五人目。そろそろ術の効力が切れかけているのか、まとわりつく影が薄れている男。這いずるように出入り口まで辿り着いていたので、動けないようふくらはぎを撫で斬りにする。
六人目―と、テーブルを囲むごろつきたちを、反時計回りに制圧してきたアイリーンであったが、ここで気付く。床にへたり込み、顔から影を振り払おうとしているのは、他でもない、
テメェ、ボリスッ!!
視界を潰されたまま、いきなり誰かに名を呼ばれ、びくりと身体を震わせるボリス。アイリーンはその胸倉を引っ掴んで、引きずり起こすように無理やり立たせた。
ヒッ、だっ、誰だッ……何だッ!?
怯えながらも、胸倉を掴む手を引き剥がそうと抵抗するボリスであったが、サーベルを床に突き立てたアイリーンは、お構いなしにその顔面を張り倒す。
パァン! と鋭い音が響き、脳天を揺さぶられたボリスは、ふらりと壁に手をついた。幸か不幸か、その一撃で顔面の影が振り払われ、一瞬白目を剥いたボリスはしかし、すぐに視界を回復させる。
が、その瞬間、 ヒッ と息を詰まらせた。
……今のが、リリーの分だ
文字通り、目を白黒させるボリスが見たのは、―背筋の凍るような、冷たい表情。しかし青い瞳には、めらめらと怒りの炎が燃えるようで、
ぶぅんと、
唸る左のアッパーカットが、もじゃひげの顎に炸裂した。
がッ!?
のけぞる。まぶたの裏で星が散る。切れた口の中、広がる血の匂い。
これはモンタンの分ッ
叫んだアイリーンは、間髪入れずに右拳を振りかぶり、
ごぶぅ……ッ!?
抉り込むようなボディブロー。ごぷりと腹の酒が逆流する、
これがキスカの分ッ!
腹を押さえてふらふらと後ずさるボリスを前に、すっ、と右脚を引く。
構える。
そしてこれが、
ぐるんっ、と身体を回転させ、打ち放つ。
―オレの分だッ!!!
全力。
必殺の回し蹴り。
ボリスの鳩尾に、突き刺さった。
―ッ!!
もはや、悲鳴すら出ない。まるで冗談のように吹き飛ばされたボリスは、そのまま石壁にゴッ、ビタアァァンと激突する。
ぁ、ッげ……
ずるずると。壁にもたれかかって尻もちをついたボリスは、目を裏返らせて酒を吐き出しつつ、それでも何かを求めるように手を彷徨わせ、
……ォぼ
そのまま何も掴むことはなく力尽き、自らの吐瀉物の上にどちゃりと倒れ伏した。
……ふン
目を細め、ただ鼻を鳴らすアイリーン。
―あぁッ、クソッ、チクショウッ、何だってんだよコレは!!
その時、最後に残されていた一人が、ようやく顔にまとわりついていた影を振り払うことに成功する。
……あ?
しかし、視界が回復すると同時に、動きを止めた。見回せば、無事なのは自分だけ。周囲には、まさしく死屍累々といった様子で倒れ伏す仲間たち。
さて、ナイスなタイミングだな
目の前には、床からサーベルを引き抜いて、ぽんぽんと刃の背で肩を叩く、正体不明の黒装束の美少女。
その笑みは、少女の美貌には不釣り合いなまでに獰猛で。
思わず、尻もちをついたまま後ずさったごろつきは、無意識のうちに、媚びるような愛想笑いを浮かべていた。
すっ、と喉元に、サーベルの刃が突きつけられる。
―テメェに、訊きたいことがある
男にできたのは、ただ阿呆のようにコクコクと頷くことだけであった。
†††
真っ暗な、狭い空間。
手足は縛られ、口には猿ぐつわをかまされ。
体操座りの格好のまま、身じろぎもできない。
(なんで……こんなことに、なったんだろ)
虚ろな瞳で、ぼんやりと。
リリーは、闇の中、視線を彷徨わせる。
―気が付けば、ここにいた。
帰り道のこと。今日、塾はいつも通りに終わったのだが、帰宅自体は遅くなった。コーンウェル商会の御曹司であり、塾では机を並べて勉強する仲の、『ユーリ』という男の子がリリーを引き止めたのだ。
リリーとしては早く帰りたかったのだが、父親の大得意様であるコーンウェル商会、その跡継ぎの好意を無碍にするわけにもいかない。美味しいお茶を頂きつつ、大して興味もない詩や文学の話を聞き流したが、暇(いとま)を告げて屋敷を出る頃には、すっかり遅くなってしまった。
リリーの身を心配して、ユーリが護衛と共に家まで送ることを提案したが、早く帰りたかったのと、独りでも大丈夫だと思ったのと、御曹司に送迎をさせるなどとんでもないという理由から、断っていた。
それが、間違いだった。
あの時、その言葉に素直に従っていれば、と。今となっては、そう思う。
リリーがいつものように、大通りを歩いていたときのことだった。一人の見知らぬ少年が、声をかけてきたのだ。
身なりは悪くないが、何だか目つきが悪いという印象の、リリーよりも少し年上の男の子だった。曰く、 ボリスのおじちゃんが、仕事の祝いに家まで料理を持っていこうとしているが、多過ぎて持てないのでリリーに手伝って欲しい とのこと。
正直なところ、変な話だとは思った。ボリスの家が旧市街で、夜歩くには危ないことも知っていた。
しかし、朝の件もあり、 おじちゃんも一人じゃお金を返し辛いし、理由をこじつけて一緒に行って欲しいのかな などと深読みしたリリーは、その誘いにまんまと乗ってしまったのだ。
ボリスの家まで送ってくれるという男の子が、ポケットから 食べる? と蜂蜜飴を取り出したのも、大きかったかもしれない。それを頬張りながら、男の子に連れられて、リリーは意気揚々と旧市街に踏み入っていった。
そして―そこからの記憶が、曖昧なのだ。うらびれた路地を歩いている途中で、口の中で蜂蜜飴が砕け、変な味の粉末が出てきたのまでは憶えている。その後は、ぐにゃぐにゃと視界が回り、まるで夢の中にいるようで、気が付けばここに閉じ込められていた。
(わたし……どうなっちゃうんだろ……)
死んだような無表情で、何度も自問を繰り返す。自分が誘拐されて、監禁されているらしいということは、薄々察していた。泣いて、叫んで、もがいて―既に、体力も気力も使い果たしている。
(怖いおじさんたちに連れられて……むりやり働かされるのかな……)
真っ先に連想したのは、“奴隷”や”身売り”といった言葉だった。鞭を持った『怖いおじさん』に、鉱山のような場所で、重労働を強いられるイメージ。
それに匹敵する―あるいは、それよりも恐ろしいことを想像するには、リリーはまだ幼すぎた。
しかし、そうであったとしても、怖くてたまらないことに変わりはない。猿ぐつわを噛みしめ、 えぐっ と小さくしゃくりあげる。もはや泣き過ぎて、涙は枯れてしまったのだろうか、真っ赤になった瞳からは何もこぼれ落ちなかった。
(パパ……ママ……助けてよぅ)
もうわがままも言わないし、もっとお勉強も頑張るし、言うこともよく聞くから、と。
(会いたいよぅ、パパ、ママぁ……)
暗闇の中、顔をくちゃくちゃにして。
ただ祈り。声も出さずに、泣く。
―と。
頭上で、ガキンッ! という大きな音が鳴った。
飛び上がらんばかりに驚いて、上を向く。続いて、ギリギリギリ……と金属同士が擦れる音。突然の状況の変化に、目を見開いたリリーは、処刑の時が近づいた死刑囚のようにガタガタと震え始める。
ガコンッと頭上に光の隙間が生まれ、徐々にそれは広がっていく。頼りない暖色の明かりに、 外だ とだけ思った。
ここから出られる、のか。
あるいは出(・)さ(・)れ(・)る(・)―のか。
……ん―ッ!! んん―ッッ!!
唐突に、恐怖の感情が再燃したリリーは、ほとんど身動きが取れないにも拘わらず、最後の力を振り絞って何かに抗うように身をよじらせた。
リリーッ! リリーッ!!
が、どこか聞き覚えのある優しい声に、その動きを止める。
リリーッ! 大丈夫か!?
見れば、四角形に切り取られた頭上から、こちらを覗き込むアイリーンの顔があった。
無事か!? 待ってろ、すぐに出してやるからな!
かがみ込んだアイリーンは、右手を伸ばしてリリーの背中の縄を掴む。そして、その細腕からは想像できないような力強さで、一気にリリーを引き上げた。
ひでぇ、こんな小さな子に……なんて真似しやがる
猿ぐつわと、手足をキツく拘束する縄に、目つきが険しくなるアイリーン。一方でリリーはいまだに理解が追いつかず、目をぱちくりとさせている。
短剣で縄を切断したアイリーンは、手早くリリーの猿ぐつわを取り払った。
助けに来たぞ、リリー。もう、大丈夫だ
安心させるように、穏やかな笑みを浮かべて、アイリーンはわしゃわしゃとリリーの頭を撫でる。数秒して、 どうやら自分は助かったらしい と悟ったリリーは、
……ふぇっ
真っ赤な瞳に、枯れたと思っていた涙がみるみる溜まっていく。
お……ねえぢゃああぁぁぁああん!!!!
よしよし。怖かったな
ふらふらと、アイリーンの胸元にすがりついて、火がついたように泣き始めるリリー。一瞬、それに釣られて泣きそうな顔をしたアイリーンは、そっと瞳を閉じてその小さな体を抱き締める。
大丈夫。……もう大丈夫だから
涙と鼻水で、リリーの顔は酷いことになっていた。赤子をあやすように、ゆっくりと身体を揺らす。時折、泣き過ぎてむせるリリーの背中を、アイリーンは優しくさすってあげた。
……さ。もう、泣きやんで。せっかくの可愛いお顔が台無しだよ、リリー
えぐっ、おねえぢゃ、おねえぢゃん
パパとママが待ってるから。……おうちに帰ろう
うぅ……ぅん、帰るぅ……
手を引かれて立ち上がり、目を擦りながらリリーはコクコクと頷く。それを見て、アイリーンは小さく微笑んだ。リリーは可哀そうだったが、とにかく無事に助かって良かった。
長時間にわたって監禁されていたせいで、足取りの覚束ないリリーを背負い、階段を降りて行く。途中、呻き声を上げて倒れ伏す男たち―特に、気絶してひっくり返ったままのボリスを見て、背中のリリーがはっと息を呑んだが、気にせずに居間を突っ切って玄関から表に出た。
さて、お家はどっちかな
とりあえず、現在位置は旧市街の真ん中あたりだ。日が沈んだときの記憶を頼りに方角に当たりを付け、とりあえず大通りに出れば間違いあるまい、と判断したアイリーンは、街の中心部に向かって歩いていく。
しかし、歩き始めて一分も経たないうちに、
……なんだアレ
前方に、揺れる大量の明かり。石畳を走る大人数の足音と、ガチャガチャと金属の装備が擦れ合う音。
道の向こう側から駆けてきたのは、ランタンを掲げた衛兵の一団だった。
あっ! アイリーン!!
そして、その中から、ひょっこりと顔を出したのは、
―ケイ!?
思わず、背中のリリーをずり落としそうになりながら、アイリーンは素っ頓狂な声を上げる。
衛兵の中から飛び出てきたのは、全身フル装備で持てるだけの矢筒を抱え、ハリネズミのようになったケイであった。かなり走り回ったのか、革兜の下、顔は上気し、汗の浮いた額には髪の毛が張り付いている。
無事か!!?
食らいつかんばかりの勢いで、ずいと詰め寄ってくるケイに気圧され、呆気にとられながらもアイリーンは頷いた。
お、おう……
……もう終わったみたい、だな。遅すぎたか……
アイリーンの背中のリリーを見て、安堵のため息を吐きつつも、気が抜けたように膝に手をつくケイ。その背後、 リリーッ! リリーッ! と聞き覚えのある声が響く。
……! パパーッ!
目を見開いたリリーが、アイリーンの背中からぴょこんと飛び降りて、声のする方へと駆けていく。
衛兵たちの一団の後ろから、フラフラになりながらも、モンタンが走り出てきた。
リリーッ!! 無事だったかい!?
パパー! パパぁーッ!!
モンタンの腕の中に、飛び込むようにしてリリー。二人揃って道の真ん中にずるずると座り込み、そのまま声を上げて泣き始める。
よかった! 本当に、無事でよかった! ああ、リリー……!
パパぁーッ! こわかったよぉーッ!
ひしと抱きしめ合う親子二人を、穏やかな表情で、アイリーンとケイは見守っていた。
あ~。その、なんだ
しかし、そこで横から声がかけられる。顔を向ければ、そこには衛兵の一人。年配の、立派な黒ひげを蓄えた男だ。
あっ、アンタはあの時の……!
黒ひげを指差して、アイリーン。彼は、サティナの街の検問を抜ける際、主にポーションの件で『世話になった』衛兵の一人であった。
兜を外してぼりぼりと頭をかいた黒ひげは、困ったような顔で、
すまないが、状況の説明を求めたいんだが
ああ……まあ、見ての通りだ
リリーとモンタンの方を示し、ケイは小さく肩をすくめた。