コウたちはおそらく、全力で距離を取ろうとしているが、当然、どこかで馬の体力に限界が来る。あるいは人里―そんなものが在(あ)ればの話だが―に辿り着けば、そこに立ち寄ろうとするはずだ。バーナードが体力の許す限り、ひたすらに走り続ければ、確実に距離を詰められる。

そして追跡し始めてから気づいたが、バーナードは新たに鋭い嗅覚も獲得していた。それは本来、ゲームでも設定はあったが、プレイヤーへのフィードバックまでは再現されていなかった竜人固有の性質の一つだ。

それが現実化したことで、今やバーナードは、馬の蹄の跡とともにその場に残された濃い獣臭をも嗅ぎ取ることができていた。昨日、自分の乗騎を『臭い』と感じたのは、この嗅覚のせいもあったらしい。

これで、万が一にも逃がすことはない、と。

バーナードはそう思っていた。

―木立を抜け、川に行き当たり、足跡が水の中に消えていくのを見るまでは。

なっ……

さらさらと流れる小川を前に、バーナードは呆然と立ち尽くす。

足跡が川の中に吸い込まれ、綺麗に洗い流されていた。水のせいで臭いを辿ることもできない。慌てて上陸地点を探そうとしたが、少なくとも歩いて回れる範囲には見受けられなかった。どころか、川は下流で幾つかに分かれていた。これら全てを調べて回るのは今日中には難しい。そして、そうするうちにも、コウたちは遠ざかっていく―

コウたちの方が、一枚上手だったというわけだ。そう思い至り、再び頭に血が上る。

……ガアアアアアアァァッ、クッソがあああああァァァァッッ!

バーナードは吠えた。怒りが抑えられず、そのまま口から炎を吐く。

竜人最大の特徴、『炎の吐息(ブレス)』。“飛竜(ワイバーン)“よろしく、特殊な歯を打ち合わせて火花を出し、体内で生成される可燃性のゲルに引火させて吐き出す物理的な火炎放射だ。少なくとも、今のバーナードの感情を表すのに、これ以上相応しいものはなかった。

ヴァアアアアアアアァァァ―ッッ!

炎の舌が水面を撫でる。川岸の倒木が黒煙を吹いて燃え上がる。鱗に覆われた異形が火を撒き散らしながら暴れ回る様は、まさに心胆を寒からしめる光景だ。

だがそんな狂乱の時も長くは続かない。限界まで火を吐き、文字通り燃料切れとなったバーナードは、虚脱状態で座り込む。

……クソが

右手の古びた戦槌(メイス)でガリガリと地面を削りながら、毒づく。

……クソッ、腹が減ったッ!!

やおら立ち上がるバーナード。火を吐いたせいか、無性に空腹を覚えていた。これはゲーム内にはなかった感覚だ、などと思いつつ水面を睨む。そのまま飲用に耐えそうな透き通った水の中には、魚が元気に泳いでいる。

……食うか。カハハッ、焼き魚なんてしばらく食ってねえなァ!!

獰猛に笑い、傍らの岩を拾い上げる。ボウリング玉ほどの大きさのそれを、振りかぶって思い切り川面に叩きつけた。

まさに、豪速球。ド派手な水しぶきが上がり、衝撃で気絶した魚がぷかぷかと浮かび上がる。怒りも忘れ、バーナードは子供のように、喜々として獲物を手掴みした。

よっし、串は……無(ね)えから枝を刺して、っと。鱗も食いたくねーよなぁ、内臓も引っ張り出すか

指先の鋭い爪を使い、適当に下拵えする。幸い、というべきか火には困らなかった。燃え盛る倒木の近くに何本も枝を刺し、適当に焼き上げていく。幾つかは火に近すぎて黒焦げになってしまったが、バーナードは気にしない。

鋭くなった嗅覚で香ばしい匂いを楽しみ、大顎を開けてかぶりついた。

…………。まァこんなもんか

もごもごと小骨ごと魚肉を味わい、少し白けた様子でバーナード。

美味いことには美味いのだが、いかんせん味が薄かった。コウがいれば塩があったのだが、と思ったところでまた腹を立てる。数分前までの機嫌の良さはどこへやら、尻尾をゆらゆらと振りながら、再び不機嫌顔になったバーナードは無言で魚を食べ始める。怒るのにも、エネルギーは必要なのだった。

……あー食った食った。でもやっぱ肉の方がいいよなァ。クソッ、鳥ならそこら中にいるのに、俺ァ飛び道具は苦手なんだよなァ~

魚の串焼きを全て平らげ、それでも不満そうに、バーナードは木々の間を飛び回る鳥に視線をやった。野鳥たちは敏感に、不穏な気配を察したのか、すぐにその場から遠ざかっていく。

チッ、まあいい、行くか

栄養は補給できた。無論のこと、追跡を諦めたわけではない。仕方がないので、己の勘に賭けることにした。

……下流にすっか

仮に自分がコウたちなら、どうするかという話だ。平和な生き方を模索しようとするなら、人里に行こうとするだろう。バーナードはこの時点で、自分がゲームに酷似した世界にいると信じて疑わなかった。故に、全ての考え方にも、ゲーム内及び人間社会の常識を適用する。

清涼な川があるなら、人が集まるはず。

木々の生い茂る、森のようなこの地形を鑑みたとき、集落が発生しやすいのはどちらだろうか? ―考えるまでもない、確率的には下流だ。

バーナードはもはや迷うことなく、胃に負担にならない程度の速度で走っていく。

そして川が枝分かれするごとに、自分の勘と、嗅覚―第六感に近いもの―が導く方向へとさらに進んだ。

―それから、どれだけ走ったことだろう。

いつしか辺りは薄暗くなりつつあった。しかし行けども行けども、馬の足跡は見当たらない。どころか、周囲の植生は濃くなり、人里から離れつつあるような気がする。

コイツは失敗したかァ……?

これ以上ないほど、静かに不機嫌なバーナードは、思わず舌打ちした。引き返すべきか考えるが、それではこれまでの道程が全て無駄だったと認めることになる。

気に入らない。全てが気に入らない。落ち着きなく、ベルトにぶら下げたメイスと棍棒を弄ぶ。

だが苛立ちが頂点に達しかけたところで、やおら立ち止まった。

―匂い。どこか、人工的な。

ふと見上げれば、夕暮れの空にたなびく細い煙。火事のそれではない。白い、おそらくは煮炊きをするための―

村だッッ!

頭部の金髪を逆立たせ、バーナードは走り出す。その足取りは軽い。竜人らしからぬ俊敏さで、風のように駆ける。

やがて、視界が開けた。

森のほとり、ひっそりと隠れるように、小さな集落。

……ヒ、ヒ、ヒ……ッ!

茂みに伏せって身を隠したバーナードの口から、抑えきれず、引きつったような笑い声が漏れる。胸がときめくのを感じた。まるで―ゲーム内で初めて、他のプレイヤーを襲おうとしたときのように。

いや、こ(・)っ(・)ち(・)の(・)方(・)が(・)ず(・)っ(・)と(・)い(・)い(・)。

ぎょろりとした、爛々と輝く黄色い瞳が、村の外れで薪割りに勤しむ村人を捉える。

中年の、貧相な格好の男だ。色の褪せた服、吹けば飛びそうな痩身、見るからに頼りないが―『生きた』人間。

ゲーム内のNPCとは違う。疲れたような表情も、その額に浮かんだ汗も、時折痛そうに斧を持った手をプラプラとさせる動作も―その全てが、愛おしくすら感じる。

あまりの興奮に、バーナードは視界がきらきらときらめくのを感じた。

その瞳孔が、ギュウッと極限まで切れ長に、縦に収縮する。

……ハハッ

小さな村だ。あまりにも。片(・)手(・)で(・)捻(・)り(・)潰(・)せ(・)そ(・)う(・)な(・)ほ(・)ど(・)に(・)―

もはや、隠れる必要もない。

―ッ?! なっ、なっ!? 化け物(Monster)ッ!!

薪割りをしていた村人は、仰天して目を剥いた。突然、近くの茂みから、異形の影が飛び出してきたからだ。

バーナードは嬉しかった。村人の叫びが英語だったからだ。

―言葉が通じる。

ごきげ(Good)んようゥッ(afternoon)!!

だみ声で挨拶しながら、蛇に睨まれた蛙のように硬直して動けない村人へ駆け寄る。感動的な出会いだった。バーナードにとっては。

眼前まで怪物が迫ったところで、我に返った村人が仰け反るが、バーナードは構わずそのまま首根っこをひっつかんで引き寄せる。

Nice to meet you!

叫びながら、唾が飛びそうなほどの至近距離でその顔を覗き込む。

しかし返事はなかった。

思わず力が入りすぎて、首の骨を折り砕いてしまったからだ。

ぶくぶくと口の端から血の泡を吹く村人の男は、恐怖の表情を顔に貼り付けたまま、今まさに息絶えようとしていた。徐々に生命の輝きを失いつつある両眼はカッと見開かれ、声なき悲鳴とともにバーナードを見つめている。

なんてこった……なんてリアルなんだ!!

手に伝わる細かな死の痙攣、肉の温かみ、ねっとりとした血の匂い、微細な表情筋の動きも、救いを求めるように彷徨う視線も、全てが、夢にまで描いた現実(リアル)。

思わず恍惚としていたが、からんっという乾いた音に、バーナードは引き戻された。

……父ちゃん?

見れば民家の陰から、少年が一人、こちらを覗き見ている。十代前半だろうか。そばかすの多いその顔は、どことなく先ほどの村人の面影がある。その手からこぼれ落ちたらしい数本の薪が、地面に転がっていた。

よォ

バーナードは朗らかに声をかける。その手に、痙攣する村人の死体を握ったまま。

……あ……あっ、ああッ!

サッと顔面から血の気を引かせた少年が、ふらふらと覚束ない足取りで逃げようとするが、もちろんバーナードが逃がすはずもなく。

死体を放り投げ、跳躍。ドンッと民家の壁に手をつき、自分の体と壁で挟み込むようにして少年の退路を塞ぐ。

ヒッ、ギッ、いいいいッ……!

言葉にならない悲鳴を上げた少年は、そのまま腰を抜かしズルズルと尻もちをついてしまった。見上げるほど大柄な、筋骨隆々な爬虫類の化け物に、生臭い息がかかるほどの距離まで迫られれば誰だってそうなる。

一方で当のバーナードは、兎のように無力な獲物の姿に、恍惚としていた。あまりにも脆い存在だ。大(・)切(・)に(・)し(・)た(・)い(・)。

よォ、坊主

自分では猫撫で声のつもりの、気色の悪い優しいだみ声で、バーナードは口を開く。ついでに、かがみ込んで視線の高さを合わせる気遣いを見せたが、それは少年の更なる恐怖を煽っただけだった。

……ヒッ、ヒイィ

聞きたいことがあるんだ。俺の言ってることはわかるか?

はっきりとしたバーナードの問いに、視線を逸らすこともできない少年は、半泣きでコクコクと頷いた。

そうかそうか。そいつァ良かった。……俺が聞きてェのは、旅人についてだ。最近、この村に、旅人は来なかったか?

バーナードが聞き出そうとしていたのは、他でもない、コウとイリスについて。

黒髪の童顔の男とよォ、頭にネコみてェな耳を生やした若い女だ。……どうだ?

少年はブルンブルンと勢い良く首を横に振った。正直にそう答えれば、わかってもらえば、自分が助かると思っているかのように。

そっか、そっか……来てないか……

相槌を打つバーナード。それが本当なら、残念ではあった。

だがまあ、ひとまずそんなことは脇に置いておく。

じゃあ教えてくれ。この、素晴らしい村の名前は、何てェんだ?

……ヒッ……んぐっ、らっ、らッ

んン?

……ら、ラネザ……

おうおう、ありがとうよ、教えてくれてよォ

口の端を釣り上げたバーナードは―笑顔のつもりだ―ゆっくりと立ち上がった。

親切に教えてくれたお礼によォ。坊主、オメーは見逃してやるよ

……? へっ、えっ

突然の言葉に目を白黒させる少年だったが、少しして言葉の意味を理解したのか、若干の安堵の色を見せる。

しかしその瞬間、バーナードの気配が豹変した。

……。ヴァアアアッやっぱり我慢できねェ!

ゴウンッと唸る拳が、少年の顔に叩きつけられる。

民家の壁と、石の塊のような拳の間に勢い良く挟み込まれた頭が、まるで風船のように弾け飛んだ。

ビチャビシャァッと飛び散る脳髄、血液、そしてピンク色の肉塊。

フウウウゥ! すっげ、やっぱりすげェェ!

灰色の民家の壁に咲いた鮮やかな赤い花に、血濡れた拳を掲げるバーナードは興奮を隠せない。その瞳はきらきらと輝き、呼吸が荒く、激しくなる。

アッ、ガアアアッ……オアアアアアッ!!!

その場で己の身体を抱きしめるようにして、怪物は軽く数度、痙攣した。

……ハァッ……ハァッ……クヒヒッ、やべえよ、出ちまった。マジで、すッげェよ、ゲームじゃこんなの味わえねェ

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