残念ながら、1回あたりごくわずかとはいえ、自前の魔力を消費する魔道具なので徐々に限界が近づきつつあった。
肉体的な疲労に、魔力の消耗まで加わって、まぶたがどんどん重くなってくる。
『……眠いんだろ? 今日はこれくらいにしとこうぜ』
ケイの状態を察したのか、アイリーンが気遣いを見せた。
あるいは、気を利かした影の精霊(ケルスティン)が、『(眠たそうな目)』とでも表示したのかもしれない。
ホントは、もっと話したいけど……そうしようか
目をこすりながら、ケイは言った。
…………
名残惜しげに、手の中の魔道具に視線を落とす。木の板に水晶や宝石が組み込んである作りで、どことなく地球のスマホを彷彿とさせるデザインだった。
画面なんてないけれど―アイリーンと見つめ合っているような気がした。
ヤ ティビャー リュブリュー、アイリーン
ちょっとだけはっきりした声で、ケイは告げた。
アイリーンと一緒に暮らすうちに、ちょっとずつロシア語もかじり始めたケイが、一番言い慣れている言葉だ。
『……けい、すき。あいしてる』
アイリーンの返信が日本語で、ひらがなで表示されていたのは―つまりそういうことだ。彼女もまた、ケイに暇を見ては日本語を教わっていたから。
愛おしくてたまらなくて、思わずケイが チュッ と唇で音を立てると、ほぼ同時に『(キスの音)』と表示された。
笑い声を堪えるのに苦労した。
……おやすみ、アイリーン。明日もまた、連絡するよ
『……楽しみにしてる。おやすみ、ケイ。いい夢を』
名残惜しいが、そこで通信を切り上げた。
大事に胸元に魔道具をしまい込んだケイは、仰向けに寝転がり直す。
……ふふ
テントの中、独り、ガラでもなく幸せそうな微笑みを浮かべたケイは、毛布にくるまって、ほどなく寝息を立て始めるのだった。
109. 機嫌
改良したフカフカの寝床で、ケイは爽やかな朝を迎えた。
……正確には、ちょっと寝過ごした。寝心地の良さに加えて、昨日は夜ふかしまでしていたからだ。
おーい、ケイ。起きろー
……んが
コーンウェル商会の馬車の護衛、ダグマルが起こしに来るまでいびきをかいていたくらいだ。
初冬にもかかわらず、テントの外が明るい。つまり朝日はかなり昇っているということだ。
このまま寝てたら置いていかれるぜ?
うおっ、まずい!
テントを片付けたり身支度したりで、何気に準備に時間がかかるのだ。ケイは慌てて飛び起きた。
よく眠れたみたいじゃないか。それにしても、こいつはまたずいぶん色々と買い込んだもんだな
テントの中の、クッションや毛布を覗き見て、ひげモジャのダグマルはクックックと忍び笑いを漏らす。
まあな、せっかくの臨時収入だったから。起こしてくれてありがとう
なぁに。まあ今すぐ出発ってわけでもねえし、ぼちぼち朝飯だからよ。ケイの分も取っといてやるから、慌てず安心して支度しな!
ガハハと笑いながら、ダグマルは去っていった。夜番の明け方担当は朝食係も兼ねていたらしく、焚き火には鍋がかけられていて、粥(ポリッジ)的なものがぐつぐつと湯気を立てていた。
おお、ありがたい!
待望の温かな朝ごはんだ。ケイは手早く、革鎧を身に着けてテントや毛布を片付け始めた。
―粥はお世辞にも美味とは言い難かったが、初冬の冷える朝には、温かいものを口にできるだけで涙が出るほどありがたかった。
義勇隊の皆には悪いが、これだけでも商隊側に来た甲斐があるというもの……
お礼といっちゃなんだけど、昼頃には兎を獲ってくるよ
余分な荷物の運送代としていくらか支払ってはいるものの、毎度タダ飯にありついていては世間体が悪かろうと、ケイはそう申し出た。
おっ、そいつぁいいねえ! せっかくなら、食料には余裕があるし、しばらく馬車に吊るして熟成させようぜ。すぐに食うより美味えぞー
ケイの弓の腕をよく理解しているダグマルとコーンウェル商会の関係者は、兎肉が確定したことで大喜びしていた。
やはり馬車があると大違いだな、とケイはしみじみする。肉は熟成させた方がより美味い。それは常識だが、徒歩で余計な荷物を極力減らしたい義勇隊では、熟成させるひと手間なんてかけてられないのだ……しかも、わびしい食事に耐えながら、皆が皆、肉を我慢できるかと問われると……。
(しかし、義勇隊にも兎を持っていかないといけないしな)
そして本部に上納する猛禽類も狩らなきゃいけない。
うーむ、今日は忙しくなるな!
言葉とは裏腹に、ケイはルンルン気分だった。昨日、一昨日のケイとは同一人物と思えない。
クッションのおかげで快適に眠れたし、アイリーン成分も補給できたし、さらには温かな飯まで!こりゃ周囲にも貢献せねばバチが当たる、とばかりに。
ハイヨー!
“竜鱗通し”を握りしめて、颯爽とサスケに跨った。 えっ、普段そんなかけ声なくない? とびっくりした様子のサスケに二度見で振り返られながら、ケイは草原へと繰り出すのであった。
†††
サティナ周辺からウルヴァーンにかけては、ゲーム内だとリレイル地方と呼ばれていた。
草原や丘陵など、緑豊かな風景が広がる地域だ。
ただ、鉱山都市ガロンのある東部の辺境へ―つまり海側から陸側へどんどん進んでいくごとに、地形が起伏を増していく。
あと数日も進めば、草原はまばらになっていって、今ほどは兎の肉にありつけなくなるだろう。その代わり、森の動物を狩れるかもしれないが―草原ほど見晴らしはよくないので、狩りに専念でもしない限りは、やはり運が絡む。
公国は豊かだな
街道の周りを駆け巡り、獲物を探しながら、ケイは呟いた。その視線の先には、街道沿いに流れる河川がある。
北の大地では、ルート選択を失敗して、水不足で行き倒れそうになったものだ。
それに対し公国は、そこら中に水源がある。おかげで大軍でも水の調達には困っていないようだ。
サスケに澄んだ川の水を飲ませる。……すぐ近くを軍隊が通っているというのに、驚くほどの水質の良さ。
それもそのはず、みだりに水を汚すと精霊が怒り狂って何が起こるかわからないので、公国は水源の管理にかなり神経を尖らせているのだ。
なので、飛竜討伐軍においても、休憩のたびに工兵が穴を掘り、割としっかりしたトイレや食器の洗い場などが敷設されている。従軍魔術師だか錬金術師だかが、薬品などで汚物処理しているところも見かけた。
(あれは、ゲーム内にはなかったなぁ)
ポーション作成をはじめとした”錬金術”は存在したが、汚物処理の薬品なんてものは実装されていなかった。いくら現実に限りなく近いVRMMOを標榜していても、流石にそういった要素は。
だがこの世界にはあ(・)る(・)のだろう。
サティナやウルヴァーンといった大都市には必ず下水施設があって、街から離れた処理場では、犯罪奴隷なんかが浄化作業に従事していると聞く。具体的にどうやって処理しているのかはわからないが、おそらく、あの手の薬品のノウハウが蓄積されているのだろう……
そんなことを考えながら、兎や猛禽を仕留めていく。
昼前には、兎が十数羽、猛禽数羽がサスケの鞍にぶら下がっていた。
ケイにしては、割と控えめな成果だった。……兎はともかく、猛禽類は単純に見つからなかったのだ。
ひょっとすると昨日殺しすぎたせいで、付近一帯の猛禽類が恐れて逃げ出したのかもしれない―
(いや、まさかな)
言葉が喋れるわけでもあるまいし、と苦笑するケイ。兎も思ったより少ないが、代わりに、木立に狐や野生の猫といった生物を見かけた。
この辺りは小型の捕食者が多いので、競合する猛禽類が少ないのだろう。
(今日は、昨日ほどは稼げなさそうだな)
しかしケイは、あまり気にしていなかった。寝床など、この行軍中にずっと使うであろうものには初期投資を終えたし、買い食いで散財するにも限度がある。
―せめて、酒でも呑んでいたら話は別だったのだろうが、よりによって断酒中。
いやー、アイリーンはキツいだろうなぁ……
馬上で、曇り時々晴れなそれを見上げながら、ケイは嘆息した。
大して酒好きでもない自分が、これだけ飲みたい気分になるのだ。大の酒好きで、毎日晩酌するのを楽しみにしていたアイリーンが、どれだけ我慢に我慢を重ねていることか―
アイリーン、頑張れー!
周囲にサスケ以外誰もいないので、ケイは空に向かって叫んだ。
……いくら風の乙女(シーヴ)の加護があろうとも、サティナにまで声は届かないだろうが。 まったく何やってるの と言わんばかりに、クスクスクス、というかすかな笑い声が聞こえた気がした。
兎を持ってきたぞー
昼時の休憩時に、ケイは義勇隊を訪ねた。
よっ! 待ってました!
でかした!!
近衛狩人ばんざーい!
やんややんやと出迎える皆に混じって、しかし、何やらムスッとした顔の男。
おお、隊長殿
ご機嫌斜めな人物にわざわざ話しかけたくはなかったが、あまりにこちらをガン見してくるので、ケイは仕方なく声をかけた。
……狩りの成果は上々のようだな。流石は英雄殿、いや近衛狩人様だ
ふん、と鼻を鳴らしながら皮肉げに言うのは、他でもない。
顔は悪くないが、どこか不貞腐れたような雰囲気のせいで小物臭く見える男こと、義勇隊の隊長フェルテンだった。
110. 立身
前回のあらすじ
ケイ よーし、今日もお仕事頑張るぞ!
ケイ あ、そうだ、義勇隊の皆にお裾分けしにいこう
隊長 ……ふん、狩りの成果は上々のようだな! (プンスコ
ケイ(なんかめっちゃ機嫌悪いぞコイツ……)
兎を手土産に、昼時の義勇隊を訪ねると、何やら苛々した様子の隊長・フェルテンに出迎えられた。
聞けば、特別任務だとか
落ち着きなく足先で地面を叩きながら、皮肉げな口調でフェルテンは言った。
一応、こいつらから話は聞いたが、正式な書類があれば見せてもらいたい
もちろん構わないが
早速、辞令兼身分証が役に立つときが来たようだ。……ただ、仮にも義勇隊の責任者なら、フェルテンにも通達がいってそうなものだが。
ケイが胸元から書類を取り出して見せると、文面をチラッと一瞥したのち、最後の署名―公国宰相ヴァルター=べルクマン=シュムデーラー伯名義―を確認して、フェルテンは鼻の横の筋肉を痙攣させた。
……相わかった! 流石に英雄は違うな、一足飛びにお役人様と来た!
半ば憤慨しながら、書類を突き返してくるフェルテン。
いや、役人というか、あくまで飛竜討伐の間だけなんだが……
なんでこんなキレてんだ、と困惑気味に答えるケイだったが、 ああそうかい! とフェルテンはますます不機嫌が加速したようだ。
結局、 今後の活躍をお祈り申し上げる! 的なことを慇懃無礼に言い放ち(早口だったのでケイにはよく聞き取れなかった)、荒々しい足取りでフェルテンは去っていった。
……なんだアレ
顔を合わせたと思ったら、原因不明の不機嫌を撒き散らして、ただ消えた。ワケがわからないのでケイが周りに尋ねると、彼らもまた微妙な顔をしていた。
ケイと同じく、理解に苦しみ首をかしげる者から、フェルテンを小馬鹿にしたように笑う者、憐れむような顔をする者まで、それぞれ。
単純に、ケイ殿が気に食わないのでしょう
田舎名士のぽっちゃり次男坊・クリステンがしたり顔で答えた。
む。何か失礼だっただろうか
いえ、ケイ殿が直接というわけではなく、雲上人から目をかけられた上に出世していくのを羨んでいるのかと。自分の記憶が正しければ、近衛狩人は軍の百人長に匹敵する役職だったはずです
クリステンは記憶を反芻するように、こめかみに指を当てながら言う。
そして、我らが義勇隊をよく見てみてください。何人くらいです?
ケイは隊の面々を見回した。
……100人には届かない。数えたわけではないが、だいたい80人かそこらだ。
この義勇隊の長は、つまり今のケイと同格以下なのさ
従軍経験者のマンデルが、肩を竦めながら言う。
あー……
流石のケイも、おぼろげながら事情を察した。
当初から、己の待遇に不満がありそうだったフェルテンのことだ。ただでさえ英雄扱いでチヤホヤされていたケイが、一気に同格以上の役職をホイッと与えられるのを見て、苛立ちが抑えられなくなってしまったのかもしれない。
そういうことなのか?
イマイチ実感が湧かずに、ボリボリと頭をかくケイ。その様子に、マンデルをはじめ周囲の面々も気が抜けたように苦笑していた。
ケイはピンと来ないかもしれないが。……百人長とは大したものだぞ