食後、満腹になってジュースのような葡萄酒をちびちびやっていると、風呂の用意ができたとのことでいそいそと入りにいく。
ケチらずにお湯を二人分頼んだので、同じ風呂に交代で入る必要はない。風呂は宿に隣接した小屋にあり、小さなスペースに個人用の浴槽をはめ込んだようなもので、それぞれ小さなドアと壁で仕切られている。ケイもアイリーンも別々の風呂に浸かり、旅の垢を落としてさっぱりとした気分だ。
いや~スッキリした
メシも美味い、酒も美味い、風呂も気持ちいいし何より清潔だ。文句ないな!
ほくほくした顔で部屋に戻る二人。お値段が高めの宿屋なので治安が良く、リラックスできるのがいいところだ。中庭に面した窓は開けっ放しで、厚手のカーテンが風に揺れている。
さて、このあとはどうしようか。明日の昼までゆっくりできるが
窓の枠に寄りかかって、空を見上げながらケイ。
天気もいいことだし、何なら湖にでも―
しかし、振り返りながらの言葉は途切れる。
アイリーンの唇に、口を塞がれていた。
さわさわと、涼やかな風。
……で? どうするって?
しばらくして顔を離し、いたずらっぽい笑みを浮かべるアイリーン。
さて、何だったかな
ひどい物忘れに陥ったケイは、ニヤリと笑い、少し乱暴にアイリーンをベッドに押し倒す。わざとらしく悲鳴を上げて倒れ込むアイリーンに、ケイはじわじわと迫る。
しばし、至近距離から見つめ合った二人は、くすくすと笑ってそのまま口付けた。
それからはどったんばったんの大騒ぎだった。
途中で、独り身と思しき隣の客が荒っぽく部屋から出ていき、逆に反対側の部屋はカップルだったのか、そちらでもおっ始めたが、ケイもアイリーンも気にしない。もはや誰にもはばかることはない。
そんなこんなで、お互い思う存分に楽しんでいたのだが、数戦を終えて小休止していたところで邪魔者が現れた。
コン、コンと。
何者かが部屋のドアをノックしている。
並んでベッドに寝転んで戯れていた二人は、弾かれたようにドアを見やった。
何かの間違いかと思ったが、再びドアが叩かれている。『あの……ケイさん、居ませんか?』とドア越しに少年の声。
『すいません、コーンウェル商会の使いなんですが……ケイさん、居ませんか~?』
顔を見合わせるケイとアイリーン。
なんだろう
わからん
上体を起こし胸元までシーツを引き上げるアイリーン。ベッドから起き上がったケイは、急いで下着とズボンを身につける。
どうした?
念のため、ドアを足で押さえながら少しだけ隙間を開けるケイ。これで何者かがドアに体当りしてきても、一気に開け放たれることはない。
しかし警戒するまでもなく、部屋の外にいたのは小柄な少年一人だけだった。顔に見覚えがある。確か隊商の誰かの見習いだったはずだ。
何かあったのか?
危険はなし、と判断してドアを開け放つケイ。上半身裸の筋骨隆々の青年が視界に大写しになって、少年は少し気圧されたようだったが、背後に見えるアイリーンの姿―艶かしい裸の肩が見えている―から状況を察したらしく、気まずげに赤面する。
えっと、その、申し訳ありません。お楽しみのところを……
いや、それはいいんだが……
ケイたちは、隊商の面々にどの宿を取るつもりかは伝えていなかった。コーンウェル商会はわざわざケイたちを探し出してまで使いを寄越したことになる。
ええと、実は、領主様がお二人をお呼びです
少年の言葉を理解するのに、しばしの時間を要した。
は? 領主? ……ユーリアの領主か?
そうです。実は、商会でお二人の 深部 の素材が話題になりまして、事が事だけに領主様にも 深部 の報告をしたのです。すると大いに興味を示された領主様が、ぜひ現地に赴かれたお二人の話を聞きたいとのことで……
つらつらと事情を説明する少年。ケイは豆鉄砲を食らった鳩のような顔でアイリーンを振り返ったが、アイリーンも同じような顔をしていた。
今すぐの話か?
今すぐの話です
……急いだ方が?
……その、できれば。領主様がお待ちですので……今はホランドさんが対応しているはずですが……
ケイたちを探すのにかなり時間がかかった、と小間使いの少年は付け足す。今更つべこべ言ってもどうしようもない話だった。
わかった。支度しよう。領主様はどこに?
岩山のお城です。馬で参上されても構わないとのことでした
シュナペイア湖のほとりの大きな岩山を思い出し、 あそこか…… とケイは呟く。
領主の城は岩山の頂上に位置し、かなり堅固な造りになっている。城まではきちんとした石畳の道が敷かれ、傾斜もなだらかに整えられているが、人の足で登ろうとすればそれなりに時間がかかる。馬で参上のくだりはそういうことだ。
わかった、すぐに馬で向かおう
ありがとうございます。では自分は商会にそう伝えて参ります
ほっと肩の荷が下りたような顔で、少年は飛ぶようにして去っていった。
えらいことになったな、アイリーン
だな。こっちの領主はどんなヤツなんだろう。畜生、リサーチ不足だぜ
急いで服を着ながら二人はため息をつく。先ほどのホアキンの話が真実ならば、領主一族はかなり狡猾な気質ということになるが―
部屋の鍵を閉め、身支度を整えたケイたちは急いで階下へと降りる。そのまま馬小屋へと突入。
サスケ、悪いがお前の出番―
ばんっ、と馬小屋の扉を開けたケイは、しかし硬直する。突然立ち止まったケイの背中に、 へぶっ とアイリーンがぶつかった。
ちょっと、ケイなにいきなり止まってんだよ
アイリーンが文句を言うが、ケイは固まっている。訝しんで馬小屋を覗き込んだアイリーンは―しかし、同様に固まった。
馬小屋の中では、サスケがスズカに後ろから覆いかぶさっていた。
二頭とも、 あっ という顔をしてこちらを見ている。しばし、奇妙な沈黙がその場を支配した。
…………
何も言わずに扉を閉めたケイは、困惑の表情でアイリーンを見やった。
いや、無理だろあいつ……
そもそもサスケは馬ではなく、馬に擬態した『バウザーホース』というモンスター。普通の馬であるスズカと交わったところで、繁殖が可能とは思えないのだが―
呆然と立ち尽くしていたケイたちだったが、気を取り直し、再び扉を開ける。
すると藁のベッドに上にはサスケが寝転んでおり、その隣には、何事もなかったような顔のスズカが尻尾を振りながら立っていた。
おーい。おーい、サスケ?
しかしケイが近寄ってもペシペシと顔を叩いても、サスケは目を閉じたまま、うんともすんとも言わずに寝転がり続けている。
そのままテコでも動かない構えだったので、ケイとアイリーンは珍しく、スズカに二人乗りして城へ向かう羽目になった。
サスケ つかれた
71. 召喚
前回のあらすじ
サスケ ふぅ……
大通りの人混みを抜けてから、ケイたちはスズカに跨った。
このがっしりとした体格の黒毛の雌馬は、どこぞのサスケと違い二人乗りの加重も苦にしない。ダカカッダカカッと激しく蹄の音を鳴り響かせ、きつい勾配の坂道も一気に駆け上がる。
岩山の頂上―領主の居城へと続く道は閑散としていた。呼び出されでもしなければ一般庶民には縁のない場所なので当然だ。お蔭で通行人に気を遣う必要もなく、速やかに城門まで辿り着く。
止まれ、何者だ!
が、そこでケイたちを出迎えたのは門衛たちの槍だった。単騎で突っ込んできた異邦人を警戒しているらしい。領主に呼び出された旨を伝えても彼らはまだ半信半疑の様子だったが、ケイの名は伝え聞いていたらしく、ウルヴァーンの身分証を出すと、途端に態度が軟化する。
これは失礼した
話は聞いている、こっちに来てくれ
兵士に促され、城門の内側へと招き入れられる二人。
サンクス、マイ身分証……
小さく呟きながら、ケイは胸元に身分証を仕舞い直す。今後、情勢がどう転ぶか不明なウルヴァーンではあるが、やはり身分証の効果は絶大だ。
これはこれで悪くないな、とケイは思った。
遠く離れているのでウルヴァーンからは干渉されにくく、そして他所の街では、公都の民なので無下には扱われない。いいとこ取りをしている気分だ。願わくばこれからも上手く利用していきたい。
兵士に連れられ、アイリーンと共になだらかな石畳のスロープを歩く。
ユーリア城は規模としては至って小さい。下から見上げるとかなり狭苦しく見えた。岩山の天辺に築かれた土台、そこにこじんまりと石造りの館や見張りの塔が建ち並ぶ様は、 DEMONDAL のゲーム内の『要塞村』ウルヴァーンを彷彿とさせる。
が、ひとたび城門を抜けると、そんな印象は見事に塗り替えられた。
城内の石畳や建造物には、それぞれ白系統の石材が配され、現役の軍事施設とは思えないような清潔感ある佇まい。まるで観光名所にでも足を踏み入れたかのようだった。中庭には丁寧にも木が植えられ、木陰には小洒落たベンチまで置かれている。
ユーリア城には仰々しい城壁がない。唯一、城門付近は分厚い壁に護られているが、あとは腰の高さほどの壁―いや、塀があるだけで、閉塞感とは無縁だった。地平線の彼方に雪を頂いた山脈が見えるほかは、視界を遮るものは何もない。
お陰で中庭からは眼下の景色を一望できた。
活気に満ちたユーリアの街並み、蒼い煌めきを湛えたシュナペイア湖、豆粒ほどにも見える船乗りや旅人、商人、巡礼者たちの姿―そして、それら全てを包み込むように風にそよぐ緑の草原。
崖下から吹き上げる涼風が、夏の日差しの熱を吹き散らしていく。あまりの爽やかさと心地よさに、思わず足を止めて風景を満喫してしまいそうだ。
ただし、足元には気を払う必要がある。一歩でも塀の外へと踏み出せば、そこはもう断崖絶壁だ。城をぐるりと取り囲む塀は、防衛用というより兵士のための安全柵も兼ねているのだろう。
この崖こそが天然の『城壁』、まさに難攻不落の要塞だ。領主の城ともなれば対魔術防御もしっかりと施されているはず。攻城兵器も届きにくい高さ故、航空戦力でもなければ、ちょっとやそっとのことでは陥落しなさそうだ。
ゲーム内では飛行型モンスターを飼い馴らし、騎獣として運用することも可能だったが、『こちら』の世界にそんな命知らずがいるかは謎だ。火薬(地球のそれとは違い火の精霊の影響で長時間に亘り高温で燃え続けるもの)を利用した熱気球や飛行船は存在するかもしれない。
すごい高さだな
ひょい、と壁から身を乗り出して下を覗いたアイリーンが、ぴぅっと冷やかすように口笛を吹いた。
おいおい、気をつけてくれよ。領主様の客人が落っこちるなんて冗談じゃねえ。おれの責任になっちまう
それを見咎めた案内役の年かさの兵士が、白髪混じりの眉をクイッと吊り上げる。
そ(・)れ(・)をやるならせめて帰りにしてくれ、そしたら別のヤツを案内につけてやる
はははっ。落ちたヤツはいるのか?
いたさ。昔、度胸試しで足を滑らせた阿呆がな
笑いながらケイの質問に、ふんすっと鼻で溜息をついて老兵士。
どうなった?
おれが兵士になったばかりの頃の話だ。初めて見た死体がそいつだったよ
しばらくソーセージを食う気がしなかった、と老兵士は語る。曰く色々と飛び散っていたらしい。城の北側の岩肌には、いまだ血痕がこびりついているそうだ。
そんな話をするうちに、城門の反対側、領主の館に辿り着いた。ここからは湖の中心の小島と水の大精霊の神殿がよく見える。館には、奇妙なドーム状の建造物が隣接しており、老兵士によると水の精霊を祀る礼拝堂とのこと。
館に入ってからはケイもアイリーンも護身用の短剣を預かられた。当然の処置なので粛々と従う。ケイが肌身離さず携帯している”竜鱗通し”も同様だ。弦を張らず、矢もなければ凶器たりえないとは思うのだが、武器を持たせたまま領主の前に連れて行くわけにもいくまい。一時的な措置とはいえ、唯一無二の相棒を手放すのは不安で仕方がなかったが、こればかりはどうしようもないとケイも諦めた。
エントランスホール。漆喰で塗り固められた白い壁、ふんだんに使われた大理石。床には赤色の絨毯が敷かれ、まさしく貴族の館といった風情だ。窓には透明なガラスが嵌まり、頭上にはクリスタルのシャンデリアが輝く。領主の血族か、階段の踊り場の壁には着飾った貴人たちの肖像画が飾られ、ケイたちは興味深く絵画の中の服装や装飾品を観察していた。
そのまま待たされることしばし。
階上からドタドタと足音がしたかと思うと、ホランドが顔を覗かせる。