幸いなことに、折よく馴染みの行商人ホランドがいた。サティナからウルヴァーンへ行商の旅を終えたばかりだそうだ。ホランドも北の大地の事変については風の噂で聞き及んでいたらしく、いたく心配していたようで、三人はしばし無事の再会を喜んだ。
それで、どうだった? 北の大地は。目的の賢者には巡り会えたのかい
商館の小部屋に通されて、ゆったりと椅子に腰掛け話し合う。
結論から言うと、賢者はいた。……俺たちの故郷は遠すぎて、もはや帰還は難しいとのことだったよ
かいつまんで、事の顛末を話す。魔の森こと、霧の中の怪物、そしてそこに居を構える奇抜な赤衣を纏った賢者―異世界という概念に関しては、面倒を避けるために省略しておいた。
そうか……
いずれにせよもう帰れない、という結論に、ホランドは瞑目する。心優しい生真面目な商人は、若い二人の境遇を気の毒に思ったようだった。
故郷に戻れないのは、悲しいことだと思う。……ただ、私個人としては、無事に二人ともう一度会えて嬉しいよ
そうだな……ありがとう。幸い、気持ちの整理はできているよ
ありがとな、旦那
しかしそのことについては、もう納得できているので大丈夫だ。顔を見合わせて笑った二人は、言外に、気にする必要はないと態度で伝えた。
と、そのとき、小部屋の扉がキィーと音を立てて開く。
お茶がはいりました~
お盆(トレー)を手に姿を現したのは、ホランドの養女エッダだ。褐色の肌を持つ幼い少女は、ケイを見てパッと顔を輝かせる。
お兄ちゃん、久しぶり!!
やあ、エッダ。ちょっと背が伸びたか?
もう、あんまり変わってないよ! あとお姉ちゃんも、久しぶり!
おー、エッダも元気してた?
以前と変わらず元気溌剌な少女に、柔らかく微笑むケイとアイリーン。皆の前、テーブルにそれぞれのマグカップを置いたエッダは、そのまま当然のようにケイの膝の上にやってこようとした。が、ソファに並んで、ごく自然に、寄り添うようにして座る二人に何かただならぬ気配を感じたらしく、その場でがくりと膝をつく。
もう入り込めないよ……
なにをやってるんだエッダ
ハーブティーを口にしながら、呆れ顔のホランド。エッダはすごすごとお盆を手に下がり、再び戻ってきて、仕方なくホランドの隣にちょこんと腰掛けた。
しかし、賢者か。実在したとは驚きだなぁ
話を戻して、ホランド。
ああ、俺たちも驚いたよ
本人曰く、精霊のような存在らしいぜ。確かに強大な力の持ち主だった
……お近づきになりたいところだが、商売っ気はなさそうだね。何より、その魔の森とやらを私では突破できる気がしない
ケイたちが話して聞かせた化け物を想像したのか、ぶるりと太っちょな体を震わせるホランド。エッダは ? という顔で首を傾げていたが、幼い彼女が話を聞いていなかったのは幸いというべきか。確かエッダは、年相応に怖がりだったはずだ。
ところで、馬賊はどうだった? かなりの規模らしいと聞いたけれども
ああ、それなら壊滅した。もう問題はないと思う
事も無げに答えたケイに、意表を突かれて目を瞬かせるホランド。
商人であるホランドには何か益があるかもしれないので、ケイは率直に馬賊が『壊滅させられた』旨を伝えた。街道沿いの治安が回復すれば、再び北の大地では交易が活発化するだろう。コーンウェル商会には直接関係はないが、その余波は何かしらの影響を及ぼすかもしれない―ホランドはケイのもたらした『速報』に感謝していた。
ほうほう、良いことを聞いた。ディランニレンで商品のやり取りが滞っていたらしいからね、それが解消されるとなると……それなりに準備が必要だろう。事前に知らせてもらえて良かったよ、ありがとうケイ
でも、お兄ちゃんたち、よく馬賊に襲われて無事だったね?
心なしかワクワクとした様子で、エッダが言う。恐ろしい北の大地、暴れ回る馬賊、そしてそんな土地を旅して戻ってきたケイたちに、ある種の冒険譚のような憧れを抱いているのだろう。実際の、血生臭い現場を目にした立場からすれば、そんなにきらきらと輝く目を向けられても―困ってしまうのだが。
……そうだな、大変だったよ
かいつまんで、そして直接的な表現は避けて、ケイは北の大地での旅を語った。隊商に合流して街道を北上したこと、斥候の任務を言い渡され、仲良くなった雪原の民の男と共に馬に乗って広大な平野を駆け回ったこと、そして馬賊の襲撃―『殺す』という言葉を使わないようにするのには骨が折れた。
時折、ケイが言葉に詰まったときは、アイリーンがそれとなく助け舟を出して、より優しい言葉で上手く情景を言い表してくれた。『悪い馬賊をやっつける』ケイを想像し、エッダはしきりに感心したり無邪気に喜んだりしていたが、ホランドはしかし、若干険しい表情をしていた。
ケイが大袈裟に話を盛る人間ではなく、そして何より、“大熊(グランドゥルス)“さえ一撃で絶命させる強弓の使い手であることを知っているだけに、ケイたちが巻き込まれた戦いの規模に圧倒されていたのだろう。同じ行商人として、賊の襲撃には思うところもあったらしい。そしてその影響や、北の大地の今後についても、思いを馳せているようだった。
……それで、二人とも、今後はどうするつもりなんだい?
北の大地の話が一段落したところで、おもむろに、ホランドが尋ねてくる。
ケイとアイリーンは、ぴったり息の合った仕草でほぼ同時に腕組みをし、 うーん と唸った。
そうだな……まだはっきりとは決めてないんだが
とりあえず、オレたちとしてはサティナに落ち着こうかなって思ってる
ケイはウルヴァーンの名誉市民だが、税金の支払い義務はあれど、必ずしもウルヴァーンに住む必要があるわけではない。自由民としてサティナに居着くか、あるいはウルヴァーンの市民権をとっかかりにサティナで市民権を取得するという手もある。市民権取得は容易ではないが、相応のコネと『利』があれば不可能ではないはずだ―
それで、折り入って、ホランドの旦那に相談したいことがあるんだ
ニヤリと笑って、アイリーンが口を開く。意味深な口ぶりに、何かを察したのか、ホランドは ほう と笑みを浮かべて身を乗り出した。
実は、例の”警報機(アラーム)”、ぼちぼち商品化を目指そうと思うんだ
待っていたよ。その言葉を
ばしん、と膝を打ってホランド。
あれが売り出せるならば莫大な利益が見込めるだろう。個人向けに売ってもいいし、ある程度実績ができたら貴族にも売り込みをかけてもいい
おお、協力してくれる? あれ材料費とか結構かかるし、試作もしてみたいからさ
もちろんだとも、それならば全面的に支援できると思うよ。……ただ、あの魔道具はかなり有用だから、逆に君の身を縛ることにもなりかねない。……その覚悟はある、と見てもいいのだね
程度によるけどな。オレはケイと一緒に暮らせるなら、あとはなんでも良いよ
潔く言い切るアイリーンに、ホランドはわざとらしく眉を上げてケイを見やり、ケイははにかんだ笑みを浮かべて照れた。エッダは遠い目をしていた。
まあ、……なんだ。詳しい話はサティナですることにしよう
話を進めようとするアイリーンを、ホランドは手で制する。
……ココじゃない方がいい?
道中でもいいよ
なるほど。旦那が言うならそうしよう
ここはコーンウェル商会の『ウルヴァーン支部』だ。多分、支部やら本部やらで人間関係や実績に関して色々あるのだろうな、と即座に察したアイリーンは、すんなりと引き下がる。
……私ももう歳だからね。そろそろ行商も身に堪えるな、と思っていたところだったんだよ。母さんや、エッダのこともある
傍らに腰掛けた養女の頭を撫でながら、ホランドは静かにそう言った。
そろそろ身を落ち着けたいわけだが、そうするにはやはり、それ相応の手柄が、ね
ぱちん、とウィンクするホランド。 まあ、軌道に乗れば私自身がまた駆けずり回ることになるかもしれないが と笑う彼は、紛れもなく商人の顔をしていた。
ところで、二人とも、夕食について何か予定は?
特に考えてないけど?
それだったら、一緒にどうかな。『Le Donjon』でディナーでも
『Le Donjon』といえば、ホランドと同じ高原の民(フランセ)が経営するレストランだ。身内向けの高級志向、といった風情の店で、少々割高だが味は素晴らしく、ウルヴァーン滞在中ケイたちも度々訪れては舌鼓を打ったものだ。
おっ、いいな!
ぼちぼち空腹を覚えつつあったケイは、一も二もなく飛びつく。
じゃあ、ちょっと着替える必要がありそうだ
ほとんど着たきり雀の旅装を指で摘んで、苦笑いするアイリーン。
その後、商館を辞した二人は、宿屋に飛んで帰って身支度を整えた。アイリーンは水色のワンピース。ケイはカジュアルな麻のシャツと革のベストに着替える。ラフな格好をしていると、腰に括り付けた弓のケースだけがやたらと無骨に見えるが、これは仕方がない。
日が沈んで夕方の鐘が鳴るなり、二人はうきうきと連れ立って宿を出た。一応、財布は持っていくが、この流れならホランドの奢りになりそうだ。久々すぎてレストランの場所を忘れてしまい、しばし道に迷ったのは誤算だったが、ホランドはそもそも時計を持っていないこともあって、待ち合わせの時間には寛容なのが救いだった。
ル・ドンジョンの前では、エプロンドレスでおめかししたエッダに加え、ホランドの母のハイデマリーと、幼馴染みにして護衛のまとめ役でもあるダグマルまでやってきていた。ダグマルもケイたちのことは心配していたらしく、二人を熱い抱擁で出迎えた。
夕食は素晴らしいものとなった。
キャンドルの灯りに照らされながら、ベリー類の甘酸っぱい爽やかな食前酒で乾杯。エッダはお酒の代わりにレモンのジュースを供されていた。前菜は淡水エビと旬の野菜のコンソメゼリー、メインは仔牛のカツレツ。デザートにはバニラに似た香料が使われたクリームブリュレ。どれも『こちら』の世界で作るには恐ろしく手間のかかるもので、ボリュームたっぷりの上質な料理にケイもアイリーンも大満足だった。
ハイデマリーがゼリーを飲み込み損ねて咽(むせ)たり、早々に酔っ払ったダグマルが下品なジョークを飛ばし他の客のひんしゅくを買ったりと、些細なトラブルはあったものの、つつがなく優雅で楽しい時間を過ごし、その日は解散となった。
ホランドによると、二週間もすれば、再び行商でサティナ方面へ出発するらしい。次の日は旅の疲れを取るように宿屋でのんびりと過ごし、その後もウルヴァーン近郊へピクニックに出かけたり、川沿いの村に足を運んで地ワインを味わったりと、存分に羽を伸ばしたが、それでも二人の頭の片隅にはいつも図書館に残した手紙のことがあった。
―平服に騎士を無理やり押し込めたような男、『カジミール』が、ヴァルグレンの使いとして”HangedBug”亭を訪れたのは、その数日後のことだった。
62. 星見
お久しぶりです!
Not nekomimi, but hyomimi
キャラデザラフ・バーナード&コウ
リアルって素晴らしい
素晴らしい(昇天)
ヴァルグレン=クレムラート氏のお言葉を伝える。『約束を憶えていてくれたこと、嬉しく思う。突然だが今夜八時、第一城壁の南門にて待つ』とのことだ
朝、“HangedBug”亭を訪ねてきた男、カジミールはむっすりとした顔でそう告げた。その筋骨隆々な体躯を、やたら仕立ての良い平服に押し込み、どこか窮屈そうにしている。お世辞にも機嫌が良いとは言えず、口に出さずとも なぜ自分がこんなことをせねばならないのだ と思っているのがありありと伝わってきた。
食堂で朝食を摂っていたケイたちは元より、他の宿泊客たちも突然の珍客の登場に顔を見合わせている。下町の宿屋には、えらく場違いな存在だった。
今夜か……随分と急な話だな
スープで堅パンをふやかして食べていたアイリーンが、ごくんと口の中のものを飲み込んで言う。すると、カジミールは思わずムッとした様子で、
閣下―いや、ヴァルグレン様はご多忙の中、わざわざ貴様らのために貴重な時間を割いて下さっているのだ! 光栄に思え!
が、すぐに声を荒げてしまったことを恥じるかのように、咳払いして誤魔化す。
……オホン。それで、もちろん来れるのだろうな?
いや、まあ……行けるけどさ