クローネンは、そう心に決めている。村の自警団のまとめ役として皆の不満を受け止め、ダニーと村の若い衆の間を取り持つ、橋渡しの役目を果たすのだと。
それこそが、自分がこのタアフの村に一番貢献できる在り方であると、クローネンはそう考えている。
願わくば、最愛の妻くらいにはこれを理解してもらいたかったのだが、―不満たらたらの表情のティナを見て、クローネンは再び小さく溜息をつき、嫌な考えを振り払うように首を振った。
……ティナ。お前は兄貴が殺されても構わないと言ったがな。そもそも事を荒立てると、兄貴一人の命じゃ済まされない可能性もある。だから極力穏便に、謝り倒してでもやり過ごす必要があるんだ
そんなこと、分かんないじゃない!
『分からない』で済まされるか馬鹿! 仮に法外な賠償を要求されても、あのケイとかいう男に逆らえる奴はこの村にいないんだぞ!? あ(・)の(・)マンデルでさえだ! そうなったとき、お前に責任が取れるのか!?
……それは、
分かったなら黙ってろ。……姫さんには、俺から謝っておこう。兄貴は……いや、姫さんも会いたくはないだろうしな、向こうが望むなら謝らせるが……いずれにせよ、穏便に片付くことを祈るしかないか。ウチ以外に寝室に空きがある家、あったかな……
…………
ブツブツと額を押さえて考え込むクローネンを、ティナは、ただ恨みがましい目でじっと睨みつけていた。
が、ふっと、その視線がクローネンの背後へと逸れる。
……あ。戻ってきた
なに?
ティナの呟きに、クローネンはばっと後ろを振り返った。すると、村の入り口の方に、馬に跨ったケイとマンデルの姿。
帰ってきたのか……
こんなときに限って良いタイミングだ、と乾いた笑みを浮かべるクローネン。
ケイの隣に轡を並べるマンデルを見やり、続いてティナへちらりと視線を向けて、小さく溜息をついた。
―ティナも、マンデルを見習ってほしいもんだ。
しみじみと、そう思う。
ここらでは名の知れた弓と短剣の名手であり、かつて”戦役”では手柄を立てたマンデルは、村の中でも特に一目置かれた存在だ。
指折りの発言権と、タアフの皆に対する大きな影響力を持つ彼ではあるが、今のところ、クローネンではなくダニーが村長になることを支持している。
理由は、 ダニーの方が、より優秀であるから だ。
勿論、自分と比較して、の話ではあるが、クローネンはそれを気にするつもりはない。むしろ、マンデルのなんと理知的なことか、と感涙を禁じえないほどであった。
本来ならば、マ(・)ン(・)デ(・)ル(・)こ(・)そ(・)が(・)最(・)も(・)ダ(・)ニ(・)ー(・)を(・)憎(・)ん(・)で(・)い(・)る(・)筈(・)な(・)の(・)に(・)―そんな彼を差し置いて、ただ感情に振り回されるだけのティナには、爪の垢を煎じて飲ませてやりたいところだが。
(今はそれどころじゃない、か)
とりあえず。ケイの怒りを買わないように、細心の注意を払って謝罪しなければならない。
(……ああ。なんで俺だけ、こんな気苦労を……)
自分が決めたこととはいえ、なんともやり切れない思いを抱えたクローネンは、自分を落ち着かせるかのように静かに深呼吸。
……はぁ
そしてその日、何度目になるか分からない、小さな溜息をついた。
†††
村に戻ると、クローネンにいきなりその場で平伏されたので、ケイはかなり困惑した。
なんでも話によると、ダニーがアイリーンの寝込みを襲おうとしたらしい。
何……?
それを聞いたケイが、夜叉の形相に変貌するのを見て、アイリーンが 待て待てケイ! と慌てて話に割り込んでくる。
アイリーン曰く、別に襲われたわけではないようで、ただ目を覚ましたら部屋にダニーがいた、というだけの話らしい。
それはそれでどうかと思ったケイだが、アイリーンが気にしないと言うので、そこまで深刻に事態を捉えるのはやめにする。ただ、泊まる家は変えたいという要望にはこたえて、最終的にアイリーンとケイがそれぞれ家をチェンジすることとなった。ケイの代わりにアイリーンが来ると聞いて、ジェシカがはしゃいでいたのが印象的だった。
ベネット宅へと移ったケイは、アイリーンは気にしないと言ったものの、家で顔を合わせるたびにダニーへプレッシャーをかけ続けた。そのため、夕食時、シンシアが冷や汗を浮かべる程度に、緊張感のある空気になってしまったのはご愛嬌だ。
食後は、またぞろ部屋に引きこもって昨夜のように待機するつもりだったのだが、ベネット宅の寝台があまりに寝心地が良すぎて、完全武装であったにも関わらずケイはそのまま熟睡してしまった。幸いなことに、盗賊たちの夜襲はなかったのだが。
そして、翌朝。
クローネンの家の前、村人風のだぼだぼのズボンに、革のベストを羽織ったアイリーンが、 よっほっ と声を出して体を動かしていた。
どうだ? 調子は
傍で見守るケイの問いかけに、アイリーンは答えず、ただ小さく笑みを浮かべる。
たんっ、と。
地を蹴った助走。砂利ッ、という足音を置き去りにして、一陣の風が吹き抜ける。
踏み込み。側転。ロンダート。そこから繋がる連続のバク転。
ダンッ、とひと際大きな音を立てて、跳ね上がる身体。見上げるような跳躍。
あざやかな、後方伸身宙返り、三回捻り。
ぴたりと、その着地は、ブレることもなく。
ゆっくりと顔を上げたアイリーンは、にっと悪戯っ子のような笑みを浮かべ、
悪くないね!
そうか
うむ、と腕を組んで満足そうに頷くケイの横で、見守っていたクローネンとティナが、あんぐりと口を開け固まっていた。
わーおねーちゃんすごーい!!
へっへへーそーだろそーだろー
足元にじゃれついてくるジェシカに、得意げなアイリーン。キャッキャと楽しげなジェシカに応えるようにして、次々に宙返りやバク転などを披露する。
(この調子なら、もう大丈夫だな)
快復―と言っていい。これならば、万が一の事態に巻き込まれても、柔軟に対応できるはずだ、と確信した。
ケイは、出立を決意する。
その後、アイリーンがいなくなると聞いて泣き出したジェシカを宥めたり、ベネットから用意して貰った食料や生活物資を受け取ったりと。
なかなかに手間取ったが、日が高く昇り切る前に、ケイたちはなんとか出立の準備を終えた。
短い間だったが、村長、世話になったな
村はずれ。見送りに来たベネットたちに囲まれながら、ケイは背後の森を見やる。
ここから木立を抜け、小川に沿った道を東へと辿って行けば、サティナの街へ着く。目的地は城塞都市ウルヴァーンではあるが、安全のためにケイたちは街道を辿り、幾つかの街や村を経由していくことにしたのだ。
短い間だったが、楽しかったぞ、ケイ
ああ、マンデル、俺もだ
マンデルと握手を交わしながら、ケイは笑いかける。
いやはや、お名残り惜しいですのぅ
髭を撫でながら、至極残念そうな表情を浮かべるのはベネットだ。本当は、ケイたちがさっさと村を出て行ってくれるので、ほっと一安心しているところだが、そんな内心はおくびにも出さない。
本当に。こちらとしても後ろ髪をひかれる思いだよ
ケイも笑顔を張り付けたまま、それに答える。
それと、手紙の件は、ありがとうございます。よろしくお願い致しますぞ
なに、お安い御用だ
頭を下げるベネットに、ひらひらと手を振ってポシェットから封筒を取り出すケイ。
何でも、ベネットの娘はサティナの街の職人の家へ嫁いでいるらしく、ケイたちが街に寄るならば、ついでに手紙の配達を頼まれたのだ。本来ならば行商人に頼むらしいが、配達料を取られるとのことで、あわよくばそれを浮かせようという魂胆なのだろう。
確かに届けよう。サティナの街の、キスカ嬢でよかったな?
『嬢』というような歳でもありませんがの
ほっほっほ、と笑い声を上げるベネット。
その隣、腰を曲げた呪い師のアンカが、楚々と進みでる。
ケイ殿、
懐から幾つかの水晶の欠片を取りだしたアンカは、
Bondezirojn. La grandaj spiritoj benos vin.
しわがれた声で、朗々と唱える。
ぱきん、と水晶がひび割れ、緩やかな風が吹いた。
アンカの手の平から風にすくわれた水晶が、きらきらと光り輝きながら、空へと散って行く。
くすくす、という無邪気な笑い声を、ケイは聞いた気がした。
―あなたの旅路に、幸多からんことを
祝福を終え、どこか得意げな顔で、アンカ。
……ありがとう、婆様
ありがとな! アンカ婆さん!
一礼したケイとアイリーンは、おもむろにサスケに跨る。ケイは鞍に、アイリーンはその後ろ、ケイの背中にぴったりとくっつくようにして。
加えて生活物資まで載せられたサスケが お、おもい と言わんばかりに困り顔でケイを見やるが、最高速で飛ばすわけではないので、旅路に支障はないはずだ。 すまん、頼むぞサスケ とケイが首筋を撫でると、サスケは しかたない と言わんばかりに鼻を鳴らして溜息をついた。
ぽん、とケイが脇腹を蹴ると、サスケはゆっくりと進み始める。
それじゃーなー、みんなー! 元気でなー!
ケイの背後、アイリーンが見送りの村人たちへ手を振って叫んだ。 元気でなー! とそれに返す言葉が聴こえてくる。
ぱっかぱっかと。響く蹄の音。木立に入り、見送りの姿も見えなくなったアイリーンは、サスケの背中に座り直した。
……良い人たちだったなぁ、ケイ?
……そうだな
アイリーンの無邪気な声に、ふっと、ケイは肩の力を抜く。
また、来れるかな?
しかし、続けて投げかけられた問いに、しばし、言葉を失った。
……来れるさ
しばらく間をおいてから。
ケイは、静かに答えた。 また今度来ようぜ! というアイリーンの声を、聞き流しながら―。
この世界に転移してから、おおよそ二日。
村での休息を終えたケイたちは、サティナの街を目指して、出発した。
以上、タアフの村編でした。
16. 公平
さらさらと。
小川のせせらぎが、耳に心地よい。
穏やかな昼下がりの陽光。照らされた水面はきらきらと美しく。
木立を吹き抜ける清涼な風が、さわさわと葉擦れの音を運んできた。
兜を脱いだケイは、木陰に腰を降ろして、ふぅ、と小さく溜息をつく。
タアフの村を発ってから、はや数時間。
超過重量で辛そうなサスケの体調を鑑みて、ケイとアイリーンは木立でしばしの休息を取っていた。
川に首を突っ込んで、がぶがぶと水を飲んでいたサスケが、 ぷはぁッ! と盛大に一息をつく。それを尻目に、ケイはバックパックをごそごそと探り、包み紙の中から堅焼きのビスケットを取り出してぼりぼりとかじり始めた。
はぁ。……さすがに三、四時間も乗ってると、キツいなぁ~
ケイの隣、木の根っこに腰かけたアイリーンが、首をゴキゴキと鳴らしながら大きな溜息をつく。
そうだな。……流石にダレてきた
水筒の水でビスケットを飲み下し、ややげっそりとした顔でケイ。どちらかといえば、 かったるい というニュアンスのアイリーンに対し、ケイの言葉は少々切実だ。
タアフの村から今まで、何事もなかった。
かれこれ数時間、小川を辿るようにして東へ進んでいるが、右手には森、左手には草原を望む田舎の道は、驚くほどに穏やかで、のどかだった。
通行人は、時たま森の獣や草原の兎を見かけるくらいのもので、行きずりの旅人や隊商に出会うこともない。一度、タアフよりも貧相で小さな規模の村も見かけたが、胡散臭げにこちらを見る住人に手を振っただけで、接触することもなかった。
欠伸が出るほどに、平和で退屈な道のり。
しかしこんな状況下でも、ケイは自分に予断を許さなかった。
どんなに平和に見えても、森の中から唐突に、凶暴なモンスターが飛び出してくるかもしれない。茂みの暗がりに、草原の草陰に、盗賊や追剥が潜んでいるかもしれない。
いつ、どこから現れるとも知れぬ敵に備えて、即時に矢を放てるよう、ケイは弓を手に警戒し続けていたのだ。
少数での旅路に警戒が不可欠なのは、ゲーム内でも同じこと。しかしゲームでの移動時間は、どんなに長くてもせいぜいが一時間だったのに対し、ケイはもう三時間以上、神経を尖らせ続けている。