右手で矢筒の矢を弄びながら、じっくりと戦術を吟味する。殺そうと思っても死にそうにない、ふてぶてしい態度のアレクセイ、しかしそうであるからこそ、ふとした拍子に死んでしまうかも知れない。手抜きが許される状況でもなし、ここは身から出た錆ということで、ある程度の後遺症は覚悟して貰おうという結論に至った。
視界の先―ちょうど五十歩の間合い、アレクセイがこちらに向き直る。
右肩に大剣を担いだまま、長く伸びた柄に左手を添えた。両手持ち―ちょうど左腕のバックラーが、胴体を覆い隠す位置に構えられている。腰を落とし、かすかに上体を前傾させた姿からは、手足の末端にまで満ち満ちた気が見て取れるかのようだ。
(……まるで示現流だな)
二ノ太刀要ラズ。何よりも疾く、一撃を叩き込む。そんなシンプルにして、苛烈な意志。五十歩の間合いを隔てても尚ひしひしと伝わってくる、今にも爆発しそうな戦意の高まり、ぎりぎりと軋みを上げる筋肉の躍動―。
双方とも……準備はいいな
二人の間に立ったホランド。沈黙を肯定と取ったか、ひとり頷き、
それでは……先ほども言ったが、両者ともに悔いのないように。また、今後に禍根を残さぬために、全力で闘いつつも、ある程度の手心を忘れないように。万が一、怪我などで決闘の継続が不可能であると判断された場合は―
くどい
ぴしゃりと、アレクセイの冷たい声がホランドを黙らせた。
“―これはおれたち二人の問題だ。あんたには関係がない”
不意に、アレクセイの言葉が頭の中に木霊する。そのとき無言を貫いたケイであったが、初めて、アレクセイの言う事に共感できたような気がした。
口元しか見えぬアレクセイの顔―にやりと歪んだ唇が、 さあ、始めよう と告げる。
……ああ
小さく頷いて。
ケイは矢筒から矢を引き抜いた。
つがえる。
引き絞る。
―
そこに、言葉は不要。
双方が同時に、
動いた。
アレクセイが地を蹴る。
爆発的な加速。
速い。
地を這うように、二、三歩で最高速に達した。
かすかに粉塵を巻き上げながら、アレクセイは真っ直ぐに迫る。
―まずは、小手調べ。
間髪いれず、迎撃の矢を放つ。
快音、穿たれる風。
身体の中心線を抉るように、白羽の矢が飛来する。
しかし、体を僅かに捻り、アレクセイは余裕を持ってそれを回避した。初撃はやはり見切られたか、と平坦な思考が流れていく。
続けて、第二射。
今度は避けられず、いや、回避による時間のロスを嫌ったか、無造作に掲げられた盾が矢を弾き飛ばす。ガァンッ、と硬質な音、火花を散らして明後日の方向に逸らされる。やはり並の一撃では、あの盾は貫通できないという確信。
三本。
まとめて、矢筒から引き抜いた。
構え、引き絞り、放つ。その瞬間、ケイは精密機械と化す。
カカカッ、と小気味よい連続音、強弓から銀光が閃いた。目にも止まらぬ早業、野次馬たちがどよめき、同時にそれは―殺気に強弱を織り交ぜた巧みな連撃。敢えて中途半端に込められた殺気が、彼我の距離感を狂わせる。回避行動を取り辛くさせる妙技、護衛の傭兵たちが唸った。
しかしその好敵手もまた、只者ではない。
ただちに軌道を見切り、最適解を弾き出す。一本は盾で、一本は剣で、一本は脛当てで、それぞれ受け止めた。派手に火花が飛び散り、けたたましい金属音が鳴り響く。しかし一矢足りとも彼の者を傷付けるまでには至らない。
既に間合いを詰めること、おおよそ三十歩。ニィッとアレクセイが笑みを深める。残り二十歩を数えるうちに、決着をつけねば勝機は無いと―。
(ただの矢じゃ、貫通は無理か)
静かに、ケイは分析する。決して、手加減したわけではない。今までに放った矢は全て致命傷たり得るもの。板金程度ならば容易くブチ抜く威力、しかし、アレクセイの防具は耐えた。あの、白っぽい金属―何の合金かは知らないが、相当に良質なものだろう。
(た(・)だ(・)の(・)矢(・)では、無理か……)
―ならば、其れ相応のものを。
ケイは、矢筒から抜き取った。
青(・)い(・)羽(・)の(・)矢(・)を―。
……!
見守っていたアイリーンが、まさか、と息を呑む。
“大熊”さえ一撃で絶命せしめたそれを。
決闘で、人間に対し用いるのかと。
―そう。
ケイは、矢をつがえる。
両者の距離は、残り十歩を切った。
アレクセイは、目前だ。凶暴な笑み―獲物を喰い殺さんと、不気味な沈黙の中にしかし狂犬は猛る。兜の面頬、その隙間の奥にあっても尚、水色の瞳がぎらぎらと血に飢えた光を放つ。
対するケイは、少しだけ目を細め、きりきりと弦を引き絞る。
死ぬなよ
小さく、呟いた。
―快音。
凄まじい勢いで撃ち出された銀光が、馬鹿正直に、真正面からアレクセイに迫る。
ろくに視認すら出来ぬ速さ、しかし、真正面であればこそ見切るのは容易い。
その笑みをさらに好戦的な色に染め、あらかじめ身構えていたこともあり、アレクセイは余裕をもって盾で受けた。
が。
ボグンッ! と異様な音が響く。
矢は―
盾の中心に、突き刺さる。
丸みを帯びていた表面は無残に陥没し、矢はその裏の左腕を食い破って、あまつさえ鎧の板金と革を穿ち、胸に突き立ってようやく止まった。
がフッ
強烈な一撃を叩き込まれたアレクセイ、肺から押し出された呼気は否応なしに声となり、力の抜けた体躯がそのままぐらりとよろめいた。
しかし―
ケイが、次の矢をつがえるよりも速く。
―ははッ!!
アレクセイは―笑った。
血反吐を吐きながら―たしかに、笑った。
その腕に、背筋に、力が戻る。
口元が吊り上がり―それは、凄絶な笑みとして知覚された。
獣か。―否。
狂人か。―否。
―鬼だ。それは鬼だ。修羅の境地に至る人斬りの顔だ。
アレクセイが剣を構え直す。
ぐんっ、と両脚に力が籠る。
まるで陽炎のように、その体躯が、膨れ上がるような錯覚が、
―おおおおああああぁぁッッ!!!
吠えた。
場を塗り潰すような殺意の嵐。
ケイの全身から冷や汗が噴き出す。
アレクセイはさらに身を低くして―次の瞬間、空気がたわんだ。
その足元の地面が、爆発したかのように弾け飛ぶ。
残りの距離が、一瞬で、ゼロになった。
あああああああぁぁぁッッ!!!
ぎらりと輝いた大剣が―振り下ろされる。
ぶぅん、と不吉な音が押し寄せた。
全てを賭けた一撃。重過ぎる一撃。
込められた殺意に魂が震え、世界が裏返るかのような錯覚すら抱いた。
驚きも、恐怖も、感じる暇さえない。
ほぼ反射的に、ケイは腰の剣を抜き放った。
鞘走った鋼鉄の刃を頭上に掲げるようにして。
受け流す。いや、受け流せるよう試みる。
しかし―奇妙に引き延ばされた時の中。
ケイは、見る。
アレクセイの大剣。
右手の長剣に、ぶち当たる。
くわんくわんと震える刃。
その中に大剣が―め(・)り(・)込(・)ん(・)で(・)い(・)く(・)。
愕然とするケイの眼前―長剣が、音を立てて砕け散った。
打ち合いどころか、受け流すことさえ―
わずかに、その軌道をずらしたものの、大剣は唸りを上げてケイに襲い掛かる。
白い刃は、ケイの兜の即頭部を削り。
革鎧の肩当てを叩き切り。
そのまま、左肩の鎖帷子に食らいつく。
この一撃で、ケイは左腕を失う―
加速された思考の中、アレクセイは、己の勝利を確信していた。
ガツンッと。
衝撃とともに、刃の進撃が止まるまでは。
なっ―
異様な手応え。剣を受け止めた、その原因を目の当たりにしたアレクセイは、驚愕のあまり目を見開いた。
―異様な存在感を放つ、朱色の複合弓。
ケイの左手に構えられた”竜鱗通し”、その持ち手の部分に、大剣の刃は受け止められていた。折れるでもなく切れるでもなく、僅かに、その表面を凹ませただけで―
馬鹿な、とアレクセイは、雷に打たれたかのように動きを止める。
(鋼の長剣すら叩き折った一撃を―!!)
ただの弓が受け止めるなど―。
しかしあいにく、“竜鱗通し”はただの弓ではない。
“飛竜(ワイバーン)“の翼の腱に皮膜、そして”古の樹巨人(エルダートレント)“の腕木。
ただでさえ貴重な素材を元に、特殊な加工を経て生み出された、傑作中の傑作。
特に、持ち手には幾重にも皮膜が巻かれており、この弓のパーツの中で最も頑丈な造りとなっている。その耐久性たるや、現在のケイの所持品の中でも最上位といっても過言ではない。
得物にも格の違いがある、と言ったな―
唸るようにして。ぎりぎりと、剣の柄ごと右拳を握りしめながら、ケイは言う。
アレクセイの瞳を、睨みつけた。
―その通りだ!
唸りを上げた右のアッパーが、無防備な下顎に叩き込まれた。
ぐぁッ!?
ゴッ、と腹に響く打撃音、アレクセイの身体が跳ね上がる。
さらに、肘打ちで迫撃をしようとするケイ、しかしアレクセイはよろめきながらも左腕を振り回した。
上腕部のバックラーがケイの右肩に叩きつけられ、刺さりっ放しだった矢がケイの顔面を引っ掻いた。文字通り、刺すような痛みに一瞬たじろぐケイ、その隙に体勢を立てなおしたアレクセイは、
―おおおおおおぉぉッッ!
再び、闘志に火を付け、真っ直ぐに大剣を突き込んできた。
切れた口から血を垂れ流しながら、それでもその刺突は鋭く、十分な威力が乗っている。
しかし―刺突というチョイスが、不味かった。力任せの薙ぎ払いの方が、ケイに対しては効果的であったかもしれない。
身に染みついた剣術が導くままに、ケイは折れた刃を横から叩きつけた。火花を散らして大剣の上に刃を滑走させながら、アレクセイの懐に飛び込む。
(……来るか!?)
どこかで見た動きだ。アレクセイは思い出す、ケイがひとり、河原で剣の修練をしていた日のことを。
(折れた剣―短剣の代わりにはなる―首狙いか!)
あの日の動きを参考に、アレクセイはケイの次の一手を読んだ。このまま大剣の間合いを封じたまま、短剣術に近い動きで白兵戦を仕掛けてくるに違いないと。
しかし、アレクセイは、知らない。
ケイの汎用剣術には、剣が使いものにならなくなったときのための―
“徒手格闘”の教義も含まれているということを。
アレクセイは、知らない。
あの日、型の途中で邪魔を入れてしまったため、それを見る機会を自ら失ってしまったことを―
剣の柄を握る右手が、くんっ、と軽く曲がった。
手首のスナップで、ケイは折れた剣をアレクセイの顔面に向けて投擲する。
なにッ!
回転しながら迫る刃に、一瞬焦ったアレクセイはしかし、頭突きのような動きで兜を当てることで刃を弾き飛ばすことに成功した。
だが一瞬、注意が逸れる。
その隙に、右手がフリーになったケイが、代わりにアレクセイの右腕を掴む。
そして―全力で引っ張った。
ただでさえ、刺突によって前かがみになっていたのだ、引っ張られたことによりさらにバランスを崩す。咄嗟に足を踏ん張ろうとするアレクセイだったが、身をかがめたケイがその脚を払った。
うわッ!?
致命的―そう、致命的なまでに、アレクセイの身体が傾いた。ぐっ、と腹に力を込めたケイは、
―吹っ飛べ!!!
そのまま全力で、アレクセイを投げ飛ばした。
一本背負い―と呼ぶには、それは豪快すぎる。
アレクセイは、世界が回るのを感じた。
何が、一体、何がどうなっているのか。びゅうびゅうと唸る風の音を聞きながら、混乱する脳が現状把握に努める。しかしそれをよそに、アレクセイは、在りし日の出来事を思い出していた。家畜の豚の突進をモロに食らい、見事に吹き飛ばされた思い出。あのときも、こんなふうに世界が回って見えたっけ、と、他愛のない思考が―
背中を襲った恐ろしい衝撃に、セピア色の記憶が砕け散った。
がつんっ、と顔面を襲う衝撃。ただでさえ血塗れだった口、その唇が切れて血が噴き出した。
地面とキスをしている―その状態に気付いたのは、一拍遅れてのこと。やたらと長く感じた滞空時間、ロクに受け身すら取れず地面に叩きつけられたらしい。
―いや、それはいい、地面の方向が分かったのだから。
震える足腰に、立ち上がれ! と命じる。
大地に手をついて、起き上がろうとしたところで―
アレクセイは、立て続けに乾いた音を聴いた。
次の瞬間、ハンマーで殴られたかのような衝撃が頭部を襲い、アレクセイの意識は闇に呑まれた。
†††
おおおおお!!!
どさり、と力の抜けたアレクセイが地面に倒れ伏すのを見届けて、周囲の観客たちが沸き立った。
あっぶねえ……