ケイが公国語で話すより、アイリーンが雪原の言葉(ロシア語)で使った方が、双方ともに色々と都合が良いだろう、という判断だ。それに母国語ならば、話すべき事柄とそうでないものをより柔軟に区別して説明できるはず。
全部、アイリーンに任せる
わかった
おそらくケイの意図は伝わったのだろう。しっかり頷いたアイリーンは、言語を切り替えて諸々の事情を説明し始めた。ゲームや異世界という概念は程々にぼかしつつ、理解しやすいように順序立てて話していく。
全てロシア語なのでケイにはちんぷんかんぷんだったが、セルゲイたちの顔を見ていればどういった内容なのかは大体想像がつく。アイリーンが『Greensleeves』を歌ってみせたときの驚きようは、なかなか見ものだった。
異邦人……か
ケイたちがそうだったのか……なるほどなぁー。故郷が遠くて帰れないかもしれない、って言ってたのはそういうことだったか
いまいち信じ切れない、と言うより、情報を消化しきれていないのか、言葉を噛みしめるように唸るセルゲイに対し、アレクセイは理解も納得も早かった。
それで、お前らは魔の森に手がかりがあると?
公国の図書館で調べた限りでは、そういう結論に至った。少なくとも、件(くだん)の魔の森の伝承と、俺たち自身の状況とでは類似点が多すぎるんだ
ふーん……
顎を撫でたアレクセイは、ケイの目をまっすぐに見つめる。
じゃあ、手がかりがあったとして、ケイたちは故郷に帰るのか?
何気ない問いだったが、それはケイにとってナイフのように鋭く感じられた。
……俺は(・)帰らない
低い声で、ケイは答える。
へ? そりゃなんでまた
……実は俺は、故郷だと不治の病に冒されていてな。それこそ、いつ死んでもおかしくないような状態だった
ケイの言葉に、 冗談だろ とでも言いたげに目を瞬かせるアレクセイ。セルゲイたちも、健康どころか生気に満ち溢れているケイの肉体を見て、 どの口で言うのか とばかりに疑わしげな顔をしていた。
ふっ、とケイの微笑みが、儚いものとなる。
不思議なことに、『こちら』に来るとそれが治ったんだよ。本当に不思議なことに、な……。だが、帰ったら多分、病気も元に戻ってしまうと思うんだ。だから、俺は……帰らないよ
……じゃあ、アイリーンは、どうすんだよ? 帰りたいんだろ?
続けて投げかけられた問いは、ケイが最も知りたくて、そして恐れるものであった。
皆の視線が、アイリーンに集中する。
……オレは、
俯いて、テーブルの上の自分の手に視線を落としたアイリーンは、なかなか答えられないようだった。
ケイの方を気にして―でも、直接視線を向けられなくて。
……ハッキリ言って、……本当に、よくわかんないんだ。ふざけてんのかって、思われそうだけどさ……
やがて、消え入りそうな声で、アイリーンは言った。
おどおどと、気弱にケイを見やる。 ……ホントごめん と、小さな呟き。
でも、……でも、オレは、ケイを一人で残してまで―
……いや、いいんだ、アイリーン
アイリーンの言葉を遮って、ケイは頭(かぶり)を振った。
迷う気持ちもわかるさ。俺だって、同じ状況だったら死ぬほど悩むと思う。……それをハッキリさせるために、俺たちはここまでやってきたんだろう
そう言って微笑みかけると、アイリーンは言葉に詰まった。
口を開いて―何かを言いかけて、しかし結局、俯いてしまう。
よし
と、場を静観していたセルゲイが、そのとき頷いた。
何が よし なのかわからないが、とにかく頷いた。
そういうことなら話は早い。行くぞ
……親父、行くって何処へ?
アレクセイの問いに、席を立ったセルゲイは、事も無げに答えた。
決まってるだろ。魔の森だ
次回 ちょっと魔の森行ってくる
―
*Dear foreign readers
Hi guys, I found my novel translated in English and have read it. It’s really a great job! However, in that translation, the Kei’s another name in DEMONDAL 『死神日本人』 was written “Jap the Ripper” but it is actually “Jap the Reaper”. Not “Ripper”. =) Of course it comes from “Jack the Ripper” but in this case… little bit different xD
51. 下見
前回のあらすじ
セルゲイ よし、魔の森行くぞ
一同 えっ
セルゲイの提案には驚かされたが、その真意は 取り敢えず『魔の森』を見に行ってみよう という軽いものだった。
屋敷でタチアナから簡単な食事を振る舞われ、セルゲイ・アレクセイの両名と共に村を出る。森は存外近くに位置するらしく、徒歩での移動だ。緑広がる草原をのしのしと縦断していく。
流石に今から森に入るのは無謀だ
ケイたちと隣り合って歩くセルゲイが、空を見上げながら言う。
八月も末、昼下がりの太陽は徐々に傾きつつある。あと数時間もすれば夜の帳が降りてくるだろう。森を外から眺めるだけならば兎も角、中に入るならそれなりの準備と―相応の『覚悟』が必要になる、とセルゲイは言っていた。
準備、か?
覚悟はわかるが、準備とは。森に踏み込むのに何らかの装備が必要とされるのだろうか。“竜鱗通し”を手に、周囲を警戒しながらケイは問うた。
森の周辺は狼の群れや得体の知れない獣が出現することがあるらしく、それらは例外なく凶暴なので気が抜けないとのことだった。曰く、双頭の大蛇。曰く、鋭い一本角の猪。 刃で倒せるだけ化け物よりマシ というのはセルゲイの言だ。
そう、準備だ。杭、ロープ、鎖……色々とな
ロープはわかるけど、杭と鎖ってのは?
投げナイフを差したベルトを指先で弄びながら、アイリーンが首を傾げる。
ロープと似たような使い道になるだろうよ。要は迷わないようにするための道具……だろうなぁ、多分
セルゲイの答えは、判然としない。
多分ってどういうことだよ
具体的にどうすりゃいいかなんざ、誰もわからねえんだよ。そもそも、あ(・)の(・)森にわざわざ踏み込むヤツはそういねえ。生きて帰ってくるヤツはもっと少ねえ
白銀色の大剣を担いだアレクセイが、アイリーンに肩をすくめてみせた。
一番最近、森に入って生還できたのは五十年前に挑戦した一人だけさ。あとはみんな行方不明か、昔過ぎて曖昧な言い伝えしか残ってない
へえー。でもいることはいるんだな、無謀なヤツってのも
ああ
アイリーンの言葉に、親子二人は揃って頷いた。
ウチの爺様だ
ケイとアイリーンは顔を見合わせる。この親にしてこの子あり、とは言うが―妙な説得力があった。
あれ? でも、そのお爺さんってのは……
頬に指を当てて、アイリーンが再び首を傾げる。先ほど紹介されたのは妻と娘たちだけで、祖父らしき人物は屋敷に見当たらなかったのだ。
ああ、おれがガキの頃ポックリ逝ったよ
アイリーンの疑問をいち早く察したアレクセイが答えた。
大往生だったなぁ、親父は。そもそもお袋より長生きだったしな。あの日、一緒に酒盛りしてたんだが、ワシが先に寝て、翌日起き出したらリビングで椅子に座ったまま死んでいた。酒が入ったカップを握ったまま、なぁ。最初はただ眠ってるだけかと思ってたんだが……あれには驚いた。だがああいう死に方も悪くはない
獅子のたてがみのような髭を撫でつけながら、空を見上げて感慨深げにセルゲイ。
そういえば、とその顔を見てケイはふと思う。アレクセイが確か二十代頭。セルゲイは見たところ五十代前半といったところだ。この世界の住人にしては、かなり遅めに子供を持ったようだ。
いや、―とケイは思い出す。ウルヴァーンの図書館で調べた北の大地と公国の歴史を。よくよく考えれば、セルゲイが若かりし頃は公国との間で紛争が起きていたはず。あるいは当時、彼はまだ結婚していなかったのかもしれない。たてがみのような金色の髪と髭の奥、ケイは、セルゲイの顔面に走る細長い傷跡を見て取った。
この獅子のような男もまた、かつては戦乱に身を投じていたのだろうか―
―ん?
過去に思いを馳せ、ぼんやりとしていたケイは、しかし視界の端に違和感を覚える。
遠方へ、焦点を結ぶ。
―何かいる
“竜鱗通し”に矢をつがえながらの言葉。唐突だがそこに確かな緊張を感じ取り、全員が自然に身をかがめた。
どこだ
護身用の短刀を引き抜きながら、周囲へ鋭い視線を走らせるセルゲイ。
あの木立の陰だ。今も動いてる
ケイの言葉に、そのまま視線を辿ったセルゲイは―ケイの言う『木立』が三百メートル以上離れていることを悟る。
……遠いな。狼か?
わからん。だが人ではない。大きすぎる
左手で矢と弓を保持したまま、右手で筒を作り望遠鏡のように覗き込む。周囲の光を遮断し、遠方を見やすくするテクニック。続いて親指を立てて距離を測り、大体の目測が合っていたことを確かめる。
……二メートルはあるな。姿勢が低い、狼かもしれん……しかし、北の大地の狼って確か灰色で小柄なんじゃなかったか?
そうだな、ワシもそこまでデカい狼はここらじゃお目にかかったことがない
気味が悪いな。正体がよくわからない
しばしの沈黙―
キンッ、とアレクセイが、大剣を指で弾いて音を立てる。
ケイたちは風下におり、距離も離れているので、『獣』にはまだ勘付かれてはいないはずだ。ぺろりと唇を舐めたケイは、“竜鱗通し”の弦に指をかける。
……少し脅かしてみるか
構わないか? と視線を向けると、セルゲイは頷いた。
やってみろ
了解
膝立ちの姿勢を取るケイ、その黒髪が草原を吹き抜ける風になびく。
彼我の距離、そしてこの向かい風―狙った方向に矢を飛ばすのは、容易ではない。
しかし、ケイにとっては不可能でもない。
目を凝らせば、見える。
風にそよぐ草原―それはまるで打ち寄せる波のように。
空気のうねりを、ケイに教えてくれる。
ざぁっ、と一陣の風がまた、吹き抜けた。
見えた。
一息に弦を引き絞る。
カァン! と快音。
放たれた矢は風に乗って、ゆるやかな弧を描きながら。
目標の木立に、吸い込まれるようにしてすとんと落ちた。
出てきた
直ちに、木立から飛び出してくる黒い影。
目を凝らす。それはしなやかな体つきの、全長は二メートル以上にもなるだろうか、猫に似た黒毛の四足獣だった。
なんだアレは……虎、か? いや、それにしちゃ細身だ。黒豹か?
よくわからんな。小さめの虎か?
黒い獣ってのはわかるが……
ってかそもそも見えないんだけど。どこ? どこにいんの?
取り敢えずとんでもない化け物ではなさそうなので、皆も立ち上がってケイよろしく目を凝らす。セルゲイ・アレクセイはまだ輪郭を捉えられているようだったが、アイリーンはそもそも何処にいるかさえよくわかっていないようだ。目の上に手をかざして、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。
ほら、あっちだアイリーン
……見えねえ
俺の指の先を見ろ
アイリーンの顔の横に手を添えて、ケイ。その腕を掴み、片目を閉じたアイリーンが頬をグイグイと押し付けどうにか見ようとするが、
あ、逃げた
えーマジかよ、結局見えなかったんだけど
まあ仕方ないな
どの木立? いくつかあるけど
あれだ、右から三番目の……
まず一番目ってどれだよ
密着したままイチャイチャし始めるケイたちに、地面に大剣を突き立てたアレクセイは、剣により掛かるようにして酷くつまらなさそうな顔をしていた。息子の様子に、くつくつと笑いを堪えるセルゲイ。
おい、若いの。乳繰り合うのもいいが日が暮れちまうぞ
セルゲイが声をかけると、ケイとアイリーンはそそくさと離れた。
すまん
別に、ただどこらへんにいたのか知りたかっただけだし
バツの悪そうなケイと、ぷんすか文句を言うアイリーン。ガッハッハ、と一笑いしたセルゲイは、今一度木立の方を見やり、
矢は回収せんでいいのか? 随分と良いものを使ってるようだが
……そうだな
問われたケイは、はたと考え込む。
手持ちの矢筒には、北の大地に持ち込んだ矢の中でも、選りすぐり質の良い矢ばかりを詰めてきていた。サティナの矢職人・モンタン謹製の一矢。確かにそんじょそこらの矢よりは信頼の置ける逸品だが―