公国に比べて植生はがらりと変わり、潅木や針葉樹が目立つようになった。公国側の山のふもとは森に覆われていたが、北の大地側は少し土が痩せているらしく、木々が疎らな木立が目立つ。
それでも鳥や山羊のような生物がちらほらと見かけられたので、飲料水は兎も角、いざとなれば食い物は調達できるなとケイは笑った。アイリーン曰く、常人の視力ではとても見つけられないそうだが。
サスケの手綱を握り、公国とは違う風景を楽しみながら、駆け足の速度で進んでいく。
が、しばらくするうちにヴァルグレンの 治安がよろしくない という言葉の意味が、じわじわと分かってきた。
まず、街道の状態が非常に悪い。敷設されている石畳はひび割れが目立ち、所々が馬車での通行に支障が出そうなほど欠損している。寂れている―というべきか、途中で見かける村々もじっとりとした雰囲気で、貧相な格好をした村人たちは、睨み付けるような、粘着質な視線を向けてきていた。
やっぱり、もう馬賊の話は伝わってんのかな?
不安げに、後方のアイリーンが問いかける。
分からん……どちらにせよ、歓迎ムードではないな
硬い声で答えたケイは、左手の”竜鱗通し(ドラゴンスティンガー)“の感触を強く確かめながら、油断は出来ないと改めて気を引き締めた。
(……しかし、やはり隊商護衛は良い経験になっている)
視界全体に注意を払いながら、ふとそんなことを思う。
今、ケイは周囲を警戒しているが、決して気を張りすぎているわけではなく、適度に肩の力を抜き視野を広く持つことができていた。さほど意識していないが、視界内に動くものがあればすぐにそれとなく察知できる。
この適度な力の抜き方を、短い間ではあったが、あの隊商護衛の仲間たちから学べたのだとケイは思う。
例えば今も、道の果ての茂みに何か違和感があったかと思えば、ひょっこりと鹿の親子が飛び出してきた。頭上から視線を感じたと思えば、枝に止まってじっと見下ろしてくる白い鳥。ふと右を見れば、木陰からこちらを伺う山猫と目が合う。
一々細かいことが分かるようになったものだ、と自分のことながら感心する。
突然矢が飛んでくるかも知れず、道に罠が張ってあるかも知れず、物陰から強盗が飛び出してくるかも知れず―油断すれば命も危うい世界で、しかしそんな乾いた空気が実によく身体に馴染んでいる。
ある程度気楽に構えていられるのは、慣れているからか、それともこれも油断なのか。
客観的には判断しかねるが、少なくともそれを負担と感じないのは、悪いことではないはずだと自分に言い聞かせる。溜息をついたケイは無意識のうちに、鞍に括り付けてある矢筒を撫でていた。
それから、二時間ほど駆けていたであろうか。日が傾き始め、夜をどう過ごすか相談し始めていた頃、ケイたちは小さな集落に辿り着いた。
道の両側に住居が立ち並ぶ、路村と呼ばれる形態の田舎村だ。エゴール街道沿いの集落は、どれもこれもしみったれていたが、この村は―比較的マシであった。
少なくとも家の戸が傾いたりしていないし、蜘蛛の巣と煤に塗れている風もない。住民たちも他の集落に比べれば、いくらか好意的だった。村人はロシア語しか喋れないようだったが、アイリーン曰く、村長が善意で一晩の宿を提供してくれるらしい。
見知らぬ土地で野宿するのも不安であったので、ケイたちは有難くその申し出を受けることにした。
サスケとスズカを預け、村長宅の物置のような質素な部屋に荷物を置き、夕餉の席に招かれる。
恰幅のよい白髪の村長に、その妻の老婆、息子夫婦と思しき男女に、幼い子供が三人。ランプの暖色の明かりに照らされた居間に、家族全員が勢ぞろいしていた。さっき倉庫から引っ張り出してきた、と言わんばかりのオンボロな椅子を借りケイたちも席に着く。
『―? ―!』
『―。―、―』
村長とアイリーンがロシア語で雑談する中、手持ち無沙汰となったケイはきょろきょろと家の中を見回していた。
ここらの家は、こういう造りになってるんだなぁ……
公国では見ない茅葺屋根に、子供に家を描かせたらこうなるであろう、というような、シンプルな構造。興味深げなケイに、何やら子供たちが笑っている。
最初は、異人種の自分が珍しいのか、などと思いケイも愛想笑いを浮かべていたのだが―何か心に引っかかるものを感じるようになるまで、そう時間はかからなかった。
(なんだ……? あの目は……)
年の頃は、一番上が十歳ほどで、一番下はおそらく四歳ほどだろうか。兄、妹、末っ子の弟、といった組み合わせだったが―その目に、ケイは違和感を覚える。
何か―小狡い、としか表現のしようのない、不快な光がそこにはあったのだ。
(馬鹿にされている……?)
まず、幼いが故の差別意識を疑ったが、異人種だから舐められているというのとは少し違う感触だった。
不審がるケイに気付いたのか、隣に座っていた母親が、ケイを指差す長男の手をぱしんと叩いてたしなめている。
しばらくして、食事が運ばれてきた。
そのときに気付いた。この家では、“家人”は誰も料理をしていなかったことに。
料理を運んできたのは、質素な貫頭衣に身を包んだ―
―草原の民?
呆気に取られたのは、ケイだけではないだろう。隣で雑談に興じていたアイリーンも、一瞬会話が止まっていた。
料理の皿を捧げ持ってきたのは、二人の草原の民だった。二人とも女で、顔には独特な刺青があるが、鉄製の首輪を嵌められており心なしか痩せている。二人とも、ケイを見て少し驚いた風だったが、そのまま黙々と料理をテーブルに並べ、しずしずと部屋を辞去していった。
なんだ今の……
ケイの呟きを聞いたアイリーンが村長に一言二言質問すると、彼はにこやかな顔で、
Ведомого.
と答えた。
……奴隷だってさ
困ったような顔で、アイリーンが囁く。
そうか……
ケイも困ったような顔しか出来なかった。しかし同時に、すとんと胸に落ちるような、そんな感覚もあった。
気を取り直して、いよいよ晩餐となる。アイリーンがテーブルに並べられたスープ皿のひとつに手を伸ばしたが、村長がやんわりとそれを止め、他のスープよりも少し具が豪華な料理をケイとアイリーンに供した。
……なんか、この村の、客をもてなす伝統料理なんだってさ
……ほう
少なくとも、匂いは美味しそうだった。何やら独特な香辛料の香りがある。村長たちはケイたちの機嫌を窺うような愛想笑いを浮かべていた。
まあ、ありがたく頂こう
そうだな
ケイたちが食べ始めたのを見て、村長たちも自身の皿に手を付ける。客人が食べ始めるのを待つのが、この村の礼儀なのだろうか。
村の伝統料理とやらは、豚肉と根菜と葉野菜をこれでもかとぶち込んだクリームスープだ。ザワークラウトのような酸味があり、スープには出汁の味がよく出ていて大変美味であった。が、コリアンダーにも似たハーブの香りが、どことなく浮いているように感じられる。
その他にも、黒パンや干し果物、焼いたソーセージなども追加で供され、少量ではあったが蒸留酒まで振舞われた。田舎の村とは思えないような豪華な食事。しかしケイにとっては、言葉が通じないこともあったが、様子を窺うような―まるで観察するような―家人の視線がどうにも気になり、あまり楽しめない夕餉だった。
食後は、アイリーンも雑談を早々に切り上げ、二人して提供された部屋に引っ込む。
ふぅ。何だかんだで腹いっぱいになったなー
ああ……
明るい調子で、ぽんぽんと腹を叩くアイリーン。ぽすん、と一つしかない寝台に、二人で並んで座る。
……奴隷にはびっくりしたが
なー。聞いてみたら”戦役”のときに、奴隷落ちした草原の民が大量に北の大地に売り払われたんだってさ。それ以来、その……なんていうか、時々『入荷』するんだって、同じような奴隷が
なるほどな……
子供たちは正直だったわけだ、とケイは納得しようとしたが―それでも、何か引っかかるものがある。なぜか落ち着かない気分だった。
……なあ、アイリーン。この村の住人、どう思った?
……うーん
問いかけてみると、アイリーンもまた思うところがあったのだろう。
…………胡散臭いよな?
アイリーンもそう思うか
うん。なんか、ちょっとな……
自然と、二人の声のトーンが下がる。
ただの行きずりの旅人に、もてなしが手厚すぎると思うんだが
それはオレも思った。あとなんか、探るような目で見てくるよなアイツら
実は腹いっぱい食わせて酒を呑ませて、寝込みを襲おうとでもしてるんじゃ……
……だったら、どうする?
今更動きづらいが……まあ適当に謝礼を払って、今から村を出るのもアリか
うーん、そうだな……
しばらくうんうんと唸って考え込んでいたアイリーンだが、やがてぽんと手を打ち、
そうだ、警戒魔術でも仕掛けておこう。何かあったときはビビらせればいいだけだし、人間相手ならハッタリも有効だしな
それがいい
果たして、アイリーンはケルスティンを顕現させ、部屋の扉に対人用の警戒魔術を仕掛けた。
元々寝台が小さく、二人では満足に寝転がれなかったことから、ケイが壁にもたれかかるようにして座り、アイリーンに膝枕をした。ケイもアイリーンも武装は解除せず、万が一に備えていつでも動けるよう体勢を整えて眠る。
おやすみ、ケイ
おやすみアイリーン
布を重ねたケイの膝を枕に、すやすやと寝息を立て始めるアイリーン。ケイは体勢的にあまりリラックスできないので、(俺はそれほど深く眠れないだろうな……)などと思いつつも、睡魔に襲われずぶずぶと眠りに誘われていった。
そして深夜。
事(こと)は起きた。
『―!! ―!?』
野太いロシア語の悲鳴。ケイがカッと目を見開いて覚醒すると同時、アイリーンが毛布を跳ね除けて飛び上がる。
見れば、部屋の扉が開いており、黒い影に飲み込まれた男が床の上で転げ回っていた。
村長だぜコイツ!
やはりか!
村長の後ろには、ランプを片手に腰を抜かしたように座り込む息子夫婦の姿もあった。
―Liberigxu(解放せよ).
アイリーンの一言で、まとわりついていた影が霧散する。中からは、真っ青な顔で床に這い蹲り、怯える村長が現れた。
『―!? ―、―!』
アイリーンが厳しい口調で何事かを問うと、しどろもどろになりながら村長が弁明を始める。ケイは”竜鱗通し”を片手に、左手を腰の剣の柄に置いて背後の息子夫婦を監視するように睨み付けた。
『―ッ!』
村長がある程度弁明を終えた辺りで、アイリーンが一喝。
『―、―……』
低い声で、かつおどろおどろしい口調でアイリーンが話し始めると、冷や汗を垂らした村長と息子夫婦が震えながらその場で平伏した。状況は良く分からないが、アイリーンが高圧的な態度を崩さないので、ケイも取り敢えず隣でふんぞり返っておく。
その後、何かを命じられた息子夫婦が家を飛び出していき、アイリーンに目線で促されたケイもまた、荷物を持って外に出た。
驚いたことに、家の外には松明や鎌、棍棒などを手にした数人の村人が待機していた。皆、ケイたちの姿を認めるや否や殺気立っていたが、アイリーンが威嚇でケルスティンの影を放つと蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。
それと入れ替わるようにして、息子夫婦がサスケとスズカの手綱を引いて戻ってきた。
『―』
アイリーンが尊大な顔で言い放つと、平身低頭しながら息子夫婦は家の中へと引っ込んでいった。
よし、行こうぜケイ
お、おう
荷物をサスケの鞍に括り付け、そそくさと村から離れていく。サスケもスズカも夜目がそれほど利かないので、ケイが手綱を引いて先導する形だ。
……ぶふっ
しばらく沈黙を守っていたものの、村から充分離れたあたりで堪えきれなくなり、どちらからともなく吹き出した。
気が抜けたように、しばし二人でからからと笑い合う。
ああ。傑作だったな、あの村長たちの怯えっぷりといったら
笑いすぎで出てきた涙を拭いながら、ケイ。スズカに跨ったアイリーンはわざとらしくえっへんと胸を張り、
―なかなかの名演技だったろ?
ああ。レイフ=ファインズもびっくりな悪役っぷりだったさ―それで、村長たちには何て言ってやったんだ? 随分と怯えてる様子だったが
なぁに、大したことは言ってねーよ。『我は偉大なる闇の魔術師! 大人しくしていれば見逃してやったものを、一家揃って呪いをかけてやろうかー!』ってな具合さ
それだけか?