いや、いい。探すのも手間だ。それにあの辺りにまだ獣がいるかもしれん

そうか、ならいいだろう

セルゲイも軽く頷いて流し、一同は再び歩き出した。

……それにしても、良い腕をしている

しばらくして、ちら、とケイを振り返ったセルゲイが野性味のある笑みを浮かべる。

そいつはどうも

そして素晴らしい眼を持っている。ドルギーフの氏族を思い出すな

腰の短刀の柄を撫でながら、セルゲイはどこか懐かしそうだ。

ドルギーフ?

どこかで聞いたような名前だったが、思い出せない。

北の大地でも、特に有力な氏族の一つだ

再び大剣を肩に担いでアレクセイ。

ウィラーフ、ミャソエードフ、ネステロフ、ジヴァーグ、パステルナーク、ヒトロヴォー、グリボエード、ドルギーフ。それが雪原の民を代表する八氏族だな

とくとくと語るアレクセイに、ケイも思い出す。確か公国の図書館で調べ物をしていたときに何度か目にした名前だ。

ウチの村は、北東部一帯を勢力下とするネステロフの系譜だ

アレクセイの言葉を引き継いだセルゲイが、ぐっと腕の力こぶを見せる。

我々は狼のようにしぶとく、猛牛のように強い。それに対しドルギーフの戦士は皆、鷹のような眼を持っている―ケイのようにな

ここに来て、ケイはセルゲイの意図に気付いた。

―『視力強化』か

フフッ。ドルギーフの戦士は特(・)に(・)誇り高い。奴らに会ったらその眼のことは隠した方がいいかも知れんな。連中は自分たちの眼を自慢に思っている、異民族で同じ眼を持つ者がいるとなれば……目玉をくり抜かれかねんぞ

ぐりぐり、と指で抉るような仕草をしてから豪快に笑うセルゲイだったが、冗談なのか本気なのか判断に迷うところだ。

が、それも大切だが、ケイにはもう一つ気になることがあった。

ひょっとして、氏族ごとに持つ紋章が決まってるのか?

何気ないケイの問いに、 は? とセルゲイ・アレクセイの両名が固まった。

……ケイ、それって自分が好きに選べてるって言ってるようなもんだぜ

腰に手を当てたアイリーンの言葉には、たしなめるような色があった。

その声に再起動を果たしたセルゲイたちは、顔を見合わせる。

まさか……ケイの故郷では、選べたのか?

ああ、……うん。まあな

確かに軽率な問いであった、というかそもそも訊くまでもなかった、と後悔するも、時既に遅し。ケイは気まずげに首肯した。

……どうなってるんだお前らの故郷は

まあそれなら、ケイのような異民族でも紋章の恩恵に与れるのは当然か……

セルゲイは嘆くように、アレクセイは納得するように。

いずれにせよ、自分たちが脈々と受け継いできた秘術が、選び放題だったというのは衝撃的であったらしい。二人ともどこか茫然とした顔をしている。

ケイの故郷では、どんな風に紋章を手に入れるんだ

直球。続けて放たれたセルゲイの質問は、おそらくは今まで敢えて避けていたひどく具体的なものだった。

アレクセイが 親父…… と少し咎めるような声を上げたが、ケイは構わず答える。

俺の故郷の場合、とある山に『Elders(長老たち)』と呼ばれる呪術師の集団がいてな。その山に辿り着き、特定の試練を突破した者に限り、試練に対応した紋章が与えられていた

……なるほど、その辺はワシらと変わらんな。ちゃんと試練はあるんだな。……ならば、まあ、よし!

腕を組んで、うむうむと頷くセルゲイ。

…………

課金アイテムで難易度を落としたとは、口が裂けても言えないケイであった。言ったところでそもそも理解できないであろうが―いや、賄賂を贈ったとでも受け取られかねない。いずれにせよこれ以上ボロを出さないようにと、口をつぐむ。

アイリーンは、そんなケイを若干呆れたように、それでいてある種、微笑ましげな目で見ていた。

……まあ、いくら優れた紋章をその身に刻んでいたところで、最後に物を言うのは個人の修練だ

真っ直ぐにケイを見て、セルゲイは言う。

ケイの弓も、修練の賜物なわけだろう

……そう、だな

仮初の世界(VRMMO)ではあったが―そこでの経験と修練は、確かにケイの中で息づいている。恵まれた環境、恵まれた肉体(アバター)、そして恵まれた紋章。これらを全て踏まえた上で、自らが積み重ねてきたものを『努力』と呼ぶのは、この世界の人々に対しあまりにおこがましい気もしたが。

だが―そう言うしかないのだ。

ケイは儚く微笑んだ。

が、次の瞬間、セルゲイは予想外のことを言い出した。

どうだ、ケイ。事が終わったら、ウチの村に住まんか?

えっ?

はっ?

間抜けな声を上げるケイ、そしてアレクセイ。

ケイは、いずれにせよこちらに残るんだろう? もし行先を決めてないんなら、ウチの村は悪くないぞ。冬は多(・)少(・)冷えるが、食べ物は豊富だ。森の獣もむしろケイにとっては獲物にしかならんだろう。ワシらは強い戦士を歓迎するぞ

セルゲイの言葉に、ケイは答えられなかった。

これからのこと―

漠然と、狩人になって日々の糧を得たり、危険な獣から人々を守ったりする生活ができれば、とは考えていたが。

しかし―どこで、どのように。

そんな具体的なことは、全く考えていないことに気付かされた。

…………

思わず黙考するケイ。

そして、その隣で、黙ってケイを見守るアイリーン。

……すまん、今はちょっとわからない。だが、

晴れ渡った空を、青々と広がる草原を、その果ての森を、視界の彼方の山脈を―

ざっと見渡したケイは、セルゲイに静かな眼差しを向けて、微笑んだ。

もし、行く宛が見つからなかったら―お願いしてもいいかな

構わんとも、こちらからお願いしたいくらいだ

……うん、そうだな。ケイならいいな

破顔一笑するセルゲイ、開き直ったように腕組みをして笑うアレクセイ。

―でも寒いのはちょっと苦手だな。

笑いながら、ケイはそんなことを考えた。しかし、心のなかにあったのは、ほのかな温かみだ。

男たち二人に肩を叩かれるケイを、アイリーンは、ただ眩しげに見つめていた。

おっ、見えてきたぞ

と、そのとき、セルゲイが前方を指差す。

見やる。

ケイの眼は、遥か彼方、鬱蒼と茂る森の威容を捉えた。

巨大な、そして黒々とした針葉樹の森。

太陽はまだ高くあるにもかかわらず、その奥を見通すことはできない―

あれが、

セルゲイの声に、かすかな畏(おそ)れの色が滲む。

―あれが、魔の森だ

~一方その頃~

サスケ この村の人参美味しいね

スズカ ね!

52. 魔境

『おお、凍える岩の狭間より湧き立つ、深く怖(おそ)ろしきものどもよ。

遥かなる高みより降り注ぐ陽光も、相競って吹き荒ぶ風も、おまえを避ける。

まるでもろともに、引き込まれるのを恐れるかのように―』

“北方紀行”より、著者・ハーキュリーズ=エルキン。

†††

雲のたなびく晴天のもと、霧の漂う黒い森。

異様だ。

一歩また一歩と近づくほどに、その不気味さをいや増していく。

森の入口にはまばらな木々。穏やかな気配の漂う緑の木立。風に合わせて幹は揺れ、涼やかな葉擦れの音を奏でる。木漏れ日も眩しく、落ち葉の混ざる腐葉土は、足取りに合わせてさくさくと軽やかに―訪問者の歩みをより楽しませ、奥へ奥へと誘(いざな)うかのようだ。

だが、十歩踏み込めばそこは別世界。

眼前を塞ぐ針葉樹の群れ。乱雑に、無秩序に、それでいて真っ直ぐに。寂寥感を湛え立ち並ぶさまは、まるで打ち棄てられた墓標のよう。

生命の息吹を感じない。

全てが死んだように静かだ。

孤立した領域。その境界線は明らか。

霧だ。

うごめき、たゆたうそれは、空に溶け込む灰の色。森を覆い、鷹の目を以(もっ)ても見通せず、石壁のように寒々しくそびえる。おだやかな晩夏の風も、あたたかな午後の陽光も、外界の尽(ことごと)くを寄せ付けない。

沈黙は、濃霧のヴェールに抱(いだ)かれて。

しっとりとした無音の世界は、鼓動と吐息を浮き彫りにする。

森から滲み出る、湿り気を帯びた空気は、ひしひしと肌に染み込むかのようだ。

しかし、全てを拒絶するように見えて、それは不思議と視線を惹きつける。

不気味さに圧倒されながらも、徐々に慣れていけば、刺激されずにはいられない。

これに触れればどうなってしまうのか? と。

そんな無邪気な好奇心を―

―ケイ!

アイリーンの声に、ケイはハッと我に返った。

眼前、霧の壁が手の届きそうなところにまで迫っている。

いや違う。

ケイ自身が、いつの間にか木立に深く分け入っていた。

おい、ケイ! しっかりしろ!!

アレクセイが背後から、ケイのマントの首根っこを掴んで引きずり寄せる。ふらふらと尻もちをつきそうになりながら、ケイは転がるようにして後ずさった。

ケイ、大丈夫かよ! どうしたんだ!?

あ、ああ……。すまん、大丈夫だ

頭(かぶり)を振りながら、ぱちぱちと目を瞬く。駆け寄ってきたアイリーンが、心配げにケイの頬に手を添えて、その顔を覗き込んだ。

……俺は、どうしてたんだ?

どうしたもこうしたもないぜ! オレたちが近づくの躊躇ってたら、ケイだけ勝手にズンズン進んでいくんだもん。びっくりした……

ケイの瞳に理性の光があることを確認し、ホッと胸を撫で下ろしたアイリーンは、そのままへなへなと座り込んでしまいそうだった。

いやービビったぜ、あのまま森に入っちまうかと思った。何の準備も無しに突っ込むのはいくらなんでもおっかねえや

濃霧とケイとを交互に見やりながら、額の汗を拭うアレクセイ。

まるで魅入られているようだったな

唸るようにして言ったセルゲイは、ぼりぼりと頭を掻いて申し訳なさそうだ。

すまん。なにぶんあっという間のことで、止めるのが遅れた

オレたちもボーッとしてたけどさ……もう、……ホントびっくりした

ほう、と溜息をついたアイリーンは、捨てられた子犬のような顔でケイを見やった。そしてケイが再びふらふらと独りで歩いて行ってしまうのを恐れるように、マントの裾をちょこんと指でつまむ。

いや、俺こそすまん、だがもう大丈夫……だと思う

とは言ったものの、よく憶えていない―というより全く自覚のなかったケイは、我ながら半信半疑だ。

今一度、落ち着いて森を眺める。

影を落とす巨大な針葉樹のせいで、昼間であるにもかかわらず辺りは薄暗い。木々の合間を漂う濃霧、目の前に灰色の壁が立ち塞がっているかのような圧迫感。霧は森の外には一寸たりともはみ出してこず、実はガラスで隔てられてるんじゃないか―などと考えてしまうほど、異様な光景だった。

じっと見つめていると、胸の奥がざわついて仕方がない。

ただ、今も尚、森に何か惹かれるものを感じているのは、確かだった。

……なかなか素敵な場所じゃないか

場を和ませようと冗談交じりに口にしてみたが、笑える気分ではないらしく、皆一様に硬い顔で反応はなかった。

……ここに、手がかりがあるのかな

しばらくして、ケイのマントを掴んだままのアイリーンが、独り言のように呟いた。

ケイは、それに答えられない。ケイ自身もまさに同じことを考えていたからだ。北の大地、魔の森に来れば転移の謎が解けるはず、と―そう信じてここまでやってきたはいいものの、いざ実物を目の前にしてみると、どうするべきかがわからない。

……俺たちが、『ここ』に来る直前に見た霧に似ているな

ゲーム内、要塞村ウルヴァーンに向かう道中に湧いていた霧を思い出しながら、ケイはアイリーンを見やった。

そう、だな。ってことは……

それに首肯し、アイリーンは緊張の面持ちで口をつぐむ。

―あの中に入ったら、元の世界に帰ることに?

アイリーンの心の呟きが、聞こえた気がした。

……うぅむ

難しい顔で、ケイは唸る。霧の中に入れば元の世界に帰れる―その仮定は、ケイにとってはむしろ都合の悪いものだ。ケイ自身は地球に帰るつもりがない。この肉体(アバター)を維持できるなら喜び勇んで帰ろうというものだが、実際はゲームの中に戻るか、生命維持槽の中で目を覚ますのが関の山だろう。

それは、御免だ。

動かない四肢、骨が筋肉を蝕み侵していく痛み―不意に、幻肢痛のような感覚に襲われたケイは、嫌な記憶を振り払うようにぐっと拳に力を込める。

もう二度と、あんな思いはしたくなかった。今ある『奇跡』にケイが感謝を欠かしたことはない。仮にこれを失うとなれば、余命云々の前に生きる気力をなくしてしまう。

だが、だからといってこの霧の中にアイリーンを一人で送り出すわけにもいかない。

思い悩むケイだったが、そこでふと『森の賢者』の話を思い出した。

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