アイリーンが、子供の救出に成功したのさ
いや、まあ、そりゃ見れば分かるが……
輪をかけて困り顔になった黒ひげは、胡散臭げな視線をアイリーンに向ける。
……腕利きの魔法戦士が救出に向かった、とは聞いていたが。このお嬢ちゃんが?
ああ、そうだ。彼女がその魔法戦士さ。……アイリーン、結局、リリーはどこで監禁されていたんだ?
この通りを真っ直ぐ、歩いて一分もしないところの、倉庫みたいなヤツ。中にごろつきが八人いたから、とりあえず死なない程度に痛めつけておいた。……あと、ボリスもグルだった
……なんだと?
最後、小声で付け足した情報に、ケイは眉をひそめて表情を険しくする。ますます訳が分からない、といった様子の黒ひげは、半信半疑ながらも追求は諦めたようで、 おい、お前ら! 誘拐犯の住処は近いらしいぞ! と周囲の部下に声をかけていた。
ってか、ケイもケイだよ。どうしてここに?
アイリーンの問いかけに、ケイは自嘲するように乾いた笑みを浮かべる。
……まあ、お前が出て行ったあと、衛兵に連絡して、モンタンを説得して……援護なり何なりが、出来ればと思ってな。尤も、来るのが遅すぎたみたいだが……
いや、それもだけど。何で、この場所が分かったんだ?
首を傾げるアイリーンに、気まずげな表情で、つと視線を逸らすケイ。
その背後。
ランタンの明かりに照らされた宵闇の空に。
アイリーンは、妖艶な笑みを浮かべる、羽衣をまとった少女の姿を幻視した。
え、ええー?
唖然としたアイリーンの顎が、がこん、と落ちる。
……触媒(エメラルド)使ったのかよ? 無駄すぎる……!
……。いいんだよ、別に!
しばし、渋い顔をしたケイであったが、開き直ったようにアイリーンを見据えて、
宝石の一つや二つ、いつでも買える! だが、
だが……、と。
黒い瞳を揺らし、口を開いたケイは―そのまま何も言えずに、再び目を逸らした。
まあ、その、なんだ。……遅くなって、すまん
すっと、頭を下げる。ケイの思わぬ行動にぱちぱちと目を瞬かせたアイリーンであったが、やがて しょうがないな という顔になって、コツンとケイの頭を小突いた。
……別にいいよ。来てくれただけでも、嬉しいし。それに……
出発前、自分の言葉が、ケイを傷付けてしまったらしいことを、思い出す。
…………
しかし、どうだろう。今ここでそれを謝ると、問題を蒸返すことにならないだろうか。
今は―。
唇を引き結んだアイリーンは、ぽん、とケイの肩に手を置いて、笑顔を作った。
ま、本当に『来てくれただけ』、だけどな! 気持ちは嬉しいけど、はっきり言って今回はクソの役にも立ってないぜ!
くっ、事実だけに言い返せない……!!
はっはっは、と笑うアイリーンを前に、悔しそうな顔をするケイ。
だいたい何だよその格好! 戦争でもおっぱじめる気か? そんなに矢持ってても、使い切れねえだろ!
そんなことはない、何かに役に立つかも知れないじゃないか! ほっとけ!
市街戦で弓は使えねぇだろー
いざとなれば壁ごとブチ抜くつもりだったさ!
やいのやいのと、騒がしく。そのそばでは、おいおいと泣く親子二人。さらにそれを取り巻く衛兵たちの輪。
兜をかぶり直しつつ、夜空の月を見やった黒ひげは、
……はぁ。早く帰りてぇ
ただ、小さく溜息をついた。
†††
その後、衛兵たちの手によって、ボリスら誘拐犯一味は全員が御用となった。
調べてみると、建物内部からは麻薬など非合法の物品が次々と見つかり、実は大規模な麻薬組織のアジトであったことが判明した。ボリスは、その組織の下っ端だったらしい。
厳しい取り調べにより、芋づる式に構成員が捕縛され、ボリスを含むその殆どが打ち首となった。斬首を免れた残りの者は奴隷に落とされ、鉱山やサティナ北西部の汚物処理村で、死ぬまで強制労働を課せられるそうだ。
ただ、全ての構成員が口にしていた、まとめ役の『細身の男』については、『トリスタン』という名前が分かったのみで、他には何も情報が得られなかった。どれだけ市内を捜索しても見つからないため、既にサティナから脱出している可能性が高いそうだ。
モンタン一家はというと、今回の一件で、全員が心身ともに疲れ果てていた。
特にリリーは大きなショックを受けているようで、しばらくは塾にも行かず、家でゆっくりと過ごすとのこと。モンタンも、しばらくは休業するそうだ。
当分は、家族水入らずで過ごすつもりです
ケイに借りた銀貨を返しながら、モンタンは無理やり笑みを浮かべて、しみじみとそう言った。 本当に、ありがとうございました と、アイリーンの手を握って、何度も頭を下げていたのが印象的だった。
ケイたちは、事件の後も、三日間サティナに滞在した。
革職人のコナーに任せていたミカヅキの皮の仕上がりを待つのと、護衛の仕事を探すためだ。
今回の一件を通し、幸か不幸か、ケイたち―主にアイリーンだが―は、『評判』という形で信用を得ることに成功した。
悪人たちのアジトに颯爽と殴り込み、誘拐された子供を見事救い出した正義の魔法戦士。そしてそれがうら若き乙女ともなれば、評判にならないわけがない。アイリーンの武勇伝はあっという間にサティナの街に広がり、前日に仕事を探したときとは打って変わって、逆に商人の方から護衛を頼まれるほどの人気ぶりであった。
その中で最も大手だったのが、モンタンの得意先でもあるコーンウェル商会だ。何でも、商会の御曹司のユーリという少年は、誘拐当日にリリーを遅くまで屋敷に引きとめていたらしく、それが誘拐の一因になったのではないかと、自責の念に苛まれているそうだ。同時に、リリーを無事に助け出したアイリーンには深く感謝しているようで、救出の翌日には宿屋まで、本人が直々に多額の謝礼を届けに来た。
謝礼はユーリ少年のポケットマネーから出ているとのことだったが、それがなんと金貨数枚分に匹敵するほどの大金だった。驚いたのはケイもアイリーンも同じで、有難く頂戴しようとはしたものの、正直なところ、それほどの大金を手渡されるとそれはそれで持ち運びに困る。
魔術の行使にエメラルドや水晶などの触媒を消費した、と言うと、聡い少年はすぐにその意図を察し、金貨一枚ほどの現金を残していったあと、残りの額に相当する宝石類が翌日に届けられた。ケイが 顕現 を二回使えるだけのエメラルドに、アイリーンが枯渇の心配をしなくて済むほどの上質な水晶とラブラドライト。『宝石の一つや二つなど~』というケイの言葉が、思いのほか早く実現した形だ。
ちなみにユーリは、リリーが塾通いを再開する際に、護衛を付けることを画策しているらしく、アイリーンをコーンウェル商会専属の護衛として雇うことを提案してきた。男の護衛だとリリーが怖がるかもしれないが、アイリーンならばリリーと知己である上に、器量・力量ともに問題ないというわけだ。謝礼とは別に、これまた目が飛び出るような報酬が提示されたのだが、ケイもアイリーンもサティナに留まるつもりはないので、断腸の思いでその話は断った。
護衛の話が無くなって、ユーリは至極残念そうにしていたものの、ケイたちがウルヴァーンに向かう予定であることを知ると、すぐに仕事の口を利いてくれた。サティナから街道を北上し、ウルヴァーンまで陸路で向かう隊商の護衛。それも、かなり報酬の良い、数日前までは考えられないような破格の待遇だ。今まで全く接点のなかった少年に、ここまで世話になるとは、流石にケイも予想外だった。
(―情けは人のためならず、か)
出立の朝。サティナの北門前にて、ケイはその言葉の意味を考えずにはいられない。
目の前では、今回護衛として参加する隊商の面々が、積荷の最終チェックを行っていた。ケイとアイリーンは準備万端で、ケイはサスケに、アイリーンは新たに『スズカ』と名付けた草原の民の馬に跨っている。ちなみに残りの二頭は、コーンウェル商会経由で売却済みだ。
おねえちゃん……行っちゃうの
うん、ごめんな。どうしても、ウルヴァーンに行かないといけないんだ
ケイの隣では、アイリーンとリリーが、別れの挨拶をしている。
…………
申し訳なさそうなアイリーンに、リリーはただ俯いた。 行かないで とも言わない。ダダをこねて泣きもしない。ただ、無表情で、黙り込んだまま―。これはこれで、来るものがある。
そうだ。リリーには、これを上げよう
スズカからひらりと飛び降りて、アイリーンはリリーの目線までしゃがみこんだ。
……これは?
お守りさ
アイリーンがリリーの手に握らせたのは、チェーンに吊り下げられた紅水晶(ローズクォーツ)の結晶だった。
昨日の夜、作っておいたんだ。魔法をかけておいたから、日が沈んだ後なら、一度だけオレを呼ぶことができる。だからもし、また何か危ない目にあったとしても、それで呼んでくれれば、すぐに助けに来られるよ
尤も、『呼ぶ』といっても、瞬間移動ができるわけではない。ただ局所的な 顕現 を利用して、ごくごく短い間、会話ができるだけの代物だ。他にもお守りを起点に、遠距離から影を送り込むくらいのことは出来るかも知れないが、所詮は子供だましの域を出ない。
しかし、その言葉は、まさしく魔法のように劇的に作用した。瞳に輝きを取り戻したリリーは、大切そうに、ぎゅっとお守りを握りしめる。
……おねえちゃん、ありがとう
精一杯、健気な笑みを浮かべて礼を言うリリーであったが、その瞳にみるみる涙が溜まっていき、すぐに表情が崩壊した。
おねえちゃあぁぁん……
……よしよし
胸に顔をうずめて静かにすすり泣くリリーの頭を、そっとアイリーンが撫でつける。ケイはそれを、馬上から黙って見守っていた。
……ケイさん
と、リリーたちを邪魔しないように、ケイの横にモンタンとキスカがやってくる。
やあ、どうも
流石に馬上のままでは失礼なので下馬しようとするが、モンタンがそれを押しとどめた。
ケイさん。今回は、本当にありがとうございました
……俺は何もしていない。礼なら、アイリーンの方に頼む
頭を下げるモンタンたちに、ケイは困ったように微笑んだ。苦笑い、と形容するには、少々苦すぎる味。
アイリーンさんには、もう何度もお礼を言いましたし。いえ、というか勿論、回数の問題ではないんですが……
自分の言葉を否定するように、慌てて手を振るモンタンをよそに、キスカが一抱えほどあるバスケットを差し出した。
サンドイッチです。こんなもので申し訳ないですけど、今日のお昼にでも、アイリーンさんとどうぞ
おお、それは有難い。……バスケットごと頂いても?
ええ、もちろんです
ありがとう
バスケットをサスケの鞍に括りつけつつ、笑顔で答える。その間に、気を取り直したモンタンが中型の矢筒を取り出した。
すいません、何だか捻りがなくて申し訳ないんですが……何本か追加で、長矢を仕上げておきました。是非使ってください
おお、これは……。矢は、既に沢山あるんだが……いいのか?
もちろんですとも
深々と頷くモンタン。実際のところ、矢は本当に沢山ある。モンタンから買い占めたものがその殆どだが、問題はその体積だ。ケイの腰、サスケの鞍の両側、サスケの背中、と合計で四つも矢筒がある。しかもそのうち三つがかなり大型のものだ。
……ありがたく、頂戴しよう。ただ、矢筒は充分に空きがあるから、矢だけ頂いてもよろしいか
ええ、どうぞどうぞ
矢だけを抜き取って、腰の矢筒に仕舞う。心なしか、他のものよりもさらに丁寧に仕上げられている気がした。
よーし。それじゃあそろそろ出発するぞー!
隊商の先頭から、声が上がる。商人たちが荷馬車に乗り込み、護衛の戦士たちは馬上で背筋を伸ばす。
出立の、時が来た。
それでは、そろそろ
ええ。……お元気で
本当に、ありがとうございました
ケイに向かって頭を下げたモンタンとキスカは、最後の機会とばかりにアイリーンにも別れの挨拶をしに行った。
モンタンたちと、名残惜しそうに会話するアイリーン。それから視線を剥がし、ケイはぼんやりと、晴れ渡った空を見上げる。
がらがら、と車輪の音を立てて、隊商の荷馬車がゆっくりと進み始めた。
ぽん、とサスケの脇腹を蹴り、ケイも前進する。
おねーちゃーん! またねー!!
おう、元気でなー! 絶対また来るからなー!!
ケイの隣、アイリーンが背後のリリーたちに向かって大きく手を振っている。
この世界に転移してから、おおよそ十日。