いるぞー と間延びした声が返ってきた。

中に入ると、そこは広々とした上品な部屋。

ベッドだけではなく、頑丈そうな物入れのチェストに、小さな丸テーブルと椅子が何脚か。テーブルの下には小洒落た模様のカーペットも敷いてある。弓形に張り出した出窓―俗に言う『ボウウィンドウ』というやつだ―には、なんとガラスがはめられており、冷たい外気を遮断しつつも柔らかな日差しが差し込んでいた。窓際には花まで飾られている。

そして肝心のマンデルはというと、ゆったりとしたダブルベッドに寝転がり、存分にくつろいでいるようだった。

いやぁ、快適だな。……いいのか、こんなに上等な部屋に泊まっても

と言いつつ、全く遠慮する様子は見せないマンデル。言葉の割にふてぶてしい態度に、ケイは声を上げて笑った。

もちろんだとも。コーンウェル商会は太っ腹だからな

今回の宿代はコーンウェル商会持ちだ。先ほど本部で顔を合わせたホランドがマンデルのために手配してくれた。ケイとしても、存分に楽しんで元を取ってもらいたいと思う。

そいつはありがたい。せっかくだし、風呂にでも入ってみるかな。飲み物も好きに頼んでいいんだったか

好き放題にやっていいんだぜ、マンデルの旦那。そのうち『あの地竜殺しの英傑が一人、マンデルの泊まった部屋!』って名物になるだろうからな

壁に名前でも刻んだらどうだ、とからかうアイリーンに、マンデルは うへぇ と渋面になった。髭もじゃで表情が分かりづらいが、どうやら照れているらしい。

このあと、マンデルは風呂に入ってのんびりするとのことだったので、ケイたちは夕食の約束を取り付けてから、今度は木工職人モンタンの家を訪ねた。

ケイさん! よくぞご無事で!!

おねえちゃん!!

五体満足なケイに、ホッと胸を撫で下ろすモンタン。その横から勢いよくリリーが飛び出してきて、アイリーンに抱きついた。

お二人とも……うまくいったんですね?

さらに家の奥から、モンタンの妻キスカも顔を出す。

ああ、お陰様で。モンタンの矢も大活躍だったぞ

ケイたちが”森大蜥蜴”を撃破したのは一週間ほど前のこと。まだサティナにまでは詳細が伝わっていないらしい。立ち話も何だということで、中でお茶をいただく。

正直、もうヴァーク村はダメかもしれないと思ってたんだが、驚くべきことに到着するとまだ無事だった

どころか、探索者やら商人やらで大賑わいでさ―

キリアンという熟練の森歩きの話によると、実は―

っつーわけで、人を集めて落とし穴を掘ったり、迎撃準備を―

交互にことのあらましを語るケイとアイリーン。モンタンたちは目を輝かせて聞き入っていた。何せ、『伝説』の当事者たちから直に話を聞けるのだ。現代地球に比べ娯楽の少ない世界で、これ以上のエンターテイメントはなかった。

それでこれが、活躍してくれた矢たちだ

ケイは矢筒から矢を取り出した。“森大蜥蜴”の死骸から回収したものだ。モンタン特製の出血矢や宝石の消滅した魔法矢、最後に額を撃ち抜いた長矢などなど。黒ずんだ血の跡がこびりついており、見方によっては汚かったが、モンタンには最高の手土産になるだろうと思ったのだ。

おお……! これが……!!

モンタンは震える手で受け取り、惚れ惚れと眺める。自ら手掛けた矢が伝説の怪物を打ち倒した―職人として、その感慨はいかほどか。

で、こっちが”森大蜥蜴”の皮だ

今度はアイリーンが10cm四方の切れ端を差し出す。リリーとキスカが、色鮮やかな青緑色に目を見張った。

……触っていい?

もちろん

リリーはおっかなびっくりといった様子で皮を受け取り、恐る恐る、指先で表面をつついた。

……こんな色、はじめて見た

確かに、こちらの世界では珍しい色合いかもしれない。ケイが持ち込んだ革鎧も”森大蜥蜴”製ではあるが、硬化処理などをした関係で、これほど鮮やかな色は残っていない。

……ありがと

しばらくキスカとともに、しげしげと観察していたリリーだが、やがて満足したのか皮を返してきた。

ん? それはお土産だからリリーのだぞ

えっ!?

アイリーンが告げると、リリーとキスカが マジで!? と言わんばかりに皮を二度見する。目と口がまん丸くなった表情があまりにもそっくりで、 ああ、やっぱり親子だなぁ と納得しつつもアイリーンは笑ってしまった。

いいんですか?! こんな貴重なものを……

まあ、貴重といえば貴重なんだけど……

あまり使いみちがない。傷跡を避けて皮を剥ぐと、どうしてもこのような切れ端も出てきてしまった。もちろん、普通の動物の皮に比べると市場価値は非常に高いが、使うとしてもサイズ的にはせいぜい小物を作るぐらいだろうか。ケイたちは記念品として、こういった端材を商会からいくらか譲り受けていた。

もちろん、ケイは革鎧を新調し、アイリーンもちょっとした防具を別途作るつもりではあるが。

ほんとうにいいの、お姉ちゃん?

ああ。なにせ二頭も倒したからな

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