“氷の矢”の大盤振る舞いで”森大蜥蜴”たちがたじろぎ、突進を止められたのは幸いだった。お陰で戦線が―そう呼べるかは、人数が少なすぎて疑問だが―かろうじて維持されている。ここでゴーダンたちに逃げられたら、勝ち目がさらに薄くなるところだった。
(―しかし、まずいな)
その実、状況は芳しくなかった。
『矢継ぎ早』とはまさにこのこと。“森大蜥蜴”の目を狙って次々に矢を放ちながらも、ケイは冷めた思考で戦局を俯瞰している。
まず、想定よりも多く”氷の矢”を浪(・)費(・)してしまった。ケイは正面から、“森大蜥蜴”の顔面や脚部に命中させたが、あれは本来、アイリーンが注意を引いている間に横合いから胴体に打ち込むべきものだった。
そうすることでより効率的に体温を下げ、機動力を奪う狙いがあったのだ。
翻って顔面は効果が薄い。“森大蜥蜴”の頭蓋骨は分厚く、皮膚の下にもウロコ状の『骨状組織の鎧』があるため非常に堅牢で、ほとんどダメージが通らないのだ。それこそ目や、額に一箇所だけ存在する光感細胞が密集した部分―通称『第三の目』―を狙わない限りは。
そして今こそ、未知の痛みで”森大蜥蜴”たちも怯んでくれているが、まもなくそれは狂気的な怒りで塗り潰され、多少の痛みは歯牙にかけなくなるだろう。ゲーム時代から身にしみている”森大蜥蜴”の習性、一度(ひとたび)怒りに火が付けば、文字通り死ぬまで止まらない。
そう、ケイたちは”森大蜥蜴”を『圧(お)して』いるように見えるが、実際は、ただ”森大蜥蜴”が こんな痛み知らない! とビビっているだけなのだ。生命に関わるような打撃は与えられていない。それこそゴーダンが腹にぶっ刺した槍くらいのものか。
あの大型トラックのような巨体が『暴走』すれば―いったい、何人が犠牲になることか。
ちら、と果敢に攻撃を続けるゴーダンたちを見やる。
マンデルとロドルフォは”氷の矢”を使い果たし、今は普通の矢で顔に集中砲火を浴びせている。キリアンはクロスボウでの狙撃。同じく目を狙っているようだ。だが、上下左右に動き回る頭部で、さらに小さな目を射抜くのは容易ではなく、よしんば目の付近に命中しても、強靭な皮膚と頭蓋骨で弾かれる矢がほとんどだった。
ゴーダンはキリアンから毒壺の一つを借り受け、追加で穂先に塗布しているようだ。毒でてらてらと輝く槍を構え、慎重に投げるタイミングを見計らっている。矢と違って槍は残りの本数が少ない。
皆、必死だ。
犠牲は、抑えなければ。
―そのために最善を尽くす。
アイリーン!
矢を放ちながら、ケイはその名を呼んだ。
―小さい方の気を引いてくれ! デカいのは俺が引き受ける!
オーライ! 任せろ!
威勢よく答え、アイリーンが地を蹴った。
右手にサーベルを。左手に鞘を。それぞれ握って風のように駆ける。
オラッ、こっちだクソトカゲ!
そして、左手の鞘には大きなスカーフがくくりつけられていた。雌竜の前で派手に飛び跳ねながら、鞘を振り回すアイリーン。その姿はさながら闘牛士、ひらひらとたなびくスカーフが、否が応でも注意を引きつける。
ほれほれ! どうしたどうした!
それだけでは飽き足らず、無謀にも眼前で立ち止まりさらに挑発するアイリーン。右手のサーベルを日差しにかざし、太陽光を反射させる。
目の辺りにチカチカと、眩い光―
グロロロ……と喉を鳴らした雌竜が突如、グワッと大口を開けて喰らいついた。
なっ……
思わず、マンデルたちの攻撃の手も止まる。これまでのゆったりとした動きからは想像もつかないほど、俊敏な、目にも留まらぬ一撃。
よっ、と
しかし、アイリーンはそれを上回る機敏さで回避。どころか、ビシュッ、と右手のサーベルを閃かせ、チロチロと空気の匂いを嗅ぐ舌先を斬り飛ばした。
どちゃっ、と地に落ちたピンク色の舌が、蛇のようにのたうち回る。
グルロロォォォ―ッ!!
鋭い痛みに仰け反る雌竜。その目に、明らかに、狂気の光が宿った。頭から尻尾の先にまで、力がみなぎる。巨体が何倍にも膨れ上がるかのような錯覚。
―ロロロロガアアァァァァァッッ!!
咆哮。絶叫。空気がびりびりと震える。
そして猛進。土を蹴散らしながら、狂える竜がアイリーンに肉薄する。
―ッ!
ここに来て余裕はなく、アイリーンが全力で走り出す。追いつかれれば轢殺必至、命がけの鬼ごっこが始まった。
グロロ……
暴走し始めた雌竜につられ、雄竜もまた頭を巡らせる。
が、その右目の真下に、ズビシッと矢が突き立った。
おおっと、お前の相手は俺だ!
ケイは手綱を引く。サスケが後ろ足で立ち、いななきを上げた。
お互いカップル同士、仲良くやろうじゃないか! なあ!
デカいとはいえ所詮トカゲの脳みそ、ケイの言葉など理解できないだろう。
ただし―それが挑発であることだけは、伝わったに違いない。
グルロロロロ……
ケイを、そしてサスケを睨み、口の端から涎を垂れ流して、雄竜が唸る。すかさず目を狙ってケイが矢を放つも、即座に首を傾けた雄竜は側頭部で弾(・)い(・)た(・)。
ああ―こいつも確かに 深部(アビス) の怪物だ、と。
思わず舌打ちするケイ。ただでさえ上下左右に動いて狙いづらいのに、回避までされては―
―ロロログァアアアァァァァッッ!
そしてこちらもとうとう、怒りに火がついた。全身の筋肉を隆起させた雄竜が、狂ったように吼えたけりながら、猛烈な勢いで突進してくる。
サスケ!
ケイの叫びに応え、サスケが駆け始めた。振り向きざまに矢を放つ。ほとんど牽制にしかならないが、今は注意を引きつけることが重要だ。
雄竜のはるか後方では、アイリーンが円を描くようにして立ち回りながら、雌竜の攻撃を躱し続けているのが見える。噛みつきだけでなく、尻尾の薙ぎ払いや爪の一撃まで、当たれば即死の攻撃を紙一重で避けている。
ケイは、ぎゅっと胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えた。
だが―今―この状況で―こんな感情をどうしろというのだ。
せめて援護を。ケイは、残数が心許なくなってきた”氷の矢”を、ためらいなく引き抜く。
揺れる馬上、それでも風を読み、慎重に狙いをつけ、
Aubine !
一条の青き閃光が、雄竜を飛び越えて空を切り裂いた。アイリーンを追う雌竜の横腹、前脚の付け根部分に見事着弾する。
アイリーンがちらりとこちらを見た。 ナイス とその口が動く。痛みからではなく、筋肉の収縮が阻害され、動きの鈍った雌竜を前に小休止。アイリーンはぜえぜえと肩で息をしていた。化け物を相手に鬼ごっこ。彼女の体力も無限ではない。
―一刻も早く、こちらを仕留める。
そらそら、どうしたァ!
続けざまに雄竜の顔面に矢の雨を見舞う。ぶおんぶおんと頭を振る雄竜、頭蓋骨と皮膚に阻まれ弾かれる矢。
雄竜に追いすがるようにして、マンデルたちが後方から矢を射掛けているが、効果抜群とは言えなさそうだ。ただでさえ強靭な皮膚を持つのに、遠ざかっているようでは相対的に矢の威力も減衰してしまう。
どうするか。一瞬、考えを巡らせたケイは、
―マンデル!
緩やかに、弧を描くようにサスケを走らせながら、“竜鱗通し”を構える。
お前にこれを譲る ! 受け取れ!
軽く弦を引き、カヒュカヒュッと続けざまに矢を放った。
突然、射掛けられたマンデルがギョッとして立ち止まる。その足元にトストスッと突き立つ矢。ハッとして引き抜けば、鏃部分に青い宝石が輝く。
“氷の矢”だ。
確かに受け取った! ……これはおれの矢だ!
マンデルは即座に意図を汲んだ。宣言するなり、“氷の矢”をつがえる。
オービーヌ !
ケイを追って側面を見せる”森大蜥蜴”へ、二連射。精確な射撃で見事、“氷の矢”を命中させる。その隣で、自分には何もなかったことにロドルフォが一瞬悔しげな表情を見せたが、気を取り直して援護射撃を続けた。
グロロロロォォ―ッッ!
胴体を二箇所、さらに凍てつかされ雄竜が咆哮する。本来ならば冷気で動きが鈍るところ、むしろ怒りを燃やしてさらに突進の勢いを増す雄竜。
だが、今はそれでもいい。
激しく揺れる馬上で、ケイは獰猛に笑う。
今やオリンピックの馬術競技のように、サスケは複雑な動きで蛇行している。
―周囲が『旗』だらけだからだ。
狙い通り、このエリアに誘い込むことができた。
果たして、怒り狂う”森大蜥蜴”は、不自然な木の枝や旗に一切頓着することなく、そのまま最高速で突っ込んでくる。
―グロロガァッ!?
太い前脚で落とし穴を踏み抜き、素っ頓狂な声を上げる雄竜。
四脚ゆえに転びはしないが、顔からつんのめるようにして地面に腹を擦り、盛大に土砂を撒き散らして速度を失う。
―今だ! サスケ!
サスケの腹を蹴り、全力で駆けさせる。慌てる雄竜が体勢を立て直す前に、側面へ回り込む。矢筒から引き抜いたのは、かつて”大熊”を一撃で絶命させた必殺の一矢、青い矢羽の『長矢』―
ケイの肩の筋肉が盛り上がる。“竜鱗通し”の弦を、耳元まで引き絞る。
一点、“森大蜥蜴”の胸元を睨んだ。肺と心臓と大動脈、重要な器官が全て一直線に並ぶ、その箇所を―
―喰らえ
カァンッ! と一際大きく響き渡る快音。
銀色の閃光が、雄竜の胸に突き刺さる。深く、深く―
が、突然、バキャッという音とともに矢が砕け散った。雄竜の胸部の肉が波(・)打(・)っ(・)た(・)ようにも見える。
―肋骨か!
分厚い皮膚と筋肉の下、肋骨にぶち当たったらしい。心臓は撃ち抜けなかったが、音からして骨はへし折れたはず。破片が肺に刺されば、いかに”森大蜥蜴”といえどもただでは済まされない。
……援護を!
さらに、マンデルたちも追撃する。ロドルフォが連射し、キリアンが狙撃し、ゴーダンが毒を塗りたくった投槍を見舞う。
Siv !
ケイも自前の魔法の矢を取り出した。エメラルドがはめ込まれた”爆裂矢”―爆発の威力はそれなりで名前負けもいいとこだが、体内に食い込んだ鏃が破裂すれば相応の出血を強いられる。
それを、連続して打ち込む。
風をまとった矢が胴体に潜り込み、バンッバァンッ! と炸裂する。大きく開いた傷口から血肉が飛び散り、雄竜が絶叫した。
いいぞ! 畳みかけろ!
続いて、サスケの鞍にくくりつけた大型の矢筒から、筒状に穴が空いた太矢を取り出す。木工職人のモンタンが趣味で開発した、対大型獣用の出血矢だ。
コヒュンッ! と独特の音を立てて飛んだ出血矢が、青緑の肌を食い破って突き刺さる。矢尻の穴から、まるで蛇口のように、どぽっどぽっと鮮血が溢れ出した。“森大蜥蜴”の図体に比べればささやかな量、しかし確実に命を削り取る出血―
うおおおおお―ッッ!
ゴーダンが再び槍を投じる。三本目だ。首付近に突き立ち、肉を溶かす毒が筋肉を痙攣させる。
グルロロロアァァァ……ッ
流石に堪えたか、これまでより情けない声で鳴く雄竜。先ほどマンデルに打ち込まれた”氷の矢”もボディーブローのように効いてきたらしく、動きにキレがない。
このまま仕留められる―
ケイたちはさらに攻勢を強める。
が。
―ッッ!!
その瞬間、筆舌に尽くしがたい爆音が耳朶を打った。
くらっ、と目眩に襲われて、少ししてから、その正体に気づく。
咆哮だ。
見れば、アイリーンが引きつけていたはずの雌竜が、凄まじい勢いでこちらに向かってきている。伴侶が危機に陥っていることに気づき、血相を変えて駆けつけようとしているのだ。
(アイリーンはどうした……!?)
ケイもまた、愛する彼女の姿がないことに、心臓を冷たい手で掴まれたような感覚に襲われる。しかしよくよく見れば、雌竜を背後から必死で追いかけるアイリーンの姿があった。
無事だ。アイリーンは無事だ。
しかし安心している暇はない。一度、“森大蜥蜴”の注意が別のものに強く向いてしまえば、アイリーンはその敵意(ヘイト)を奪い返す手段を持たない。
―逃げろッ!
ケイは叫んだ。このままではマンデルたちが背後から襲われる。雌竜の接近に気づいた彼らも、泡を食って距離を取ろうとしているが、間に合わない。自分が前に出て引きつけるしかない。だが雄竜はどうする。深手は負わせたが、まだ絶命するほどではない―
グロロロ……ルロロロォァアアアアアッッ!
ケイたちの動揺を感じ取ったか。あるいは、相方の声に勇気づけられたか。
雄竜もまた、戦意を取り戻す。満身創痍の身体に、再び怒りと狂気を宿す。
グロガアァァァアアアアア―ッッ!
その巨体を振り回し、尻尾を薙ぎ払った。