開け放たれた窓からは、穏やかな太陽の光が差し込んでいる。埃のない、清潔に保たれた空間。しかし木箱(チェスト)や虫除けの乾燥ハーブの束、折りたたまれた毛皮など、所狭しと詰め込まれた雑多な生活物資が、物置然とした印象を与える。
どこか―見覚えが、あった。
(あれ、ここってアイリーンが寝かされてた部屋じゃ……)
たしか、クローネン、村長の次男の家だったはず。しかし小さな部屋の中に寝台は一つしかなく、そして当然のように、ケイは一人でそれを占有していた。
アイリーン。
……何処行った!?
叫びながら飛び起きようとした矢先、左の頬を不意に襲った鋭い痛みに、 おぅふ…… と呻いたケイは動きを止め、恐る恐るといった様子で顔に手を伸ばした。
ざらりとした感触と、疼くような痛み。どうやら左頬には湿布のような、包帯のようなものが当てられており、かさぶたのようにくっついているらしい。そこでケイは、昨夜、盗賊と交戦中に短剣で切り裂かれた頬の傷を、そのまま放置していたことを思い出した。
(誰かが手当てしてくれたのか……)
触れた指先に、つんと鼻の奥にしみるような薬液の匂いが付いている。おそらくは村の薬師を兼ねている、呪い師のアンカの手によるものだろう。口の中、舌で頬をつついて痛みを再確認したケイは、これからはしばらく喋るのにも物を食べるのにも苦労しそうだ、と少しばかりブルーになった。
いやしかし、そんなことはどうでもいいのだ、今は。
アイリーン。アイリーンどこ行った。
寝床から抜け出し、バンッと勢いよく扉を開いて部屋の外へ出る。
が、それほど大きくはない上に、構造も単純なクローネンの家だ。扉を開けると、すぐそこは居間だった。部屋の真ん中に置かれた食卓、席について今まさにスープを食べようと、スプーンを手に あーん と大口を開けた幼女と、ばっちり目が合った。
…………
ケイは扉を開け放った格好のまま、幼女はスプーンを口に運びかけた姿勢のまま、それぞれ固まる。
可愛らしい女の子だった。歳は三、四歳といったところだろうか。肩まで伸ばした栗色の癖毛、あどけなさを漂わせる顔にはそばかすが散っており、とび色をした両の瞳は、ケイに視線を釘付けにして大きく見開かれている。まるで森の中で熊にでも遭遇してしまったかのような固まり具合。
……やぁ
ぎこちなく、笑みを浮かべたケイは、とりあえず幼女の緊張をほぐそうと、片手を上げて対話を試みる。
しかしケイは、自分の現在の格好をすっかり失念していた。
重武装な上に、装備は自他問わぬ血液でデコレーション済み、この世界の住人の中では頭抜けて筋肉質で大柄な体格と、頬の傷のせいで引きつった笑みは威嚇の表情にしか見えず、それは、いたいけな幼女を怯えさせるには充分に凶悪な様相で、
キャ~~~~ァ!
一拍置いて、本人としては必死な、可愛らしい悲鳴を上げた幼女は、椅子から飛び降り ママーッ! と叫びながら、とてとてと家の外へ走り出ていった。右手にスプーンを握りしめたまま。
あとには、しょんぼりと手を下ろすケイと、食卓の上で湯気を立てるスープだけが残される。
しばらくして、ぱたぱたと家の外から近づいてくる足音。
お目覚めになったんですね。お早うございます
家の中に入ってきたのは、そばかす顔の若い女だった。洗い物でもしていたのだろうか、濡れた手を前掛けで拭きながらぺこりと頭を下げる。
どこかで見たことがあるぞ、とケイはしばし考え、このそばかす顔の女は、昨夜村長の家で歓待を受けていた際、アイリーンが死にかけていることを伝えにきた者であることを思い出す。状況から考えるに、クローネンの妻だろうか。
お早う。申し訳ない、どうやら娘さんを酷く怖がらせてしまったようだ
おどけたように肩をすくめ、戸口に目をやった。
扉の外から半分顔を覗かせていた幼女が、さっと扉の裏に隠れる。
いえ、うちの子はあまり、村の外の人には慣れていませんから……緊張しているんでしょう。ジェシカ、出ておいで
やっ!
ジェシカと呼ばれた幼女の声が、扉の外から返ってきた。こりゃ嫌われたもんだ、とケイも苦笑する。
あ、わたしは、クローネンの妻のティナです
俺はケイだ、よろしく。ところで、少々聞きたいんだが、昨夜、俺の連れがここで厄介になっていたと思う。彼女は今どこにいるんだろうか?
お連れの方でしたら、村長の家に
ハキハキと答えたティナの言葉に、ケイはほっと安堵の息を吐いて、
そうか、もう意識は戻ったか……
あ、いえ、まだ眠られたままみたいです
えっ?
意識を取り戻したので村長の家に招かれている、と解釈したのだが、違ったようだ。ではなぜ自分と場所をチェンジしたのか、と問えば、
その、昨日夫たちが倒れたケイさんを運ぼうとしたのですが、重くてなかなか動かせず、代わりにお連れの方は凄く軽かったので、ケイさんをウチに泊めてお連れの方を村長の家に移した方が楽という結論に……
成る程、それは……ご迷惑をおかけした
がたいがデカい、筋肉質、完全武装、と三拍子そろえば、それは重いだろう。見れば、篭手や脛当て、兜など幾つかの装備は外されているようだが、革鎧の胴やその下の鎖帷子だけでも十分に重量はある。
しかし、“竜鱗通し(ドラゴンスティンガー)“を含め、外された装備はどこに行ったのだろうか。
あ、お預かりしている武具は、村の革細工の職人が手入れをしてるはずです。お義父さ―村長が命じたとか
腰の鞘があったあたりに手を伸ばし、さり気なく視線を彷徨わせたケイに、目ざとくその意図を察したティナが告げる。
そうか、ありがたい
物が物だけに盗られるとも思っていないが、はっきりと知らされるとやはり安心できるものだ。
(しかし……、もしこの村が悪人ばかりだったら、俺が意識を失った時点でアイリーン共々身ぐるみを剥がされていても、おかしくなかったわけか)
村ぐるみの追剥。
ゲーム内にはそこまで酷い罠は存在しなかったが、中世の資料などでは度々その存在が言及されている。もし、このタアフの村がその一つであったならと考えると、なかなかに恐ろしいものがある。
たまたま善人が多かったからよかったものの、一歩間違えば危なかった、と振り返る。やはり昨夜の自分は、冷静なつもりだったが、何かしら動転していたのだろうか。
…………
突然、ケイが厳しい顔で考え込んでしまったので、何か機嫌を損ねるようなことでもあったのかと、真意を量りかねたティナが困惑の表情を浮かべた。
しかし、その沈黙が長くなる前に、
よお、目が覚めたのか
戸口から声をかけてきたのは、ピッチフォーク―四、五本の歯を持つ熊手のような農具―を肩に担いだクローネンだった。額に薄く汗をかいているところを見るに、農作業をしていたのか。
ああ、ぐっすりと眠ったおかげで、随分と元気になったよ。迷惑をかけた
なに、気にするな
ケイの謝意に、小さく笑みを浮かべるクローネン。昨夜に比べると随分とフレンドリーな様子に、おや、とケイは小さく首を傾げる。
そういや、あんたが目を覚ましたら、話があるって親父が言ってたんだ。来るか?
村長の家か?
そうだ
アイリーンの様子も見に行きたいケイとしては、是非は無い。
ああ、行こう
重々しく頷いたその瞬間、ケイのお腹がぐぅぅ、と盛大に音を立てた。
…………
何が起きたのか理解できないケイ、目をぱちくりさせるクローネン。ティナが ふっ と声を出し、震えながら口を押さえてケイに背を向けた。
おなかすいたの?
いつの間にか、クローネンの影に隠れるようにして足にしがみついていたジェシカが、舌足らずな声で聞いてくる。
どうやら、そのようだな
まるで他人事のケイの返答に、噴き出したクローネンとティナが声を上げて笑う。ケイとしては至極真剣に、幼少期以来の 空腹で腹が鳴る という現象に感心していたのだが、その真面目くさった態度が尚更笑いを誘うらしい。
ティナ、まだスープはあったな?
笑いを噛み殺しながら、クローネンが尋ねた。
ええ、あるわよ
この腹ペコの客人に昼食を。俺は親父を呼んでくる
わしゃわしゃとジェシカの頭を撫でつけてから、クローネンはそそくさと家を出て行った。家の外から押し殺したような笑い声。残されたジェシカが、スプーンをキャンディーのように舐めながら、くりくりとした目でケイを見上げている。
その、お席にどうぞ。庶民のスープですけど、お口に合うかどうか
かまどの鍋から木の器にスープをよそったティナが、ケイに笑いかけた。今更のように恥ずかしくなったケイは、赤面しながら ありがとう と席に着く。
おなかぺこぺこ~
ジェシカもケイの対面に座り直し、テーブルの下で足をぶらぶらとさせながら、スープを食べ始めた。
ケイもティナから木のスプーンを受け取り、供されたスープを口に運ぶ。黄色の、とろりとした液体。口にした瞬間、ざらっとした舌触りと、仄かな甘みのある素朴な香りが広がった。塩以外に調味料は使っていないようだが、素材が良いからか、野菜の旨みが生きている。
……美味しい。これは?
かぼちゃのポタージュです。パンと一緒にどうぞ
そう言って、ことりとテーブルに置かれる堅焼きのパンの籠。かなり堅いが、スープに浸してふやかすと食べやすいようだ。
野菜と穀物中心のさっぱりとした食事だったが、一口味わった途端に猛烈な空腹を自覚したケイは、頬の痛みも忘れてモリモリと食べ始める。
食べながら、ジェシカが全くパンに手を伸ばさないことを不思議には思ったが、どうやら幼い彼女にとって堅焼きのパンは食べづらいので、代わりにスープに穀物を入れリゾットのようにして食べているらしい。
にこにこと鍋をかき混ぜるティナは、時折申し訳なさそうに器を空にするケイにお代りを継ぎ足しながら、そんな二人の様子を見守っていた。
戻ったぞ~
クローネン宅から村長の家までは、それほど離れていない。しかしある程度ケイが落ち着くタイミングを計っていたのだろう、たっぷりと時間を置いてからクローネンが戻ってきた。
ケイ殿、お目覚めになられたのですな
杖を突きながら、ベネットが中に入ってくる。その背後には、愛想笑いを浮かべたダニーの姿もあった。
おじーちゃん!
ちょうど食べ終わっていたジェシカが、スプーンを置いて きゃー と声を上げる。
おお~ジェシカや~、今日も元気かのぉ~
普段から好々爺然とした笑顔を張り付けているベネットだったが、この時ばかりは本当にだらしなく相好を崩し、 おじいちゃんだよ~ と言いながら孫娘の額にぶちゅ~っとキスの雨を降らせる。あごひげがくすぐったそうにしながらも、キャッキャとはしゃいでいるジェシカ、そんな祖父と孫の姿を穏やかな笑顔で見守るクローネンとティナの夫婦。
しかし、そんな穏やかな雰囲気の中でただ一人、ダニーだけはどこか、取ってつけたような乾いた笑みを浮かべているのが、ケイには印象的だった。
さて、ジェシカや。もうお腹も一杯になったじゃろう、お友達と遊んでおいで
おじーちゃんは?
あとで一緒に遊んであげよう。でも今は、このお兄さんとお話をしなければならないんじゃよ
ん~……わかった
意外と聞き分けの良いジェシカは、そのままぴょんと椅子から飛び降りて、ぱたぱたと外に走り出ていく。
……可愛いお孫さんだ
間違いありませんな
ケイの言葉に、うむ、と重々しく頷くベネット。
その間にも、食器を手早く片付けたティナが、あらかじめ沸かしていたお湯で人数分のハーブティーを淹れ、 洗い物をしてきますね と食器を手に、さり気なくその場から席を外す。
後には、男たちだけが残った。穏やかな団らんの空気が、自然と引き締まっていく。
さて、ケイ殿。お身体の調子はいかがですかな
ケイの対面の席に着きながら、ベネット。ダニーがその横の椅子に腰を下ろし、クローネンはケイの隣で椅子を引いた。
すこぶるいい。今しがた、馳走になったおかげで腹も膨れたし、大変美味だった。それと、この傷を治療してくれたのは、アンカの婆さんかな
思い出したように、ずきずきと痛む頬の傷を撫でながら、ケイ。
そうですじゃ。あの婆の特製軟膏は、効きますぞ。流石に、ケイ殿のポーションには敵いませんがの
そうか、あとでお礼を言わねばな……。それと村長、俺の武具の手入れまで手配してくれた、と彼の妻から聞いたが
ケイが隣のクローネンを見やりながら言うと、ベネットはにこりと笑みを浮かべて、