それは、この世界の魔術師にとって一般に『奥義』とされているのは、『魔力の使いすぎで死なないラインの見極め』にあるらしいということだ。例えば、術の過剰行使、呪文の詠唱失敗、触媒不足、自分には過ぎた魔道具の作成などで、魔術師は容易く枯死してしまう。精霊語の教養などはあくまで表面的な知識に過ぎず(もちろん精霊語は魔術の根幹であり最重要であることには変わりないが)、その『枯死回避』のバランス感覚こそが、真なる魔術の秘奥と見做されているらしい。

そういう意味では、ケイたちは既に魔術を極めている。

ゲーム時代の経験で既に、『どの程度の術を使えばどのくらい魔力を消費するか』をだいたい把握できているからだ。『死んで憶える』というのは、この世界の魔術師には不可能な修練法。しかも、魔術を使っていけば、今後どのくらいの成長率で魔力が育っていくかも知っている。修練で無理をしすぎて命を落とす若き魔術師もいる、とのことだったので、二人のアドバンテージは計り知れない。

散々語って、酒とツマミが切れてから、三人は下の食堂に下りて食事を摂った。

しかし草原の民風の大柄な青年に、うら若き金髪碧眼の雪原の民の少女、そしてしわだらけで痩せこけた魔術師風の年配の男、という組み合わせは、旅人や行商人で賑わっていた食堂に一種異様な空気をもたらした。

ケルスティンの翻訳がなくなってしまったので、アイリーンが通訳せねばならず三人の会話は遅々として進まなかったが、それにしても食堂隅のテーブルで和気藹々と飲み食いする姿はあからさまに衆目を集めていた。尤も、三人とも程よく酒が入っていたので全く気にしていなかったが―

ちなみに、ソーセージの盛り合わせやチーズなどをモリモリと食べていたケイたちに対し、ヴァシリーは野菜中心のかなりヘルシーな料理を注文していた。『こう見えて、健康には気を遣っているんだ』とはヴァシリー渾身の自虐ネタだ。冗談にしてはあまりに切実だったが、酒が入っていたのでアイリーンは翻訳するのも忘れて、思わず大笑いしてしまった。

そうして満足するまで飲み食いして、ケイとアイリーンは自室に戻り、ヴァシリーは別に部屋を取って、その日は解散となった―

翌朝。

『ふう……昨日は本当に、柄にもなく騒ぎすぎてしまったな。しかし楽しかったよ、二人ともありがとう』

晴れ渡った空を見上げながら、宿屋の前でヴァシリーはニチャァリと微笑んだ。

『いえいえ、こちらこそ。色々とためになる情報をありがとう』

…………俺もヴァシリー殿と話せて楽しかった。是非また一緒に呑みたいな

アイリーンの翻訳を受けて、和やかにケイ。

『とんでもない、私こそ色々と教えてもらったからね。いやあ、魔術の道は奥が深い。……また機会があったら、是非』

ヴァシリーは満更でもない様子だった。昨夜は、なんだかんだでケイたちも魔術について、特に魔道具を動作させるアルゴリズムについて先進的な考え方をポロポロと披露してしまったので、結果的にヴァシリーもかなり得るものがあったのだ。

『それじゃあ、近くに立ち寄ったとき―まあ、ディランニレンにはもう来ないかもしれないが、そのときは一報入れてくれたまえ。アイリーンの警報機の評判がこちらまで届くのを楽しみにしているよ』

『ありがとう、ヴァシリーさんもお元気で』

……さようなら、また

二人に見送られながら、老練な黒衣の魔術師はバサリと鴉に変化し、北の空へと消えていった。

うーん、告死鳥の呪いはアレだが、やっぱり空を飛べるのは羨ましいなぁ

空の彼方で豆粒のように小さくなったヴァシリーの姿を、しかし未だはっきりと視界に捉えながら、ケイは呟いた。

『―毎度、空から見下ろして思うんだ。人の営みの、その歩みのなんと遅く鈍いものか、とね。皆がもっと速く、スムーズに動ければ、日々の暮らしはもっと豊かになるのだろう。……まあ、そんなことになれば、私は商売上がったりだが―』

昨夜、そう言ってヴァシリーが笑っていたのを思い出す。そんな風に世界を見下ろすことが多いせいか、彼は存外に大局的な物の見方をする人だった。

『―“警報機”は、最初こそ確かに儲からないかもしれないが、隊商の被害が軽減されれば、都市間や辺境での物流が活発になり、その好影響は巡り巡って君らの懐を潤すだろう。物を商うとは、きっとそういうことなんだろう、と私は思うよ―』

あのような歳のとり方をしたいものだ、とケイは思った。

そうだなー、空を飛べたら気持ちいいだろうし……でもやっぱり呪いは勘弁……

んんーっ、と朝日を浴びて背伸びをしながらアイリーン。昨夜は部屋に戻ったあとも何だかんだで夜更かししてしまったので、体の怠さが抜けていないらしい。それはケイも同じだ。

俺もいつか、修行を積めば風で空を飛べるようになるのかな……マントを翼みたいに広げてさ

多分できるようになるだろうけど、着地に難アリだな

アイリーンのにべもない答えに、苦笑する。

違いない。翼は危ないから、気球でも作るか

それも面白そうだな! 魔道具で大儲けしたら自作してみようぜ! ……まあその前にウルヴァーンに戻らないと、だな

……そういえば、ウルヴァーンに戻ったら、ヴァルグレン=クレムラート氏に占星術を教えないと……

……ああ

ケイとアイリーンは、顔を見合わせた。ヴァルグレン=クレムラート―図書館の元銀色キノコヘアーの知識人だ。北の大地への道筋などをアドバイスする代わりに、ケイが占星術を教える約束をしていたのだが、諸々の不幸な事故が起きたため、中止されてしまったのだ。

結局……カツラ、見つかったのかな……

……さあ。ってかケイ、望遠鏡を弁償しろって言われたらどうする?

……アレ、俺たちが弁償しなきゃいけないのかなぁ

だってシーヴが原因だしさ……

ぶつくさと言い合いながら、もう一眠りするために宿屋に引っ込んでいく。

こちらの世界に住み着く覚悟は決めたが、それでもその前に、まだやることは山積しているのだった。

61. 知己

ヴァシリーと別れてから二日。

ブラーチヤ街道を南下し、ケイたちは無事、要塞都市ウルヴァーンへと辿り着いた。

やっぱり街中はホッとするな

だなー

城門をくぐり、肩の力を抜いて笑い合う。

時刻は昼過ぎ。表通りの石畳を、買い物客や商人、旅人たちがゆったりとした足取りで行き交っている。馬の手綱を引いて往来を歩くケイとアイリーンは、やはり衆目を集めていた。片や、朱色の複合弓を手にした重武装の精悍な戦士。片や、サーベルで武装した雪原の民の見目麗しい少女。

草原の民に似た顔つきのケイに対し、若干刺々しい目を向ける者もいたが、北の大地やディランニレンで経験した強烈な敵意に比べれば可愛いものだ。初めてウルヴァーンに来たときは、この程度の疎外感でも随分と辛く感じたものだな、とケイは苦笑する。ここ一ヶ月の旅で、随分と精神面(メンタル)が鍛えられたらしい。

足早にメインストリートを抜けたケイたちは、迷うことなく脇道へ逸れる。通りの向こう側に、デフォルメされた甲虫がエールのジョッキを片手に首吊りした、ユニークな看板が見えてくる。“HangedBug”亭―ウルヴァーンでのケイたちの定宿だ。

小間使いにサスケたちの世話を任せ、見慣れた緑色のドアを開ける。からんからん、というドアベルの音。受付で帳簿を開いていた若い女が、顔を上げて目を見開いた。

あら! ケイじゃない、戻ってきたの!?

“HangedBug”亭の看板娘こと、ジェイミーだ。健康的に日焼けした小麦色の肌に、バンダナでまとめた亜麻色の髪。以前は肩までの長さに伸ばしていたが、ケイたちが旅している間に切ったのか、今はさっぱりとしたショートカットだ。好奇心の強そうな、くりくりとした黒色の瞳は相変わらずだった。

やあ、久しぶりだなジェイミー

外套(マント)を脱ぎながらケイは微笑む。その背後からひょっこりと顔を出し やっほー と手を振るアイリーン。ジェイミーがケイに色仕掛けを試みた件で、アイリーンは彼女に対し思うところがあったようだが、ここ一ヶ月の旅でどうでもよくなったのだろう。

二人とも! 心配したのよ、無事だったのね!

ああ、何とかな……部屋を頼めるかな?

もちろん。何日?

とりあえずは一週間まとめて

ちゃりん、と受付に小銀貨を纏めて置く。

ウチの客がよく話してたけど、北の大地って今、色々と物騒らしいじゃない。大丈夫だったの? 街道沿いに馬賊が出て暴れ回ってるって聞いたけど

帳簿に書き込みながら、ジェイミーは興味津々の様子だ。当たり前だが、距離が離れているので噂は少し遅れているらしい。ケイたちは顔を見合わせた。

……馬賊には襲われたが、まあ何とかなったよ

まあっ、襲われたの? でも無事だったのね、さすが公国一の弓使い……! 馬賊も百だか二百だか、とにかく凄い数だって話じゃない

そうだな、百はいたと思う

へぇー! 話半分に聞いてたんだけど、本当にそんなにいたの? 危なくて北の大地には近づけないわねー。本当に良かったわよ、二人が無事に切り抜けられて

そうだな、あんな目に遭うのはもう懲り懲りだ

肩をすくめるケイ。ジェイミーは二人の無事を喜んでいたが、まさか目の前の人物が件の馬賊を壊滅させたとまでは思っていないようだった。

あとで詳しい話を聞かせてね~、という声を背に、一旦部屋に引っ込む。旅の疲れはあったが、ここでのんびりすると動けなくなってしまいそうだったので、荷物を置くが早いかすぐに図書館へと向かった。

おう、『弓』の

嬢ちゃんも、久しぶりだな

やあ、久しぶり

元気だった~?

顔馴染みの衛兵たちと挨拶を交わしながら、第一城壁を抜ける。たった一ヶ月かそこらしか経っていないはずなのに、上品な館が建ち並ぶ一級市街の街並みは、どこか懐かしく感じられた。そこを抜けたあとにそびえる、豪奢な図書館も。

一ヶ月ぶりに姿を現したケイたちに、普段は無表情を崩さない図書館の門番二人組も おや という顔をしていた。尤も、ケイの視力があって気づけただけで、近づく頃にはいつもどおりの鉄仮面に戻っていたが。

お久しぶりです、ケイさん、アイリーンさん

中に入ると、片眼鏡(モノクル)をかけた背の高い女が、受付のカウンターから二人の姿を認めて声をかけてくる。ケイたちが初めて図書館を訪れたときから、何かと世話になっている受付嬢だ。久々なのでケイは一瞬迷ったが、何とか彼女の名前を思い出した。

やあ、アリッサ。久しぶりだな

お戻りになられたのですね

アリッサの返しに、ケイもアイリーンも ほう と感心した風を見せる。顔見知りではあるが、それほど親しくもない彼女(アリッサ)には、『北の大地へと赴く』と事前に伝えていなかったのだ。それなのに『戻った』という表現が出てくるということは―

早速で悪いが、頼めるかな

声を潜めて、懐から取り出した封筒をカウンターに置くケイ。元銀色キノコヘアことヴァルグレン=クレムラート氏宛の手紙だ。これで、ヴァルグレンが次回図書館を訪ねた際、ケイたちの帰還を知らせてもらえる手筈となっている。

承ります

慇懃に頭を下げるアリッサ。その旨はきちんと彼女にも通達されていたらしい。その後は何事もなかったかのように、近況や最近の出来事など、軽く世間話をしてからケイたちは図書館を後にした。

……もう図書館にも、ほとんど用がないなー

しばらく歩いてから、遠くそびえ立つ叡智の城を見やり、アイリーンは言った。

そうだな。知りたいことは概ね知れたし……

ケイも頷く。暇つぶし、という点では図書館には膨大な詩集や小説なども所蔵されているが、英語なのでイマイチ読む気が起きず、ケイたち『現代人』とは価値観が違いすぎてあまり面白く感じられない。転移に関連する情報収集、という当初の目標は達成してしまった。取り立てて、他に調べたいことがあるわけでもない。

今一度、ケイは図書館を振り返る。

物言わぬ彫像の数々が、静かにこちらを見下ろしていた。知恵と、制御された力を象徴する偉丈夫の石像や、巻物を抱えた賢者、羽衣を纏った精霊たち。

…………

記憶に焼き付けるようにじっくりと眺めてから、ケイは背を向けて歩き出した。

なんとなく、もうここに来ることはないんじゃないか、という気がした。

†††

続いて、ケイたちが向かったのは、コーンウェル商会のウルヴァーン支部だ。

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