思わず、といった様子で、口からこぼれ出た言葉。それには答えず、大男―デンナーは、ただその笑みを濃くする。

……すっすいません、自分は、パヴエルです

目上の人間を前に呆然とする、という失態に気付いたパヴエルは、すぐに気を取り直して姿勢を正した。

……それと、こいつが、ラトランドです。口をやられてうまく喋れないのと、その、ちょっと頭がイカレちまったみたいで……

うむ、報告でもそう聞いている

机の引き出しから書類を取り出して、それを眺めながら顎ひげを撫でつけるデンナー。

たしか、タアフの村の近く、だったな。弓使いの男に奇襲されて、モリセット隊は壊滅、モリセットの野郎も死亡、と……

はい

詳しい話を聞かせてくれ

真面目な顔のデンナーに促され、ぺろりと唇を湿らせたパヴエルは、順序立てて最初から話し始める。二人組の旅人を襲撃したこと、それを逃がしてしまったこと、野営の最中で奇襲を食らったこと―。

デンナーは時折それに質問を挟みつつ、手元の紙にメモを取りながら、真剣な顔で話を聞いていた。

なるほど、な……モリセットの最期はどうだった?

すいません。自分は気絶していたもので、分かりません

……そうか、ならいい。気にするな

申し訳なさそうに小さくなるパヴエルに、 何でもない という顔で手をひらひらさせるデンナー。

……そして、これが、

気まずさを払拭するように、パヴエルはそっと、胸元から『それ』を取り出した。黒い布に覆われた物体。ことん、と机の上に置く。

デンナーはおもむろに手を伸ばし、その布を剥ぎ取った。中から姿を現す、鈍い銀色の刃。

―ハウンドウルフの血で汚れた、短剣。

ハウンドウルフに刺さってたんで、多分、襲撃者の所持品かと……。逃げる途中で見つけたんで、回収しておきました

……うむ。でかした

短剣を手に取り、陽光に照らすように眼前に掲げる。指先で刃を弾くと、ぴぃんと澄んだ音が響いた。

しばらく無言で手の中の短剣をいじっていたデンナーは、顔を上げてふいに正面からパヴエルを見据える。

パヴエル。お前、魔術について知識はあるか

えっ? ……いえ、ありません。精霊語で精霊にお願いして、奇跡が起こせるってこと以外は、特に……

ふむ。こういうとき、敵の所持品を探しておくってのは、モリセットに教えられていたことか?

はい。それが手がかりになるかもしれないから、と隊長にはいつも言われてました

そうかそうか。あいつも上手くやってたんだな

何度も頷くデンナーは、上機嫌なようでどこか寂しげでもあるという、不思議な表情をしていた。

―わかった。二人とも、報告ご苦労だったな

立ち上がったデンナーが、ぱんぱんと手を鳴らす。すぐさま扉が開かれて、黒服のメイドが二人、しずしずと入室してきた。

二人に部屋を用意しろ。それと滋養の付く食べ物もな。ああ、一人は口がダメになっているから、そこは気を利かせろよ

かしこまりました、デンナー様

恭しく頭を下げたメイドたちは、 こちらへ とパヴエルたちを部屋の外に誘う。

えっ、いや、そのっ

唐突な、まるで客人のような扱いに、目を白黒させるパヴエル。助けを求めるようにデンナーを見やると、彼はニカッと口の端を吊り上げ、

なあに、休暇みたいなもんだ。こんな辺鄙な場所だが、ゆっくりするといい。傷が癒えたら、またそれになりに働いてもらうがな

ガッハッハ、と声を上げて笑う。

困惑の表情を浮かべつつも、ありがとうございます、と頭を下げたパヴエルは、結局一言も喋らなかったラトと共に、メイドたちに連れられて部屋を辞した。

ぱたん、と扉が閉じ、部屋にはデンナーと、赤い瞳の鴉だけが残される。

デンナーはどっかと椅子に腰を下ろし、行儀悪く執務机の上に足を投げ出した。

……どう思う、親(・)父(・)?

手の中で短剣を弄びながら、独り言を呟くように。

カァ~

部屋の鴉が一声鳴き、澄まし顔で毛づくろいの真似をする。

親父。俺までからかうのはやめてくれ

カァ~カァ~、カぁ~カッカッかッかッかッ!

その鳴き声が、途中からしわがれた老人のそれに変わっていく。

……そうさの。かッかッ、まぁ、只者ではあるまいて

鴉は翼をはためかせ、止まり木から執務机へ。ぎょろり、と蠢いた赤い瞳が、デンナーを見据える。

黒い鴉。

瞳が燃えるような赤であることを除けば、見た目は何の変哲もない、ただの鳥。

それがまるで、当然であるかのように、鴉は朗々と喋り出す。

凡人ならば、モリセットの坊主に、奇襲された時点で『詰み』じゃろう。それをいなし、逆襲を仕掛け、なおかつ十人の隊を壊滅させたとなると……その力量を疑う余地はあるまい。問題はむしろ、

『何故そんな使い手が、そんなところに居たのか』

じゃのう

深々と頷く鴉に対し、デンナーは手元の書類に目をやった。ボリボリと頭を掻きながら嘆息する。

おかしいよなぁ。黒装束をまとった金髪碧眼の乙女に、草原の民風の弓使いの男。しかも男の方がかなりの使い手ともなれば、目立たないはずがねえんだが

海辺の町ならともかく、タアフの村は内陸部じゃからのう。モリセット隊と接触する前に、近くの街なり村なりで話題に上るはずじゃ

ああ。それなのに調べても調べても、全く情報が出てこないってのが解せねえ

ばさり、と書類を机の上に放り出し、デンナー。紙面上には、近隣の街や村々に潜り込んだ構成員の報告が、事細かに記されていた。

うむ。何者かの、作為を感じるの。不自然であるということは、そういうことじゃ。あくまで、魔術師としての勘じゃがの……

親父の勘は良く当たる。どこが怪しいと思う?

タアフの村と言えば、バウケット領じゃろ? ならばサティナしかあるまいて

ま、ウチの『客』じゃないデカい街といえば、サティナくらいのもんだしな……

しばし、考え込むように、一人と一羽は沈黙した。

……まあいい、すぐに分かることさ。親父、いつものように頼む

相分(あいわ)かった、鳥たちに探させよう……

黒羽の鴉は、短剣の前、ばさりと翼を広げる。

Barono de nigregaj, Stina.

ぎらりとその瞳が光る、

Vi sercas la mastro… ekzercu!

呼びかけに呼応するように、卓上の刃が微かに鳴動した。

ふむ……

鴉の両目が、まるでカメレオンのようにぎょろぎょろと目まぐるしく蠢く。しかし、それも長くは続かず、視線はすぐに一点へ定まった。鴉は真っ直ぐに東を向いて、小さく首を傾げる。

―見つけた。サティナじゃ

ほう、やはりな。となると、その『弓使い』とやらは、あの街の回し者か。サティナの何処に居る? 高級市街なら、領主に雇われた傭兵でまず間違いないと思うが

これは……妙じゃの。商人街かのう、何の変哲もない宿屋におるわい。ふぅむ、黒装束ではないが、金髪の女子も連れておる。背中を向けておるので本人の顔は見えぬが―

実況するように、虚空を見つめながら、鴉はさらに言葉を続けようとした。が、その時、机の短剣がカタカタと震えだし、部屋の空気がぞわりと異様な雰囲気を孕んだ。

む、いかんッ

鴉の声に、焦りの色が浮かぶ。ばさりと翼を翻して、目の前の短剣から飛び退った。

― Sinjoro ―

部屋の中。

― Kion vi volas, huh ? ―

無邪気な、それでいて妖艶な、声が。

轟々と窓の外、風が吹き荒れる。ガタガタと揺らされる窓枠。何か不吉な予感に襲われたデンナーは、咄嗟に床に伏せた。

突風が、吹きつける。

けたたましい音を立てて、部屋の窓が割り砕かれた。飛び散るガラスの破片、ばさばさと舞い散る書類、獣の咆哮のように唸りながら、吹きこみ渦巻き荒れ狂う風。

こ、これはッ!

吹き飛ばされないよう、机の上で必死に張り付きながらも、鴉は見た。

―放置されていた短剣に、見る見る間にひびが入っていき、ボロボロに崩れ去っていく様を。

! 待て!

慌てて短剣に近寄ろうとしたところで、バシンッと音を立てて、鴉はまるで見えない手にはたかれたように、部屋の端まで弾き飛ばされる。

親父ッ!

大事ない! しかし―!

身を起こしたデンナー、その目の前でざらざらと、砂のように短剣が崩壊した。その細かな粒子は風に巻き上げられ、虚空へ誘われるように溶けて消えていく。

― Gis la revido ―

鈴の鳴るような、悪戯っ子のような、笑いを含んだ声。巻き上がる風の中に、デンナーはひとりの、羽衣をまとった少女の姿を幻視した。

そして唐突に、風は止む。

…………

後には呆気にとられたようなデンナーと、部屋の隅で羽根を散らし、頭痛を払うように首を振る鴉だけが残された。

……親父、いったいどういうことだこりゃ

めちゃめちゃになった部屋の惨状に、唇を尖らせたデンナーが、咎めるような目で鴉を見やる。しかし茫然と口を開けた鴉は、

……かッ

ただ、息を詰まらせたような声を、

かッ、かッかッ、カカカッッ、カッハハハハハハッ!!

興奮してばさばさと翼を動かしながら、引き攣ったように笑い始める。

かッかッかッ、彼奴め、気付きおった! わしの『眼』に気付きおったぞ! カカカッ、傑作!! こいつは傑作じゃ!

俺には面白くもなんともないんだが……どういうことだ

書類を整理しながら、憮然とするデンナー。羽ばたいて、デンナーの肩に止まった鴉は、その横顔を覗き込むように、

魔術師じゃよ

そっと、囁いた。

件の弓使いの男は、魔術師じゃ。大精霊の加護を受けておる

大精霊?

いかにも。“妖精”や”鬼火”なんぞの子供騙しではない、強大な元素の精霊よ。この場合は、十中八九、風じゃろうが

何が可笑しいのか、鴉はくっくっくと再び喉を鳴らす。

勘弁してくれよ、親父が油断したおかげで部屋はこの有り様だぞ……

デンナーは額を押さえて、小さく溜息をついた。窓ガラスは粉砕され、家具や調度品は倒され、書類やら何やらが散乱し、部屋はまるで竜巻の直撃を受けたかのようだ。

くふッ、かッかッ。すまんのぅ、いやはや。……あの若者、興味が湧いた

トンと机に飛び降りて、鴉。ぎらぎらと輝くその双眸には、知性のそれとはまた別種の、何ともおぞましい輝きがある。

欲しい。あの精霊の力、是が非でも欲しい。どうにかして、我が物としたい。それに……。 Tiuj kiuj insidas en la sablo… alie gi estus unu el la vizitantoj…

焦点の定まらぬ目で何事かをぶつぶつと呟く鴉に、書類をまとめ上げながらデンナーは再び小さく溜息をついた。

……まあ、いいさ。とりあえず結論として、件の弓使いはサティナの関係者と見てもいいか

そうさの。凄腕の弓使い、それも魔術師など、その辺に林檎のようにごろごろと転がってはおるまい。わしら(イグナーツ)への対策として雇われた傭兵か、あるいは……。いずれにせよ、ただの偶然ということはなかろうて

うむ、と頷いたデンナーは、ぱんぱんと手を鳴らす。

すぐに扉が開かれ、黒服のメイドがしずしずと入ってくる。人形のような澄まし顔をしていた彼女たちであったが、部屋の惨状を見て、流石にその表情を変えた。

デンナー様、これは……

うむ。ちょっとした手違いで、悪戯っ子が入ってきちまってな……お前たち、掃除は任せたぞ

は、はい……

本気とも冗談とも取れぬ態度、おどけたように肩をすくめるデンナーに、メイドたちは困惑しながらも頷いた。ばさり、と飛んできた鴉をその腕に止めて、

それじゃあ、俺は屋根裏に戻る。何かあったら呼べ

かしこまりました

頭を下げるメイドたちを尻目に、デンナーは部屋を後にする。

……しかし、あの部屋の扉も、考えようによっては不便だな

カァ

複雑な装飾の施された、木の扉。螺旋階段を登る前に、ちらりと見やってデンナーはひとり小さくごちた。ただの扉に見えるそれは、実は盗聴対策として、一部の限られた音しか通さない魔法がかけられている。密談には好都合だが、裏を返せば、中で何が起きても外の人間には分からない。

螺旋階段を、登る。

かつかつ、とブーツの踵が石段を打つ音だけが響く。パヴエルが最上階だと思っていた執務室だが、その上には実は小さな屋根裏部屋がある。デンナーが自分以外の立ち入りを禁じている、完全にプライベートな空間だ。

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