そして、それが見える距離まで近づいたあたりで、空気に混ざる死臭が、明らかにその存在感を増す。穏やかな陽光の降り注ぐ草原の真ん中、しかし、局所的に、視覚も嗅覚も聴覚も、不協和音を奏でるように否応なく異常を知らせてくる。
鳥たちの蠢く木立の廃墟。
鳥葬、という言葉を、ケイは連想した。
ええい、邪魔だ邪魔だ! 消えろ!
荷馬車から降りたダニーが、棒を振り回して鳥を追い払う。突然の闖入者に食事を邪魔され、恨みがましい声を上げた鳥たちが、バサバサと騒々しく翼をはばたかせ飛び立っていった。
羽根のヴェールが取り払われ、死体の様相が露わになる。
…………
一同は、一瞬、言葉を失った。
空き地に転がる四人の盗賊。
爆発に巻き込まれたかのように、撒き散らされた血肉。
一夜が明け、鳥に食い荒らされたことを鑑みても、その体の損壊具合は異様であった。
頭蓋骨を矢で岩に縫い留められている者。
首が半ばから引きちぎれたようになっている者。
肋骨ごと心臓を射抜かれ、胸部がごっそりと陥没している者。
胴体が異様に折れ曲がり、口から臓物をぶちまけている者に至っては、人が人に何をどうすればこんなことになるのか、見当もつかない。
実感が湧かない。
目玉をほじくられ、皮膚と肉を剥ぎ取られ、鳥に無残にも食い荒らされた顔面からは、とてもではないが、末期(まつご)の表情を推し量ることなどはできない。
しかし例外なく、限界にまで開かれた口蓋からは、今にも死者たちの断末魔の叫びが聴こえてきそうで―。
うぇ、と誰かが嘔吐(えず)く。
動きを止めた人間たちに、これ幸いとばかりに戻ってきた数羽の鳥たちが、再び死体をつつき始めた。
大きな一羽の黒いカラスが、食い破られた腹をつんつんと啄む。傷口に頭を突っ込んで、そのままずるりと大腸を引きずり抜いた。
でろん、と力なく垂れるそれは、血の気が抜けてもなお、赤く濡れて。
くちゃくちゃと咀嚼するカラスの黒い瞳が、馬上のケイをじっと見つめた。
―
ケイは、こみあげる嘔吐きに、耐える。
濃厚な死臭と、赤と黒で彩られた血と肉の光景。これだけで既に、生理的に、充分な吐き気を催す。
ましてやそれが、自分の手によるものともなれば。その事実が、そっとケイの首に手を添える。
馬上、顔を青くしたケイは、静かに空を見上げた。
後悔などない。罪悪感も、おそらくない。最初の一人を手に掛けた時点で、そんなものは全部投げ捨てた。
そもそも自分は被害者だ。殺すに足る正当な権利も、理由もある。この盗賊たちは死んで当たり前な存在だと心から思うし、それを殺した自分に責められるいわれはないのだとも考える。
考えるのだが。
それでも、単純に気持ち悪いものは気持ち悪いのだ。
おぇぇ、と耐えきれなくなった若い村人が、膝を突きながら草原に胃液をぶちまける。それにつられるようにして、他の村人も口元を押さえ、何人かはやはり耐えきれずに、吐いた。
吐かなかったのは、顔色を悪くしたダニーと、同じく気分の悪そうなクローネン、そしてこんな状況下でもいつも通りに見えるマンデルだ。
ケイ、
マンデルが静かに、ケイを見やる。
次からは、もう少し上品に殺した方がいい。……その方が、片付けが楽だ
そしてケイの返事は待たずに、手近の比較的損壊の少ない死体に近寄って、躊躇うことなく遺品を漁り始めた。
…………
クローネンが黙ってそれに続き、ダニーは おい、お前らしっかりせんか! と声を張り上げて他の村人たちを叱咤する。
……ああ
低い声で答えたケイは、静かにサスケから降り、誰も手をつけようとしない、一番悲惨な状態の遺体に近づいた。罪や責任といった、様々な言葉や考え方はあるが、少なくとも事実そのものはこういった形で付いて回るのだろう―。
むせ返るような血臭に辟易としながらも、ふとこちらを見守る鳥たちを見やり、皮肉げに口の端を吊り上げる。立つ鳥跡を濁さず、とはよく言ったものだ。
その後、ケイたちはその手をどす黒く汚し、革鎧や剣などの武具、指輪などの装飾品、そして銅貨銀貨を回収した。空き地の端に小さな穴を掘り、四人ともまとめて埋葬する。
ケイはもとより村人たちも、疲れ果てて既にげっそりとしていたが、残念ながらこれで終わりではなかった。案内のケイを先頭に、今度は西へと突き進む。
第二の現場へと到着した。こちらの死体は空き地のそれに比べると、まだマシな状態だった。のろのろと村人たちが作業に取り掛かる中、サスケの手綱を引いたケイはゆっくりと『それ』に歩み寄る。
―酷い有様だ。たった一晩が経っただけなのに、見事な毛並み、逞しい筋肉、それらの見る影もなかった。
胴体に受けた矢傷を起点にして、はらわたを食い破られている。皮肉なのは、残っていた毒にやられたのか、その周囲で鳥や小動物が死んでいることだ。
近づいてみれば、腐植土から這い出た無数の虫が、蠢きながら体内の肉に群がっているのが見える。額当てのおかげで顔面の損傷がそれほどでもないのが、唯一の救いか。
すまん
すっかり冷たくなってしまった鼻づらを撫でながら、ケイは呟いた。
すまん、ミカヅキ。昨日は、……助けてくれてありがとう
昨夜の、最期の力を振り絞ったミカヅキの援護がなければ、この場で骸を晒していたのはケイの方だったかもしれない。改めて申し訳なさと、感謝の想いが募る。
ぶるる、と。
ケイの横で鼻を鳴らしたサスケが首を傾げ、鼻先でつんつんと横たわる亡骸をつつく。
目を閉じ、しばしの黙祷を捧げたケイは、ぽんぽん、とサスケの首筋を優しく叩いてから さて、 と立ち上がった。
ミカヅキの世話もしたいところだが、盗賊達から剥ぎ取りもせねばなるまい。自分だけは愛馬の死を嘆き、後は他人任せというわけにもいかないだろう。
だが静かな気持ちで目を転じたところで、頭をざくろのように弾けさせた死体が視界に入り、思い出したように吐き気がぶり返した。
……うッ
歯を食い縛る。意地でも、吐くものかと。しばらく呼吸を整えてから、ケイは敢えて、そのグロテスクな死体に歩み寄り、遺品を剥ぎ取り始めた。
よーし、値打ちのありそうな物は見逃すなよ! それと革製品は丁寧に扱え、これ以上傷をつけるな! 首元や手もしっかり確かめるんだぞ、装飾品があれば高く売れる―
相変わらず指示だけは達者なダニーの声を聞き流し、機械的に作業を進める。脛当てを剥ぎ取り、篭手を外し、胴鎧を脱がせ、懐を漁り、集めた物品をまとめて、森の外で待機する荷馬車まで運ぶ。
そのうち、服や手が血で汚れても何も感じなくなった。嗅覚も触覚も、感情すらも麻痺させて、何も考えないように、ただ手を動かす。
気が付けば荷馬車には、血塗れの防具や武器類が山積みになっていた。
―死体はどうする
あらかた片付いたところで、誰とはなしに、ぼそりと呟いた。
森だからな、そのままでもいいだろう。……誰もこんなところには入ってこない
若干疲れた様子で、マンデルが言う。片付けにうんざりしていた全員が、一も二もなく賛同する。どうせ盗賊の死体だ、野晒しにしたところで誰も悲しまない―
最終的に、革防具や長剣、合金製の短槍、指輪や首飾りなどの装飾品に加え、銀貨の詰まった財布なども獲得したケイたちは、血塗れになって村へと引き返していった。
―盗賊たち、四(・)人(・)分(・)の死体を、森の中に残して。
13. 強者
わああぁぁ、と。
包み込むように、響き渡る歓声。
無数の白い光が瞬いた。
星々と喩えるには、眩しすぎる閃き。
目の前に広がる、柔らかな床。
12m×12mの、正方形。
ここは、妖精たちの舞い踊る舞台。
自分もまた、妖精のひとりになる。
チャイコフスキー。白鳥の湖。
流れるような、しとやかな調べ。
身体が自然と、動き出す。
軽やかに、踊るように、舞うように。
たんっ、と。
最後の着地を、決める。
割れんばかりの、喝采。
会心の出来に、自然と笑みが浮かぶ。
やった、と言葉がこぼれ出た。
今まで積み重ねてきたものが。
今ここで、遂に報われたのだと。
そう思い、金色の輝きを確信した。
途端に。
場面が切り替わる。
ばぁんと横殴りの衝撃。
輝かしい全てが吹き飛んだ。
砕かれて。粉々に。磨り潰されて。
熱い。痛い。まるで、燃えるように。
ひしゃげた鉄と、ガソリンの匂い。
割れたガラス、黒い煙。
視界が暗転する。
暗い部屋。
モニタの輝きだけが照らす部屋。
膝を抱えて、座る。
丸く、短くなった脚。
逃げた。
逃げ続けた。
出ておいで、という呼びかけに。
耳を塞いだ。
良い天気だよ、という声に。
カーテンを閉じた。
逃げた。
逃げ続けた。
仮想の世界に。
仮初の世界に。
身駆を求めて。
過去を求めて。
駆ける。
駆け続ける。
霞む視界を。
白い霧の中を。
行きついた先には、
行きついた先には、きっと、
―真っ白な、血の気のない、
ア”イ”リ”ーン”、
黒い空洞が、見つめる。
ア”イ”リ”ーン”、ロ”ハ”チ”ェ”フ”ス”カ”ヤ゛
†††
―ああぁぁッッ!?
ぜえぜえと荒い呼吸、冷たい汗が額を伝う。
寝台の上、目を見開いて飛び起きたアイリーンは、がばりとシーツを跳ねのけて両足をまさぐった。細い指が、太腿を伝い、ふくらはぎを撫で、足首に触れる。
…………
たしかな、肉と骨の感触。
足首から先を握ったアイリーンは、そこで、拍子抜けしたように。
ふっと顔から表情が抜けたまま、しばし呆然とする。
……、あれ
そこで初めて、我に返り、周囲をきょろきょろと見回した。
それほど大きくはない部屋だ。
緑色の絨毯。レリーフの刻まれた木箱(チェスト)。古びた巻物や書物が詰められた本棚。ガラスの嵌っていない窓からは、穏やかな陽光が差し込んでいる。窓の外には、木造平屋建ての質素な家屋がぽつぽつと、その向こう側には緑豊かな森が広がって見えた。
……何処だ、ここ
ぽつりと呟いた。ふと身体を見下ろして、自分が黒装束ではなく、白い薄手のワンピースを身に纏っていることに気付く。服の上から身体を撫でると、ブラは無かったが、下は穿いていた。
―どうして、こんな服を着てるのか。
そんな疑問が脳裏をよぎる中、服を撫でる手が右胸に触れた瞬間。
ズグンッ、と身体の芯に響くような痛みが、フラッシュバックする。
あっ
思い出した。
霧を越え、草原を惑い、木立の中、焚き火の薄明かりに照らされた夜の風景を。胸に突き立った矢。自分を抉り取った痛みの記憶。
それはまるで、他人事のように現実離れしていて、頭の中に、おぼろげな、混濁した心象(イメージ)を描き出した。
しかし、曖昧な記憶の中でも、ひとつだけは、はっきりと憶えている。
声。
自分の名前を呼ぶ声。
……ケイ?
ひとり部屋の中、か細い声でその名を呼ぶ。
しかし、当然のように返事はない。ただ窓の外から時折、鳥の鳴き声が聞こえる他は、しん、と静まり返った空間。
ぎゅ、とシーツの端を握りしめ、心細げな表情を浮かべたアイリーンは、再び落ち着きなく周囲を見回し、ふと部屋の扉に目を留めた。
絨毯と同じ、濃い緑色に塗装された木の扉。
数秒の逡巡。こくり、と生唾を飲み込み、意を決したアイリーンは、音を立てないようにそっと寝台から降りた。覚束ない足取りで、壁に手を突きながらふらふらと歩き、ゆっくりと扉を押し開く。
ギィィッ、と想像していたよりも大きな軋み。
びくびくしながらも、部屋の外へ出る。
そこは、リビングのような大きめの部屋だった。部屋の真ん中には大きなテーブル、天井には樹木を象った意匠の金属製のシャンデリア。足元は絨毯ではなく、粗めの木材を打ちっ放した木の床だった。絨毯に比べると薄汚れており、素足ではあまり歩きたくはなかったが、アイリーンに選択の余地はない。
窓を見る。やはりガラスの嵌っていない、質素な作りの窓。もうひとつ、テーブルの反対側には扉があったが、どうやらこれは玄関らしい。
家の外に出るかどうか。
アイリーンは、迷う。
自分が何処に居るのか確認はしたいし、でも裸足だし、そもそも誰がいるのか分からないし、と。
しかしそうやって迷っているうちに、扉の方がギィッと音を立てて開く。
……あら
入ってきたのは、線の細い、色白の美人だった。腕に抱えた籠の中には、綺麗に畳まれた衣服が積み重なっている。
お目覚めになられたのですね
突然の遭遇に固まって動けないアイリーンに対し、色白の女性―シンシアは、にっこりと優しげに語りかけた。
あっ、あのっ、はい