お茶を受け取りながら、(なんかもう長年連れ添った夫婦みたいな距離感だな)とケイは呑気なことを思った。

『こんな外人のおっさんに』とコウは卑下していたが、……まあヒルダが恋(・)し(・)て(・)いるかは別にしても、傍から見る分には、案外まんざらでもないんじゃないか、という気がした。

コウは言うまでもなく、この世界ではトップクラスの魔術師だ。しかも希少な氷の精霊との契約者。冷蔵庫は作る先から飛ぶように売れていくし、その他、高度な魔道具だって何でもござれ。出自なんて関係なく、才覚だけで新たに家を興せるレベルの男だ。

しかも、こう見えてかなりの杖術の使い手でもあるので、ゲーム由来の肉体はほどよく鍛えられている。ゲーム内では熟練プレイヤーから初心者まで容赦なく殴り殺す無法者だったが、現実では思いやりのある紳士で、女性にも優しい。

翻ってヒルダ。女性にしては背が高く、割とがっしりめの体格をしている。顔立ちは凛々しいタイプの美人、それでいてその所作は柔らかく上品だ。聞けば、海原語(エスパニャ)と高原語(フランセ)を話せ、雪原語(ルスキ)さえも学んでいるとか。意志の強そうなキリッとした瞳は、彼女の豊かな教養と知性を覗わせた。

そんな、男爵家出身の才媛なのに、飛竜狩りに派遣されたり、異邦人に仕えさせられたりと、扱いが雑なのが気になるところだが―それだけ領主側がコウを重視しているというポーズなのか、それともヒルダの実家での立場がそんなに良くないのか。

いずれにせよ、ヒルダの立場から見ると、コウはかなりの優良物件だと思う。

ふと、対局中のチェス盤に視線を落とすと、―ケイは決して優れたチェスプレイヤーではないが―かなり白熱した戦局であるように思われた。というか、おそらくヒルダ側が押している。

コウに忖度することなく、いい勝負をしても大丈夫、そんなことでヘソを曲げられることはない、とヒルダが安心して指せる程度には、信頼関係があるわけだ。

(―割とお似合いなのでは……?)

行儀よくお茶を口にしながら、そんなことを考えるケイ。

『ところで、僕に用事でもあったのかい? 少し焦ってるようにも見えたけど。長々と喋っておいてなんだけどさ』

改めて日本語で、そして話題もさっぱりと切り替えて、コウが話しかけてきた。

いくら言葉を聞き取られる心配がないとはいえ、本人を前に、センシティブな会話ができるほど豪胆ではない。ケイも、コウも……。

『ああ、それなんですが……実は先ほど、宰相閣下に呼び出されまして』

『誰に呼び出されたって?』

『宰相閣下です』

『さいしょうかっか……?』

コウが首を傾げている。日本語が流暢なので忘れがちだが、彼は英国育ちで英語がメインなので、日常的に使わない日本語は通じないことがある。

『Chancellorです。Chancellor His Excellency』

『えっ、あっ、さいしょうってその宰相か!』

コウはびっくりしているし、その隣でかしこまっていたヒルダも、突然の理解可能な思わぬ単語に驚いている。

『ほえーなんでまた?』

『それがなんか……新しい役目を俺に与えるとかで……Archducal Huntsman? とかいうのに任命されたんですが、意味がよくわからなくて』

コウに書類を差し出しながら、ケイ。

ざっと目を通したコウは、 あー と声を上げた。

『確かにそういうことが書いてある。Archducal Huntsmanは、日本語で言うなら……そうだな……、なんて言えばいいか』

あっという間に読み終わって、自然に隣のヒルダにも紙面を見せながら、考え込むコウ。ヒルダも書類を一瞥して、 わあ、おめでとうございますケイさん などと言ってきた。

『Archdukeが、この国の王様、つまり大公って意味なんだ。Archducalは『大公の』という形容詞で、キングに対してのロイヤルみたいな単語なんだけど』

ここが公国じゃなくて王国だったら、ロイヤルハンツマンだったというわけだ。

『ああ、なんとなくわかりました。王様お抱えの狩人的な』

『そうそう。なんかなー、これを言い表すのに、何かいい感じの日本語があった気がするんだけど。王に近いエスコートみたいな単語で……ちか……ごえい……ああそうだ、近衛だ! 近衛狩人ってとこかな』

『このえかりうど』

強そう。

ヒルダさん、この役職について何か知ってる?

英語に切り替えて、コウが尋ねる。

はい。確か、公王陛下直轄の森や狩猟場において、管理維持を任される役人だったと記憶しています。特例的に、この飛竜討伐軍において、それと同等の権限を与える旨が記されていますね

ははぁ、なるほど……それで、権限とはどんなものが?

申し訳ありません、具体的な法規までは。ただ、聞きかじった話ですが、公王陛下主催の狩猟会で、警備のため近衛狩人が100人ほどの兵士を率いたことがあるそうで、裁量は軍の百人長と同等ではないかと。狩猟に関することに限る、と条件はつくでしょうが

しかし、なんだってケイくんが任命されたんだい?

それがですね……

ケイが伝書鴉の安全確保のため、障害となるものを片っ端から狩るよう要請されたことを説明すると、ふたりとも なるほど と感心していた。

『つまり、軍団長とか高位の貴族とかに絡まれない限り、通信の保全をタテに干渉を突っぱねられるだけの権限を付与しつつ、それでいて軍への指揮権は持たないという絶妙な采配だねこれは』

『ははぁ、そんな意図が……つまり、勝手に狩りしてていいよ、というお墨付き以外の何物でもないってことですかね』

『身も蓋もない言い方をするなら、そうだね』

コウに太鼓判を押されて、ケイはようやく安心したように座席に身を預けた。

『良かった。これでホッとしましたよ、自分が何になったのかわかんなくて……』

『言葉がわからなかったらそうだろうね。僕だって急に宰相に呼び出されて、お前を近衛狩人に任命する! とか言われたらビビるもん』

おどけたコウの言葉に苦笑しつつ、お茶を一口。今更のように、旅の道中でありながら、香り高い高級なお茶であることに気づいた。

味わう余裕もありませんでした。おいしいです

それはよかったです

ヒルダもくすくすと笑っている。

さて、それじゃあ、自分はそろそろ失礼します。せっかく任命されたんで、役目を果たさないと。コウさん、改めてありがとうございました

いやいや、お役に立ててよかったよ。あんまり根を詰めないようにね……といっても、きみは狩り好きだから、むしろ楽しめるかな?

はは、実は猛禽を一羽狩るごとにボーナスがつくんですよ

ケイがニヤリと笑って指で輪っかを作って見せると、コウもヒルダもからからと笑っていた。

そりゃあいい。じゃあ、頑張っておいで

はい。ヒルダさんも、美味しいお茶をありがとうございました

いえいえ。精霊様の御加護がありますように

そんなわけで、ケイは馬車をあとにした。

チラッと振り返れば、中でコウとヒルダが何事か話しているのが見える。

ケイが去ったというのに、ヒルダは隣りに座ったまま。

『……お似合いだと思うんだよなぁ』

ふふっと笑いながら小さく呟いて、ケイはコキコキと首を鳴らしながら、元いた義勇隊に戻ることにする。

ひとまず、マンデルをはじめ仲間たちに事の顛末を伝えてから、『近衛狩人』としての任務を果たしにいくことにしよう。

……銀貨のボーナスも、欲しいことだし。

107. 一狩

寒空の下、ウサギが一羽―

草原の只中で、耳をピクピクさせながら草をはんでいる。

周囲を警戒しているつもりなのだろう。だがそのウサギは、自らがどれほど危機的状況にあるかを、まるで理解していなかった。

ウサギから、三十歩ほどの距離。

サスケにまたがるケイの姿があった。

ウサギも、ケイの存在は認知していた。 だけどこれくらいの距離があれば大丈夫だろう、人間は鈍いし とでも思っているようだった。その手の”竜鱗通し”が何なのかを、ウサギは理解できない。そこにつがえられた矢の意味も。

ケイがウサギを捕捉してから、かれこれ数分が経っていた。もしもケイがその気であれば、ウサギは既に四、五百回は死んでいただろう。比喩表現や誇張ではなく統計的な事実として。

だが、ウサギは今も生きながらえている。

なぜか? それはケイがちらちらと空を見上げていたからだ。

何かの様子を―タイミングを計るように―

フッ、とウサギに影がさした。

音もなく、まるで流星のように、猛禽が舞い降りてきたのだ。

それは鷲(ワシ)だった。翼は広げれば優に二メートルを超えるであろう大物。胴体は茶と灰色のまだら模様で、頭の部分だけが初雪のように白い。頭部には冠状の羽毛を生やしており、まさに空の王者といった風格を漂わせていた。

ぎらりと、大振りな爪を光らせて―呑気に草をはんでいたウサギを狙う。果たして獲物は、弾かれたように逃げ出した。『脱兎のごとく』と言葉になるだけあって、それはもう見事な逃げっぷりを披露する。

だが、その全力の疾走も、天空から襲い来る捕食者の羽ばたきには、わずかに及ばない―鋭い爪がウサギの背を抉る―

と、思われた瞬間。

カァン! と唐竹を割るような快音。

鷲の爪は届かなかった。ドチュンッと水気のある音を立てて、必殺の一矢がその身を貫いたからだ。空の王者は一転、獲物と化し、それでいて地に堕ちるより先に空中で散った。

あわやというところで、九死に一生を得たウサギ。

―が、鷲を貫いた程度で”竜鱗通し”の矢が止まるはずもなく。

そのまま直線上にいたウサギにも襲いかかった。

―キュィッ!

断末魔の叫びじみた悲鳴とともに、矢を受けたウサギがひっくり返る。

よしっ

当然のように、一石二鳥ならぬ一矢二羽をキメたケイは、ご満悦でサスケから飛び降りた。心なしか弾む足取りで、成果をチェック。

鷲は首の付け根あたりを貫かれ、即死だった。それでいて肉体の損傷は最小限に抑えられており、さぞかし立派な剥製になるだろう。

そして、ウサギも虫の息。サクッととどめを刺して血抜きを始める。

うーむ、もういなさそうだな

空を見上げて、 こんなもんか と頷くケイ。近寄ってきたサスケの鞍に、立派な鷲をくくりつける。

一日の稼ぎとしては充分だろ。今日はこれくらいにしておくか

続いてウサギもくくりつけ、サスケの手綱を引いて歩き出す。

―くるりと向きを変えたサスケの反対側の鞍には、びっしりと、鷹や鷲といった猛禽類が吊り下げられていた。

……あ、もうちょっとお土産も狩っとくか

思い出したように、今しがたウサギの仕留めたばかりの、血塗られた矢をつがえて草原に視線を走らせるケイ。

―いた

引き絞って、リリース。

カヒュンッと軽やかな音とともに矢が飛んでいく。

そしてまたその先から、 キュイッ! と短い断末魔の叫び。

~~♪

口笛を吹きながら回収に向かうケイ。どことなく呆れたような顔を見せるサスケ、鞍で揺れる無数の獲物たち。『この世界』に来てから、おそらく最大効率で、ケイはその才能を遺憾なく発揮していた。

革のマントをはためかせる寒風だけが、戦々恐々としているようでもあった―

†††

時を遡ることしばし。

コウと別れたケイは、一旦、義勇隊の皆に事の顛末を伝えることにした。

おお、ケイ。……生きて帰ったか

明るい顔で戻ってきたケイに、マンデルはホッとした様子を見せる。

ああ。どうにか無礼討ちされずに済んだよ

それは何より。……それで、いったい何の用事だったんだ?

それがだな―

かいつまんで説明する。参上したらまさかの宰相閣下だったこと。伝書鴉の通信の保全のため狩りを依頼されたこと。そして近衛狩人なるものに任命されたことなど。

ほっほう、近衛狩人ですか!

横で話を聞いていた、ぽっちゃり系の田舎名士の次男坊・クリステンが感嘆の声を上げた。

知ってるのか?

ええ、書物で読んだことがあります! 出自に関わらず大変優れた狩人のみが任命される、大変名誉な役職だとか……!

ほほー

大物狩りとして既に名誉をほしいままにしているケイは、現時点でさらなる名誉は求めていなかったが、それでも尊敬の眼差しで見られるのは気分が良かった。

近衛狩人という、なんか強そうな字面も気に入っている。それでいて大仰な名前の割に、大した責任が付随していない点もポイントが高い。

そういうわけで、俺は義勇隊を離れることになった

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