……へへっ、思ったより寂しいなコレ
困ったように頭を掻きながら、アイリーン。彼女も、今となっては『別れ』の重さを知っているだけに、盛んに目を瞬かせている。
おうおう、何だテメェら、辛気臭い顔をしやがって!
しかしそんな若者三人組に、セルゲイはふてぶてしい態度を取って見せた。
別に今生の別れってわけじゃないんだぞ? ワシだってそこそこ生きてきたが、とんでもない機会にとんでもないヤツと再会することはある。運命ってヤツだ、お前らは良くも悪くも色々とあったからな、心配せずとも、今後また色々とあるかもしれん
ふむ。また決闘はゴメンだな
真面目くさってケイが言うと、アレクセイとアイリーンも思わず吹き出した。
あまり目立ちたくないので、声を抑え、それでもくすくすと笑い合う。
そうだ、ケイ、アイリーン。もしどこかに腰を据えたら、手紙を送ってくれよ
さっぱりとした表情で、アレクセイは言った。
届く保証はねーけど。商会に探られるのが面倒だったら、適当に名前変えてさ
そうだな、偽名は『セルゲヴナ』でどうだ? 場合によっては、それもあり得たわけだろう?
アイリーンを見ながらニヤリと笑ってセルゲイ。『セルゲヴナ』は『セルゲイの娘』という意味だ。決闘の件を揶揄しているのだろう。ケイはよくわかっていなかったが、アレクセイは 勘弁してくれよ親父! と頭を抱えている。アレクセイも今となっては幼妻(エリーナ)を持つ身なので、この話題は肩身が狭い。アイリーンは曖昧な笑顔を浮かべる他なかった。
ま、嬢ちゃんのような可愛い娘なら、いつでも大歓迎だがな! ワッハッハ!
ひとり、大笑いしたセルゲイは、おもむろにケイとアイリーンを一回ずつ抱きしめ、ぽんぽんと肩を叩いた。
元気でな
……ああ
セルゲイの旦那もな
頷くケイとアイリーン。続いて、アレクセイに向き直る。
……まあ、アレだ。二人なら元気にやってくだろうしな。そういう意味じゃ心配してねえよ俺は
アレクセイはケイに手を差し出した。がっしりと、握手する。
また、少し迷った様子だったが、アレクセイは同様に、アイリーンとも握手した。
二人とも、元気でな。本当に世話になったよ
それはこっちの台詞だよ。アレクセイも、セルゲイも……さようなら
『本当にありがとう。皆にもよろしくね、お二人さん』
ケイは英語で、アイリーンはロシア語で、それぞれに別れを告げ―歩き出す。
馬の手綱を引き、公国側の門を出て行くケイとアイリーン。
その背中が見えなくなるまで、アレクセイとセルゲイ親子はずっと見送っていた。
†††
門を出てから、ケイたち二人は再び馬上の人となった。
周囲はもはや薄暗くなりつつあるが、日が暮れて門が閉められたあとは、時刻に間に合わずに都市に入りきれなかった商人や旅人が周辺にたむろする。彼らとの交流やトラブルを嫌って、少しばかり距離を取ることにしたのだ。
幸い、一度通った場所なだけに、野宿する場所には心当たりがある。
夕焼け色に染まる小川を眺めながら、ケイはしみじみと呟いた。
やっぱり公国側は空気が瑞々しいな……
公国は、何と言っても水資源が豊富だ。サスケたちの飲水に気を遣わなくて済むのは本当に有り難い、と改めて思う。北の大地は大変だ、とも。
それからしばらく走って、程よい木立を見つけたケイたちは、早速馬を降り野宿の準備を始めた。
野宿続きだが、ケイもアイリーンも、どこか足取りが軽い。
―久々に、二人きりだ。
ディランニレンからわざわざ距離を取ったのは、こういう理由もある。
まず”警報機(アラーム)“を設置して外敵感知の結界を張り、焚き火を起こし、夜露避けの簡易テントを設営して、川から鍋に水を汲んでくる。ディランニレンの屋台で串焼き肉の類を買ってあるので、今宵の夕餉は少しばかり豪華なものになるだろう。
それに何より、二人だけだ。
黙々と準備を進めるうちに、時たま目があってはフフッと笑いあう。
そのまま、地面に敷いた予備のマントの上で夕餉となった。ディランニレンで買った串焼き肉と、黒パン、ソーセージと根野菜を鍋で煮詰めたポトフ。旅とは思えないような豪華な食事だ。
焚き火の光に照らされながら、二人並んで座り、鍋をつつく。
なんか久々だな、こういうの
だなぁケイ。やっぱりいいよな
腹が減っていたので多めに用意した夕食もぺろりと平らげ、満腹感も手伝って和やかな雰囲気の二人。先ほどの湿っぽい空気など嘘のようだ。食後の茶を淹れながら、のんびりと過ごす。
ケイが木にもたれかかって座っていると、アイリーンが足の間に入ってきた。
……ふぅ。オレ専用の椅子だぜ
ぽんぽん、とケイの太ももを肘掛けのように叩きながらアイリーン。すかさずケイは腕を回して、アイリーンの華奢な肩を抱きしめた。
なら、こっちは俺専用の抱きまくらかな
ふふふ
アイリーンは否定も肯定もしない。ただ悪戯っ子のような笑みを見せる。
…………
そのまま、鍋のお湯がくつくつと煮える音を聞きながら、くっついて過ごす二人。
何とはなしに、ケイの指はアイリーンの頬をなぞっていたが、そのとき傍らの警報機(アラーム)に視線を落としたアイリーンが あっ と声を上げる。
ん、どうした?
何か異変を察知したのかと、真面目なトーンでケイ。
あ、いや……大したことじゃないんだけど。約束、忘れてた。ほら、ガブリロフ商会の魔術師のヴァシリーさん
唇を尖らせた困り顔で、アイリーンは北を見やった。
『次にディランニレンに寄ったら是非お茶会をして、魔道具について話そう』って、約束してたんだった
……ああ。そういえばそんなこともあったな
ケイも思い出す。ガブリロフ商会所属の魔術師ヴァシリー。告死鳥と契約した彼は、伝書鴉(ホーミングクロウ)を何羽も使役し、変化・邪眼の魔術も使いこなすベテランの魔術師だ。
……しかし、ガブリロフ商会とはもう関わらない方がいいんじゃないか
うーん、そうなんだけどさ。魔道具の相場とかさ、『こっち』での『魔術の値段』っていうか、そういうの聞いておきたかったんだよなー。あの人プロじゃん?
ふむ……
今後は、ケイもアイリーンも何かしら魔術で生計を立てていくつもりだ。おそらく、行商人のホランド共々懇意にしているコーンウェル商会を頼ることになるだろう。ホランドが自分たちを騙すような真似をするとは思わないが、それでも、第三者視点のそういった情報を仕入れておきたい、というのは正直なところだった。
うーむ、と二人は抱き合ったまま難しい顔で唸る。
オレ的にはさー、あのヴァシリーって人、それほどガブリロフ商会に入れ込んでないと思うんだよなー
というと?
どっちかと言うと、魔術の探求者っていうか。研究資金とかのために商会に協力してる、みたいなことを言ってた気がする
実際のところ、ケイには彼の人となりがよくわからない。ヴァシリーはロシア語しか話せなかったため、直接の交流がなかったのだ。
つまり、ヴァシリー氏に連絡をとっても、ガブリロフ側には情報が漏れない、と?
頼めば、その辺は気を遣ってくれるんじゃないかな。隊商で鴉に憑依してやってきたときも、そんなノリだったし。彼なら、おそらくガブリロフ商会の面々よりもオレたちの方を重視するはずだ
ま、敵対しようとは思わないだろうな、少なくとも。そして幸い彼は告死鳥の魔術師だから、『お茶会』には誘いやすい……
ケルスティンでメッセージを送れば、文字通り飛んでくると思うぜ
じゃあ、呼ぶとしたら夕方以降か……
それとなく結論に至ったケイとアイリーンは、すっかり暗くなった空を見上げた。
ぱちんっ、と焚き火の薪が爆ぜる。
まあ、
でも、
改めて顔を見合わせた二人は、にやりと笑う。
今日じゃなくていいよな
そのまま、貪るようにして唇を重ねた。
長い夜になりそうだ。
59. 茶会
ヴァシリー=ソロコフはガブリロフ商会所属の魔術師だ。
一口に『魔術師』と言っても能力は千差万別だが、ヴァシリーは”告死鳥(プラーグ)“と呼ばれる鳥型の精霊と契約した術者で、その性質はむしろ呪術師に近い。
告死鳥との契約は呪いの一種であり、肉体を蝕み健康を害するが、その代わり使い魔―黒い羽を持つ鳥全般―の使役、使い魔への憑依、邪眼による呪殺など、幅広い術の行使を可能とする。尤も、呪いは己にも危険が及ぶ上、恨みを買うのでヴァシリーが商売道具にすることは滅多にないが。
今日も今日とて、伝書鴉(ホーミングクロウ)を飛ばしたり、使い魔に憑依して空から地形を調査したり、魔除けの護符を作成したりと、忙しなく過ごしながら、魔術の研鑽に励んでいる。そんな彼の元に、『それ』がやってきたのは夕方のことだった。
……おや
商館の二階に構えた、工房兼研究室。窓から夕日が差し込む頃、呪い返しの結界に、何か触れるものがあった。悪意ある干渉を跳ね除け撃退する魔力の壁に、ただぬるりと滑り込むような奇妙な感覚。
振り返れば部屋の壁に、まるで影絵のように、黒々と切り抜かれた淑女の姿が描き出されている。貴族の娘を彷彿とさせるドレス、輪郭だけでそれとなく美人であることを伺わせる楚々とした佇まい。
やあ、これはこれは
この精霊には見覚えがある。
しばらく前、商会の隊商に同行していた若き魔女―『アイリーン』の契約精霊で、確か名前は”黄昏の乙女”ケルスティンといったか。アイリーンはブラーチヤ街道で馬賊を撃退したのち、突如隊商から離脱してその後は行方知れずになっていたはずだ。
だが、こうして接触があったということは―
上品に会釈した影の精霊は、そのまま指先でするすると文字を書く。
『お久しぶり、ヴァシリーさん。もしよろしければ、一緒にお茶でもどうかしら』
『秘密のお茶会へご招待』―と。続いて、ディランニレンにほど近い宿場町と、その中のとある宿屋の名前と。
『窓にハンカチをぶら下げた部屋。よろしければ、いかが?』
ケルスティンが首を傾げてみせる。
喜んで伺おう。今すぐ向かうと伝えてくれるかな
ヴァシリーの返答に頷いたケルスティンは、再び会釈してふわりと消えていった。
……ふふっ
魔術師の男は、思わず笑ってしまう。そのしわだらけの顔に、皮肉な笑みが浮かぶのを抑えられなかった。商会の面々は、血眼になってアイリーンとケイを探しているとのことだったが、二人はもうディランニレンを突破して公国に戻っていたらしい。
そうとも知らずに、北の大地の辺境を未だ探し回っているであろう商会の者たちが、滑稽に感じられてならなかった。
『秘密のお茶会』、か
つまり、そういうことだろう。
ひとしきり静かに笑って、真面目な表情を取り繕ったヴァシリーは、傍らの卓上の小さなベルを手に取る。チリンチリンという澄んだ音に、小間使いの少年が飛んできた。
お呼びですか、旦那様
ああ。所用で少し出かけてくる、皆にもそう伝えてくれ。明日の朝には帰るから心配しないように
わかりました、行ってらっしゃいませ
ヴァシリーがふらりと出かけていくのは珍しいことではない。小間使いも慣れた様子で、そそくさと下がっていった。
さて、と
外出用のローブを羽織りながら、夕焼け空を見上げるヴァシリー。まだ明るいので大丈夫だろう、宿場まではそれなりに離れているが、彼の翼ならばひとっ飛びだ。
楽しみだ
にやりと笑ったヴァシリーは、ばさりとローブを翻す。
体を捻るようにして一羽の鴉に変化し、窓から飛び出した。
翼をはためかせる。呪いのせいで生身の肉体はぼろぼろだが、鴉の姿に変化すれば体調はそれほど悪くない。そして毎度のことながら、空を飛ぶのはいい気持ちだ。いつか私は鴉になるのだろうか、などと呟きながら進路を定める。
夕焼け空に鴉が一羽。
ありふれた光景だ。
誰にも気に留められることなく、鴉は楽しげに飛んでいく―
†††
―とある宿場町。野宿で一夜を過ごしたケイたちは、次の日さらに街道を南下し、昼間のうちに宿を取ってのんびりと体を休めていた。
宿屋の一室でケイたちがごろごろしていると、トントン、と雨戸を叩く音。
おっ、来たか
部屋着だけの楽な格好をしたアイリーンが、ベッドから跳ね起きて雨戸を開ける。
『やあ、お嬢さん』
ぱたぱたと羽を震わせる大きな鴉が止まっていた。かすれた声で雪原の言葉(ルスキ)を話す鴉に、アイリーンは驚くこともなくにっこりと微笑んだ。
『お久しぶりね、ヴァシリーさん』
『久しぶり、アイリーン。まさか律儀に約束を守ってくれるとは思わなかった。お招きありがとう』