……っふー。元々、単価の低い矢は、安くしようにも限界があるからな。周りの職人が借金こさえてまで、安かろう悪かろうの値下げ合戦をする中で、アイツだけが質を高めて高級路線に切り替えたのさ。お蔭で貴族やら大商人やら、金払いの良い固定客を捕まえられたってわけだ。
モンタンが成功したと聞いて、後追いで値段を上げる奴らもいたが、質が伴わないことには意味がねえ。腕のいいほんの数人は生き残ったが、他はすぐに消えていった。周りの流れに逆らう胆力、需要を見抜く先見の明、上客を満足させるだけの腕前……全く、アイツは大した奴だと思うよ
ランプの火をパイプに移し、ぷかぷかと煙を吐き出しながら、コナーは腰をさすって椅子に座り込んだ。
あーいてて……この歳になるとガタがきていけねえ
ああ、すまないな。長話に付き合わせてしまって
ははっ、俺が勝手に喋ってただけさ、気にすんな
申し訳なさそうな顔のケイに、手をひらひらとさせるコナー。
まあ話が逸れたが、悪いな、そういうわけで俺には武具の買い取りはできねえや
そうか……残念だが、詳しい話を聞けて良かったよ。それじゃあそろそろ―
あ、いや、ちょっと待て。俺のところでは無理だが、捨て値になってもいいなら、処分出来る場所は知ってるぞ
炭の欠片を手に取り、コナーが紙切れに何かを書きつける。
ほら、これが住所だ。旧市街の北、ブノワ通りの5番、ちょうどスラムとの出入り口あたりだな。
ここに廃品回収屋がある。殆ど金にはならねえが、捨てるよりはマシだと思うぞ。ちょいとばかしガラの悪い場所だが、まあ兄ちゃんなら大丈夫だろ。一応武装はしておいた方がいい、ここらほど衛兵が多くねえからな
ブノワ通り……旧市街の北、だな? あとで行ってみよう、ありがとう
なぁに、いいってことよ。それくらいしか出来なくてすまんな
コナーから紙切れを受け取って、 それではまた、四日後に と、ケイたちは工房を後にした。
†††
夕焼けに染まる街。
城壁に日光を遮られ、薄暗くなった表通りを、幼い少女は早足で進む。
(今日はちょっと遅くなっちゃった……)
塾帰り。アイリーンを真似たポニーテールをぴょこぴょこと揺らし、道をうろつく酔っ払いや傭兵の姿に不安げな顔をしながら、リリーは家路を急いでいた。
ただいまー
裏口の扉を開けて居間に入る。するとそこには、明かりもつけずに、ぐったりとテーブルに突っ伏す両親の姿があった。
おかえり、リリー……
今日は遅かったのね……
薄暗い家の中、生気のない二人の声が響く。
今日は歴史だったから、マクダネルせんせーの『わるいくせ』が出たの
ああ、だから遅くなったのか。あの人の歴史好きは大概だからね……
アナタは人のこと言えないでしょ
パパとママは、どうだったの?
リリーの問いかけに、モンタンとキスカは疲れ切った笑みを浮かべた。
大変だった……まったく、在庫が20本しかないのに、30本も装飾矢を納入なんて無茶な話だよ。装飾をたった一日で10本も仕上げたのは、生まれて初めてだな……
何とか間に合ってホントに良かったわ。ビューロー家は大得意様だし……
でも次からは、せめて二日は余裕見てもらいたいよね。心臓に悪い……
パパもママもおつかれさま!
死人のように脱力しきった二人に、リリーは努めて明るい声をかける。
あー。ほんとに疲れたわー、こんなに働いたのいつぶりかしら……。あら、もうすっかり暗くなっちゃったのね。リリーごめんね、今からママご飯の用意するから。もうちょっと待っててね
いやキスカ、しなくていいよ。今日は久々に、みんなで外に食べに行こう
ぱんぱん、と服に付いた木屑をはたき落としながら、表情を明るくしたモンタンが椅子から立ち上がった。
せっかくだから豪勢に、『ミランダ』なんてどうだい?
えっ、パパほんと!?
アナタ、いいの!?
モンタンの提案に、驚いたリリーとキスカの言葉が重なる。
レストラン『ミランダ』といえば、サティナの街では五本指に入る最高級の店だ。庶民が出入りできる店、と限定すれば、街で一番のレストランと言ってもいい。シェフの腕前は掛け値なしの一級、その味は貴族の舌をも唸らせ、現にサティナの領主の係累も、お忍びで度々訪れていると専らの噂だ。
そして当然のように、『ミランダ』の料理は、庶民からすれば目玉が飛び出るほどに高い。
しかしモンタンは、妻と娘を安心させるように、
ああ、構わないさ。今日の仕事でかなり稼げたし、昨日ケイさんが矢の試作品をあらかた買い取ってくれたからね。懐にはかなり余裕があるんだ
火打石でランプに火を灯しながら、ほくほく笑顔のモンタン。
……そうね、たまには贅沢もいいかもしれないわ
わーい、やったー! パパありがとー!!
はっはっは、いやぁケイさんの腰のケースを見て、弓使いだとはすぐに分かったけど、あそこまで金払いが良い人だとは思わなかったなぁ。ホント、中まで入って貰って正解だったよ
ランプの仄かな明かりの中、モンタンは悪戯っ子のようにぺろりと舌を出して見せる。妻に故郷の話を聞かせてやってほしい、という建前でケイを工房に招いたものの、結局のところ、タアフ村の話など全くしていないのだ。
さあ、そうと決まればおめかししないとね! 流石にこんな格好でミランダには行けないよ
わたしも着替えてくるわ。もちろん、リリーもオシャレしないとね!
やったー、オシャレするー!
キャッキャと嬉しそうなリリーの姿に、先ほどの疲れも吹き飛んだ様子で、モンタンとキスカの足取りも軽い。
濡らした布で身体を拭き清め、髪型を整えるなどして身繕いし、モンタンは重要な取引で大商人相手に着る一張羅を、キスカは庶民でも分不相応にならない程度のシンプルなドレスで着飾る。リリーは可愛らしいエプロンドレスを着せてもらい、髪には赤いリボンをつけて大はしゃぎしていた。
それじゃあ二人とも、忘れ物はないね
ないわよ
だいじょうぶー!
ランプを片手に、懐へ銀貨の入った巾着を仕舞い、護身用の小刀を持ったモンタンが、厳重に家の扉に鍵をかける。
隣家の住人に出掛ける旨を伝え、留守の家に注意を払ってもらうよう頼み、モンタンたちは意気揚々と夕焼けに染まる道を歩き出した。
職人街から南、高級市街へと向かう。
さぁて、何を食べようかな
今日のメニューは何かしらね
わたし、ビーフシチューが食べたーい!
親子三人、リリーを真ん中にして手を繋ぎ、仲良く大通りを歩いていく。
先ほどまで寂しげに感じられた夕暮れの街が、一転、どこか優しげに微笑んでいるかのようだ。
滅多にない豪勢な食事に期待を膨らませ、弾むような足取りのリリー。
調子を合わせて自らもはしゃぎつつ、その姿を愛おしげに見守るキスカ。
そして、そんな愛する妻と娘に、慈しむような笑みを向けるモンタン。
―おだやかで、あたたかな家族の団らんが、そこにはあった。
その姿はきらきらと眩しく、微笑ましく。
日の暮れた、薄明かりの中にあってさえ。
まるで、本当に、輝いているかのようで。
それを。
大通りの、はるか彼方より。
呆然と。
あるいは、悄然と。
薄闇の中に身を置いて、じっとりと見つめる男の姿があった。
―ボリスだ。
…………
今しがた、寿命を削る思いで検問を突破したばかりの、懐に金属製のケースを潜めたボリスは、食い入るようにモンタンたちの後ろ姿を見つめていた。
ぎりぎりと。
軋み、響いたのは、何の音。
……くっ、
込み上げる言葉を呑み込んで。
ボリスはくるりと踵を返し、薄汚れた路地を走る。
ひた走る。
辿り着いたのは、裏町の寂れた小さな酒場。
……エール
いつものように、カウンターの席にどっかと腰を下ろし、ぶっきらぼうに注文した。
ごん、と目の前にジョッキが置かれるや否や、乱暴にそれをつかみ取って、ごくごくと不味いエールを飲み下した。
腹の奥底で。
ぐるぐると回る、煮え滾るように熱い。
燃えるような、どろどろとした何か。
―よう、兄弟。良い呑みっぷりだな
と、二杯目のエールを頼もうとしたところで、隣の席に痩せた男が腰を下ろす。
……あんたか
いつもの男だった。陰気な顔をしたボリスは、いつものように、カウンターの下で金属のケースを手渡す。
ハハッどうした、随分とシケた面じゃねえか
そう笑いつつ、男がすっとボリスの前に革袋を置いた。馴れ馴れしい様子の男を半ば無視するように、ボリスは黙って袋の中身を確認する。
いつもより軽い。中を見ると、鈍い銅と、僅かに銀の輝き。
!
だがよくよく確認すれば、それは銀貨ではなく、ただの小銀貨であった。
…………
やはり合計すると、銀貨一枚には、ギリギリ満たない。
そんな量。
どうした、それだけじゃ不満って顔だな?
耳元で、意地の悪い声。はっとして横を見やれば、痩せた男がニヤニヤと陰険な笑みを浮かべていた。
そっ、そんなことは、
誤魔化すようにエールのジョッキを手に取り、しかしすぐにそれが空であることに気付く。
……そんなことは、ねえよ……
俯いて、小さく呟いたボリスであったが、そのジョッキを握る手が、力のこもる余り白くなっているのを、隣の男は見逃さなかった。
ふっ、と薄い笑みを浮かべた男は、指先でとんとん、とカウンターを叩く。
ちゃりん、と銅貨が数枚、ボリスの前に置かれた。
―付いてきな、ボリス
そう、短く言って。男が席を立ち、酒場を出て行く。
呆気にとられた顔で、その背中を見送ったボリスは、固まったまま。
しかしすぐに、目の前の銅貨が酒代であることを察し。
そして、この『仕事』に携わって以来、初めて男から『名前』を呼ばれたことに気付き、ガタガタと慌ただしく席を立った。
遅いぜ、まさか俺が待たされるとは思ってなかった
酒場の外、壁に寄りかかるようにして、皮肉な笑みを浮かべる男。
す、すまねえ、ちょっとびっくりしちまって、う、動けなかったんだ。すまねえ、ほんとにすまねえ
……ふっ。まあいいさ
しどろもどろに謝るボリスに、鼻で笑った男は、 付いてきな と再び歩き出す。ボリスは黙って、その背中についていった。
…………
沈黙。ただ、カツカツと、靴の踵が石畳を打つ音だけが響く。
―本来、あの酒場は。
サティナの街の暗部、ならず者たちが集まって、互いで互いの声を打ち消し合い、聞かれると少々都合の悪い話をするために設けられた場所だ。
それを。
こうやって、さらに外へ連れ出されるということは。
…………
ボリスは、自分の胸の内に、恐れとも期待とも知れぬ、不思議な高揚感が広がっていくのを感じた。
……俺もさ、
歩きながら、前の男が唐突に口を開く。
昔は、『運び』をやってたんだ。今のお前みたいにな
そこで足を止め、街の片隅、暗い路地の一角で壁にもたれかかる。
だから、大体お前がどんなことを考えてんのかは、分かる。『銀貨一枚は安すぎないか?』『俺の命の値段はそんなものなのか?』……と、まあ、こんなところだろ
……っ
楽しむような、それでいて、どこか試すような口調に、ボリスは言葉を詰まらせた。
そしてその沈黙は―どこまでも雄弁な肯定。
……そう硬くなるなよ。別に責めてるわけじゃねえんだ
にやにやと。男が顔に張り付けた笑みは、相変わらず意地が悪い。しかしすぐにその笑みを引っ込めて、男は鋭い表情で言い放った。
はっきり言うが、ボリス。お前の命の値段は銀貨一枚以下だ
そのあんまりにもあんまりな言い様に、ボリスは言葉を失う。しかしそこで、 ただし、 と男は言葉を付け加えた。
―それには、『今のお前の』、という条件が付く
懐から金属製のケースを取り出し、ひらひらとそれを見せつけるように、振る。
これはな。お前がどう思ってるかは知らないが、マジで頭の中から理性を吹っ飛ばすような、ヤバい代物なんだ。そんじょそこらの組織がチマチマと運んでる、チンケな『粉』とは格が違う。―なんつったって、たったこれだけの量で、金貨一枚に届こうかって値が付くんだからよ
金……ッ!?
がこん、とボリスの顎が落ちた。全く、想像の埒外の高値。庶民ならば十年は食っていける額。金貨一枚、金貨いちまい、きんかいちまい、その言葉が脳髄に沁み渡り、自分がそれを運んでいたという事実に、今更のように背筋が震えた。
だが、お前の手取りは、銀貨一枚以下だ。なんでだか分かるか?
……わ、わからねえ
真っ直ぐに瞳を覗きこまれ、ボリスは熱に侵されたかのようにただ首を振った。
教えてやるよ。それはな、必ずしもお前である必要がなかったからだ。これを運ぶのがな