バーナードでさえ無事では済まないであろう高さから降り立ち、しかし、何ら痛痒を感じさせることもなく、無言で立つ。
ローブを纏い、フードを目深にかぶっているため、顔を検めることはできない。ただ全員が、何かしらの武器を携えていた。あるいは、剣。あるいは短刀。あるいは戦槌。あるいは槍。
そしてその武具には、ことごとく黒々としたおぞましい紋様が刻まれていた。
もし、バーナードが普通の人間であったなら、全身に鳥肌が立っていたことだろう。
あまりにも禍々しい気配に。
―それらは、全て、強力な呪詛が刻まれた呪いの武器だった。
残念ながら終わりだ、バーナードとやら
トントンとバトルハンマーで肩を叩きながら、デンナー。
チッ
舌打ちしたバーナードは、咄嗟に跳躍して不気味な包囲網を突破しようとしたが、すんでのところで思いとどまる。
先ほどから一言も発さない、闇色のローブの戦士たちからは―恐ろしいほどに何の気配も感じられなかった。
だが、その無音の圧を、バーナードは敏感に感じ取る。
おっと、命拾いしたな。……気をつけろよ。こいつら全員、俺より強えぞ
思いとどまったバーナードに、感心したように笑うデンナー。
流石の人外の化け物も、これには困った。手元にはロクな装備がなく、炎の吐息(ブレス)抜きでは勝ち目がないと思わせられるような強者が、八人も完全武装で包囲している。
この闇色の戦士たちに火炎放射を試みるのも手だが―何となく、無駄であるような気がした。どうせこいつらも火避けの魔道具を持っているか、当然のように回避されるか、そんな未来(ヴィジョン)しか浮かばない。
手負いの獣のように、ある種の闘争心と諦念を秘めたような顔で、バーナードは眼前の傑物―デンナーを睨む。
おう、バーナード。……お前、ここで死ねよ
あァ?
何を言ってやがる、と顔をしかめるが、続く言葉に固まった。
そんで、死んだと思って、俺のトコに来い。……お前は面白いヤツだ。ここでただ死なせるのは、ちと惜しい
不敵な笑みを浮かべたまま―そう、それは覇者の貫禄とでも言うべきものか。一種独特な気配を漂わせるデンナーの言葉に、さしものバーナードも、咄嗟には返事ができなかった。
……何を企んでやがる
企むも何も言った通りだ。お前は面白い。ここで死なせるには惜しい。それだけだ。それとも、無為な死がお望みか?
デンナーの言葉を受け、周囲の戦士たちがゆらりと武器を構えた。―無音に秘められていた殺意が、牙を剥く。
…………
お前に興味が湧いたんだ。流石に、好き勝手させるわけにはいかんが、それなりにもてなそうじゃねえか
俺ァこの村をぶち壊したんだぞ。お前は領主様なんだろ?
正確には領主じゃないな。だが、いずれにせよ、この村の木っ端どもよりも、お前の方が面白そうだし、珍しいのは確かだ
ニヤリッと、本心からの言葉としか思えないような、ある種無邪気な笑みをデンナーは浮かべた。善悪を超越した、純粋な好奇心がそこにはある。
故に、それは化け物の心にも響いた。
……カハハッ
短く、バーナードは笑う。
元より、彼には、選択肢などないのだ。
その日、公国から小さな村が消えた。
だが、そのことを知る者は、あまりに少ない―
幕間終わり。次回からようやくほのぼの移住編です。
あと活動報告やTwitterでもアナウンスしましたが、ペンネーム変えました。
甘木智彬(あまぎともあき) です。今後切り替えて参る所存……!
これからも朱弓共々、どうぞよろしくお願い申し上げます。
58. 帰還
移住編、始まるよ~
起伏のほとんどない、なだらかな平野が広がっていた。
草原―と、呼ぶには、いささか乾いた印象を受ける。からりと晴れ渡った空の下、水気に乏しい草がかさかさと風にそよぐ。
と、それに紛れるようにして、トタタッ、トタタッと軽快な蹄の音。土煙を巻き上げながら並走する、四騎の騎馬の姿があった。
おっ、見えてきたな!
先頭、“竜鱗通し”を手に、サスケを駆るケイは顔をほころばせる。
ディランニレンだ!
指差す先には、まるで岩山のような城壁に守られた、堅固な都市。
北の大地と公国の境目―緩衝都市ディランニレン。
おっ、マジか!
ケイの言葉に答えたのは、やや斜め後方で栗毛の馬を駆るアレクセイだ。馬上で手をかざし、目を細めた金髪の青年は、すぐに諦めてお手上げのポーズを取った。
ダーメだ、さっぱり見えねえ!
ケイの目でやっと見えたってことは、まだまだ遠いな
ケイの隣でスズカに跨るアイリーンが、からからと笑っている。
なぁに、夕方までには着くだろうさ
灰色の馬に跨ったセルゲイは、相変わらずマイペースだ。
―夏の終わり。
街道を避け、北の大地の中央部を縦断したケイたちは、今まさに、公国へ帰還しようとしていた。
†††
オズに見送られて館を出たのは、一週間ほど前のことになる。
別れ際にオズが言っていた通り、霧の中を二歩も進めばそこはもう森の外れだった。流石はオズの旦那だ、などと話しながらシャリトの村へと戻るケイとアイリーンだったが、しかし、すぐには村に入れてもらえなかった。
というのも、村人の多くは既にケイたちは死んだものと思っていたらしく、見事生還を果たした二人を怪物か悪霊の類だと信じて疑わなかったのだ。アイリーンが 怪物や悪霊は霧の外には出てこれないはずだろ! と主張したが、門番の村人は類稀なる慎重派―あるいは臆病とも言う―で頑なに門を開けようとしない。
結局、騒ぎを聞きつけたアレクセイが村の壁をよじ登って外に飛び出し、二人に直接触れて生者であることを確認してから、ようやく村の門は開かれた。怪物でないとわかればみな現金なもので、そのまま担がれるようにして村の集会場へ連行された二人は、酒や料理でもてなされながら魔の森の話をせがまれた。
魔の森での出来事、及びオズについての説明は、ケイはアイリーンに丸投げした。
単純に、『並行世界』という概念の説明が、ケイたち・村人の双方にとって公国語(イングリッシュ)では難しかったのと、情報を取捨選択するのはアイリーンが雪原の言語(ルスキ)で話した方がやりやすかろうと判断したためだ。
オズの『指輪』の件など、伏せておきたい情報はいくつかある―
ケイはロシア語がさっぱりなので、その場ではアイリーンが語る姿を眺めながら飲み食いするしかなかったが、あとから聞いた話によると、森で遭遇した怪物のこと、オズという『賢者』のこと、異世界の概念を説明するに留め、二人の故郷たる地球についてはサラッと流したそうだ。
大地と空と海が『世界』の全てである村人たちに、並行世界の概念を説明するのは骨が折れた、とアイリーンは語る。最終的に、悪霊や精霊を引き合いに『現世とは異なる魂の世界』の概念を応用して、漠然と別世界という概念を説明したらしい。
アレクセイとか、頭の柔らかい奴は、何となく理解してたっぽい。それ以外の連中は……ありゃ別の大陸の話か何かくらいにしか考えてないな
と、アイリーンは肩をすくめていた。
その後も、飽きもせず魔の森の話をせがまれたり―特に霧の巨人とケイが対決した話が人気だった―村の男たちと一緒に狩りに出かけたり、シャリトの住人たちに歓待されながら、だらだらと数日を過ごした。セルゲイなどは、二人揃っての移住を盛んに勧めてきたが、そんなある日、ガブリロフ商会の使者が村を訪れた。
なんでも、商会はケイたちの行方を探しているらしい。目的は言わずもがな、瀕死の重傷者を死の淵から救い出したケイの”秘術(ポーション)“だろう。商会の皆は、二人の旅の目的地がシャリトの村であったことをしっかり憶えていたらしく、わざわざ二人が辿り着いていないか確認しに来たのだ。
馬賊襲撃のあらましと、商会を強引に離脱した件は、村人たちにもあらかじめ話してあった。厄介な気配を察して、使者に応対したセルゲイは機転を利かせた。
ああ、その二人ならしばらく前に村に来たぞ。その後は魔の森に向かって霧の中へと入っていったが、それきり帰ってこない
もし二人を探しているなら魔の森に行ってみたらどうだ、とセルゲイが言うと、使者は護衛の戦士たちと顔を見合わせ、 商会の指示を仰ぐ と言い残し急いで引き返していった。それとなく物陰から状況の推移を見守っていたケイとアイリーンは、その慌てぶりに苦笑したものだ。
このまま身辺を探られるのも面白くなかったので、名残惜しくはあったが、二人は村を発つことを決めた。
商会が新たな行動を起こす前にとっとと帰ってしまおう、ということで、翌日には村を出た。村人総出で見送られ、惜しまれながらの出立だ。
ディランニレンまでの旅路には、セルゲイとアレクセイが同行することとなった。
商会の情報網に引っかからないよう、街道は使わずに、広大な平野を南西へ直接突っ切るルートを進む。公国の地図には載っていなかったが、平野にも泉や小川など水源があるらしく、小さな集落が点在しているそうだ。アレクセイも公国からシャリトの村に帰る際は、このルートを利用したとのこと。
ちなみにこの道案内の対価として、セルゲイが要求したのはケイたちの地図だった。正確には、その内容。ウルヴァーンの図書館の有料サービスで描き写してもらったその地図は、北の大地の住人たるセルゲイたちが驚くほど精確なものだった。
いかんせん、北の大地は広いからな。氏族の領地内に限った地図ならまだしも……北の大地全体の地図となると、本家の連中ですらここまで詳しいものは持っとらんぞ
出立前夜、居間のテーブルで地図を書き写しながら、セルゲイは言った。
図書館で聞いた話によると。この地図は、告死鳥(プラーグ)の魔術師を用いた人海戦術で空から見た景色をそのまま紙面上に落とし込んだものらしい。まさに『鳥瞰図』というわけだ。ただ、街道沿いや豊かな西部地域を重点的に描いているため、目ぼしい集落のない東部や辺境は調査が省かれている。
いくらか不完全な点もあるが、他の氏族の領地―特に西部が詳しく描かれている。この地図はいつの日か、我が氏族に恩恵をもたらすだろう
いかなる恩恵か、とはケイたちも尋ねなかった。
ただ、その時のセルゲイは戦士の顔をしていた―
ディランニレンに到着したのは、ケイがディランニレンを目視してから数時間後。日が傾き始めてからのことだった。
相変わらず、平原の民と雪原の民が入り混じるこの都市は、ぴりぴりとした空気に包まれている。馬賊の脅威は去ったが、草原の民への風当たりは依然として強いままだ。いや、むしろ悪化したと言っていい。北の大地側の門番たちとは、ケイの容姿を巡って当然のように一悶着あった。
来たときと同じように公国の身分証を提示して事なきを得たが、あのまま騒ぎ続けていればガブリロフ商会の人間に嗅ぎつけられたかもしれない、とケイは思う。
ケイはフードで顔を隠し、足早に街の雑踏を突っ切った。
それじゃあ、俺たちはここまでだな
公国側の門の前。普段は市場が開催されている、しかしこの時間帯は閑散とした広場で、どこか寂しげにアレクセイが言う。
アレクセイとセルゲイの親子は、今夜はディランニレンに宿を取り、ついでに買い物などをしてから村へ戻るそうだ。対するケイたちは、トラブルを避けるため早々に街を出て、今夜は野宿の予定だ。この頃は野宿続きだったので宿屋のベッドが恋しくもあるが、こればかりは仕方ない。
…………
しばし、その場に沈黙が下りてきた。広場を通りすがる町の住民たちが、黙って見つめ合う四人組を怪訝そうな顔で見ている。
ケイとアイリーンは、公国へ戻る。
アレクセイとセルゲイは、シャリトの村へ帰る。
それぞれ両国の反対側と言ってもいい位置関係だ。馬を全力で駆けさせれば二週間足らずの距離ではあるが、それでも遠い。特に、この世界にあっては―
互いに、それぞれの日々の暮らしもあるし、ここで別れれば、もう二度と顔を合わせる機会もないかもしれない。
思えば、不思議な縁だったな
やがて、アレクセイが口を開いた。平静を装っているが、やはり少し寂しそうだ。
……そうだな。まさか、また出会うことになるなんて思ってもみなかった
しみじみと、ケイは頷く。足元の影法師に視線を落としていた。夕暮れ時。四人の影がそれぞれに長く伸びている。フードをかぶっていて良かったかも知れないな、とケイは思った。自分が今どんな表情をしているのか、わからない。