腰のベルトに剣を差しながら、その声に幾らかの後悔を滲ませて、ケイはアイリーンに謝った。決闘のせいで隊商の出発が少し遅れており、アイリーンを含む多方面に迷惑をかけている。時間が経って頭が冷えるにつれ、あの場面ではスルーした方が大人な対応であった、と思い直し始めたのだ。

しかし、それと同時に『正規の手続きを踏まないトラブルの方がよっぽど面倒』という、ダグマルの言葉も思い出してしまう。

万が一、アレクセイが暴挙に出たらどうなることか―。有り得ない、とは言い切れないのが、あの男の厄介なところだ。アイリーンは高レベルの自衛能力を備えているので、ちょっとやそっとの事では攫われないだろうが、その過程で何が起きるのか―

(―クソッ、つまりは全部アイツが悪い!)

苛立たしげに革鎧を装着し、グローブをはめるケイ。一方で、その腰の剣の鞘や矢筒に目を落としたアイリーンは、心配げな顔で、

……真剣勝負、なんだろ?

そう、だな

やっぱり、止めない?

それも考えたんだが

アイツは多分、口で言っても聞かないだろ、と。ケイの言葉に、アイリーンはさもありなんという顔で、 クソッ、全部アイツが悪い! とケイと同じような結論に達した。

ケイは……怪我、とか……、しないでくれよ

安心しろ。俺はむしろ、どうすればアイツを怪我させないで済むか、逆に心配してるところだ

革兜をかぶりながら、ケイはシニカルな笑みを浮かべる。

―弓で手加減をするのは、本当に難しい。

ケイとしても、決闘には勝ちたいが、アレクセイを殺してしまいたいわけではない。

しかし、生半可な攻撃では、奴は止まらないと予想している。

だからといって、充分な威力を秘めた一撃では、今度は致命傷になってしまう。

そして―これが最重要だが、アレクセイ如きのために、残り少ない魔法薬(ポーション)は使いたくない。

困ったもんだ、全く

最後に首元で顔布の紐を結びながら、ケイはおどけて小さく肩をすくめてみせる。

…………

それでも、アイリーンの不安げな表情は消えない。くしゃくしゃと、艶やかな金髪を撫でつけたケイは、 大丈夫 と安心させるように、軽く言ってのける。

弓さえ使えれば、剣士に負けることはない。さ、あまり皆を待たせても何だからな。ちゃっちゃと行って、ちゃっちゃと終わらせよう

装備を点検し、問題がないことを確認したケイは、アイリーンと連れ立って納屋を後にした。

目指すは、村はずれの川沿い。五十歩の距離を真っ直ぐに取れ、かつ足場が悪くないという条件の下、河原が果たし合いの場として選ばれたのだ。

辿り着いてみれば、隊商の面々がほぼ全員と、この小さな村のどこにこれだけ住民がいたのか、と思ってしまうほど多くの村人が集まっていた。鎖帷子に革鎧、そして異様な朱色の複合弓を手にした完全武装のケイの姿に、すでに酒などを酌み交わして出来あがっていた村人たちがさらに沸き立つ。

よ~ぉ、遅かったじゃねえか色男ー!

聞き慣れたダミ声。見やれば、顔を赤くしたダグマルが手を振っていた。地面に外套を敷いて座り込み、近くの村人たちと葡萄酒を酌み交わしているようだ。

待たせたかな

また呑んでるのか、と苦笑しながらも、ケイは視線を左右に彷徨わせる。集まった観衆の中に、金髪の青年の姿を探した。

……奴は?

まだ来てねえよ、お前のが先だ安心しろー!

そうか

肩から少し力を抜いて、ケイは微笑んだ。と同時に、自分がある程度、緊張していたことを自覚する。

さあさあ! 間もなく始まる世紀の決闘!

野次馬の中心では、両腕に二つの鉢を抱えたホランドが声を張り上げていた。

片や、勇猛果敢で知られる雪原の戦士、歴戦の若き傭兵、アレクセイ! 片や、巨大にして暴虐なる怪物”大熊”を、たった一矢の下に仕留めた異邦の狩人、ケイ! 希代の美少女を巡って、男の意地と意地とがぶつかり合う! 果たして、勝利の女神はどちらに微笑むのか! さあどちらに賭ける!? どちらに賭けるねー!?

どうやら、賭けの元締めをやろうという魂胆のようだ。ホランドに煽られた聴衆たちが、鉢に硬貨を投げ入れ、代わりにその足元から木の札を持ち去っていく。最初はあまり乗り気でなかった癖に、いざ決闘が始まるとなると、この開き直りようだ。 流石は旦那だな と笑うアイリーンの横、ケイもつられて苦笑した。

しかし、あれが噂の娘か……別嬪さんだ

そりゃ取り合いも起きるわナ

あんの長い金髪、綺麗だな~

で、革鎧の男が、“大熊”狩りの……?

弓で一撃で仕留めたんだと

少し余裕が生まれたからか、雑然とした空気の中、周囲の会話が断片的に拾えるようになる。別嬪さんか、と思ったケイは、隣のアイリーンにさり気なく視線をやった。しかし、全く同じタイミングでこちらを見たアイリーンとばっちり目があい、反射的に目を逸らしてしまう。

…………

何とも落ち着かない気分のまま、沈黙の中に沈む。

おにいちゃん……

と、ハイデマリーと一緒に、今度はエッダがやってきた。もじもじとしているような、そわそわとしているような―いつもの天真爛漫なエッダとは、何かが違う。

やあ、エッダ

声はかけたものの、それ以上何をどう話せばいいのか分からないケイ。隣のアイリーンも、似たような状況で、ただ曖昧な笑みを浮かべている。

……おにいちゃん、決闘するの?

……まあな

おねえちゃんをかけて?

ん……まあ、そうなる、な

何とも渋い顔で答えるケイに、俯いたエッダは ……そう と小さく呟いた。

明るい黒色の瞳が、ケイとアイリーンの間で揺れる―。

それは、どこか悲しげで、それでいて困惑しているような、不思議な表情だった。

……おにいちゃん、がんばってね。負けちゃダメだよ!

やがて、ぎこちなく笑みを浮かべたエッダは、ケイが何かを答える前に、背を向けてトタトタと走り去っていく。

はぁ、まったく。あの子もねえ、そうねぇ……

曲がった腰をさすりながら、ハイデマリーがくつくつと笑い声を上げた。

さて、ケイや。あんたも若いんだから、あんまり酷い怪我はするんじゃないよ。気を付けてね

それだけを言い残し、ハイデマリーもエッダの後を追ってゆっくりと歩いていった。

……何だ今の

……さあ?

ケイとアイリーンは顔を見合せて、互いに肩をすくめる。

しかし、エッダみたいな小さな子も、見物に来るのか

うーん。教育上どうよ、って思わないでもないけど

この世界だと普通なのかも知れんな……

そーだな、こっちは何かと物騒だし

気を紛らわせるように、取り留めのないことをぽつぽつと語り合う。皆の視線を一身に浴びていることに、気付かない振りをして、ただただ時が過ぎるのを待った。

そして―

待たせたな

遂に、村の方から、アレクセイが歩いてくる。

ピエールと連れだって登場した彼も、やはり、ケイと同様に重武装だ。板金付きの革鎧に、ぴかぴかに磨き上げられた金属製の兜。手甲も、脛当ても、兜と同じ白っぽい金属で出来ており、狼のような動物の装飾が彫り込まれている。しかし、両者ともに相当に酷使されてきたのであろう、無数の細かな傷のせいで、浮き彫り細工の殆どが潰れて見えなくなっていた。

左腕の上腕部には直径30cmほどの、丸みを帯びた金属製の円形盾(バックラー)。これもまた、かなり使い込まれた逸品で―何度も、主人の命を守ってきたに違いない―表面には幾筋もの刀傷が走っている。

そして、その右手に握られている、アレクセイの『剣』。無造作に肩に担がれ、ひときわ衆目を集めるそれは、形容するのに一言で足りる。

大剣。

ケイに負けず劣らず体格の良いアレクセイ、その背丈とほぼ同じ刃渡りの、長大な片刃の剣だった。振り回しやすいように長めに作られた柄、緩やかに弧を描いて反り返った刀身。片刃ということも相まって、それは何処か日本の大太刀を連想させた。

どこに持ってたんだそんなの

思わず問いかけたケイに、アレクセイは屈託のない笑顔で、

普段持ち運ぶには、ちょいと邪魔だからな。ピエールの旦那の馬車に置かせて貰ってたのさ

隣に居るピエールの背中を、左手でドンッとド突くアレクセイ。本人としては軽く叩いたつもりなのかも知れないが、金属製の盾を装備した一撃は想像以上に重く、元々細身のピエールは勢いよく前につんのめった。

ゲフッちょっアレクセイくん痛い痛い!

や、旦那、こいつぁ失敬

非難するようなピエールに、頭を掻きながら笑って誤魔化すアレクセイ。

さぁてアイリーン。この決闘で、きっとお前のハートを射止めてみせるぜ

ケイの傍らのアイリーンに、改めて向き直って爽やかな笑みを浮かべる。それに対し、アイリーンは イーッだ と顔をしかめて応えた。

うっせー! お前なんかボコボコにされんのがお似合いだ!

ばーかばーか! とケイの前で、容赦はないがイマイチ捻りのない罵倒を浴びせるアイリーン。その目にギラリと不穏な光を宿したアレクセイは、口の端を歪めてぺろりと唇を舐めた。

……そそるねぇ

軽薄な笑みを浮かべたまま、 よっ と無造作に、右手の大剣を振り下ろした。

数歩の距離。びゅオッ、と風を巻き込んで、ブレた刃がぴたりと止まる。

喋繰(しゃべく)り回っていた周囲の野次馬が、みな、悉く押し黙った。

それは、示威行為―とでも呼ぶべきか。

風を切り裂く鈍い音は、その凶器たり得る重みの証左。片手で振り下ろす動作、ぴたりと定まる刀身、それぞれ使い手の力量が十全のものであり、長大な刃が決して見かけ倒しでないことを如実に物語る。

おれの言葉の意味が分かったろう

どこまでも不敵に、アレクセイは嗤う。

得物にも格の違いってもんがある。そんなな(・)ま(・)く(・)ら(・)じゃ、打ち合いにもならないぜ

大剣を肩に担ぎ直し、ケイの腰の長剣に視線を注ぎながらの言葉に、ケイは小さく溜息をついた。

この期に及んで、身を引くつもりはない。別に、そこまで煽ってくれなくても結構だ

顔布を着けながら、ケイが冷めた目を向けると、アレクセイも表情を消して そうか と頷いた。

どうしようもない沈黙が、その場に降りる。

顔布で表情を隠したケイと、もはや、アイリーンさえ眼中にないアレクセイ。黙した二人の視線がぶつかり合い、弾け、渦を巻き、不気味な静けさだけが滲み出る。

二人とも、準備は良いか

いつの間にか、近くまで来ていたホランドが、どこか疲れた様子で二人に問うた。

問題ない

完璧だ

返答は、言葉少なに。

よし。……それでは、お互いに悔いなきよう。全力で闘うことだ

ホランドの言葉を受け、今一度、ケイに一瞥をくれたアレクセイは、何も言わずに兜の面頬を下ろした。ガシャン、と目元を隠すバイザーの奥、隙間から覗いた青い瞳が、真っ直ぐにケイを射抜く。ゆらりと背を向けたアレクセイに、人混みが二つに割れ、五十歩の道を譲った。その背中を見送りながら、ケイも無言のまま、おもむろに矢筒の口のカバーを取り外す。

ケイ……

唇を噛みしめたアイリーンが、ケイの左腕に手を添えた。

心配するな

顔布の下、極力優しげな笑みを浮かべて、ケイはそっと、その手に自分の手を重ねる。

負けやしないさ。信じてくれ

……分かった

不安げな、そしてやるせない表情を浮かべたアイリーンは、最後にケイの手をぎゅっと握りしめて、野次馬たちの最前列にまで下がっていく。

…………

アイリーンから、視線を引き剥がし。

ケイは思考を切り替えた。

†††

五十歩の距離。

大股で歩いて、40m強といったところか。

それほど大した距離ではない―とケイは思う。本気のアレクセイであれば、おそらく数秒とせずに詰めてくる。どうしたものか、と他人事のように考えながら、“竜鱗通し(ドラゴンスティンガー)“の弦を軽く弾いた。

ぶんっ、と心地よい音が耳朶を震わせる。

元々は、まず盾を破壊して戦意を喪失させ、後遺症にならない程度に痛めつけるつもりだったのだが―。あの金属製の円形盾(バックラー)、貫徹するには骨だぞ、というのがケイの正直に思うところだ。

概して、バックラーのような小型の盾は、その防御範囲の狭さから飛び道具に弱いとされる。だが、あの使い込まれた傷だらけの盾を見るに、アレクセイも相応の技量は持ち合わせているはずだ。最初の一矢、二矢は、避けられるか捌かれるか―いずれにせよ、無効化されるとケイは予想する。

(さて、どうやって『倒す』か……)

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