大げさに指の関節を鳴らしながらケイが凄むと、店主は足元の火かき棒とケイを交互に見やり、すっかり顔を青褪めさせていた。 効いてる効いてる というアイリーンの呟きが背後から聞こえ、不覚にも吹き出しそうになったケイは必死で怖い顔を保つ。
―おいコラ
と、そのとき、何者かが声をかけてきた。険しい表情をキープしつつぎろりと横を見れば、干し果物屋の隣でクレープを売っていた初老の男が腕を組んで憮然としている。
クイッ、と折れ曲がった火かき棒を顎で示した初老の男は一言、
火かき棒(ソレ)、ウチのなんだが
えっ
確かに、よくよく見れば火かき棒の立てかけられていた支柱は、隣のクレープ屋のものであった。冷静に考えれば、成る程、干し果物屋は火を扱わないので火かき棒を置いておく必要もない。
す、すまない……! てっきり干し果物屋のものかと
慌てて火かき棒を拾い上げたケイは、すっかりくの字に曲がってしまったそれに眉を下げる。
戻せるかこれ……? いや! 御老体、しばし待って頂きたい。どうにかする
捻じ曲がった部分を両手で掴み、反対側に曲げ始める。両手を使う分、よりスムーズに矯正できたが、しかし今度は勢い余って曲げ過ぎてしまう。ケイは四苦八苦しながら、不器用に火かき棒の形を整えた。
……よし。これでどうだろうか
…………
くねくねと微妙に蛇行する火かき棒を受け取って、クレープ屋の老人は渋い顔だ。
……まあ、使えんことはないが
ぷすー、と溜息をついて、そのまま傍らに火かき棒を置く老人。ほっと胸を撫で下ろすケイの横で、アイリーンがくすくすと可笑しそうに笑っている。
いつの間にか、野次馬たちも散っていた。近隣の露天商はなんとも締まらないオチに苦笑しているようだ。件の干し果物屋もそっぽを向いて知らん振りを決め込んでいる。
で? もちろん何か買っていってくれるんだろ? なあ
コンコン、とクレープ用の伸ばし棒で鉄板を叩きながら、老人。 も、勿論 とケイは引き攣った笑顔で頷くほかなかった。
ケイは軽食としてハムとチーズのクレープを、アイリーンは果物と蜂蜜を使った甘めのものを注文し、老人が作っている間に、自分たちの境遇などを大まかに説明した。
……成る程なあ、お前たち”シャリトスコエ”に行きたいのか。物好きなことだ
“魔の森”に最も近い小さな村―シャリトスコエの名を聞いて、老人はしたり顔で頷いていた。
ん、知ってんのか爺さん
ああ。ワシの生まれはシャリトの近くでな。何だかんだあって、こんなところ(ディランニレン)まで流れ着いてしまったがなぁ……
昔を思い出したのか、何やら悲しげな顔でズズッと鼻をすすって、ぐりぐりと右手で鼻の下辺りを擦る老人。そのままの手でクレープ作らないで欲しいな、とケイは思ったが、儚い祈りは届かなかった。流れるような所作でチーズとハムを摘み、クレープ生地で包む老人。食欲の減退する光景にケイもまた悲しげな顔をする。
―いや、『こちら』ではこの程度のことは日常茶飯事だ。食堂や酒場などの衛生環境はお世辞にも褒められたものではないし、異物混入などもいちいち気にしていたらきりがない。『身体強化』の紋章があるから大丈夫、大丈夫……とケイは自分自身に言い聞かせ、努めて気にしないことにした。
ほれ、チーズとハムのクレープな
ありがとう……
でもさー、オレたちもちょっと困ってんだよね
ケイが物思いに沈んでいる間も、アイリーンは老人との会話を続けていた。
ブラーチヤ街道北上したいんだけどさ、最近馬賊出てるらしいじゃん?
らしいなぁ
老人は一瞬、ケイをちらりと見て悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
……何度も言うが、俺は関係ないぞ
なぁに、さぞかし苦労が多かろうと、そう思っただけのことよ。異民族は生きにくい、なあ?
でさでさ、オレたちも隊商に合流できたらなーとか考えてるんだけど、コネもツテもないし―
話が妙な方向に逸れる前に、アイリーンが強引に言葉をつなぐ。
爺さん、何か耳寄りな情報ない? 年の功でさー
年の功は余計だっ小娘が
めっ、と怒ったような顔でアイリーンを睨んでみせた老人は、蜂蜜のクレープを作りながら そうさな…… と考え込む。
たしか……『ガブリロフ』商会だったか。明日あたりに隊商を組むらしいと聞いた
おっ、マジで! オレたちも飛び入り参加できるかな?
どうだか。あそこの商会は閉鎖的だからなぁ……
ふーん。でもまぁ、試してみる価値はありそうだ。なあ爺さん、そのガブリロフ商会っての、どこにあるか知ってる? あと口添えとかしてくんない?
毎度のことながら、愛想の良さを全開にしてガツガツと攻めていくアイリーンの姿勢には、ケイも感心するやら呆れるやらだ。老人は蜂蜜のクレープをアイリーンに差し出しながら、ガッハッハと大声で笑った。
たったクレープ一つで、なんと厚かましい娘だお前さんは! ……すまんが、ワシには口添えなんざ大それたことはできんよ。ただ商会の場所は知ってる。あの通りを真っ直ぐ行って、三番目の角を左に進むといい。そうすれば突き当たりの小さな広場に獅子の銅像があって、商会の本部はその目の前だ。大きな看板があるから一目で分かるだろうさ
おおー、ありがとう爺さん! あ、オレ、アイリーンっていうんだ。爺さんは?
ワシは、スパルタクよ。よろしくな
一瞬、会話の流れが止まり、二人の視線がケイに集中する。慌てて口の中のクレープを飲み込んだケイは、革兜を脱ぎ老人―スパルタクに一礼した。
ケイだ。情報提供ありがとう、スパルタク氏
ふん、野郎に礼なんぞ言われても嬉しくないわ
カシャカシャッ、と鉄板の上の小麦粉のクズを払い落としながら憎まれ口を叩くスパルタクに、思わず苦笑する。
クレープを片手に、ケイたちは今一度スパルタクに礼を言ってから、教わった道の方へと歩き出した。
ここにきてようやく進展があったな、流石だぞアイリーン
ふふん、任せろ。……あ、これ美味しい
もっぎゅもっぎゅとクレープを頬張りながら、アイリーンが幸せそうに目を細める。微笑ましげにそれを見守るケイであったが、ふとスパルタクについて、気になる点に思い至った。
なあ、アイリーン
ん?
さっきのスパルタク氏だが、随分と綺麗な英語を話していたな
スパルタクは顔つきから雪原の民のように見えたが、その英語は流暢で一切のロシア語訛りが入っていなかった。
ああ。なんかポロッと漏らしてたけど、平原の民とのハーフなんだってさ
……ほう
ケイは、ちらりと振り返る。視界の果て、広場の片隅でクレープを焼く老人。
―異民族は生きにくい、なあ?
そんな声を聞いた気がして。
†††
で、だ。……最終的に、どうだろう。ケイは隊商に合流した方がいいと思うか?
そうだな、条件にも依るが俺は良いと思うぞ
クレープを食べ終わったケイたちは、歩きながら話し合いを続ける。
ただ、スパルタク氏曰く閉鎖的な商会らしいが……
う~ん。やっぱりそれ相応の『価値』を示さないといけないよな。仲間に加えたい、と思われるような……
指先で唇をなぞりながら、アイリーンが考え込む。
……よし。魔術で売り込みをかけよう。オレの魔術と”警報機”があれば、対価なしで隊商に入れてもらえるんじゃないかな
ほう、思い切るな
他に切れるカードがないんだ。ケイのシーヴも悪くないけど、常用できないし
だな……
ケイの契約精霊”風の乙女”シーヴは、あくまで奥の手だ。アイリーンとは違って気軽に魔術を運用できるわけでもなし、必要に迫られるまでは伏せておくのが吉だろう。
魔術を提示するなら、どんな排他的な連中でも諸手を挙げて歓迎するだろうが……問題は俺だな。最悪アイリーンだけ隊商に加わって、俺とサスケが別行動―
そりゃあないぜケイ! か弱い乙女を野獣どもの中に放り出そうってのかよ!
いやん、と頬に手を当てたアイリーンがしなを作ってみせるが、 よく言う とケイは苦笑した。素手での近接格闘なら、アイリーンの方がよほど強い。
まあ実際、ケイだけハブられるくらいなら参加しない方がマシだ。そんときゃ諦めて二人旅と洒落込もうぜ? ……ふふふ
なんだ、その笑みは。まあ、それも悪くはないな……俺は弓の腕前で売り込みをかけるしかないか。あとは公国の身分証が上手いこと働いてくれるといいな
軽口を叩きながら歩いていくと、やがてケイたちは、獅子の銅像が鎮座する小さな広場に辿り着いた。
あれがガブリロフ商会とやらか
ケイは看板に書かれたキリル文字が読めないが、しかしガブリロフ商会の本部はすぐにそれと分かった。銅像の真正面に佇む、北の大地風な丸屋根の建物。周囲の家屋に比べれば格段に立派な造りだ。本部の前では、数人の雪原の民の男たちが小型の荷馬車を取り囲んで何やら話し合っている。
アイリーンが空を仰いだ。夕刻、日は既に傾いている―
― Kerstin.
アイリーンがぱちんと指を鳴らすと、その足元の影が微かにさざめく。
うん。イケるな
よし
ケイとアイリーンは、顔を見合わせて、小さく笑った。
―それじゃあ、交渉と行こうか
商会本部に向け、二人は足を踏み出した。
39. 商会
ガブリロフ商会本部の前で何やら議論していた男たちは、ケイとアイリーンの姿を認めるや否やぴたりと話を止めた。
太めな中年親父が一人に、武装した屈強な男が三人。
胡散臭げにケイとアイリーンの間で視線を彷徨わせた彼らは、こちらが挨拶するよりも先に動いた。
中年親父が一歩後ろへ下がり、屈強な男の一人―赤毛の偉丈夫が庇うようにその前に立つ。他二人はゆらりと左右に広がりつつ、さり気無く腰の剣の角度を調節した。
無言のまま、自然な、それでいて完璧な連携。
真ん中の赤毛の男はケイの視界から中年親父を隠し、双方を結ぶ直線上に立ち塞がっている。左右の二人は如何様に剣を抜いても互いに干渉しない、絶妙な間合いを保っていた。
いっそ、清々しいまでの警戒ぶり。 やあ と声をかけようとして口を開けたまま、アイリーンは笑みを引き攣らせて固まった。
『……何の用だ』
後ろに下がった中年親父―おそらくこの場で最も立場が上と見える―が、苛ついたような低い声で問いかける。
“雪原の民の言語(ルスキ)“だ。“公国語(イングリッシュ)“で話すつもりはないらしい。アイリーンは一瞬ケイを気にしたが、ここは自分が話した方が良かろうと判断してぺろりと唇を湿らせる。
『……そんなに構えないで欲しいわ。別に喧嘩をしにきたわけじゃないの』
アイリーンもまたロシア語で答えると、中年親父はケイに向けて顎をしゃくった。
『草原の民を連れている。それだけで、我々にとっては充分に警戒の対象だ』
『彼は草原の民じゃない。私のツレだけど、それは保証する』
『そんなことは聞いとらん。何の用だ』
不機嫌な表情のままそう繰り返す男に、これは先が思いやられるとアイリーンは肩をすくめた。
『明日、ガブリロフ商会が隊商を出すと聞いたわ』
『それがどうした』
『……単刀直入に言うと、貴方たちの隊商に同行させて欲しい。私たちもベルヤンスクを目指しているの』
『なに?』
しばし目を瞬いた男は、そのまま鼻を鳴らして首を横に振った。
『話にならん。帰れ』
『もちろんタダでとは言わない。貴方たちにとっても得になる話』
『ほう、何をしてくれるつもりだ? まさか身体でも売ろうってか』
左右に控えていた護衛の一人が、下卑た笑みを浮かべてアイリーンの肢体に舐めるような視線を向けた。アイリーンはそれに答えず、ただパチンと指を鳴らす。
―Kerstin.
ぞわりと空気が異様な気配を孕んだ。アイリーンの足元の影が震える。
まるで無数の蛇のように、あるいは何かを探る手のように。
おぞましくのた打ち回る黒い影―
四人は少女の背後に、淑やかに微笑む貴婦人の姿を幻視した。
『……魔術師か』
僅かな動揺をふてぶてしさで塗り固め、中年親父は鼻を鳴らす。他の男たちも一瞬身を固くしたが、すぐに肩の力を抜いて自然体に戻った。内心は分からないが、少なくとも平常心を保っているように見える。
『あら、あまり驚かないのね』
『我々商会も魔術師を抱えているからな。……ここまでおぞましくはないが』
強がるように言いつつも、蠢く影に気味が悪そうな中年親父。