目を見開いたイリスはまじまじとアイリーンの顔を見つめていたが、不意に気が抜けたようにへにゃりと脱力した。お嬢様然とした仮面も剥がれ落ちる。

はぁ~~助かったぁ~~……勢いで招いたけど、『内密な話があるからあなたは帰ってくださる?』なんて言えないし、ホントどうしようって思ってたのよね

顔に書いてあったぜ

ふふ、ご明察よ。ケイ、この人もゲーム内のフレンド? 誰?

それよりまず、お前が誰なのか、教えてもらいたいところだ

やたら馴れ馴れしいイリスに、腕組みしたケイは苦笑を返す。

あらごめんなさい。えーと、覚えてない? 何度も戦ったことがあるんだけど。ウルヴァーン周辺で追い剥ぎやってたプレイヤーキラー……豹人(パンサニア)で投石器(スリング)を使うヤツがいたでしょ

ケイの脳裏に、黒い毛並みの豹人(パンサニア)の姿がよみがえった。今となっては懐かしい、ゲーム時代の思い出―

いたな、そんな奴が。まさかとは思うが

はーい、あたしでーす!

にぱーっと笑いながら、イリスが帽子を取り払う。露わになった頭頂部には―ぴょこぴょこと動く黒毛の獣耳。ケイの目が点になった。

うおっ、何それ!

即座に食いついたのはアイリーンだ。

すげえ! 本物?

本物よ~、誠に不本意ながら

へぇー、ゲームのアバターに精神が引っ張られて、耳だけ残った感じか

え? た、たぶん? そうかも……?

人間の耳はどうなってんだ?

そっちはついてないわ。ゲーム時代に慣れてるから平気だけど

そうなんだ……めっちゃピコピコするじゃん。触ってみていい?

えっ。いいけど……くすぐったいから優しくね? おうっ

早速、耳の穴に指を突っ込まれたイリスが悶絶している。ケイはアイリーンが楽しげに猫耳娘を弄り倒すさまを、穏やかな気持ちで眺めていた。

(いや……イリスは豹人(パンサニア)か。ということはアレは猫耳ではなく豹耳と解釈すべきだ……)

ひとり納得しつつ、うんうんと頷くケイ。

ちょっと! 優しくって言ったでしょ! っていうかそもそもアンタは誰なのよ、アンタは!?

アイリーンを引き剥がして、我に返ったようにイリスが問う。

あ、オレ?

そうよ! 顔には見覚えないけど……

オレは、その、“NINJA”アンドレイだよ。名前くらい聞いたことあるだろ……

少し気恥ずかしそうに、ぽりぽりと頬をかきながら答えるアイリーン。イリスはきょとんとしていたが、金髪碧眼、その顔立ち、そしてケイと同時に消息不明になった有名プレイヤー”NINJA”アンドレイ、それら全てが一本の線でつながり、徐々に驚愕の表情へと変わっていく。

―あえええええッ!? NINJA!? NINJAなんで!?

それ以上は言葉にならず、口をパクパクと動かしたイリスは、ビシッとアイリーンを指差す。

―女じゃん!

実はそうなんだよ。人族の女キャラって筋力低いからさ……男キャラでやってて……リアルの性別ひけらかす必要もないし……

あ……そっかぁ。なるほどね。まああたしも、だから豹人(パンサニア)使ってたんだけど

豹人(パンサニア)は、♀の方が♂よりも身体能力に優れる種族だ。単純な身体能力ならば人族の男を超えるムキムキな脳筋キャラが作成できる代わりに、ゲーム内では人族のNPC全てと敵対してしまい、商店や鍛冶屋など街の施設が利用できないという欠点があった。

加えて、豹人は DEMONDAL のパッケージ版の特典であり、わざわざそれを購入してまで使う酔狂なプレイヤーは数えるほどしかいなかった。『豹人のプレイヤーキラー』と言われて、 ああ、あいつか とすぐにわかったのはそういう理由だ。

……ええっと、じゃあ、あなたのことはどう呼べばいいのかしら? アンドレイは変だし……

本名はアイリーンだよ。ロシア人さ

アイリーンね、了解……そういえばあたしも自己紹介がまだだったわね。イリスよ。出身はスペイン

何とはなしに、二人の視線がケイに向けられる。

どうも、ケイだ。出身は日本

流れに合わせ真面目くさって挨拶すると、アイリーンとイリスがくすくす笑う。本当に、今更な話だった。

はぁ。とりあえずケイが見つかってよかったわ……

ホッとした様子のイリス。しばし、車内に弛緩した空気が流れる。

改めてよろしく。それにしても『あたしよ! イリスよ!』なんて、いきなり言われてもわかるわけないだろ……ゲーム内ですら名前知らなかったのに

そうなんだけど、いきなり見かけたもんだからちょっと動転しちゃって……いやホントにそのとおりなんだけど……

今になって恥ずかしくなってきたのか、赤くなった顔を帽子で隠すイリス。頭頂部の豹耳もへにゃりと倒れている。ゲーム内では殺し合いばかり、でじっくり観察する機会もなかったが、こうしてみるとなかなか可愛げのある耳だ。

しかし、 DEMONDAL の世界において、こんな獣耳を生やした人間は一般的ではないはずだ。この耳を『可愛い』と好意的に解釈できるのは、サブカルに馴染みのあったケイやアイリーンのような異世界人だけではなかろうか? この世界の住人は、どのように受け止めるのか。ひょっとすると耳のせいで白眼視されるのではないか? それにしてはお嬢様のように扱われているのはどういうことだ―と、そこまで考えて、ふと思い浮かんだのは先日酒場で耳にした吟遊詩人の歌。

流浪の魔術師と、獣化の呪いをかけられたお姫様の物語―

なあ、酒場で聴いたんだが……

ケイが尋ねると、 あ~ とますます恥ずかしそうなイリス。

それ、あたしです……

やっぱりか

ケモミミ生やしたお嬢様が何人もいるかって話だよな

順当! と頷くアイリーン。

いったい、なんだってそんなことになったんだ? ひょっとすると流浪の魔術師とやらもお仲間か

そうよ、彼もね―

イリスが説明しようとしたところで、馬車の速度が緩む。窓の外を見れば、立派な屋敷の門をくぐるところだった。

……話はまたあとにしましょう。あたし、ちょっとお姫様に戻るから

帽子をかぶり直し、イリスは俯いて あたしはお姫様、あたしはお姫様…… とブツブツ呟き始める。いささか病的なものを感じさせる光景だったが、馬車が停まるころには、そこには楚々とした微笑みを浮かべる令嬢の姿があった。

お嬢様

ありがとう、ヒルダ

馬車の扉を開け手を差し出すメイド―『ヒルダ』というらしい―に礼を言いながら、イリスが馬車を降りていく。ケイたちも続いた。

おかえりなさいませ、お嬢様

執事と思しき男がうやうやしく三人を出迎える。アルカイック・スマイルを浮かべた、落ち着いた雰囲気の白髪の老人だ。執事はイリスに一礼してから、ゆったりと頭を巡らせ、ケイとアイリーンにも会釈した。

お客様ですね

ええ。古い顔馴染みの方よ。まさかこちらにいらっしゃったなんて……ぜひお茶でもと。『コウ』は?

ご在宅にございます

そう。では彼にも知らせて頂戴

たおやかに微笑むイリスに、 かしこまりました と一礼し執事が屋敷に下がっていく。

ほほぅ……

その姿を見て、アイリーンは思わず唸る。動きそのものは素早いのに、雰囲気はごくごくゆったりとしたもので、全く急いでいるように見えないのだ。年季を感じさせる、洗練された足取りだった。まさしくプロ―執事としての所作を極めていると言ってもいいだろう。それが分野は違えど、身体操作に一家言あるアイリーンの琴線に触れたのだった。

(感じの良い人たちだな)

一方で、ケイも執事やメイドの態度に感心していた。今日は、そのへんを適当にぶらつくつもりで、吟遊詩人のホアキンと話をする以外には特に用事もなかった。当然ケイたちの身なりもそれに相応しく、ド庶民の格好だ。貴族街に似つかわしくないどころか、この屋敷の中で、使用人たちを含めて最もみすぼらしい服装と言っても過言ではないだろう。

だが、馬車に同乗していたメイドも、先ほどの執事も、全く表情を変えない。目の奥に侮りの光もない。草原の民風の容姿である都合上、差別意識に敏感なケイでも微塵も不快さを感じないのだ。内心どう思っているかはさておき、それを決して表に出さないプロ意識は称賛に値する。メイドも執事も、かなり厳しい訓練を受けた一流の人材に違いない。

(ただ、そんな人材が集まるとなると―)

この屋敷の持ち主は、相応の人物ということになる。敷地が限られた市壁内にこれだけ立派な屋敷を構えているのだ、さぞかし力のある―

(いや待て、たしか例の『流浪の魔術師』は領主の庇護を受けてる、って話じゃなかったか……?)

先ほどホアキンが別れ際にそんな話をしていたような気がする。もしそうなら、この屋敷は領主の別邸か、あるいはその係累のものか。

思わずケイがアイリーンを見やると、こちらも薄々何かを察したのか、意味深な視線を向けてくる。

さあ、お二人とも、遠慮なさらないで

うふふ、と上品に笑いながらイリス。 あたしはお姫様、あたしはお姫様…… と自己暗示をかけていた姿が脳裏に蘇る。

きっと苦労してるんだろうなぁ、とケイは他人事のように思った。半ば開き直りに近い心境で、屋敷に足を踏み入れる。

鬼が出るか蛇が出るか、『流浪の魔術師』とやらにお目にかかって話を聞くのが楽しみになってきた。この世界にやってきて『大冒険』をしたのは、どうやら自分たちだけではなさそうだ……

プロットではもっとサティナでのんびりさせるつもりだったんですが、ほのぼのパート飽きてきたんで、ぼちぼち地獄の門を開こうと思います。

80. 交流

前回のあらすじ

イリス あたしよ! イリスよ!!

イリス アエエエエエ! NINJA!

イリス あたしはお姫様お姫様……

イリス うふふふふ

ケイ(苦労してるんだろうなぁ)

たおやかに微笑むイリスが、ケイたちを屋敷へと誘う。

正面の扉を抜けると広々としたホール。貴族の館にしては飾りすぎず、それでいて上品な、格式高い空間だった。

どこかエキゾチックな雰囲気を漂わせる床には、白と青のタイルが散りばめられ、幾何学的なモザイク模様を描いている。しっかりと磨き上げられたタイルはまるで宝石のように光り輝き、無粋なケイのブーツでは、踏み入るのがためらわれるほどだった。

モザイク模様の、放射線状に広がるデザイン―その図柄を目で追ったケイは、自然、導かれるようにして壁面を見やる。ホールの両面の壁と、正面の階段の踊り場には、それぞれ一枚ずつ巨大な絵画が飾られていた。

向かって左手側の絵は、どうやら海辺の街を描いたものらしい。

青い海、晴れ渡った空、賑わう埠頭、所狭しと香辛料や衣料品が並ぶフリーマーケットに、大小様々な帆船。ウミネコの鳴き声や市場の喧騒が潮風に乗って運ばれてきそうな、ダイナミックで臨場感に満ち溢れた作品だ。

翻って右手側の絵には、岩山に囲まれた鉱山都市が描かれていた。

色鮮やかで開放的だった港町とは対照的に、植物の緑もほとんどない赤褐色の山肌が、荒れ地じみた寂寥感を投げかけている。だが、そんな厳しい環境をものともせず、家屋から伸びる煙突はもうもうと黒煙を吐き出し、そこに根付く人々の営みが熱気とともに伝わってくるかのようだ。

最後に正面。

風景画だ。ゆるやかに蛇行する大河と、はるか地平にうっすら浮かぶ山脈。街道を行き交う馬車、まるで要塞のよう巨大な城、そしてそれを取り囲む都市―どこか見覚えのある景色。

ウルヴァーン……

アイリーンが呟く。それはまさしく、かつて自分たちが滞在していた公都『要塞都市ウルヴァーン』そのものだった。

……なるほど

続いて、ケイも気づく。両側の風景画も公国の『四大都市』を描いたものであることに。おそらく左手が『港湾都市キテネ』、右手は『鉱山都市ガロン』だろう。要塞都市ウルヴァーン、城郭都市サティナとあわせて、国内で最大規模を誇る都市だ。

そしてサティナは、他三つの都市を結ぶちょうど中間地点に位置している。

北にはウルヴァーンが、西にはキテネが、東にはガロンが―おそらくホールに飾られているこれらの風景画も、それぞれの方角に対応しているのだろう。絵そのものの芸術性もさることながら、なかなか粋なディスプレイじゃないか、とケイは感心した。

と同時に、この屋敷がサティナ領主の別邸、あるいはその係累のものである可能性が非常に高くなった。普(・)通(・)の(・)貴族は多分ここまでしないだろう。

それではまた、後ほど……

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