襲撃の可能性は、ろくに身動きを取れない以上、今のアイリーンが悩んでも仕方のないことだ。いらぬ心労を抱えたままでは、治りも遅くなるだろう。
だから、今は、アイリーンには心配をさせないでおく。
建前の中に、独善を含んでいることは自覚しつつも、ケイはそう決めた。
(……まあ、今は体調を整えることに集中して貰わないと、な)
これからどうなるか分からん、と思いつつ、ケイはぽんぽんとアイリーンの頭を撫で、 さて、 と立ち上がる。
それじゃあ、俺はクローネンの家に戻ろう。……また明日、だな
うん。また明日
ランプの明かりを吹き消し、ドアのノブに手をかけたケイは、ふと思い出したかのように振り返る。
そういえば、アイリーン。この間は婆様が来たから聞きそびれたが、魔術に関してだ。こっちには触媒も持ってきてるよな?
ん? ……一応、こっちに来る前には、充分に使える量は持ってたぜ。ってか、ホントに魔術って使えんの?
俺に使えて、お前には使えないってこともないだろ
小さく肩をすくめたケイは、アイリーンを見つめて、
体調が回復したら、試してみると良い。充分に使える量って、大体どれくらいだ? 顕現 なら、何回ぐらい使える?
顕現 か、アレ消費デカいもんなー。触媒全部に魔力も使って、二回くらいが限界じゃね?
……そうか、まあ、そんなもんか
となると、 追跡 できるのも二回。ケイと合わせても三回。
(触媒は温存しといた方がいいか……)
逃げた盗賊を 追跡 しようにも、遺された大量の物資の中から、たった三回で当たりを引けるとも思えない。アイリーンの触媒は、ケイのエメラルドよりは入手しやすいが、小さな村で大量に工面できるものでもなかった。ここで賭けに出るよりは、手元に置いておいた方が良いだろう。
それにしても、何で急に触媒の話?
いや、これからウルヴァーンに行くにしても、ルートを考えないといけないからな。用意する物資について考えてたんだ、そのついでさ
小首を傾げるアイリーンに、半笑いで答えて誤魔化した。
……そっか
納得はしたのか、ふわぁ、と小さく欠伸をしつつ、仰向けから横向きになったアイリーンは、
おやすみ、……ケイ
……おやすみ。アイリーン
ぱたり、とドアを閉じ。
そのまま村長宅を辞去したケイは、クローネンの家に戻った。
クローネンたちとの挨拶もそこそこに、割り当てられた小さな部屋に引っ込んで、置いてあった鎖帷子を、静かに身にまとい始める。
(多分、今夜は大丈夫だと思うが……)
帷子の上からベルトを締め、次に革鎧を着込みながら、思考を巡らせた。
二人の盗賊が何処へ逃げたのかは分からないが、仮に本隊なり他の団員なりと合流し逆襲を仕掛けるにしても、たった一日では時間が足りないだろう。
そして、いくら早急に手勢を揃えられたとしても、連中が白昼堂々仕掛けてくるとは考えにくい。
早くて、明日の夜。
それ以降は時間が経てば経つほど危ない、というのが、ケイの考えだ。
(幸いなのは、村人が夜警を組んでることか……)
獣が出たとか出ないとかで、現在、タアフの村の住人は警戒態勢にある。男衆が火を焚き、交代で夜に見張りをやっているので、図らずも、夜襲に備えのある状態となっているのだ。
(だから、仮に夜襲を仕掛けられたとしても―)
ギュッ、と革の手袋の調子を確かめながら、ケイは暗闇を睨みつける。
(―村人が抵抗している間に、脱出できる)
包囲されたところで、暗闇はケイの味方だ。継続的な狙撃で包囲網に穴をあけ、他の村人を囮にすれば、逃亡は難しくない。
難しくはない―。
……。クソッ
陰鬱な気分を振り払うように頭を振ったケイは、ばさりとマントを羽織り、兜をかぶる。
腰に矢筒をつけ、弓を持てば、完全武装の戦士がそこにいた。
細く息を吐き出して、ケイは弓を抱えたまま、粗末な寝台にゆっくりと腰を下ろす。
ギシィィッ……とやや不安になる木材の軋みをやり過ごし、そっと壁に背を預けて、目を閉じた。
(…………)
静かだ。
(……そもそもが杞憂かも知れない)
とっぷりと暗闇に身を浸していると、ふと、そんな思いが頭をよぎる。瞼の裏に浮かぶのは、もはや随分と昔のことに感じられる、昨夜の戦闘だ。
(全員、殺したつもりだった)
手の内にこびりついた感触。一人残らず、矢を叩き込むか、剣で叩き切るかはしたはずだ。それこそ、確実に殺したと思えるほどに。今回逃げた二人も、運良く息があっただけのことだろう。重傷か、瀕死か―ロクでもない状態なのは、まず間違いない。
(草原にも、森にも、獣はいる。無事に逃げ切れるとは限らない……)
手負いで、移動手段もない人間が二人。血の匂いに惹かれてきた狼の群れにでも遭遇すれば、助かる見込みは限りなく低い。
(だから……何事も、なければ良い……)
徐々に。
思考が、有耶無耶になっていくのを感じる。
そのまま。
まどろみと覚醒を繰り返しながら、ケイは、
―
窓から差し込む薄明かりに、いつの間にか、自分が何事もなく一夜を明かしたことを悟った。
……来なかったか
安堵の溜息というには、少々重い。
疲労は蓄積しているが、さりとて今からひと眠りする気分にもなれない。ただ、外の空気が吸いたかった。だるさの抜け切らない体を引きずって、ケイは部屋から出る。
……早いな。どうしたんだ、その格好
外へ出ると、農具を手に抱えたクローネンに見咎められた。どんよりと、昏(くら)い目をした完全武装のケイに、何処となく及び腰な、訝しげな顔。
まだ日は昇り切っておらず、空は依然として薄暗い。にも拘らず既に仕事の準備とは、農民の朝は早い、ということか。
働き者なのだな、とどこか斜に構えた心で感心しつつ、この有り様をどう説明したものか、まるで他人事のようにぼんやりと考えを巡らせる。
―草原に、狩りにでも行こうと思ってな
左手の弓をちらりと見せ、言う。
……随分と重武装なんだな
そうでもない。普通だよ
真顔のまま言い切って、そそくさとその場から立ち去った。
向かうは、サスケを預かって貰っている厩舎だ。村の駄馬と共に、寝っ転がってのんびりと干し草を食んでいたサスケを連れ出し、村を出る。
木立を抜けながら、狩りのついでに周囲の地形把握でもしておくか、とケイが考えていたところで、背後から近づいてくる蹄の音。
おーい、ケイ
追い縋ってきたのは、村の駄馬に跨ったマンデルだった。
クローネンから聞いたぞ。……狩りに行くんだってな
速度を落としたケイに併走したマンデルは、ケイの顔を真っ直ぐに見詰め、
……おれも行っていいか?
†††
地形把握のため草原を走り回り、ついでに兎も仕留めたケイは、マンデルと共に村へ引き返していた。
ぱっかぱっかと、村の駄馬に足並みをそろえ、ケイたちはゆっくりと木立を進む。
……うぅむ
駄馬の鞍に揺られながら、遂に最後まで出番のなかったショートボウを片手に、マンデルが唸り声を上げた。
ケイは、凄いな。……普通、これだけの兎を狩るには、もっと時間がかかる
鞍にまとめてくくり付けた兎を、ぽんぽんと叩く。
そうか?
そうさ。……普通は、な
あまりにも平然としたケイの態度に、マンデルは小さく肩をすくめた。
本来、草原の兎は、狩るのはそれほど容易(たやす)くない動物なのだ。
まず、発見するのが難しい。生息数は多いものの、野山で暮らす種よりも体が小さいため、草陰に隠れてしまうと非常に見えづらいのだ。
そして、仮に見つけられたとしても、今度は弓で仕留めるのが難しくなる。草原の兎は非常に臆病で、自分よりも大きな生物の接近を認めると、すぐに逃げ出してしまうのだ。マンデル曰く、草原の兎を確実に仕留めるには、弓よりもむしろ罠を使う方が一般的であるらしい。
これだけの弓の腕があれば、猟師としても、戦士としても、引っ張りだこだろう。……狩りをするだけでも充分に食っていける
……そうかな
そうだとも。これは、凄いことだぞ、ケイ。……自分の腕で、どんな時でも、家族を養っていける、ということだ
なるほど。……家族、か
マンデルの言葉に、ケイはふと顔を上げる。
マンデルって、家族は、どうなんだ?
今は、娘二人と一緒に暮らしている。……妻は二人目の娘を産んだときに、熱病にかかって死んでしまったよ
それは……
いや、いいんだ。……もう十年も前の話だ
申し訳なさそうにするケイに、マンデルが気にするなと手を振った。
お袋は、俺が結婚するより前に流行り病に倒れた。……親父は、一昨年までは現役の猟師で、元気にしてたんだがな、
あごひげをさすったマンデルは、静かな目で森の奥を見やる。
ある日、『ちょっと見回りに行ってくる』と森へ出かけて行ったきり、帰って来なかった。探しても遺品の一つ、骨の一本も見つからない。……まあ、森に人が呑まれるなんてのも、そう珍しい話じゃないからな。死んだと思うことにした
そ、そうか
まあ、おれはこんなところだ。……ケイは、どうなんだ?
俺の家族か……
マンデルに話を振られ、馬上に揺られるケイは遠い目をする。最後に直接、家族と顔を合わせたのは、何年前のことだろうか。
親父に、お袋に、弟が一人。別に変わり映えのしない、普通の家族だったさ
普通の家族、か?
そう言うマンデルの目は、何処か疑わしげだ。
ああ
しかしそれを意に介さず、ケイはただ頷いた。
本当に、『平々凡々』という言葉がお似合いの、普通の家族だった。むしろその『普通』の中で、ケイの存在だけが浮いていたように感じる。
少し気弱なところのあるサラリーマンの父に、パートで働いていた面倒見の良い母。
引きこもりがちだった弟に関しては、 おれも兄ちゃんみたいだったら思い切りゲームできたのに と言われケイがブチ切れて以来、まともに連絡を取っていないので今はどうしているのか知らないが。
なあ、ケイ。……ケイは、草原の民の出なのか
と、元の生活に思いを馳せていたところへ、マンデルが問いかけてくる。
……。あー、それは、
そこらへんの『設定』はまだ考えていなかったので、ケイは咄嗟の答えに詰まった。ゲームの設定、キャラクターメイキングの際に選択した出自を答えるのであれば、『草原の民』と言っても良かったのだが。
いや、言えないなら良いんだ
しかし、ケイの躊躇いをどう解釈したのか、マンデルはすぐに発言を引っ込める。
独り言を言うとだな。まあ、なんで草原の民の格好をしているのかは、知らないが。……顔に部族の刺青が無い時点で、少なくとも成人の儀を受けていない、外れ者であるのは間違いないわけだ
そう言われて、思わず自分の顔に手を伸ばす。と同時に、ゲーム内の草原の民のNPCは、ことごとく顔に刺青を入れていたことを思い出した。
ちら、とマンデルが横目でケイを見やる。ケイは黙ったまま、目で話の続きを促した。
もう十数年も前の話になる。ダリヤ草原一帯を治める”ウルヴァーン”のクラウゼ公に、恭順を示すかどうかで、草原の民が内紛を起こした。……その争いのとばっちりを受けた平原の民は多い。そのせいでここらでは、草原の民の受けがあまり良くないんだ
……ふむ
一応は決着が着いた今でも、部族同士で揉めることはあるらしいし、盗賊まがいの不義を働く草原の民もいると聞く。連中は、人質を取らないからな。怨みも買いやすい。そういうわけで。……もしおれがリレイル地方を旅するなら、草原の民の格好はしないよう、気をつけるだろうな
……なるほど
最初に村に入った際、警戒態勢にあったとはいえ、やたらと村人たちの態度が敵対的だったのは、そういう理由もあったのかと納得した。
元々ケイの纏う防具類は『草原の民』風のものが多いが、これは単純にキャラの出自が草原の民だったのと、親しかった革防具職人がそういったデザインを好んで使っていたからだ。
独特の紋様や、羽根飾りを多用する様式はケイの好みでもあったのだが、それが他者へ悪感情を及ぼすのであれば、話は変わってくる。
となれば、アレか……この羽根飾りとかは外した方がいいか
そうだな、そうすれば大分……なんというか、マシになる。兜のは、そのままでもいいと思うが
革鎧の各所、特に肩当てに取りつけられた特徴的な装飾が、エキゾチックな雰囲気を演出するのに一役買っている。これを外しただけでも、随分と質素な見かけになるだろう。
……あと、顔布もやめておけ、あれはあからさまに怪しい
そう、だな