ポーションを使えば、この程度のかすり傷は即座に治る。が、傷薬では致命傷は治せない。アンカがポーションを温存してくれたことに、ケイは素直な感謝の意を示した。
身に余る御礼にございまする……。さて……、ケイ殿
んんっ、と咳払いをしたアンカが、真っ直ぐにケイを見据え、居住まいを正す。
この度は、厚かましながら、二つ、お願いがございまする
……なんだろうか
ケイの眉が下がった。この誠実な、礼儀正しい老婆に、ケイは素直に好感を抱いている。アイリーンの面倒を見てもらった恩もあるし、何か願いがあるならば極力聞いてあげたい、とは思っていた。
しかし、やはりそれは、願いの中身に依る。
……ひとつは、ポーションのことにございまする
言いにくそうに、しかしはっきりと言葉を紡いだアンカに、 やはりそうきたか とケイは思った。二人の会話に、ほぼ置物と化していたアイリーンも、さもありなんという顔をしている。
病や怪我で、人は死ぬものにございまする。それが自然の運命、逆らえるものにはございませぬ。―しかしながら、生まれたばかりの赤子が、熱に侵され、息を引き取って行くのは、あまりにも虚しく、辛いものにございます……
ずるり、と椅子から床へ滑り落ちるように、アンカは平伏した。
今年、出産を予定している女が、村には三人ほどおります。そのうち、何人の赤子が大きくなれるかは、わたくしめにはわかりませぬ。ケイ殿。その魔法薬が、何物にも代えがたい、貴重なものであることは理解しております。しかし、どうか、ほんの僅かな量に構いませぬ。弱った赤子を助けられる程度のポーションを、お与え下されませぬか……
よしてくれ、婆様
床に額を擦り付けるアンカを、ケイは抱え上げて椅子に座り直させる。
手を組んで俯いた、小さな、あまりに弱々しい老婆を前に、ケイは細く長く息を吐き出した。
―ポーションは、生命線だ。
ゲーム内でさえ、素材や生産設備の関係で、高等魔法薬(ハイポーション)は希少性が高かった。この世界の住人を見るに、こちらでのポーションの希少性は更に高いようで、再入手の手立てがあるのかどうかすら、わからない。
―ここで情に流されるか、自分たちの命を優先するか。
考えるまでもないことだ。自ずと結論は出る。
……すまない。婆様
ケイは静かに、頭を下げた。
これは……流石に、我々が持っていたい
その言葉に、アンカは痛々しい表情で、ゆっくりと首を振った。
いえ……最初から、わかっており申した。対価として要求致すには、あまりに過ぎたものであることは……お気になさらないでくだされ、ケイ殿。ただの老いぼれの、世迷いごとにございます
すまない……
潔いアンカの言葉。ケイの中で申し訳なさが募る。
しかし、―耐えた。
……で、もう一つの方の願いってーのは?
場に沈黙が降り、飽和する寸前の絶妙なタイミングで、能天気を装ったアイリーンの一言が響く。
おお……もうひとつ、これも厚かましい願いにございますが、
表情を幾分か明るく回復させたアンカは、ケイとアイリーン二人に、
―実はケイ殿に、精霊語のご指南を賜りたいのです
アンカの申し出に、ケイとアイリーンは顔を見合わせた。
……というと?
真にお恥ずかしながら、わたくしめは村の呪い師でありながら、精霊語の素養がありませぬ。村に伝わる精霊様への呪いの文言が、正しいものなのかどうかすら、分からぬのです
ここでアンカは、まるで周囲に人がいないか気にするかのように、
……正直なところ、病人にいくら祈りを捧げても、効能があるとは思えぬのでございます。ゆえに、文言そのものが間違えているのではないかと……
小さな声で、囁いた。
その程度ならば、お安い御用だが
ケイは事も無げに答える。ポーションに比べれば、どうということはない頼みごとだった。
本当にございますか! ありがとうございまする……
再び床に平伏しそうになったアンカを、ケイとアイリーンは慌てて止めた。
†††
アンカへの精霊語(エスペラント)の指導をさっくりと終わらせたケイは、腹が減ったというアイリーンの世話を再びシンシアに頼んでから、村長の家を後にした。村長のベネットは、まだ帰っていないようだ。おそらく約束通り、孫娘のジェシカと遊んでいるのだろう。
祈りの文言を添削され、ついでに有用な幾つかの動詞や指示語、精霊が好む触媒などもまとめて教わったアンカは、鬼気迫る様相でそれらを紙に書き取り、感涙に咽び泣きながら帰っていった。
教えた側のケイとしては、喜んで貰って嬉しくはあるものの、正直なところ複雑な心境だ。契約精霊を抜きにした”呪術”など、精霊語が正しかったところで、どれほどの効果があるものかわかったものではないからだ。
魔術も呪術も、精霊語で精霊に話しかけて自分の願いを告げ、魔力や触媒を捧げることにより何らかの目的を達成してもらう、という点で、その本質は変わらない。
ただ、『喚べば精霊が応えてくれる』のが契約精霊ありきの魔術で、『いるかどうかも分からない精霊に取り敢えず頼む』のが呪術、と定義されている。
有体に言えば、呪術は不確実なのだ。
精霊は、何処にでも存在するし、何処にも存在しない。例えば、ケイが契約している精霊 風の乙女 は、風の吹く場所になら何処へでも顕現し得る。
彼女は一陣の風であると同時に、大気全体の流れでもある。 風の乙女 のうち個体名を『シーヴ』と名乗る者は、契約したことにより今はケイ一人に注目しているが、本来ならば風の吹く場所全てを知覚していた存在だ。
その広大すぎる知覚の中で、ひとりの人間が祈りを捧げたところで、いちいちそれに注目する理由が、彼女にはない。
故に、精霊の気を引くために、呪術においては『精霊が好む空間』を演出することが何よりも大切らしいが、実際問題、そういった細かいテクニックを、ケイは知らなかった。
なぜなら、ゲームの DEMONDAL において、“呪術”は設定やNPCの話においてのみ示唆される存在で、実際にはプレイヤーがそれを使用することはできなかったからだ。ゆえに解析も、推測すらもできない。
ケイに出来たのは、うろ覚えのNPCの話を参考に、割と顕現しやすい低位の精霊が好む触媒を、アンカに教えることぐらいのことだった。
(……まあ、それでも、ないよりはマシか)
村の中の砂利道を歩きながら、考える。
年齢的にそこそこに魔力があると考えられるアンカが、正しい精霊語で祈りを捧げれば、それなりに精霊の注目を集める、かもしれない。
ケイとしては、宝くじに当たる確率が若干上がった、ぐらいに受け止めて貰いたかったのだが、今後の呪術に大いに期待を寄せているアンカを見ると、なんとも申し訳ない気分になる。
そんなことを考えている間に、村の中心の広場に到着した。
タアフ村の中で唯一、石畳が敷かれている空間。
中央に井戸を配し、普段は洗い物や水汲みなどで生活の中心となる場所に、今は整然と盗賊から回収した武具が並べられていた。
広場を取り囲むように、手の空いている村人たちがぐるりと見物に集まっている。村の生活ではお目にかかれないような武器防具に、大人から子供まで、男たちはみな目を輝かせていた。そんな彼らに、仕方がないわね、と言わんばかりの呆れた視線を向ける、洗い物の籠を手にした村の女たち。
もっとも、死体回収に向かった面子、クローネンやマンデルたちは、やはり死体の記憶を引きずっているのか、はしゃぐ気にもなれないようだったが。
おや、ケイ殿。お話はもう終えられたのですかな
石畳の上の武具をじっくりと見定めていたダニーが、ケイに愛想笑いを向けてくる。
ああ。そちらは、首尾はどうだろうか
上々です。流石はイグナーツ盗賊団、装備の質もなかなかですぞ
そうか
ごまをするように揉み手のダニー。鷹揚に頷いたケイは、並べられた長剣にちらりと目をやった。
(……成る程、さすがに一番質がいい奴は取らないでおいたか)
あらかじめ目をつけていた、最も質の良かった長剣は、そのまま地面に置いてあるのを確認する。しかし体感的に、少々剣全体で見ると、どうにもその数が少ないような気がした。おそらく、ケイがアイリーンと話している間に、ど(・)こ(・)か(・)へ(・)誰(・)か(・)が(・)持ち去ったのだろう。
苦笑交じりに、そんなことを考えていたケイだったが。
ふと、剣のそばに並べられていた革鎧に目をつけて、その顔色を変えた。
胴鎧が―八つ。
いかがなさいました? ケイ殿
……ダニー殿。一つ尋ねたいのだが、この鎧は、これで回収されたもの全てか?
えっ
ケイの問いかけに、ひい、ふう、みいと鎧の数を数えたダニーは、
ええ、これで合っている筈です。きっかり八人分。あの場にあった賊(・)の(・)死(・)体(・)の(・)数(・)と(・)一(・)致(・)し(・)ま(・)す(・)の(・)で(・)
……そう、か
―足りない。
昨夜ケイが戦った盗賊は、全部で十人。
(―二人、逃したのか)
歪みそうになる表情を、必死に押し固める。
今すぐサスケに飛び乗って、現場をもう一度確認しに行こうかとも思ったが、不思議そうな顔でこちらを覗き込むダニーを見てやめた。この業突く張りの男が余計な死体を見逃すはずがないし、第一、ここで怪しまれるべきではない、と。
(……せめて、逃げた奴の所持品、ナイフでも何でもいい、それがあれば 追跡 が出来るんだが、)
整然と並べられた武具を前に、ううむ、と唸る。魔術の行使に必要な触媒の宝石(エメラルド)は、もうひとつある。『逃亡者』が使っていた武具なり道具なりがあれば、それに染みついた魔術的な『匂い』を頼りに、風の吹く場所に居る限り 風の乙女 でその位置を暴くことが可能だが。
肝心の、その『持ち物』がどれなのかが、わからない。
だからといって、手当たり次第に試すわけにもいかない。純戦士(ピュアファイター)であり、魔術の使用を前提としていないケイには、触媒も、魔力も、全てが足りていなかった。
…………
訝しげにこちらを見るダニーをよそに、顎を撫でながら、ケイは考えを巡らせた。
……ふむ。これら戦利品についてだが
しばらくして、唐突に話を切り出したケイは、目をつけていた長剣に歩み寄り、おもむろにそれを拾い上げる。
昨夜の戦闘で、ケイのサーベルは刃の付け根が歪み、すっかり使い物にならなくなっていた。元々、力任せに『叩き切る』使い方しかできないケイは、サーベルのような『斬る』タイプの剣と相性が悪い。
それでもわざわサーベルを使っていたのは、相方であるアンドレイに万が一のときすぐに渡せるようにするためだが―現状のケイには壊れにくい、頑丈な長剣が必要だった。
しゃらり、と鞘から白刃を抜き放つ。
手になじむ重さの剣だ。刃渡りは八十センチほど、刃は程よく肉厚で、切れ味も悪くなさそうに見える。試しに、片手で振り回してみた。
ビッ、ピゥッ、と鋭い風切音。
がやがやと騒がしかった村人たちが、その剣圧にぴたりと押し黙った。
(……速い)
一振りの速さに、思わず目を見張ったのがクローネン。
(……ブレないな)
寸分の軸の乱れもなく、ぴたりと止められた剣を見て、ケイの底知れぬ膂力を推し量ったのがマンデル。
ダニー殿
な、なんでしょう
この剣と、回収した銀貨は頂戴いたす
抜き身の剣を手にしたまま、ケイは有無を言わせぬ口調で言い放った。
その代わり、残りの武具や、装飾品は丸ごと差し上げよう。随分と世話になったからな。よろしいか?
なっ!
ダニーが目を剥いたのは、ケイの申し入れが想像以上に破格のものだったからだ。盗賊たちの銀貨は、それなりの財産になる金額ではあったが、武具や装飾品を全て売り払った際に見込まれる収入は、それを上回るものだ。周囲の村人たちも、おお、とどよめきの声を上げる。
はっ、はい! 勿論です!!
そうか。ならばよかった……ところで、気のせいかもしれないが、剣の数が少々足りない気もするな。まだ、鍛冶屋が手入れをしているのだろうか?どうでもいいことだが、銀貨に数(・)え(・)間(・)違(・)い(・)がないことを祈っているぞ、ダニー殿
ケイがにこりと笑いかけると、興奮で赤らんでいたダニーの笑顔が、僅かに青ざめて引きつった。
そんな彼をよそに、夕焼けに染まり始めた空を見上げ、ケイは小さく溜息をつく。