ちらりと隣を見れば、肩の触れ合う距離で寝転がったアイリーンも、どうやら眠れずにいるようだ。ケイの瞳は暗闇の中でも、アイリーンの耳が微妙に赤くなっていることを見て取る。
……お盛んなことで
まったくだよ
ぼそりとケイが呟くと、話しかけられるのを待っていたかのようにアイリーンも即座に答えた。
あんまり恥ずかしがらない……お国柄? なのかな
わかんない
どこかぶっきらぼうな口調で、アイリーンは答えた。そもそもロシア人と雪原の民は違うので、一概には言えないだろう。その上ここは地球とは異なる世界だ。サティナやウルヴァーンで宿屋暮らしをしていたときも、隣室から男女の営みの声が聴こえてくるのは日常茶飯事だったが(むしろケイたちもその音源の一つだった)、今日出会ったばかりとはいえ、知り合い(エリーナ)のそういう声が聴こえてくるのは、なんとも複雑な気分だ。
ごろりと寝返りを打って、アイリーンの側へ肘をついたケイはおもむろに切り出す。
俺たちも対抗してみるか?
なっ
アイリーンは顔を隠すように、掛け布団をずり上げた。
カンベンしてくれよケイ……
耳だけではなく、頬から首までアイリーンは真っ赤になっていた。もう幾度と無く体を重ねており、今更互いに恥じらうような間柄でもないが、やはり他人の家でそういうことに及ぶのには羞恥心的にダメらしい。アイリーンは変に真面目なところがあるのだ。
…………
が、ふと悪戯心のようなものが芽生えたケイは、そのままアイリーンの頬にそっと手を添える。
アイリーン……
えっ、ちょっと、
アイリーン、愛してる
あっ……って、もう! ケイってば、ちょっと! んむっ
アイリーンに口づけると、それは受け入れたまま、ケイの胸板をぽこぽこと抗議の拳が叩いた。
が、全く力が入っていない。これはイケる方のアイリーンだ、とケイは確信する。
……。もう。ケイのばか
拗ねたような顔で唇を引き結ぶアイリーン。しかし同時にどこまでも無防備だ。白い肌着に手を差し込み、脇腹をくすぐるようにして撫でると、くすくすと笑いながら身をよじったアイリーンは、お返しとばかりに強引にケイの頭を抱き寄せた。
―ケイ。愛してる
情動のままに、二人は互いを貪った。
必死で声を抑えるアイリーンがあまりに愛らしかったので、思わずケイも羞恥心を忘れ燃えてしまった。アイリーンも何だかんだで盛り上がってしまったらしく、最後の方では色々と自重するのを忘れていたようだ。
事後、明日皆に合わせる顔がないとアイリーンはいたく恥じらっていたが、旅の疲れや諸々も相まって、ケイの腕を枕にスヤスヤと寝息を立て始める。
…………
気だるげな眠気を感じながら、ケイはアイリーンの寝顔を眺めていた。
これが、最後になるのかもしれない、などと考えていた。尋常ではない魔の森に、滅多とないシーヴの自発的な行動。明日、森に踏み入れば、何らかのことがあるだろうとケイは予想している。
―正直なところ、やっぱりイヤだった。
アイリーンには帰ってほしくない。まだまだ、アイリーンを愛し足りない。
ずっと一緒に暮らしたい。どこかで平和な家庭を築いて、共に何気ない日常を過ごしていきたい―
心の内に、愛しさと、そんな欲求がとめどなく溢れ出てくる。
だが、同時にわからなくなるのだ。アイリーンの幸せと平穏を願うならば、こちらの世界よりも地球の方が良いのではないかと。常にその思いがついて回る。
『どうしたらいいんだろうな……』
囁くようにして、ケイはアイリーンにわからぬよう、日本語で呟いた。
『一緒にいてくれ。どこにも行かないで……一人にしないでくれ……』
くしゃっと顔を歪めたケイは、眠るアイリーンの額にそっと口づける。
……愛してる、アイリーン
皆も寝静まったのか、辺りは物音ひとつしない。
ケイはそっとまぶたを閉じた。
次回、魔の森へ突入。
ところで、作中の『箱ベッド』はこんな感じのものです。
マットレスに相当する麻袋の中に藁とか色々詰め込んであります。木の枠があるので端っこに行き過ぎると当たって痛い。
53. 突入
前回のあらすじ
ベッド ギシッ、ギシッ、ギシッ
サスケ 若さっていいねえ
スズカ ね
サスケ 僕もそろそろお嫁さん探そうかな
スズカ ……わたしじゃダメなの?
サスケ 僕、馬じゃないからねえ
スズカ そう……
鳥の鳴き声に、目を覚ました。
閉め切った雨戸の隙間から、高く昇った陽光が差し込んでいる。ベッドに寝転ぶケイは、ぼんやりと寝ぼけ眼でそれを眺めていた。
傍らに人肌のぬくもりを感じる。愛くるしい、いつまでも抱き締めていたくなるような温かさ。
ケイの腕に縋るようにして、アイリーンが寝息を立てている。無意識のうち、ケイの手はアイリーンの背筋をなぞっていた。白磁のような肌。しばし、指先に伝わる滑らかな感触に陶然とする。背中を往復する指に少しくすぐったそうにしながらも、アイリーンはむにゃむにゃと、まだ夢の中だ。
その穏やかな寝顔を、愛おしげに見守るケイ。
が。
(―あれ、今何時だ?)
不意に冷水を浴びせられたような感覚に襲われる。
明るい。部屋の外が明るすぎる。今日は早朝から魔の森に挑む予定ではなかったか。しかし、少なくとも、この日差しの高さは朝ではありえない。
しまったッ
ともすれば昼前。思わず跳ね起きるケイ、支えになっていたケイの腕がなくなり、枕に顔を埋めて んぎゅっ と声を上げるアイリーン。
……ん? ……ん。……ケイ、おはよ
ベッドの中、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、ぱちぱちと青い目を瞬かせるアイリーン。しばし視線を彷徨わせ、ケイの姿を捉えて、安心したようにふにゃりと笑う。
あ、ああ、おはよう……
とりあえず、アイリーンに合わせて笑顔を浮かべるケイは、しかし口の端が引き攣っていた。どこか挙動不審な恋人に目を擦りながら首を傾げるアイリーンだったが、ケイの視線を辿り、―燦々と雨戸から差し込む陽光に気付いた。
すっ、とアイリーンが真顔になる。
……えっ、待って待って、ケイ、今何時?
……わからん
顔を見合わせる二人。
―寝過ごした。
転がるようにしてベッドから飛び出した二人は、大慌てで床に散らばった服を身につけ始めた。
†††
おお、起きたか
どうにか身支度を終えたケイたちがリビングに駆け込むと、テーブルで何やら帳簿をつけていたセルゲイが暢気に声をかけてきた。
すまん! 今日は朝から森へ行く予定だったのに―
なぁに、気にするな
ケイの言葉を遮って、ひらひらと手を振るセルゲイ。
旅の疲れもあっただろう? 寝かせておくことにしたんだ、別に魔の森は逃げやしないからな
急がなくていいし、今日が無理なら明日にすればいいじゃないか、と。あくまでも、のんびりとした様子のセルゲイに、ケイたちも落ち着きを取り戻す。
そうだ―何も、急ぐ必要はないのだ。
これまで、追い立てられるように旅してきたせいで、少しカリカリしすぎていたのかもしれない。そう意識してみると、前のめりになって慌てていた自分たちが滑稽に思えてきて、ケイとアイリーンは顔を見合わせて苦笑した。
そうだな、それもそうか。……今、何時くらいだ?
おいおい、こんな田舎に時計があるとでも思ってんのか?
だいたい昼過ぎだよ、とお手上げのポーズで答えるセルゲイに、ケイはますます苦笑の色を濃くする。おそらく現在、シャリトの村に存在する時計は、ケイたちの荷物に仕舞われている懐中時計ひとつだけだろう。
それにしても、ケイもアイリーンも、本当にぐっすり眠ってたな
ああ、そうだな……お陰でゆっくり休めたよ。随分と長い間、眠っていたような気がする。昔、病気でほとんど意識もなく半年以上寝込んだことがあるんだが、それに似た感じだ
額を押さえて、頭を振りながらケイ。本当に、不思議なことに、かなりの長期間に渡って眠り込んでいたような感覚があった。
意外だな、お前はそんな大病しそうな人間には見えないが。まあなんだ、とりあえず茶でも飲めよ。長旅に加えて戦いにまで巻き込まれたんだ。そうそう疲れは取れんさ
ありがとう
セルゲイに勧められて席につき、 ほれ と薬缶に作り置きされていたハーブティーを貰う。揃ってカップに口をつけるケイとアイリーン―
にしても、昨日は随分と激しかったな。結局何回ヤったんだ?
が、突然ゲス顔になったセルゲイの問いに、 ブフォ と同時に茶を噴き出した。
ゲホッ、こほっ!
な、何言ってんだあんたは!
むせるアイリーン、どもるケイ、そんな初心な二人の反応に グヘヘ とさらにゲス顔を濃くするセルゲイ。
いやいや、わかるぞぉ~、よぉ~くわかるぞぉ! 旅だと気軽にできないもんな? な? 久々だったんだろ? 我慢した分、燃えちまうってのはよくあることさ! いやぁ良いねえ良いねえ、若いねえ!
手をわきわきとさせながら、何やら一人でうんうんと頷いたり勝手に納得したり盛り上がったりと、忙しないセルゲイ。アイリーンは頬を染めてそっぽを向き、ケイは憮然と腕組みしている。そんな二人を見て、セルゲイはますます大笑いした。
……それで、今日はどうする?
ひとしきり二人をからかってから、少しばかり真面目なトーンでセルゲイ。
うぅむ……森にアタックするには……
ちょっと遅い気がするなぁ……
ケイとアイリーンは揃って難しい顔で、部屋の窓から既に高く昇り切った太陽を見上げる。森に入って何をどうするか、具体的なヴィジョンがあるわけではない。ケイたちの目的は、おそらく森のどこかに居る『賢者』―もしくはそれに類する存在―と邂逅し、元の世界への帰還が可能か確かめることだ。賢者が実在しなければ元も子もない話だが、あの怠慢で気まぐれな風の精霊シーヴがわざわざ道を示したということは、きっと『何か』があるはず。
問題は、肝心の賢者が森のどこに棲んでいるのかさっぱりわからないことだ。賢者の住処を探すため、危険極まりない魔の森を彷徨い歩かなければならない。季節は晩夏、まだ日は長いとは言え、森に入るのは早朝からにしたいところだ。
ふーむ……とりあえず試してみたらどうだ?
神妙な顔で、ぱたんと帳簿を閉じてセルゲイ。
……『試す』とは?
ぶっつけ本番で森を探索するのもおっかないだろう。一応、昨日下見に行ったとはいえ、親父の遺した『魔の森探索装備』も実際に上手く使えるかどうかもわからんしな。まず予行演習してみてもいいんじゃないか?
本格的な探索は明日以降にするとして、実際に『霧の中に踏み込む』練習をしてみてもいいのではないか、とセルゲイ。
随分と慎重な姿勢だが、彼らの語る”魔の森”の危険性を鑑みれば、妥当な判断かもしれない。どうせ、このまま村に留まっても、そわそわと落ち着かない気分でのんびりできないのだ。ケイたちはセルゲイの提案に乗ることにした。
昼食を馳走になってから、セルゲイの父親が考案した『魔の森突撃用装備』を改めて借り受ける。道標となる小さな杭、互いを結びつける革帯と鎖―中でも特に大切なのは、100メートル近い長さを誇る命綱だろう。セルゲイ曰く、これは彼の父親が長い年月をかけて編み上げたもので、村に存在するロープの中で最も長いものだという。無論、森を探索するには短すぎるが、『肝試し』程度に霧の中へ踏み込むには充分すぎる長さだ。
このロープを腰に括り付け、もう片側を森の外に待機した誰かが保持しておく。時折軽くクイクイッと引っ張って合図とし、仮に合図が返ってこなければ精神に異常をきたしたか、何らかの問題が起きたと判断。迅速に引っ張って救出することができるというわけだ。
で、それはわかってたんだが
準備を整え、再び森に出向いたケイは、背後を振り返って一言。
……なんか、多くないか?
みんな興味があるってよ
からからと笑うのはアレクセイだ。
魔の森のほとり。
セルゲイとアレクセイの親子二人以外に、ぞろぞろと列をなしてついてくるシャリト村の住人たちの姿があった。皆、サンドイッチのバスケットや酒瓶を携えており、森に着くや否や思い思いに敷物を広げて酒盛りを始め、宴会のような様相を呈している。
そんな彼らの酒の肴は、他でもない、異邦の旅人―無謀にも魔の森へ挑もうとする二人組だ。ケイは鎖帷子を装備し、矢筒と長剣を腰に下げ、“竜鱗通し”を携えた軽装。アイリーンもサーベルを背負い、黒装束を身に着けた、いつもの格好だ。