ケイの眼はバカみたいに高性能だからな。ケイの言う『もうちょっと先』はオレたちの『だいぶん先』だ、憶えといた方がいいぜ
アイリーンは慣れっこの様子で、ぷすーっと息を吐いてからそう言った。その左手には投げナイフ。いつ、どこから何が飛び出てきても反応できる構え。
そうして歩みを進めるうちに、ケイとアイリーンを除く三人が顔を強張らせ始める。今まで木々や茂みに遮られていてよく見えなかったが、森の奥の木々が一気にサイズ感を増し始めたからだ。
それは、『巨人の森』―とでも形容するべきだろうか。この辺りは比較的幹の細い常緑樹が主だったのだが、同じ種類の樹木であるにもかかわらず、奥の木々は一回りも二回りも幹が太く、背が高い。
何だアレは……なんであんなに木が育ってるんだ
……『アビスの先駆け』を見つけたとき、ここまでは来なかったみたいだな
恐れおののくマルクに、ある種の確信を深めるケイ。
あ、ああ……もうちょっと手前に咲いていたと思う……
そうか、たまたま外側に咲いてたヤツを見つけたのか……成る程な
今回の『アビスの先駆け』発見が、 深部 の侵蝕が原因である、と断定できなかった理由がこれだ。樹木の巨大化は 深部 侵蝕に伴うわかりやすい現象の一つであり、村でマルクが巨木の存在を証言していれば、ケイとアイリーンは即座にそれと判断できただろう。
仮に、樹木の巨大化が確認できず、一輪だけ『アビスの先駆け』が咲いていたなら、妖精の悪戯である可能性の方が高かった。だが実際は、マルクがたまたま深入りする前に霊花そのものを発見していた、というわけだ。
ほら、見えてきた
とある巨木の根っこのあたりに、青い色。薔薇にも似た豪奢な花びら。
『ヴィグレツィア・グランドフローロ』―別名、『アビスの先駆け』。ポーションの材料となる希少な霊花だ。
コイツは寄生植物の一種でな
アイリーンが解説する。
こうやって木の幹に寄生して咲くんだ。ただ寄生といっても宿主に害はない。むしろ周囲の魔力を吸収しながら、宿主に薬効成分を与えて徐々に巨大化させていく
深部 に巨大な動植物がのさばる原因の一つが、この花だ。普通の森を 深部 へと作り変えてしまう張本人、とも言える。
節くれだった巨木の幹を撫でたエリドアが、腰の剣鉈を落ち着きなく触りながら、何か恐ろしいものを見るような顔で青い花びらを覗き込んだ。
……こうしてみると、美しい花だ
ええ、本当に
ぽつり、と呟くエリドアに、うっとりとした顔のホアキンが頷く。
どうやって採取すればいい?
根ごと引っこ抜くよりかは、根本から切るのがオススメかなー。ひょっとしたら再生して、また採取しに来れるかもしれないぜ
…………
アイリーンの、冗談とも本気ともつかない返答に、エリドアが絶句する。ちなみに、アイリーンは至って真面目に答えている。
じゃ、じゃあ……
気を取り直し、剣鉈を抜いたエリドアが、アビスの先駆けを根本から切断しようとした―そのとき。
周囲を警戒していたケイが、ぴくん、と肩を揺らした。
無言で、サッと姿勢を低くする。突然のことだったが、反射的に、あるいは本能的に全員がケイに倣って身をかがめた。
?
何があった、とアイリーンが視線で問いかけると、ケイは緊張感もあらわに前方を睨みながら、ぺろりと唇を舐めた。
ゆっくりと”竜鱗通し”に矢をつがえ、囁くように言う。
近くに何かいる
67. 遭遇
前回のあらすじ
ケイ 近くに何かいる
ケイの言葉に、まず動いたのはアイリーンだ。
姿勢を低くしたまま、背中のサーベルを抜き放つ。
しゃらッと涼やかな音。冷たい銀色の刃が露わになる。
……どこだ?
前方、樹上。デカくはない
小声でのやりとり。“竜鱗通し”を構えたケイは、一点を見つめたまま動かない。その顔の向きから、対象(ターゲット)の位置にあたりをつけたアイリーンは、左手の投げナイフを握り直し、ケイの死角を埋めるように周囲を警戒し始める。
阿吽の呼吸の二人に対して、他三人の対応はぎこちない。マルクはどこまでも不安げに短弓を構え、エリドアはおっかなびっくりで腰の剣鉈を抜き、ホアキンはただただ息を殺している。最初から逃げるつもりで開き直っているホアキンはともかく、狩人(マルク)と村人(エリドア)も戦力にはならなさそうだ。
…………
ずっしりとのしかかるような静けさ。
頭上に雲が来たか、木漏れ日が陰る。
草葉の緑と腐葉土の黒に分かたれた世界。足元から這い上がる湿り気を帯びた空気。
……仕掛けるぞ
一応、全員が身構えたのを確認してから、ケイは弓を引き絞る。
きりきりと軋む弦。不穏な所作を悟られぬよう、身をかがめたまま腕を引いていく。緩慢にすら思える、ゆったりとした動き。
しかし不意に立ち上がり、一息に矢を放った。
カァンッ! と快音が響き渡り、木立に銀色の光が突き刺さる。
キャ―ッ!
まるで赤子のような甲高い悲鳴。五十歩も離れた樹上から、どさりと緑色の影が落ちてきた。
なっ、何だアレは!?
その正体を目の当たりにして、エリドアが思わず剣鉈を取り落としそうになる。
それは、まるで毛むくじゃらのボールに手足が生えたような、不気味な生物だった。体長は一メートルほどだろうか、緑色の長い毛に覆われた胴体にはケイの矢が突き刺さっている。胴体から伸びる土気色の筋張った細い手で、どうにか矢を抜こうと四苦八苦しているのが見えた。
すかさず、ケイは二の矢を放つ。
丸い身体の天頂―おそらく頭部―に、深々と矢が突き立った。
キイイイイイィィィィ―ッ!!
が、それでもなお軋むような絶叫を上げ、じたばたと無茶苦茶に暴れ回る毛玉。昆虫に勝るとも劣らない、しぶとい生命力。
げえッ! 『チェカー・チェカー』!
厄介なヤツが出てきた……!
アイリーンがとても年頃の娘とは思えないような声を上げ、ケイも苦虫を噛み潰したような顔をする。さらに矢をつがえ、油断なく周囲に視線を走らせた。
あれはいったい……?
ホアキンが恐れ半分、興味半分といった様子で、未だピクピクと痙攣する緑の毛玉を見ながら呟く。
『チェカー・チェカー』という猿の一種だ。雑食性でそれなりに凶暴、相手が弱いと見れば襲いかかる。そして大規模な群れをなす習性がある……
ケイの返答に、思わずホアキンの端整な顔が引きつった。
む、群れ、ですか
こういう言葉がある。『一匹見たらあと五十匹はいると思え』ってな
ゆらゆらとサーベルの刃先を揺らしながら、後退するアイリーン。頭上からガサッ、ガサガサッと枝葉の擦れる音。複数。近づいてくる。
来るぞ
ケイの呟きと同時。
キャアアァァァ―ッッ!
樹上からチェカー・チェカーの集団が一斉に飛び出した。やたらと長い指をわきわきと蠢かせながら、眼下のケイたちに躍りかかる。
その耳障りな鳴き声に、快音が応えた。
矢筒からまとめて矢を引き抜いたケイが、目にも留まらぬ速射を見舞う。軽く弦を引いただけのコンパクトな射撃。しかしそれでも威力は充分、ガッカッカァンッと快音が響くたび、緑の毛玉が見えない拳に殴られたかのように弾き飛ばされていく。
が、それでも数が多い。流石にケイだけでは捌ききれない。取り囲むようにして無事に着地する個体も多数。
シッ!
そこへ、アイリーンが鋭い呼気と共にナイフを投擲した。投げ物が苦手なアイリーンでもこの距離ならば外さない。狙いを違わず命中―だが苔むしたモップのような長い毛に阻まれ、刃が深く通らない。
キィィィアア―ッ!
ナイフを受け、むしろ激昂したチェカー・チェカーが飛びかかってくる。アイリーンは冷静に突進をいなしながら、すれ違いざまにサーベルを振るった。
パンッ、パシッと軽い音。チェカー・チェカーの両手が半ばから斬り飛ばされる。
欠けた手を振り上げたまま、チェカー・チェカーは呆気に取られたように硬直した。一拍置いてからつんざくような悲鳴を上げ、バンザイの格好で転がるようにして逃げていく。長い毛に包まれた胴体より、剥き出しの手足の方が斬撃は通りやすい。チェカー・チェカーのわかりやすい弱点だ。
アイリーンは止まらない。
石像のように硬直したエリドアたちを庇い、軽やかに刃を振るう。
まるで重力を感じさせない激しい機動、木々の間をすり抜けるようにして跳ね回る。
『蝶のように舞い、蜂のように刺す』という言葉は、まさに彼女のためにあった。瞬く銀閃、飛び散る鮮血、その姿はさながら剣(つるぎ)の舞。洗練された美しさ、しかしその動きは冷徹にして機械的、チェカー・チェカーたちの手足がいくつも地面に転がっていく。
あまりに容赦のないアイリーンの剣気に、チェカー・チェカーたちが怯んだ。それを見逃すアイリーンではない。
ウオアアアァァッ!!
血に塗れたサーベルを振り上げ、とても年頃の娘とは思えないような声で威嚇する。近づけば殺す、と言わんばかりの荒々しい殺気。
がああああああッ!
それに続いて、ケイも吠えた。腹の底から振り絞る声に、びりびりと大気が震える。
深部(アビス) の入り口で騒ぐような真似はしたくないが、こればかりは仕方がない。
叫べ! 威嚇するんだ、割に合わない獲物だと思い知らせてやれ!
茫然としたままのエリドアたちを叱咤する。既に十匹以上のチェカー・チェカーを撃退しているが、周りを取り囲む個体だけでもざっと数えてニ十匹、そして未だ頭上にも気配がある。
チェカー・チェカーは凶暴だが、基本的に弱いものしか襲わない。今は自分たちの数が圧倒的なのでいい気になっているだけだ。相手が手強いとわかれば、我先にと遁走し始めるはず。
うっ、うおお!
エリドアが剣鉈を振り上げて叫んだ。ハッと我に返ったマルクも、申し訳程度に矢を放ちながら威嚇の声を発する。
その後ろではホアキンもまた おおおおぉ! と叫んでいたが、こんな状況にもかかわらず無駄に良い声だったので、不覚にもケイは笑いそうになった。
さあ、死にたいヤツはかかってこい!!
アドレナリンで多少ハイになっていることを自覚しながら、ケイは矢筒から『長矢』を引き抜いた。かつて”大熊(グランドゥルス)“さえ一撃で絶命せしめた必殺の矢。
つがえる。
引き絞る。
解き放つ。
“竜鱗通し”の全力を、眼前のチェカー・チェカーに叩き込む。
ドバンッ、と弓矢にはあるまじき着弾音がした。緑色の毛玉が内側からめくれ上がるようにして破裂し、赤色が撒き散らされる。かつてのしぶとい生命力を物語るかのように、ばらばらと地に転がった肉の破片だけが、虚しくピクピクと痙攣していた。
一瞬、辺りが静まり返る。あれだけ騒がしかったチェカー・チェカーの群れの鳴き声が、ぴたりと止んだ。
そして次の瞬間、ケイたちを取り囲んでいたチェカー・チェカーたちは、くるりと踵を返して一目散に逃げ始めた。まるで潮が引くのように、薄汚れた毛玉の集団が森の奥へと去っていく。
数秒もしないうちに、視界からチェカー・チェカーは一匹残らず消え去っていた。
こうでもしなければ 深部 では生き残れない、と言わんばかりの鮮やかな撤退だ。尤も、アイリーンに手足を斬り飛ばされた個体は、そう長くは生きられないだろうが。
……思ったより、諦めが早かったな
ビシュッ、とサーベルを振るって血糊を払いながら、アイリーンが少しばかり意味深な視線をケイに向けてくる。
DEMONDAL のゲーム内では、チェカー・チェカーの群れはもっとしつこかった。それこそ群れを半壊させるくらいの勢いで戦わねば退かないほどに。アイリーンはその差を示唆しているのだろう。
しかし、ゲームのAIではなく、現実であればこそチェカー・チェカーたちの気持ちもわかる。たとえ猿でも自分の命は惜しかろう。ケイが最初から『長矢』を使っていれば、もっと早く逃げ始めていたかも知れない。
むしろ、アイリーンの剣には大いにビビっていたあたり、ケイの射撃が早業すぎて弓の恐ろしさを理解していなかった可能性もある。
やれやれ、どうにか切り抜けられたな
おどけた風に肩を竦めてみせたケイは、マントをめくって腰の矢筒を示す。
実は、矢が残り少なかったんだ。危ないところだった
矢筒には長矢を含めて、あと数本しか残っていなかった。こんな大盤振る舞いをする羽目になるとは思っていなかったので、普通の矢筒しか持ってきていなかったのだ。
ワオ、と呟いて冷やかすようにピゥッと口笛を吹くアイリーン。お手上げのポーズを取ったケイは、不意に真面目な顔でアイリーンを見つめた。