歩きながら、飴玉の包み紙を開けた。琥珀色の、丸い飴玉。さっそく口の中に放り込むと、蜂蜜の芳醇な香りとまろやかな甘みが、いっぱいに広がった。
……ふふっ
飴を舌の上で転がしながら、リリーは楽しそうに微笑む。元々軽やかだった足取りが、今ではまるでスキップのようだ。
嬉しかった。
ボリスがまた、昔のように戻ったことが。
(これでパパも、おじちゃんのこと見直すかな)
まるで自分のことのように、誇らしくて。
リリーは信じていた。
再び、ボリスとモンタンが仲良く出来る日が来る、と。
全てが幸せな方向へ向かっていると―
その時リリーは、信じていたのだ。
†††
高い! 銀貨30枚はぼったくりだろ!?
いーや、これ以上びた一文負からねえ!!
サティナ北東部の川沿い、街の外の船着き場にて、ケイは船頭と言い争っていた。
下流の町”ユーリア”までだぞ! ウルヴァーンまでなら兎も角、川の流れに乗っていくだけなのに何でこんなに高いんだ!
バッキャロー! 馬四頭も乗っけたら、どんだけ場所取ると思ってんだ!! こちとら乗せる品物は山ほどあんだよ、貰うもんは貰わねーと採算が合わねえ!!
だからって銀30は吹っ掛けすぎだろ! なんだ、アンタらは金銀財宝でも運ぶつもりなのか!?
そんな割の良いもん運びたくても運べねーよ!! 普通に資材やら家具やら積んでりゃ、銀30くらいすぐにならぁ!!
口角泡を飛ばす勢いで、額を突き合わせ騒ぎ立てる二人。ケイに胡乱な視線を向けつつ船に資材を積み込みこんでいく船乗りたち、 あーあー という顔でオロオロと見守るアイリーン。
あーわかった! もう結構だ! 悪いが他を当たらせてもらうッ!
こちとらテメェみたいなのは願い下げだ! とっとと行った行ったァッ!
しばらくして、交渉決裂というよりもケンカ別れに終わったケイは、シッシッと手を振る船頭に背を向けて、のしのしと歩き出す。
クソッ不愉快だッ、どいつもこいつも吹っ掛けてきやがる!
足元見てるよなぁ、これで三人目か……
肩を怒らせるケイの横、アイリーンが小さく溜息をついた。
ことの発端は、『ウルヴァーンには船でも行ける』という情報だった。
昨日、旧市街で武具を叩き売ったあと、ケイたちはウルヴァーンへ向かう隊商に合流すべく、護衛の仕事を探すことにした。
タアフからの道中で草原の民の襲撃を受けたことで、このまま二人旅を続けるのは危険だと判断したためだ。隊商やその護衛の戦士たちと共に移動すれば、襲撃される可能性をぐっと減らすことができる。
しかし。
結論から言えば、ケイたちは護衛の仕事はおろか、被護衛対象として金を払ってすら、隊商に加えてもらうことができなかった。
何故か。
それはひとえに、ケイたちの『信用の無さ』が原因だ。
基本的に冒険者ギルドや魔術的な何かによる、気軽な身分証明の存在しないこの世界では、業種に関わらず仕事とは人に頼んで紹介してもらうものだ。ゲーム内では、簡単な頼みごとをしてくるNPCの仕事を何度かこなし、その信用度を上げていくことで、護衛などの難易度の高い仕事が解放される仕組みとなっていた。
そしてこちらの世界に転移してから四日、当たり前だが異邦人(エトランジェ)であるケイたちに後ろ盾は存在しない。サティナに限れば、矢職人のモンタンは『顔見知り』ではあるが、あくまで顧客と店主の間柄に過ぎず、彼がケイの人となりを保証することはないだろう。
よって、素性も明らかではなく、保証人もおらず、ケイは草原の民のような顔つきで、アイリーンに至っては粗暴な性質で知られる『雪原の民』訛りの英語を話すとなれば、仲間に加えたくないと思われても仕方のないことだった。なまじ、ケイがぱっと見で屈強な戦士と判るだけにタチが悪い。仮にケイがならず者だった場合、獅子身中の虫どころの騒ぎではなくなるからだ。
それでも豪商の一人は、ウルヴァーンまでの道中、アイリーンを『貸す』ことを条件にケイたちを受け入れることを提案したが、当然のようにその話は蹴った。そして結局、合流する隊商が見つからずに、途方に暮れていたところで聞きつけたのが、『陸路ではなく水路でもウルヴァーンには行ける』という情報だった。
サティナは”モルラ川”に面した都市であり、そのため下流―北への河川舟運が盛んに行われている。それに便乗して川を下れば、陸路よりも遥かに速く、そして安全に移動できるのだ。
しかしスピーディに川を『下れる』のは、ウルヴァーンとサティナの中間に位置する”シュナペイア湖”までの話。そこから北上するには、今度はウルヴァーンの側から流れてくる”アリア川”を遡上していかなければならない。
ウルヴァーンもまた、サティナと同様、高地に位置する都市なのだ。
基本的に風力と人力で川の流れに逆らうことになるので、川を遡上するのはお世辞にも速いとは言えない。よって、シュナペイア湖の町ユーリアからは、陸路に切り替えなければならないが―それでも陸路を半分に短縮できるならば、それに越したことはないとケイは考えていた。
考えていたのだが。
そこで立ちふさがったのが、まさかの『運賃』の問題であった。
こちらが大所帯とはいえ、銀貨30枚は舐めてるよなぁ
……全くだ
頭の後ろで手を組んで、ぼやくようにアイリーンが言う。その隣を歩くケイの言葉には、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。
先ほどから、船着き場の船主たちに何度も交渉しているのだが、ケイたちはことごとく運賃を吹っ掛けられている。銀貨30枚などというのはまだ生温い方で、銀貨50枚、果ては金貨に近い額を要求してくる者まで、様々だ。
銀貨30枚前後が相場―ということは流石にあるまい、とケイは考える。今のケイたちにならば払えない額ではないが、そもそも銀貨30枚といえば、庶民の成人男子の三年分の食費に等しい。先ほどの船頭は、普通に荷を運べばそれくらいにはなると豪語していたが、家具やら資材やらを運ぶだけでそんなに稼げるはずがない。
業突く張りなのか、よそ者には意地悪なのか、あるいは単純に面倒で船に乗せたくないだけなのか―いずれにせよ、世知辛い話だ。
その後も手当たり次第に船頭へ声をかけて回ったが、結局銀貨30枚を下回る額は提示されることなく、ケイたちは徒労感に苛まれながら宿屋に戻ることとなった。
ああ……なんだか、無駄に疲れた
だなー
二人して、うだーっとそれぞれのベッドに身を横たえる。出掛ける前にたらふく昼食を詰め込んだのが、ちょうど消化の時間と重なったのか、眠気が酷い。
…………
しばし、ぼーっと天井を眺めるだけの沈黙が続く。しんしんと降り積もっていく、弛緩した無気力感。
……なあ、ケイ
ぽつりと、アイリーンがケイを呼んだ。
うん?
ウルヴァーンに、行ってさ。……そのあとケイは、どうするつもりなんだ?
ちらりと横を見ると、向こう側のベッドで、寝返りを打ったアイリーンがじっとこちらを見つめていた。
そう、だな……
天井に視線を戻したケイは、小さく呟いて、ぼんやりと考えを巡らせる。
要塞都市ウルヴァーン。別名、『公都』。
領主エイリアル=クラウゼ=ウルヴァーン=アクランド公が居城を構える巨大都市にして、北の異民族に睨みを利かせるリレイル地方の最前線。城郭都市サティナや港湾都市キテネなど、幾つかの大都市を従えアクランド連合公国を形成する―
昨日、聞き込みで収集した情報だ。
……まずは、ウルヴァーンにあるらしい『公都図書館』とやらに行ってみようか。利用料はかなり割高って話だが、一般人にも開放されているようだし、こちらの歴史や伝承を調べてみたいと思う。なぜ俺たちがこの世界に来たのか、何か、手がかりがつかめるかも知れないからな
『ここ』が異世界であるのは良いとしても、この世界に転移した原因はいまだ謎のままだ。ゲーム内で濃霧の中に突入した後、そこで何が起きたのか―ケイもアイリーンも一切憶えていない。
このまま何も分からずじまいなのは、どうにも気持ちが悪かった。
何者かがケイたちを召喚したのか。
あるいはその他の『何か』に起因する超常現象なのか。
せめて原因が何であるか、見当くらいはつけておきたいというのが、ケイの考えだ。
それで……それを調べて、どうするんだ?
……うぅむ
続けざまのアイリーンの問いかけに、 痛いところを突かれた と言わんばかりに唸ったケイは、自分もごろりと寝返りを打って青い瞳を見つめ返す。
正直なところ、その後どうするかは、……決めてない。今さら何言ってんだ、と思うかもしれないが、俺もまだ混乱してるんだ
様子を窺う。真摯な表情を変えないアイリーンに、ケイは言葉を続けた。
元々、『少しでも長生きして、一秒でも長くゲームを楽しむ』くらいにしか、考えてなかったからな俺は……
ケイにとって、 DEMONDAL は、もはや生きる目的だった。
この三年間は、ゲームが人生だった、とさえ言ってもいい。
それが突如として現実化したことで―生きる目的が何なのか、分からなくなってしまったのだ。
だから、思いつかない。思い描けない。これからの自分の将来が……
うん……オレも、同じだな。どうすればいいのか、分かんないんだ。自分が、どうしたいのかも……
茫然たる表情で、アイリーンが呟く。
……難しいな
視線を逸らし、ベッドから起き上がったケイは、窓に寄りかかって商店街の雑踏に目を落とす。
今日は良い天気だ。
店主と値引き交渉を白熱させる旅人に、飾られた織物をじっくりと値踏みする商人。果物の入った籠を背負って早足で歩いていく農民、その間をすり抜けるようにして走り回る子供たち。
と、一人の小さな男の子が石畳に蹴躓き、膝を擦りむいて大声で泣き出した。わらわらとその周囲に子らが集まり、通りがかった大人に慰められ、男の子はぐずりながらも友達に手を引かれて、そのまま歩き去っていく。
なあ、ケイ。ケイは、帰ろうとは……思わないよな
背後から、遠慮がちに投げかけられたアイリーンの声。
……思わないな。例え元の世界に帰れるとしても、俺はこっちで生きるよ
そっか……そうだよな……
ケイが振り返ると、アイリーンはうつ伏せになってぐりぐりと枕に顔をうずめていた。
……アイリーンは、どう思う?
オレか。……オレは、どうだろうな
しばし、動きを止めるアイリーン。
数秒ほどで、バッと顔を上げて、
わかんない!
わかんないか
うん。……オレも、ケイほどじゃないけどさ、特にリアルが充実してたってわけでもないし
一瞬、ふっと遠くなる視線。
そう言われてはたと気づく、アイリーン―もといアンドレイも、ほぼ丸一日ログインし続けるような、立派な廃人だったことに。
麗しく、まだ若いこの少女もまた、仮想世界へ引き籠るに至る『何か』を抱え込んでいたのだとすれば―
―そうか
ケイは小さく肩をすくめ、おどけるような笑みを浮かべた。アイリーンにもきっと、色々あるのだろう。ケイのように こちらで生きる と即答しない分、まだ悩む余地はあるのだろうが、それでも本人が話さないなら、敢えて聞き出す必要もないとケイは思う。
まあ、何も急いで結論を出すことはない。俺はどちらかというと、選択の余地がないだけだからな……
……そうだな。何も今、答えを出さなくてもいいわけか。そもそも、帰れるかどうかも分かんないわけだしな! よし! 保留保留!
上体を起こし、腕を組んでうんうんと頷くアイリーン。無理やりテンションを切り替えている感はあるが、言っていること自体は至極正しい。帰る帰らないの前に、そもそもどうやってこの世界に来たのかすら分かっていないのだ。
それに―
(……俺たちの肉体は、今どうなってるのか)
果たして自分は生きているのだろうか―と。
そんな疑問も浮かんだが、口には出さなかった。
よし! そうと決まれば、ダラダラしてても仕方がないな! ケイ、オレに提案があるぜ!
アイリーンがバッと挙手する。
ん、何だ?
とりあえず馬二頭くらい売り払おうぜ! 二人旅で四頭は多すぎる。船主が吹っ掛けてきてたのは確かだろうけど、馬が場所とるってのも正論だと思うんだ
……そうだな。四頭いると維持費も馬鹿にならないし、ここで売るってのもアリだろう。ただ問題は……