しかしそんなアイリーンの内心をよそに、ヴァルグレンは改めてケイを見やる。
ところで、君らはこのあと、どうするつもりなのだね?
どう、とは?
ほら来た、と胸の内で呟きながら、アイリーンはヴァルグレンの真意を尋ねる。
なに、今後の予定だよ。ずっと仮宿住まいというわけにもいかないだろう?
あー……それなら、ぼちぼちサティナに戻ろうかなって
ほう? しかし、ケイはウルヴァーンの市民権を取ってあるし、君ら二人とも図書館の年会費を払ったばかりではないかね?
ぱちぱちと目を瞬かせてヴァルグレン。ウルヴァーンを離れる意志を見せたことに驚いたようだ。そして、市民権に関してはさておくとしても、図書館の会費は決して安いものではなかった。なにせ金貨が吹き飛んだくらいだ―まだ十ヶ月以上図書館を利用できるのに、今去ってしまうのはあまりに惜しいのではないか、とヴァルグレンは言外にそう言っている。
や、まあそうなんだけどさ。サティナの方が余所者には暮らしやすいっていうか……ウルヴァーンは、異邦人に冷たいじゃん?
……そうかもしれないが
あと、家を借りるのも予算がないし、宿も結構高いしなー。サティナで安い家でも探そうかな、って思ってるよ。サティナの方が、近くに未開発の森もあって、ケイが弓の腕を活かしやすそうだし
そうか……うぅむ、しかし、彼ほどの弓の腕前でただの狩人とはあまりに惜しい
ヴァルグレンは、ふとそこで初めて思い出したかのように、首を傾げた。
それに、彼は風の精霊と契約しているのではないかね?
にっこりとした笑みの中で、その瞳だけは笑っていない。
なんなら、ウルヴァーンの魔術学院でも紹介するが……
いや~……意味ないんじゃないかな。ほら、旦那も知っての通り、ケイの精霊って、その……なかなか自由でさ。それにケイも若すぎるし、魔力も弱いしで、まともに扱えないんだってさ。魔術学院ってのはそりゃ有り難い話だけど、ちょっと難しいと思う
ふむ。……君も、素質があるように思われるが?
いやいや、学院ってガラじゃないから遠慮しておくよ、オレはただのんびり過ごせたらそれでいいんだ……
たはは、と困ったような笑みを浮かべてアイリーンは少し距離を取った。
そうかね? それは残念だ
飄々とした様子で、ヴァルグレンはおどけて肩をすくめてみせる。それほど固執するつもりもないようなので、アイリーンは密かに胸を撫で下ろした。
……そうさ、それでいいんだ
何やら熱心にパブロと話し込むケイを見て、アイリーンは儚く笑う。
―彼には、のびのびと過ごして欲しい。
人の欲望やしがらみとは無縁に、ただ自由に生きてもらいたい。そして、そんなケイを、屈託なく笑う彼の姿を、ずっと見ていたい―それが、アイリーンの願いだ。
あっ。っていうか、オレも天気予報の方法は知らないんだよ。忘れてた
いつもケイに任せっぱなしで、結局アイリーンも具体的な方法論については知らないままなのだ。望遠鏡もあることだし、今ここでケイの解説を聞かずしてどうする、と思い立ったアイリーンは、いそいそと熱心に話し込む二人へ近づいていった。
パブロの旦那、オレも望遠鏡(コレ)借りていい?
むっ。もちろん構いませんが……壊さないように
大丈夫、だいじょーぶだって
ああっ、そんなに強くツマミをひねらないように! 繊細なんですから!
やいのやいのと騒がしい三人を、ヴァルグレンは微笑ましげに見守っている。
ただ、その後ろで腕組みをするカジミールだけが、つまらなさそうに ふん と鼻を鳴らしていた。
†††
結果、ケイはパブロに、己の持ち合わせる天候予測の知識を全て伝授した。
真偽については、今後パブロを始めとする天文学者たちがデータを取って確認するそうだ。その点、ヴァルグレンはケイをある程度信用しているらしく、結果がわかるまでウルヴァーンで待つ必要はない、と言い残していった。
去るなら、別にそれで構わないというわけだ。
数日後、コーンウェル商会の隊商も準備が整ったとのことで、ケイとアイリーンは、ウルヴァーンを発ち、サティナへ戻ることにした。
早朝、“HangedBug”亭の面々に別れを告げ、サスケたちを伴って街の外へ。ウルヴァーン外縁部の宿場町では、既に隊商の馬車が列を為している。ホランドとエッダ、そして以前旅路を共にした護衛仲間たちの懐かしい顔がそこにはあった。
ケイが隊商にいてくれるなら百人力だぜ!
また”大熊(グランドゥルス)“が出てもへっちゃらだな!
道中の飯が豪華になるぞ~!
皆、ケイの弓の腕前には絶大な信頼を寄せているようだ。今回、ケイとアイリーンは護衛ではなくただ同行するだけなのだが、それでも眠りながら進むわけではないので、それなりに警戒はするしトラブルがあれば対処する。隊商の皆からすれば頼もしい戦力には違いなかった。
いやー、なんだか懐かしいな。こうして並んで進むのは
隊商が進み出し、荷馬車の横で手綱を握るケイは、御者台のホランドに話しかけた。
そうだね、でも前回一緒にウルヴァーンに来たときから、まだ三ヶ月くらいしか経ってないんじゃないかな
まだそんなもんか
いやーここ数ヶ月は濃かったからなぁ……
背中に背負った円盾の位置を調節しながら、しみじみとアイリーン。
おにーちゃんが一緒だと安心だね!
ホランドの横に座るエッダが、バンザイのポーズではしゃいでいる。ヴァルグレンの都合によっては、ケイたちが一緒にサティナに来れなかったかもしれないので、随分と心配していたそうだ。晴れて一緒にいられて嬉しいのだろう。
と、そうこうしていると、ホランドの馬車の幌の中から、ぽろろん、と柔らかな琴(ハープ)の音が響いてきた。
ああ、そういえばお客さんを紹介していなかった
おや、という顔をするケイとアイリーンに、ホランドが背後に何事か話しかける。
すぐに、馬車の幌からひょっこりと浅黒い肌の男が顔を出した。羽飾りのついた帽子をかぶり、小洒落た服を身にまとった、凛々しい顔つきの美青年だ。
こちらは、吟遊詩人の『ホアキン』。彼とは長い付き合いでね。今回サティナへの旅を共にすることになったんだ
ご紹介に与りました、『ホアキン=セラバッサ』です。歌と琴を生業としております……お二人とも、どうぞよしなに
帽子を脱いで会釈する吟遊詩人―ホアキン。きらりと白い歯が眩しい。独特な訛りがあるが、海原の民(エスパニャ)だろうか。
彼の琴の腕前は大したものだぞ。大精霊はホアキンにこそ琴の才を与えたもうた。休憩時間を楽しみにしているといい
ホランドは上機嫌だ。ホアキンははにかんだような笑みを浮かべている。
ウルヴァーンからサティナへと向かう旅は、そうして和やかに始まった。
63. 吟遊
今回は Dehors Lonc Pre という中世の曲を参考にしてみました。
川のほとり。
穏やかな陽光の差し込む木立に、軽妙な、それでいてどこか物悲しい音色が響く。
馬車の傍、木箱に腰掛けた青年が、琴(ハープ)を爪弾きながら歌いだした。
心の落ち着き 今はなく
この胸は ただ高鳴るばかり
かつての安らぎ 今はなく
この想い ただ募るばかり
彼の女(ひと)いまさぬ 朝夕は
荒野にも似て うら悲し
この眼に映る 物みな全て
冷灰のごとく 味気なし
哀れ わがこの頭
物に狂いて 常ならず
哀れ わがこの心
千々に乱れて 埒もなし
ああ 心の落ち着き 今はなく
この胸は ただ高鳴るばかり―
隊商がウルヴァーンを出立して、半日が過ぎようとしている。川沿いの木立で小休止を取る隊商の面々は、思い思いに体を休めながら、吟遊詩人―ホアキンの歌声に耳を傾けていた。
ホアキンが歌うのは、どうやら一人の男が娘に恋をして、彼女の気を引くため無鉄砲な行動を繰り返すうちに破滅の道を辿っていく―という喜劇とも悲劇ともつかぬ恋歌のようだった。
ネイティブな英語話者ではないケイにとって、歌詞の全てを聴き取るのは容易ではなかったが、それでも物悲しいメロディと、それとは裏腹なえげつない内容とのギャップには思わず苦笑を禁じ得なかった。ホアキンが真面目くさって、感情を込めて男の心情を歌い上げているので、余計にその落差が引き立てられ妙な笑いを誘う。
この曲の趣旨はそういった皮肉な可笑しさを楽しむものらしく、隊商の皆も昼食を口にしながら大笑いしている。
大したものだな……
大きめの切り株に腰掛けサンドイッチを頬張るケイは、演奏の邪魔にならないよう声を落とし、隣のアイリーンに囁きかけた。ホアキンは早めに軽食を摂っていたようで、休みなく歌い続けている。
ああ。久々に音楽らしいものを聴いてる気がするぜ……
ケイと同じ切り株を分け合って、横にちょこんと座るアイリーンが、サンドイッチを咀嚼しながら頷いた。確かに、アイリーンの言う通り、音楽らしい音楽を耳にするのは随分と久しぶりのことかもしれない。
蓄音機も電子機器も存在しない『こちら』の世界では、歌は人が歌うものであり、曲は人の手によって演奏されるものなのだ。これまで、酒場や村で人々の歌う民謡は幾度となく耳にしたが、『プロ』の演奏家の曲を聴くのは今回が初めてだった。
DEMONDAL のゲーム内にも、引退したプロのミュージシャンが幾人かおり、度々演奏会が開かれていたものだ―とケイは懐かしく思い出す。その点、ホアキンの演奏は、現代社会で耳が肥えていたケイとアイリーンからしても、文句のつけようがないほど素晴らしいものだった。
いつもとは違う、賑やかな休憩時間を終えて、隊商は再び進み出す。
見事な演奏だったよ
サスケに跨り、ホランドの馬車の横を進むケイは、荷台のホアキンに声をかけた。
やあ、お褒めにあずかり光栄です
ハープを片手に、荷物の木箱にもたれかかって座っていたホアキンは、照れたように脱帽して応えた。本当に、男から見ても惚れ惚れとするような美青年だ。あらゆる動作が様になる―それでいて気取った風もなく、いやらしさもないので、ついつい好感を覚えてしまう。
『プロ』の演奏、しびれたぜ。夜も歌ってくれるんだろ?
ケイの隣で、スズカに乗るアイリーンが身を乗り出して尋ねる。
ええ、もちろんですとも
そいつは楽しみだ
ご期待ください
和やかに話す二人。
ちなみに、出立前にホランドからこっそり教えられたのだが、ホアキンは他人の女には手を出さない主義だそうだ。 だから安心していいよ とウィンクするホランドの顔を思い出して、ケイは思わず苦笑してしまう。当の本人は、素知らぬ顔のまま御者台で手綱を握っていた。
ホアキンおにいちゃんの歌、いいよねえ。あたしもあんな風に歌えたらなぁ
ホランドの隣、御者台に腰掛けるエッダが唇を尖らせて、ぼやくようにして言う。
エッダは、声質がいいからね。いっぱい練習すれば、きっと僕よりもずっと人気の歌手になれるよ
ほんと?
うん、本当だとも
じゃあ、あたしも練習する!
にっこりと笑ったエッダは、足をぷらぷらとさせながら、先ほどホアキンが歌っていたメロディを、舌足らずながらもなぞり始めた。
ホアキンもサティナを目指してるようだが、ウルヴァーンの前はどこにいたんだ? 吟遊詩人(バード)といえば、各地を転々としているイメージがあるが……
そんなエッダを微笑ましげに眺めながら、ケイが尋ねると、ホアキンは帽子の羽飾りをいじって そうですねえ と答えた。
ウルヴァーンには一ヶ月ほど逗留しましたが、その前は東の、オスロという小さな街に滞在しておりました。その前は、さらに東の果て、辺境の都市 ガロン に
鉱山都市 ガロン か
ええ、ええ、そうです。ご存知で?
名前だけな。実際に訪ねたことはないよ
そうでしたか。熱気と活気に包まれた賑やかな街ですよ。周辺の村から出稼ぎに来る者も多いので、僕もなかなか稼ぎやすいんです
当然ながら、吟遊詩人であるホアキンの収入源は聴衆からの『おひねり』だ。極稀に貴族や商人に招かれて演奏することもあるようだが、安定しない。夏場は東の辺境で、冬場は暖かな西の沿岸部で、と旅しながら巡業するのが彼のスタイルらしい。
あまり一箇所に留まっていても、『飽き』が来てしまいますからね。ガロンなんかは大きな都市なので、酒場を転々としていけばそれなりに稼ぎ続けられるんですけど、僕には旅が性に合っているようで