そう、だったのか……
転移当初、草原の民と誤認されかけていたケイに、マンデルは公平な態度で接してくれた。そしてケイが草原の民ではないことを見抜き、様々な助言もくれた。
マンデル自身は、“戦役”で徴兵され、平兵士から十人長に昇格するほど活躍していたらしい。その胸中がどれだけ複雑だったことか―
ふむ。……なるほど、この軟膏はよく効くな……!
ぺちぺち、と太腿を叩いたマンデルが、感心したように言う。
ありがとう。……かなり楽になった。このままのペースでも大丈夫そうだ
礼を言いながら、軟膏のケースをアイリーンに返すマンデル。散々局部に軟膏を塗り込んだ手で、そのまま。
あ……いいよ、そのケースは持っておいてくれ、まだ使うだろ?
む、そうか。……わかった、じゃあそろそろ行こう。おれのせいで休みすぎた
マンデルが立ち上がり、荷物袋に軟膏を仕舞ってから、ひょいと灰毛馬に跨る。
もう痛がる様子はなかった。軟膏の効き目は確からしい。
そうだな。行こうぜ
ちょっと待ってくれ、サスケに馬具を付け直す
手早く準備を整え、ケイたちは再び出発した。
それから、以前のペースで進んでも、マンデルは 少し痛む 程度で平気なようだった。むしろスズカの疲労具合の方が心配だったほどだ。
休むことなく駆け続け、日が暮れる前には、シュナペイア湖に面するユーリアの町に到着した。
相変わらず、清らかな湖とは対照的に、猥雑な雰囲気で満ちた町だ。行商人やその護衛、彼らを相手にする物売りや芸人、娼婦などで賑わっている。前回、ここを訪れたときは領主の館に呼び出され、アイリーンが 夫に黙って愛人にならないか? などと誘われたりしたものだ。ケイの面前で。
ありゃ傑作だったなぁケイ
ああ。二度と御免だが
もちろん領主の館などスルー。呼ばれてもいないし、呼ばれる予定もない。実に素晴らしいことだ。
少しでも疲れを癒やすため、高級な宿に泊まる。マンデルは遠慮しようとしたが、有無を言わさず宿代はケイたちが出した。風呂で汗を流し、ゲロマズ体力回復薬を服用し、口直しするようにたらふく食ってから、その日は早々に就寝。
その甲斐あってか、翌日は疲れもなく、ベストコンディションで出発できた。マンデルも寝る前に軟膏を塗ったようで、股が痛むことなく強行軍を続ける。
そして。
見えた!
街道の果て―丸太の防壁で囲まれた開拓村が見えてくる。
見たところ、壁が壊された様子もない。周囲には人影もあった。
おぉーい!
ケイたちが手を振ると、住民もこちらに気づいたようで、手を振り返してくる。
サティナを発ってから、およそ一日半。
ヴァーク村は―まだ無事だったのだ。
いつも感想ありがとうございます! 実は昨日、短編を投稿しました。
神 お主のチート能力は『いらすとや召喚』じゃ
サクッと読めるコメディなので、オススメです! なんと挿絵もついてます!
92. 状況
前回のあらすじ
マンデル(下半身露出のすがた) この軟膏の半分は。……優しさでできている
ケイ&アイリーン アビス軟膏~♪
そしてケイたち一行は、ヴァーク村に到着した。
ヴァーク村の男たちから、ケイは熱烈な歓迎を受けた。
英雄が来たぞ!
“大熊殺し”だーッ!
公国一の狩人ーッ!
“疲れ知らず(タイアレス)“ーッ!
公国一の木こりーッ!
何か変な二つ名も混じっていたが。
ケイ!! 来てくれたのか!!
村長のエリドアが、ホッとした顔で飛び出てきた。チャームポイントのハの字の眉は相変わらずだが、前回会ったときに比べ、かなりやつれている。
エリドア! 無事だったか
ああ、何とか。テオは立派に仕事をやり遂げたんだな。想像以上に早い到着だよ、ありがとう
テオ―コーンウェル商会に遣いとしてやってきた少年のことだ。
テオは今、商会で世話になってるはずだ。俺たちも全力で駆けて来たが、間に合わないんじゃないかと気が気でなかったよ……
村の中で下馬しながら、ケイは周囲を見回す。
ヴァーク村―ぐるりと丸太の壁で囲まれた開拓村。この防壁は、人間や普通の獣を防ぐには充分だろうが、“森大蜥蜴(グリーンサラマンデル)“相手では紙細工ほども役には立たない。襲われればひとたまりもないだろう。女子供は避難させた、と聞いていた通り、村内には男たちしか残っていなかった。
だが。
それでも村は、賑(・)わ(・)っ(・)て(・)い(・)た(・)。
興味深いことに、村の出入口の付近、門の周辺にはテントや天幕が張られており、よそ者連たちが大勢そこで過ごしているのだ。野心に燃える駆け出しと思しき行商人、いかにもガラの悪い食い詰めた傭兵、身一つで乗り込んできた素人、森に溶け込みやすい格好をした狩人や野伏、などなど。
“森大蜥蜴”の脅威が迫る中、てっきり村の男たちしかいないと思っていたケイは、まだこの場に留まる命知らずがいたことに驚いた。
意外と人がいるんだな
率直な感想を漏らすと、エリドアはなんとも言えない顔で頷く。
ああ。頼もしい奴らさ。いつでも逃げ出せるよう、準備に余念がない
皮肉げな言葉だが、責めるような色はなかった。
まあ、両者とも気持ちはわかる。
この壁に囲まれた村には、出入口の門が一つしかない。村内で過ごしているところを襲われれば、みなが門に押し寄せて大パニックになるだろう。少なくない数が逃げ遅れるはず―村人たちは各々の家があるので仕方なく村内で過ごしているが、よそ者がそれに付き合う義理はない。村の外で過ごすのは当たり前の選択だ。
村人側としても、その気持ちはわかるが、いざというときは見捨てると宣言されているようなものなので、複雑な心境だろう。
……正直、ケイも好き好んで壁の内側にいたいとは思わない。いざというときに動きが制限されるのは困る。
彼らはなぜここに?
サスケの汗を拭いてやりながら、ケイは尋ねた。
『森の恵み』を求めてるのさ
というと?
深部(アビス) の動物が迷い出てきたり、普段は生えないような珍しい薬草が群生したりしてるんだ、今のあの森は
壁の向こうに広がる森を見やるようにして、エリドアは言った。
アイツら、この状況下で森に入ってんのか?
アイリーンが驚愕の顔でよそ者たちを見る。何人かの荒くれ者たちが、アイリーンの美貌を目にして囃し立てるような声を上げた。
……命知らずだな
マンデルがぼそりと呟く。ケイも全く同感だった。討伐に来ておいて何だが、森の中で”森大蜥蜴”とやり合うのは御免だ。ケイの足では絶対逃げ切れない。
当然、森に入り込む探索者―そのほとんどが素人の食い詰め者―が、怪物に出くわして生きて帰れるとは思えなかった。
それだけ、カネになるんだ……噂が噂を呼んで、むしろ”森大蜥蜴”が出る前より、人の出入りが増えたぐらいだ
エリドアが苦笑する。『アビスの先駆け』とまでは言わないが、高値で取引される薬草やキノコ、美しい毛皮の珍獣、そんな存在が森には溢れているらしい。“森大蜥蜴”の出現直後は逃げ出す者が多かったが、その隙に珍しい獣を生け捕りにして大儲けした剛の者が現れ、結局それを羨んだ多くの探索者たちが戻ってきたそうだ。
今では、一攫千金を夢見て森に入る命知らずたちと、それらの”商品”を高値で買い取る行商人で、村は大賑わいなのだという。
ただし、経済活動のほとんどが村外で行われる上、村内の施設も休業状態であり、村にはあまり利益が還元されていないとか何とか。
話を聞いたケイは、 随分と悠長に構えているんだな という感想を抱いた。と同時に、それほどまでに森の生態系が変わっているということは―あまり良い傾向とは言えない、と危惧した。
……この近辺には、まだ”森大蜥蜴”が姿を現してないのか?
何より気になるのは”森大蜥蜴”の動向だ。流石に近くにヤツが『出た』となれば、探索者はともかく、商人たちが真っ先に逃げ出すはず。
いや……それが、はっきりとは言えないんだ。ヤツの行動範囲が、少しずつ広くなってるのは間違いないんだ……
エリドアは何とも困ったような顔。
……詳しい事情を説明しよう。こっちに来てくれ
村に入るときも思ったが、門の周辺は混沌していた。
まるでバザールのようだ。色とりどりの天幕、熱心に探索者たちと交渉する商人、飲食物を売る簡易屋台、酒瓶片手に英気を養うごろつきたち―
おーい、キリアンはいるか
エリドアが声をかけると、探索者たちが顔を見合わせた。
キリアン、見たか?
さあな、おれは見てねぇ
ってかキリアンって誰だ?
そんなこと言い出したらよォ、まずお前が誰だよ!
違いねぇな! ガハハ! 知らねえ顔ばっかりだぜ
それよりエリドア、その別嬪さんを紹介してくれよ!
誰かが叫び、 そうだそうだ! と野太い声が重なる。
やいのやいの。ケイの傍らのアイリーンに、口笛を吹く者、見惚れる者、下品な野次を飛ばす者―いくらこの場が賑わっているといっても、女っ気はゼロだ。流石にこんな危険な開拓村にまで出向いてくる商売女はいなかったのだろう。お陰で女に飢えた男たちが、砂糖菓子に吸い寄せられるアリのようにわらわらと―
あー。ダメだ、オレがいちゃ話にならねぇなコレ
ぼりぼりと頭をかいたアイリーンが、小さくため息をつく。
オレぁ一旦村に戻るぜ、ケイ。話は聞いといてくれ
わかった
こりゃ仕方ない、とばかりに頷くケイ。
おうおう、そんなこと言わずに、ちょっとくらい付き合ってくれてもいいじゃないかよぉ~、お嬢ちゃん
などと言いながら、酒焼けした赤ら顔の男が絡んでこようとしたが―アイリーンが、トンッと地を蹴る。
へ?
赤ら顔の男からすると、アイリーンが消えたように見えただろう。
軽々と宙を舞うアイリーン。真正面から男の頭を飛び越えたのだ。
そのまま、群がる男たちを避けるようにして、トンットンッと飛び跳ねていき、三メートルはあろうかという丸太の壁に取り付いて、そのまま向こう側へと消えた。門があるのに、わざわざ壁を越えてみせたのだ。
…………
ごろつきたちが、呆気に取られている。
エリドア……何者(なにもん)だありゃぁ……
強力な助っ人だよ
苦笑交じりに答えるエリドア。
と、ごろつきたちの間をすり抜けるようにして、一人の男が前に出てきた。
……アッシを呼んでると聞きやしたが
ぴったりとした皮の服に身を包んだ男だ。三十代後半といったところか。ツルツルに剃り上げたスキンヘッドで、頭部には爪で引っかかれたような傷があり、前歯が何本か欠けている。少し間抜けな顔立ちにも見えるが、その立ち居振る舞いには隙がなく、特に足運びにただならぬものを感じさせた。腰の後ろには山刀を差し、小型のクロスボウを背負っている。
おお、キリアン。この人に、森の様子を話してやってくれないか
エリドアがケイを示す。
どうやら、このスキンヘッド男はキリアンというらしい。察するに、今もなお森に踏み込む命知らずの一人といったところか。
こちらの旦那は?
以前話した、“大熊殺し”のケイさ
ほう!
じろじろとケイを見ていたキリアンは、感心したような声を上げる。
それはまた。アッシは流れ者のキリアンと申しやす
ケイだ。狩人をやっている
よろしく、と目礼する二人。
森の様子、とのことで。何を話しやしょう?
できれば”森大蜥蜴”の動向を知りたいんだが……
ケイはあまり期待せずに尋ねる。
ふぅむ。いくらで?
目を細めて、キリアンが笑う。
命がけで拾ってきた情報でやすからね
タダでやるわけにはいかない、と。
もっともなことだ、とケイは納得した。しかしどれほど払ったものか。
……こういうとき、いくらぐらいが相場なんだ?
いや。……おれに聞かれても困る……
突然ケイに聞かれ、困惑するマンデル。
こんな情報の売買は経験がないからな……
そうか……
……。ただ、山狩りの類で、軍が地元の猟師や狩人を案内人に雇うときは、一日あたり小銀貨2~3枚が相場だと聞いたことがある。……それより安いということはないだろう
悩むケイに、マンデルもどうにか記憶をたどり、そんなアドバイスをくれた。
じゃあ、これくらいでいいか
財布代わりの革袋から、銀貨を数枚取ってキリアンに手渡すケイ。小銀貨ではなく銀貨にしたのは、これより細かい硬貨を持っていなかったからだ。命がけの情報なのは間違いないので、多めに払ってもいいだろうという考えもある。
ほほう。これはこれは……
キリアンは手の内の感触だけで金額を察し、サッと懐に銀貨を隠した。
お話ししやしょう。ただ場所を変えたいところでやすね