階段の上、小さな木の扉の鍵を開けて、デンナーは屋根裏部屋に入る。デンナーの巨体には不釣り合いなほど狭い部屋には、大きめの寝台にこじんまりとした本棚、それに止まり木と、小さなサイドテーブルだけがあった。
さて、どうするかね、親父
デンナーの問いかけに、止まり木に移った鴉が首を傾げる。
……サティナへの対応かの?
それも、だが、イグナーツのことさ。……この『盗賊ごっこ』も、そろそろ終いにしていいんじゃねえか
寝台に腰かけ、肘をついて手を組んだデンナーは、真っ直ぐに赤い瞳を見つめた。
時間は充分にかけた。種も充分に蒔いた。奴隷商の仕事も、せこいクスリの商売も、諜報の真似ごとも、もううんざりだ。
最近は、サティナも取り締まりを強化してきたからな。割に合わねえから、ウチもあの街からは手を引くことを決めたばかりだ。ここで示し合わせたように、向こうが敵対行動に出てきたのも、何かのサインじゃないかと思ってな
……頃合い、かの
ああ
ぽつりと呟くような鴉に、デンナーは深々と頷く。くっく、としわがれた声で、鴉は喉を鳴らした。
……正直なところ、わしも、伝書鳩の役にはもう飽き飽きでのぅ
それは、今のお(・)ま(・)ま(・)ご(・)と(・)を止めても終わらないぜ。むしろ、今よりもっと忙しくなるんじゃないか
意地の悪い笑みを浮かべるデンナー。
まあ、件の弓使いのこともあるしの。相応に準備せねばならん
ああ……だがそろそろ、取りかかろう
相分かった。となればデンナー、わしは少し戻(・)る(・)ぞ(・)。『此奴』の世話は頼んだ
分かった
デンナーが頷くと、止まり木の鴉の瞳から、すっと赤い色が抜けて薄くなった。
……カァーッ、カァーッ
一声、二声。首を振りながらきょろきょろと周囲を見回す様子は、まるでただの鳥だ。
それを見ながら、デンナーは独り嘆息する。
まったく、モリセットの野郎。これからってときに死んじまいやがって……
イグナーツ盗賊団の構成員は数知れないが、その中でもモリセットは、デンナーとは十数年の付き合いになる最古参の『仲間』の一人だ。
思い描くのは、数週間前、幹部クラスの集まりで最後に顔を合わせたときのこと。
―お頭、俺たちがこれ以上、『盗賊』を続ける意味はあるんですかい?
モリセットはデンナーに、このように問うた。
イグナーツ盗賊団は、その名の通り、盗賊団だ。
しかし旗揚げから十余年。商売柄、女子供を攫うこともあり、その関係で盗賊団は奴隷商とのつながりを得た。限りなくブラックに近いグレーの領域ではあったが、そこで表社会への間口を確立したのだ。
それを契機に、デンナー達は、様々なものに関わり合っていった。その巧みな隠密行動から密輸や密売にも手を染め、合法・非合法を問わず薬品も扱うようになり、それらのカモフラージュとして真っ当な商売にさえも手を出した。近頃では、自分がイグナーツの手先であるということを知らずに、働いている者も多いことだろう。
そして、魔術を介した通信と活動範囲の広さは情報収集を助け、さらなる組織の拡張を可能とした。今では幾つかの街と裏取引を行い、イグナーツ盗賊団は諜報組織の真似ごとまでしている。
―巨大な、それでいて組織化された、公国の裏社会の大部分を占める存在。
それが、イグナーツ盗賊団の現状だ。
その組織の全体像を、把握している者は非常に限られている。モリセットは、そんな数少ない構成員の一人だった。彼がデンナーに疑問を呈したのは、イグナーツ盗賊団の莫大な資金源において、盗賊稼業の占める割合が余りに少なく、殆ど儲けがなかったことだ。
詰まる所、今となっては、盗賊稼業は『無駄』に過ぎぬのではないかと。
……俺たちは、“盗賊”である必要があったんだよ
しかしデンナーは、このように答えた。
所詮は盗賊だが、ついでに諜報の真似もしている。そんな姿勢を、立場を、演出しなきゃならなかったんだ
イグナーツは巨大で、強大な組織だ。しかし『表』の連中に無駄な警戒心を掻き立てて、全て敵に回してしまうと、それを相手に戦い切れるほど組織としての体力がない。
故に、油断させなければならない。所詮はただの、盗賊であると。
また、各々の街との取引のうちには、『手を結んだ領地内での活動は自粛する』というものも含まれていたため、示威行為としてもやはり”盗賊稼業”は必要だった。
―盗賊をやるなら、利益を出せ。
―その代わり、被害は出すな。
犠牲を払って利益を取り、それで採算を合わせるのではなく、犠牲が出るくらいならそもそも襲うな、と。デンナーはそう、モリセットに指示していた。
モリセットは特別に強いわけではないが、用心深く、狡猾な男だ。欲を出すことも調子に乗ることもなく、ついこの間まで、淡々とその任務をこなしていたわけだが、
まったく、死んじまいやがって
ぽつりと、寂しげに。
……まあ、それももう終わりだ
顔を上げ、デンナーは寝台横のサイドテーブルを、そっと撫でた。
音もなく、テーブルの表面に、幻のように地図が浮かび上がる。主要な大都市が全て収められ、リレイル地方の詳細な地形が記された、本来であれば国の最高機密とされてもおかしくないレベルの地図。
その上に、同じような幻の旗(フラグ)が立ち上がり、表面をびっしりと埋め尽くした。港湾都市キテネ、城郭都市サティナ、鉱山都市ガロン、要塞都市ウルヴァーン―それらの街に突き立つ、色や形の異なる無数の旗。デンナー達が仕掛け、ばら蒔いた、『種』の証―。
おもむろに腰を上げ、窓の外を見やる。
地平の果てまで広がる、緑の景色。
森と、そこに埋もれた、廃墟の姿。
これまで、色々なものを手に入れてきた―
巨大な盗賊団の首領として、デンナーはおおよそこの世に存在する、ほぼ全てのものを獲得してきた。
様々な金銀財宝を略奪し、女を手に入れ、金を手に入れ―今ではこうして、一城の主にまでなった。
しかしそれでも。
まだ、奪い取ったことのない、ものがあった。
振り返る。そこに浮かび上がる、幻の地図。
―アクランド連合公国。
さあ、
にやりと。
男は、獣のような、獰猛な笑みを浮かべた。
―国盗りを、始めようか
運命の歯車は、回り出す。
22. 護衛
緩やかに蛇行しながら、北へと流れるモルラ川。
その川べりに茂る、青々とした木々の間を抜けるようにして、焦げ茶色のレンガで舗装された道が真っ直ぐに伸びる。
“サン=アンジェ街道”
城郭都市サティナから、“公都”こと要塞都市ウルヴァーンまで。リレイル地方の南北を結ぶ、陸上通運の大動脈だ。
おりこうさんのマイケルは~、今日もげんきに馬車をひく~
早朝にサティナを発ったケイたちであったが、日はすでに高く昇り、隊商はそろそろ次の村に到着しようとしている。ここまで特に変わったこともなく、欠伸が出るほどに平和で、のんびりとした旅路だった。
もうかたほうのダニエルは~、ふきげんそうに見えるけど~、ほんとはとってもやさしいのよ~
隊商は二頭立ての馬車六台から成り、商人たちと、その家族や見習いが十数名、それにケイとアイリーンを含む護衛が合わせて八名の構成だった。動きは鈍いが、盗賊にせよ野獣にせよ、迂闊には襲い掛かれないような大所帯。
おひさまぽかぽか~、風も気持ちいい~、でもわたしは~、とっても~とっても~、た・い・く・つぅ~う~
小鳥のさえずりに、がらがらと回る車輪の音。それらに混じって、幼い歌声が響く。サスケに跨り、馬車の速度に合わせてゆっくりと進むケイの横、荷台の幌の影からひょっこりと、浅黒い肌の少女が顔を出した。
ねえ。わたしのお歌、どう?
―良いんじゃないかな
上手だと思うぜ
曖昧に頷くケイの隣で、草原の民の黒馬(スズカ)に跨るアイリーンが、優しい微笑みとともに頷いた。
えへへー。そうでしょー
にぱっ、と顔を輝かせた少女は、そのまま御者台によじ登り、足をぶらぶらとさせながら らんらら~おなかがすいた~ と歌い始める。韻もへったくれもないような即興の歌詞であったが、無邪気にメロディを口ずさむ姿には、それだけで見る者を和ませるような微笑ましさがあった。
エッダは本当に、お歌が好きだな
御者台で手綱を握る太っちょの男が、『エッダ』と呼ばれた少女の頭をわしゃわしゃと撫でつける。
きっと、お父さんに似たのよ?
はっはっは、そうかいそうかい
歌うのをやめて首を傾げるエッダに、楽しそうに声を上げて笑う男。
男の名を、『ホランド』という。
コーンウェル商会に所属する商人の一人で、この隊商の責任者だ。ケイたちからすれば、今回の護衛(しごと)の直接の雇用主ともいえる。でっぷりとした太鼓腹、どう見ても悪人には見えない垂れ目、トレードマークはきれいに整えられたちょび髭だ。隊商の皆からは、『シェフ』と呼ばれて親しまれているらしい。
といっても、これは英語で言うところの『料理長』ではなく、彼の生まれの高原の民の言語(オン・フランセ)で『長』という意味だ。扱っている商品のほとんどが食料品なのと、ホランド自身が美食家であることも、この呼び名と無関係ではないだろうが。
歳の頃は三十代前半といったところで、エッダのやりとりを見る限りでは、どうも彼女の父親にあたる人物のようだ。しかし、ホランド自身は肌が白く、顔立ちもエッダとは似ても似つかない。何か事情があるのだろうか、と勘繰るケイをよそに、ホランドはぽんぽんと腹を叩いて肩をすくめた。
そうだな、父さんもそろそろお腹が空いてきたぞ。だけど、もうすぐ次の村に着くから、エッダは中に戻っておきなさい。お兄さんたちの仕事を邪魔してはいけないよ
んん~
肯定とも否定ともとれぬ声。ホランドに優しく背中を叩かれながら、エッダは御者台に肘をついて、じっとケイたちを観察する。
凛々しい褐色の毛並みの馬を駆る、黒髪の精悍な若者。エッダのそれよりもさらに深い黒色の瞳を持ち、筋肉質で引締った体格をしている。全身を精緻な装飾の革鎧で覆い、左手には朱色の弓、腰には長剣、馬の鞍にはいくつか大型の矢筒を括りつけていた。
その頑強そうな肉体に比して、顔は不釣り合いなほどに童顔であったが、左頬に走る真新しい刀傷が、何とも言えない凄みを醸し出している。湖面のように静かな眼差し―どことなく、暗い雰囲気を漂わせているきらいはあるものの、エッダは不思議と 怖いひとだ という印象は抱かなかった。
その弓使いの青年の隣にいるのは、黒馬に跨る金髪の少女だ。エッダとは対照的な真っ白な肌に、透き通るような青い瞳。金糸で編まれたような髪はリボンで後頭部にまとめられ、陽射しを浴びてきらきらと輝いていた。その身にまとうのは質の良い麻のチュニック、裾からは黒いズボンを履いた脚がすらりと伸びる。
あるいは、お忍びの貴族の令嬢が庶民の格好をしていると言われても、信じてしまいそうなほどに可憐な姿―しかし、背中に背負われたサーベルと木の盾が、手足の革の籠手と脛当てが、彼女もまた戦いに携わる者であることを如実に示している。エッダの視線に気づき、 うん? と首を傾げて微笑む様子からは、彼女が戦士であることなど想像もつかないのだが。
……ねえ、お姉ちゃん
おもむろに口を開いたエッダは、
お姉ちゃんが、魔法使いって、本当?
興味津々なエッダを前に、アイリーンは ふふん と胸を張った。
ああ。そうだぜ、魔法使いだ!
へぇ、すごーい! ねえねえ、魔法ってどんなの? 見せて見せて!
ん、んー。それはだな……
しかし、続いて投げかけられた無邪気な要望に一転、アイリーンは困り顔で、さんさんと輝く太陽を見上げる。
アイリーンが契約を結ぶ”黄昏の乙女”ケルスティンは、その名の通り、日が暮れてから本領を発揮する精霊だ。陽射しの届かない地下深くならともかく、昼間に野外で 顕現 することはできない。それでも一応、簡単な術の行使ならば昼間でも可能なのだが、普段のコスパの良さの反動のように触媒と魔力を馬鹿食いしてしまう。
実質的に、アイリーンは昼間に魔術が使えないのだ。
そしてこれは、明確な弱点の一つであり、大きな声で喧伝するようなことでもない。
む~……
こらこらエッダ、お姉さんがもっと困っているだろう
どうしよっかな、と唸るアイリーンを見て、ホランドがすかさずフォローを入れた。
そもそも魔法使いに魔術の秘奥をせがむのは、商人に仕入れ先を尋ねるようなものだ。あまり無理を言ってはいけないよ