地表がめくれ上がり、土砂が撒き散らされる。

土や砂だけならいいが、地中の石ころも凄まじい勢いで弾き飛ばされていた。マンデルたちの叫びがかすかに聞こえ、ケイの視界にもズッと黒い影が差す。

まず―ッ

土に紛れて、木の切り株が飛んできていた。

咄嗟に矢を放つ。ビシィッ、と命中した矢が衝撃のあまり砕け、切り株の軌道も僅かに逸れる。風の唸りを耳元に感じながら、間一髪のところで回避した。

マンデル―ッ! 無事か―ッ!?

ぱらぱらと降り注ぐ土砂を振り払い、サスケを駆けさせながらケイは叫ぶ。

なんとか……!

返事があった。土煙が晴れてみればごっそりと辺り一帯が掘り返されている。苦労して掘った落とし穴も、丸ごとえぐられるか土で埋め戻されるかのどちらかで、最早何の役にも立たない。

ロロロロ……という唸り声が響いた。

ぞわっ、と背筋に悪寒が走る。

サスケ!

ぐいっ、と手綱を引く。サスケがまるでカモシカのように跳ねる。

ガチンッ、という死神の鎌の音が背後から聞こえた。あるいは地獄の門が閉じる音か。生臭い息を感じるほどの至近、いつの間にか距離を詰めていた雄竜が噛みつこうとしていたのだ。

ロロロ……ッッ!

真っ黒な目、視線と視線がぶつかり合う。

馬鹿め

惜しかったな、という称賛と、よくぞここまで近づいたな、という歓喜が混じり合い、ケイはそんな言葉を吐いた。

Dodge this(避けてみろ)

この距離。流石に外さない。

目にも留まらぬ一撃は”森大蜥蜴”の専売特許ではない。素早く”竜鱗通し”を構えたケイは、快音、いとも容易く左目を射抜いた。

グルガアアアアァァ―ッ!

激痛と視覚の喪失に、絶叫した雄竜が闇雲に暴れ回る。これだけ矢を射てようやく抜いたか、という疲労感。折角なら”氷の矢”をブチ込んでやればよかった、と今さらのように思ったが、時既に遅し。

いい加減、くたばれ……ッッ!

首元や胴体に、長矢をブチ込む。ここまで連続して”竜鱗通し”を使ったのは馬賊と戦って以来だ、腕の筋肉が引きつったような感覚がある。早くケリをつけなければ、そろそろ雌竜もこちらに来るはず。

―は?

そう思って、チラッと視線を向けたケイは、唖然とすることになった。

伴侶の危機に怒り狂い、猛進する雌竜。

その進行方向に、立ちはだかる者がいたからだ。

右手に携える投槍器(アトラトル)―

何をやっている、ゴーダン!?

臨戦態勢で投槍を構えているのは、ゴーダンだった。

風の精霊よッ! ご照覧あれッ!

地響きを立てて迫る巨竜を前に、ゴーダンは叫ぶ。

俺の槍は―!

投槍器(アトラトル)を握る手に力を込める。

狙いを違わず―!

全身をバネにして、持てる力を全て注ぎ込む。

突き刺さるんだぁ―ッッ!

投じた。

真正面から、唸りを上げて槍は飛ぶ。

激しく首を振り、突き進む竜めがけて。

それは芸術的なまでに美しい放物線を描き―

“森大蜥蜴”の額。

『第三の目』と呼ばれる、最も脆い部分を貫いた。

―ルロロロロァァァァァァッッ!

ビクンッ、と体を震わせ雌竜が絶叫した。

わずかにたたらを踏み、速度が減じる。

そして突進の方向も少しだけ逸れた。

ゴーダンッ!

だからケイが間に合った。

自らがもたらした一撃に茫然自失していたゴーダンを、襲歩(ギャロップ)の勢いもそのままに、馬上から蹴り飛ばす。

グがっ

悲鳴にもならない声を上げ、吹っ飛ばされて地面を転がるゴーダン。その目と鼻の先を雌竜の巨体が過ぎ去っていく。まるで列車が通過したかのような風圧、あのまま突進を食らっていればゴーダンは挽き肉になっていただろう。

すまん、許せ!

しかし騎馬の突撃の勢いで蹴り飛ばされれば、無傷では済まされない。衝撃と痛みでゴーダンは悶え苦しんでいる。ケイも、ゴーダンがせめてもう少し小柄なら、馬上に引き上げるなり引きずって走るなり、もっとやりようもあったのだが。

流石に大柄すぎて、このような手段を取るしかなかった。

立てるか!?

ど、どうにか……

村の方に逃げろ! もう槍は使い切っただろ!

まさしく奇跡的な一撃だったが、あれが最後の槍のはずだ。

わ、わかった……

よろよろと立ち上がったゴーダンが、頼りない足取りで村の方へ逃げていく。

ゴーダン! 見事な一撃だった! あとは俺に任せろ!!

その背中に声をかけると、チラッと振り返ったゴーダンは、この上なく誇らしげな顔をしていた。

微笑み返してから、ケイは改めて、二頭の巨竜に向き直る。

ちょうど、頭を振って額の槍を振り落とそうとする雌竜に、満身創痍の雄竜が寄り添うところだった。

舌を伸ばし、額に突き刺さった槍をどうにか抜き取る雄竜。

毒の痛みが酷いのか、雄竜に頭を擦り付けながらぶるぶると体を震わせる雌竜。

二頭の、憎悪のこもった視線が、ケイに突き刺さった。

ぶるるっ、とサスケが鼻を鳴らす。

ケイも、背中にじっとりと嫌な汗が滲んでいた。

それほどまでに、凄まじいプレッシャーを感じる。

もはやケイとサスケ以外、眼中にないといった雰囲気だ。

槍はゴーダンの仕業なんだがな……

そう呟くも、通じるはずもなく。

横目で見れば、ゴーダンは無事に村の方へと逃げおおせたようだ。ゴーダンが目をつけられるよりかは、まだ自分に敵意(ヘイト)が向いている方がいい。ずっとマシだ。

さて……ケリをつけようか

腰から長矢を引き抜く。

つがえる。引き絞る。放つ。

何千、何万回と繰り返した動作。

カァンッ! という高らかな快音が均衡を打ち破り、再び、死力を尽くす闘いが始まった。

†††

みんな! 無事か!

汗だくになったアイリーンは、マンデルたちの元へ駆けつけた。

尻尾の薙ぎ払いにやられ、全員、土まみれのひどい格好だ。

無事だ、……おれは、どうにか

俺もだ! しかし、クソッ、ほとんど何もできていない!

言葉少なにマンデル、歯噛みするロドルフォ。

アッシは、情けねえ話、ですが、ちと骨をやっちまいまして……

キリアンが胸を押さえながら、苦しげに呻く。どうやら薙ぎ払いで飛ばされた石塊か何かが直撃してしまったらしい。

しかし……これ以上、おれたちは何をすればいいんだ

マンデルは無力感に苛まれているようだった。

その視線の先では、サスケを駆るケイが二頭の竜に追いかけ回されている。ケイは”氷の矢”や長矢で脚部に集中砲火を浴びせ、“森大蜥蜴”たちの機動力を削り取りながら、挟み撃ちにされないよう巧みに立ち回っているようだ。

雄の方は、たぶん時間の問題だ。そのうち力尽きると思う。問題は雌の方だな、額に槍がぶっ刺さったのはかなりキ(・)く(・)だろうが、致命傷にはほど遠い

アイリーンは、ケイの危機にジリジリとした焦燥感を覚えながらも、冷静に言葉を紡ぐ。

で、だ。オレに考えがある

すぐに援護に向かわず、こちらに戻ってきたのは、そのためだ。

キリアンの旦那、例の毒はまだあるか?

へ? そりゃ、ありやすが……

痛みで顔をしかめながら、キリアンが腰のポーチから小さな壺を取り出す。厳重に布でくるんでいたお陰か、衝撃で割れずに済んだようだ。

よし。ありったけくれ

これが目当てだった。率直に求める。

あの雌トカゲをブッ殺す

アイリーンの目は、完全に据わっていた。

97. 果敢

アイリーンは、しゃらりとサーベルを抜き放つ。

そしてキリアンから受け取った毒壺を傾け、どろどろとした黒い毒を全て鞘の中に流し込んだ。

コイツを、

ぱちん、とサーベルを鞘に戻し、しゃかしゃかと振り回すアイリーン。毒液を刃によく馴染ませる。

―アイツの目ン玉にブチ込んでやる

アイリーンの得物はサーベルと投げナイフだ。こんなちっぽけな武器で”森大蜥蜴”に致命傷を与えるには、それこそ眼球のような弱点を狙うしかない。無論、暴れる”森大蜥蜴”に接近戦を挑むなど、無謀以外の何物でもないが―

目を狙う、か……俺もやる、やってやるぜ

唸るようにしてロドルフォも言う。

ちらっと横目で見やるのは、村の方だ。自分たちが必死で戦っているというのに、物陰からこちらを覗き見る野次馬の姿がちらほらあった。なまじケイたちが善戦していたために、好奇心が恐怖を上回ってしまったらしい。

それは固唾を呑んで見守る村人たちであったり、探索者たちであったり、伝説を見逃すまいと目を血走らせたホアキンであったり。正直、村の未来がかかっている住民たちは仕方ないとしても、物見遊山な探索者たちの目は煩わしく感じられた。

―なぜ煩わしく感じられるのか?

決まっている。大して何もできていないからだ。

衆目にさらされる無力な自分が、我慢ならないのだ。

このまま引き下がれるかってんだ……!

ロドルフォは歯噛みする。自他ともに認める自信家で(・)あ(・)っ(・)た(・)ロドルフォは今、その自尊心を著しく傷つけられていた。

本当に何もできていない。

栄誉を求め意気揚々と参加した”森大蜥蜴”討伐だが、蓋を開けてみればペチペチと遠巻きに矢を射掛けただけ。魔法の矢はケイからの貰い物、自らの矢は”森大蜥蜴”の強靭な皮膚に歯が立たず弾き返された。

無力感に苛まれているのはマンデルも同じだが、彼はまだ、ケイに頼られている。ケイから魔法の矢のキラーパスを受けて、それでも慌てることなく命中させしっかりと仕事をこなしている。

だがロドルフォには何もなかった―弓の腕前が信用ならないからだ。ケイはロドルフォを頼らなかった。弓の命中率の低さは自覚しているものの、それでも、やはり屈辱ではあった。

加えて、ゴーダンの蛮勇だ。突進する”森大蜥蜴”の前に立ちふさがり、見事、額の弱点に槍でぶち抜いた―まるで英雄譚の一節ではないか。

それにひきかえ、自分は……。

この大物狩りの舞台で、主役を張ろうなどとは思っていない。だがせめて名のある脇役にはなりたい。そのためには、多少の無茶もしよう。ここで退いては男がすたるというものだ。

ロドルフォはまだ、己の可能性を信じていた。

それに命を賭す価値があるとも。

……おれもやろう

と、重々しく、マンデルも頷いた。

それは一種の義務感から出た言葉だった。ケイを助けねば―タアフ村まで助力を請いに来た、彼の期待に応えねばという思い。マンデルはロドルフォほど楽天的ではなく、死の香りを感じ取っていた。家で帰りを待つ娘たちの顔が脳裏をよぎる。

それでも。

それでもなお、ケイの力にならねば―と。

そんな気持ちに駆られていた。

助かるぜ

ニヤッとアイリーンは笑みを浮かべる。しかし、二頭の”森大蜥蜴”を翻弄しながらも、疲労の色が濃いケイとサスケを見やり、すぐに顔を引き締めた。

アッシも、お力になれりゃよかったんですが……

胸のあたりを押さえながら、苦しげに呻くキリアン。“森大蜥蜴”の尻尾の薙ぎ払いで石か何かが飛んできたようで、重傷ではないが思うようには動けないらしい。

せいぜい、クロスボウで射掛けることぐらいしか

無理はしなくていいさ、オレたちのために祈っといてくれ。……じゃあ二人とも、覚悟はいいか? 行くぞ!

アイリーンは、マンデルとロドルフォを連れて駆け出した。

死地へと、恐れを見せることもなく。

はぁ~……

その後ろ姿を見送って、キリアンは細く長く息を吐いた。

―もともとは、ただ”森大蜥蜴”をひと目見たい、それだけだった。

伝説の怪物の姿を拝んでみたい。そう思って討伐に参加した。

故郷を捨て、身寄りもなく、そこそこ歳を食っている。

特にやりたいこともないし、悲しむ人もいない。

ここが人生の終着点になってもいいか。

最期に一花咲かせてみよう。

そんな風に考えて。

だが、“森大蜥蜴”の薙ぎ払いが眼前をかすめたとき、心の底から思った。

『死にたくない』と。

自分で考えていたより、生に執着があることに気づいた。

気づいてしまった。

そこで心がぽっきりと折れた。

それでも、尻尾を巻いて今すぐに逃げ出さないのは、討伐組の中でおそらく一番の年長で、あまりにもみっともないからだ。キリアンをこの場に押し留めているのは、なけなしの意地だけだった。

だが、それもいつまでもつか……

勝ってくれ……

胸の痛みをこらえつつ、震える手でノロノロとクロスボウの弦を巻き上げながら、キリアンは呟く。

頼む……

早く終わってくれ。

それが誰のための祈りなのか―

もはやキリアン自身にもわからなかった。

†††

アイリーンは駆ける。

背後からは、ともに走るマンデルとロドルフォの荒い息遣い。たとえ自分一人でも突貫するつもりだったが、二人の存在が思いのほか心強い。

できれば無事に帰したいが―

(……なんとかするしかない)

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