(待て待て。何かあるはずだ、何か……)
つぶらな瞳でこちらを見るアイリーンの存在に、焦りのようなものを感じながらも、考えを巡らせる。
思い出すのは、二週間ほど前。まだ、ゲームの DEMONDAL で遊んでいた時代。
(俺が目標にしてたのは……そう、)
『弓を極めたい』―だとか。
『キル数2000を突破したい』―だとか。
『鳥の羽根を全種類コンプリートしたい』―だとか。
『自分も”竜鱗鎧(ドラゴンスケイル)“が欲しい』―だとか。
(……ロクなもんがないな)
我ながら、乾いた笑みが浮かぶ。『弓を極めたい』というのは兎も角、他のは余りにどうでもいいか、現実ではやりたくないことばかりだ。見事に、 DEMONDAL のことしか考えていなかった。
―いや。
ゲーム以外のことを、考えないようにしていたというべきか。
……そうか
ここに至って、ケイは気付いた。
二週間ほど前までの自分が、願っていたこと。
“生きたい”
“一秒でもいいから、長生きしたい”
切実な、真摯な、それでいて、嘆きの声を振り絞るような。そんな想い。
勿論これは、長寿を願うものではない。
消えかかっている命の灯を、少しでも長く、一秒でも長く、ただただ維持したいという、前向きでありながらも諦めを伴った仄かな夢―。
しかし今。
ケイは、ここにいる。
これ以上ないほど健全な肉体を持って、ここに居る。
(そうか、俺の願いは、もう―)
―叶っていたのか。
今更のように、ケイは笑う。
しかし、だからといって、これ以上は何も願わないのか、というと、それは違う。
(転換期にいるんだ、俺は)
過去の自分を振り返って、そう思った。
今まではずっと、『生きること』そのものに執着していた。
だが、健康な肉体を得て、『普通に生きること』が許された以上、別の何かを探さなければならない。
いや、―その何かを、探し出したい。
ただ漫然と『生きる』のではなく、『どう生きるか』を模索する―模索できる、その時が訪れたのだ。
(しかし困ったな。今急にそんなもの、思いつかないぞ……)
せめて、来る前に考えておくんだった……とは思うものの、アイリーンを誘う前までは、それどころでなかったことも思い出す。
アイリーン。
ふと、顔を上げた。
……ん? なに?
見つめられて、小首を傾げる、美しいひとりの少女―。
(……そうか)
ケイの口元がほころんだ。
難しいことを考えずとも、今は、ひとつ願いがあるじゃないか―
おもむろに手を伸ばし、ロープを強く引っ張った。
からーんからんからんっ、と鐘は高らかに鳴り響く。
随分と長考だったな? 何を願ったんだよケイ
アイリーンの興味津々な問いかけに、
……秘密だ
ケイは、ただ笑った。
†††
その後、石像の前の箱が実は賽銭箱であったことに気付いたり、互いの『願い事』をそれとなく探り合ったり、それが由来して追いかけっこに発展したり、しかしスピードタイプのアイリーンに勝ち目はなくケイが呆気なく捕まったり、それで二人で密着してるところを不意打ちで管理人のオヤジに目撃されて恥ずかしい思いをしたり、などと色々あったが、日が傾き始めたのでケイたちは町に戻ることにした。
今日は、来て良かったな
少しは慣れてきた様子で、オールを漕ぎながらケイは、しみじみと呟く。
遠景に見送る白亜の神殿。あの場所がなければ、ここまでスムーズに、アイリーンと仲直りはできなかっただろう。心からの感謝をこめて、ケイはそっと、水の精霊に祈りを捧げた。
ああ、ホントに楽しかった
相槌を打つアイリーンも満足げだ。二人の間に、これまでのような、ぎくしゃくとした空気はなかった。
…………
不思議と苦痛ではない沈黙の中で、ただ水の音だけが静かに響く。遠目に映る小島、湖を行き交うボートに渡し船、徐々に茜色に染まりつつある空―全てが優しく、穏やかだった。
ふとした拍子に、二人の目が合う。
視線が絡み合い、気恥かしげに逸らされ、それでも再び、見つめ合う。
未だ明るい空の色に照らされ、アイリーンの顔だけが鮮やかに浮かび上がる。きらきらとした光をたたえる蒼い瞳―夜空の星なんかより、よほど綺麗だ、とケイは感じた。
なあ、アイリーン
うん?
ケイは自然と、口を開く。微笑みを浮かべて、アイリーンが応える。
何を言おうか、と言ってから考えたが、それでも自然と口は動いた。
俺さ―、実は
アイリ―ンッッッ!!!!!
突如として、響き渡る、
!?
聞き覚えのあるハスキーボイス。
弾かれたように、ケイとアイリーンは見やる。
数十メートルほどの距離。巡礼者たちを多数乗せた渡し船。
その中に、こちらに向けてぶんぶんと手を振る若者の姿―
アイリーン! こんなトコにいたのかよぉー!!
大声で叫ぶのは、他でもない、アレクセイだった。 げェッ! とケイとアイリーンの声がユニゾンする。
朝からずっと待ってたのに! 薄情だぜええアイリーンッッ!
そう言いながらも、どこか屈託のない笑顔で叫ぶアレクセイは、良く見れば顔が赤い。その周囲でヘラヘラしている若者たち―隊商の見習い連中だ―も同様に、どうやら酔っ払っているようだった。
ちくしょぅー遠い! 遠いよアイリーン! 今そっちに行くからなっ!
やたらといい笑顔で不穏なことを宣言したアレクセイは、あろうことか、その場でポイポイと服を―
わ! わ! わ!
畜生なんなんだアイツ!
顔を赤くして目を背けるアイリーン、ケイが我に返ってオールを握りしめる頃には、アレクセイは生まれたままの姿で船上で仁王立ちしており、
アッイッリ―ンッッ!!!
一声叫んでから、見事なフォームで湖に飛び込んだ。ザッパーンと上がる水しぶき。
アイリ―ンッッ!!
そしてそのまま、限りなくバタフライに近い泳法で、息継ぎの合間にアイリーンの名を呼びながら見る見る間に距離を詰める。
ケイ! 逃げて!
言われるまでもない!!
ケイも、全力でオールを漕ぎだした。
本気のケイの腕力を受けて、オールは爆発的な推力を生み出す。が、それでも尚、アレクセイが僅かに速い。それこそまるで宙を舞う蝶のように、きらきらと水滴を輝かせながら、徐々に徐々に彼我の差を縮めていく。
クソッアイツ速いッ!
ケイ、このままじゃ追いつかれる!
アイリ―ンッ!!!!
湖の水は冷たいんじゃないのか!? 低体温症は!?
そんなもん知らねーよ!!
ア―イ―リ―ンッ!!!!
渡し船の巡礼者たちや周囲の荷船の乗組員たちは、その様子を見て笑い転げていたが、特にケイはそれどころではなく笑われていることに気付きすらしなかった。
何でここでお前が出てくるんだよッ!
真っ赤な顔で必死にオールを漕ぐケイ、アイリーンの名を連呼しながら泳ぎ続けるアレクセイ。
最初は悲鳴のような声をあげていたアイリーンは、そんな二人をよそに、いつしか腹を抱えて笑っていた。
夕暮れの湖の果てに、一艘のボートと一人の姿が消えていく―。
結果。
最終的にボートに追いついたアレクセイであったが、ケイのオールがた(・)ま(・)た(・)ま(・)頭部に直撃し、一撃で昏倒させられたので、そのまま事なきを得た。
……平和な一日であった。
逆襲のアレクセイ
27. 英雄
翌日。
昼前に、隊商の面々は町外れの広場に集合した。
ケイがアイリーンと共に荷物の確認をしていると、ショートソードに複合弓で武装したダグマルが、 よっ と手を上げながら近づいてくる。
どうだケイ、調子は?
悪くないな
そうかそうか
ニヤけ面で何度も頷いたダグマルは、意味ありげな視線をアイリーンに向け、声をひそめる。
で、どうだったよ?
ケイははにかんだように笑い、
……お蔭で、上手くいったよ
おおー! どこまでいった? コレか?
クイクイッ、と何やら卑猥な動きをするダグマルに、ケイは一転、冷やかな目を向けた。
……そういうのは、きちんと段階を踏んで、だ
かーっ、お堅いねぇ
額をぱちんと叩いて、しばらくからからと笑っていたダグマルであったが、不意に溜息をついて表情を引き締める。
ま、それはいいとして、だ。ケイ、それにアイリーン、二人とも聞いてくれ
突然の真面目な口調、どうやら仕事の話のようだ。面食らいつつも、ケイとアイリーンは神妙な顔で耳を傾ける。
……こっからウルヴァーンまでの道のりは、今までと違って気合を入れて欲しい。途中で二つほど開拓村に立ち寄るが、そこがなかなか厄介な土地柄でな。森を切り拓いた所なもんで、昼夜問わずに獣が出やがるんだ。お蔭で盗賊の類はいないが、狩猟狼(ハウンドウルフ)の群れなんかに襲われたこともある。とにかく、隊商の荷馬車に被害を出さないことを最優先に立ち回ってくれ
いつになくダグマルが重武装なのも、それが理由らしい。
了解した
ベストを尽くすぜ……
狩りはお手の物のケイに対して、投げナイフ以外に有効な飛び道具を持たないアイリーンは浮かない顔だ。アイリーンは対人戦闘に特化したタイプなので、人型モンスター相手なら兎も角、獣の群れと戦うようなシチュエーションはあまり得意としていない。
特に嬢ちゃんの魔術、頼りにしてるからな!
ニカッと笑ったダグマルが、手をひらひらさせながら去っていく。実は昼間は魔術が使えないことを伏せているアイリーンは、何とも曖昧な表情を浮かべていた。
……ま、“飛竜(ワイバーン)“でも出張ってこない限り、大概の相手は俺が何とかするさ
自信なさげに丸まった背中をぽんぽんと叩いて、励ますようにケイ。
……そうだよな。魔術が必要な場面なんて、そうそうないよな
気を取り直したのか、木の丸盾を背負いながら、アイリーンは軽く笑い飛ばした。
隊商は、予定通りユーリアの町を出発する。
滞在中も商売に勤しんでいたホランドのようなやり手を除いて、皆この二日間で英気を養ったらしい、隊商の面々も生き生きとした様子だ。特に騎乗の護衛たちは弓を片手に周囲を警戒しているものの、互いに雑談する程度の余裕はあり、いい意味で肩の力を抜いている。
ピエールは滞在中、本格的に馬車を修理したらしく、もう故障の心配はないとのことで、ケイは本来の持ち場―ホランドの馬車の横に戻ることとなった。当然、その隣で轡を並べるのは、アイリーンだ。
それにしても、あの屋台のガレット美味かったなー
思ったよりも良い町だった
だな! また来ようぜ!
うむ。神殿にももう一度行ってみたいしな
ケイたちの会話に以前のようなぎこちなさはなく、自然に談笑する二人の様子を、周囲は生温かい目で見守っていた。出発前、ケイがダグマルに”結果報告”をしたことにより、話が隊商中に広まっていたのは当然の帰結というべきか。幸いなのは、ケイもアイリーンも互いの会話に集中していて、自分たちが観察対象になっていることには気付いていないことだ。
ちなみにアレクセイはというと、昨日酔っ払って醜態を晒したことを気にしているのか、ピエールの馬車に乗って大人しくしていた。
要塞都市ウルヴァーンを目指して、隊商は一路北へ向かう。
大きく蛇行するアリア川を右手に捉えながら、川沿いの街道を進んでいると、まるでこれまでの道程をそのまま進んでいるかのような錯覚に陥る。ただ一つ、サティナ‐ユーリア間との違いを挙げるとすれば、それは周囲の植生だろう。林を抜ければすぐに草原が広がっていたモルラ川沿岸地域とは違い、こちらは何処までも深い森が広がっている―“ラナセル大森林”だ。
広葉樹が生い茂り、陽光が遮られた森の中は薄暗く、ケイの瞳をもってしても奥までは見通すことはできない。
しかし成る程、豊かな森だ―と思わされる。
アイリーンと話しながら森にも注意を向けているが、先ほどから幾度となく獣の姿が見かけられた。鳥は勿論のことキツネや鹿、猫に似た小型の肉食獣の姿もある。
ホランド曰く、ウルヴァーンの統治下にある”アクランド”領は、この森を開墾することで豊かな土地を確保しているらしい。木はそのまま資材になり、獣は日々の糧になる。薬草の類も豊富で、切り拓けば森の黒土は優秀な田畑に様変わりだ。これから立ち寄る開墾村も、そんな開発の最前線といえる。
はっきり言って、商売相手としては微妙だな。元々開拓村には、借金に追われた人間や、農家の次男坊、三男坊なんかが送られるものだからね。どちらかといえば貧乏人が多い
そう言ってボヤくのはホランドだ。これから立ち寄る村は、他の行商人であればスルーしてしまうほど、儲けの少ない商売相手らしい。