では、ディランニレンに戻るまで道中の水はどうするのか、という話になるのだが。
真っ当な手段で水を確保するのは難しい―苦肉の策としてケイたちが考え出したのが『邪悪な魔法使い(イヴィルウィザード)』作戦。夕暮れ後や夜明け前―アイリーンが魔術を使える時間帯に集落を訪ね、水を工面して貰えるようまず交渉する。成立すればそれでよし、決裂した場合はケルスティンの影で村人をビビらせ、高圧的な態度で改めて脅迫(こうしょう)に臨む、というシンプルな作戦だ。
ケイは顔布で顔を隠してフードを目深にかぶり、一言も話さない不気味な護衛戦士の役を演じ、アイリーンは予備の外套を着込んで換金用の装飾品をじゃらじゃらと身につけ、なぜか持ってきていた口紅まで引き、尊大な魔術師として振舞った。
夕闇に浮かぶ、真っ白な肌と紅い唇のコントラスト。いわゆる一般的な”魔術師”のイメージからかけ離れたアイリーンの若さと美貌は、辺境の民の目には一際異様に映ったに違いない。寝込みを襲われた際の経験を活かしたのだが、この作戦は、思いのほか上手くいった。
アイリーン曰く、ここら一帯の住民は信心深い―迷信深いというべきか―らしく、詳しい知識がないことも相まって、呪いや魔術を極端に恐れているらしい。直接的な害がなく、それでいて得体の知れないケルスティンの『影』は、そんな彼らを脅かすにはもってこいだった。
アイリーンが影をけしかければ住民は老若男女を問わず恐れおののき、こちらの要求がすんなりと通るという状況。ケイもアイリーンも、多少悪ノリしていた感は否めないが、やはり脅迫まがいの行為に手を染めるのには罪悪感があった。水の対価は現金で払う、必要以上に脅かさない、などと線引きをして、ケイたちは道中の村々に立ち寄り水を手に入れていった―のだが。
ディランニレンが目前にまで迫ったところで、とうとう問題が起きた。
とある村の住民たちが、よほど切羽詰っていたのか、アイリーンの魔術を恐れながらも強固に抵抗してきたのだ。まさか皆殺しにするわけにもいかず、また、あまり騒ぎすぎると街の警備隊が駆けつけてくる可能性があったので、ケイたちはそのまま水を補給せずに村から逃げ出した。
そして―仕方がなく、ディランニレンまで歩き通したわけだ。
あああ……生き返るぅ……
ピッチャーに直接口をつけて、冷たい水を飲み干したアイリーンが、ぷはっと満足げに息をつく。
ディランニレン、宿屋の裏手。厩舎で桶の水をがぶがぶと飲むサスケとスズカの横で、ケイたちもまた喉の渇きを癒していた。
人間、水がないと生きていけない……本当によく分かった……
しみじみと呟くケイは、アイリーンとは対照的に水筒の水を一口一口味わうようにして飲んでいる。ただの水をこれほど美味いと思ったことはない。清涼な命の滴が、血流に乗って体の隅々にまで染み渡っていく。
思う存分に水を飲んでから、二人ともしばらくピッチャーや水筒を片手に放心状態になっていたが、ふと我に返って顔を見合わせる。
……で、どうする、この後
……そうだな
謎の達成感があったが、旅はまだ始まったばかりだ。ディランニレンはあくまで出発地点に過ぎず、目的地は北の大地のさらに辺境、魔の森。
ブラーチヤ街道を北上するのは既定路線としても……どう行くか
馬賊がなぁー。この三日間でどうなったんだろ
ぼりぼり、と頭をかきながらアイリーン。
ここ数日でそれほど劇的な変化があるとは思えないが、ケイたちは基本中の基本、まずは聞き込みから始めることにした。
サスケとスズカを宿屋の厩舎に預け、街に繰り出す。相変わらず、ケイ―草原の民に見える男―に向けられる住民たちの視線は刺々しい。ディランニレンに到着した初日のように、アイリーンが先行して雪原の民に聞き込みを試みていたが、その間ひとりきりのケイに荒っぽい男が絡んできたり、衛兵が怪しんで近寄ってきたりという事態が多発したため結局二人で行動する羽目になった。
これじゃオチオチ散歩もできないな
う~ん……少なくとも状況は、良くはなってねえな
開き直った様子でシニカルに笑うケイに、アイリーンは渋い顔だ。
聞き込みはあまり捗らない。ケイがセットになったことで、アイリーンに対する通行人の態度が目に見えて悪くなった。笑みを浮かべて話しかけても、胡散臭げにじろりと一瞥されるだけで無視されることもしばしばあり、アイリーンは少し凹んでいるようだ。そういえば彼女はハブられたり疎外されたりするのが苦手だったな、と思い出したケイも、やはり良い気持ちはしない。
しばらく歩いていると小さな広場に行き当たり、そこでは市場が開かれていた。ただの通行人よりは商人の方が愛想も良かろうと、携行食などの小物を買い足しながら、露天商たちに話しかけていく。
馬賊? ああ、最近は被害が酷いらしいねえ
この頃はブラーチヤ街道の近くにも出始めたと聞くが
対策に大規模な隊商が組まれるらしいな……
その男は草原の民じゃないんだろうな? ん、それは公国の身分証……いや、失礼
雪原の民に比べ平原の民―公国出身の商人たちは、まだケイに対する風当たりも強くなかった。疑われるたびに提示したウルヴァーンの身分証も、それなりに効果があったらしい。断片的にではあるが徐々に情報を集めていく。
なんてこった……馬賊の連中、ブラーチヤ街道沿いにも出始めたのか……!
一通り商人たちに話を聞き終えたあと、市場の片隅でアイリーンは頭を抱えた。
状況はむしろ悪化してるな
ガッデム! こんなことなら最初っからブラーチヤ街道進んでおくんだったー!
ケイの端的なコメントに、自身のポニーテールをガシガシ引っ張りながらアイリーン。こういうとき、無駄だとは悟りつつも取り敢えず地団駄を踏むのが彼女だ。ケイもいつものように生温かい目で見守る。
で、どうするアイリーン
隊商が云々……ってさっき誰かが言ってたよなぁ。合流するべきか?
出来るならそれに越したことはないだろうが
……出来るなら、だよな。二人で一気に駆け抜けるって手もあるとは思うんだけど
俺もそれは考えた。二人の方が身軽だし、いざ馬賊に遭遇しても魔術を使えば高確率で逃げられると思う……だがリスキーなのは変わらないし荷物を捨てる羽目になるぞ
仮に馬賊の襲撃をかわすとなると、現状ではスズカの足が遅すぎる。身軽にするために彼女に積載した荷の大部分は犠牲にする必要があるだろう。
その場を凌いでも、荷物がなくなったらヤバいよなぁ……
アイリーンの目が遠くなった。今回のエゴール街道ぶらり二人旅で、物資の大切さは身に染みて分かっていた。ブラーチヤ街道沿いは水源が豊富なので、地図さえあれば水場は見つけられるだろうが、やはりテントや食糧がなくなるのは辛い。加えて”警報機”を失うことにでもなれば、二人きりでの野営はさらに苦しくなるだろう。
どうしたものかね……
そーだなぁ……
広場の端っこで建物の壁にもたれたまま、二人してぼんやりと通行人を見やる。からりと晴れた空で市場を行き交う人々、客引きに声を張り上げる露天商たち。いずれも、ちらちらとケイたちに視線を向けていた。
主にケイのせいだ。これではどっちがどっちを観察しているのか分からない。
仮に、二人きりでブラーチヤ街道を北上するならば、こうしてボヤボヤしている一分一秒も無駄なわけだが、どうにも考えが上手くまとまらない。エゴール街道で苦しい思いをしただけに、尚更のこと。
あ~……アタマ痛くなってきた
溜息をついたアイリーンが、ぐりぐりと眉間を揉み解す。
奇遇だな、俺もだよ
ふふっ。ゲームん時は、即断即決がオレたちのモットーだったのにな
心底懐かしげなアイリーンの言葉に、ケイは複雑な笑みを浮かべた。
流石に今は命がかかってるからな、気軽には決められないよ
だよなぁ……ゴメンなぁケイ、付き合わせちゃって……
いや、そういうワケじゃないんだが
アイリーンがしょんぼりと元気をなくしてしまったので、わしゃわしゃと手を蠢かせながらケイは狼狽する。そういうことが言いたかったワケではない。
なに、アイリーンのためなら、命の一つや二つ張ってみせるとも
ドンッと胸を叩いて、歯の浮くような台詞を口にした。気障なことを言った自覚はあるのか、ケイの頬もかすかに赤い。一瞬きょとんとしたアイリーンであったが、すぐにその場の空気に耐え切れなくなってプッと吹き出した。
あはは、何だよそれ
う、うむ……
……でも、ありがとう
……うむ
くすくすと笑ったあと、穏やかな微笑を浮かべたまま、心地のよい沈黙が訪れた。
すぐ傍の平原の民の露天商が なに二人の世界作ってんだ と冷めた目を向けていたが、幸いにして二人とも気が付かなかった。
ふぅ。まあここでウダウダやってても始まらねえ、取り敢えずケイ
なんだ
糖分補給しよう。さっき、あっちでウマそうな干し果物売ってたんだ
あっ、おい!
言うが早いかさっさと歩き出すアイリーンを、ケイは慌てて追いかけた。
市場のほぼ反対側。木の棒に布を引っ掛けただけの簡素な天幕の下で、中年の男がドライフルーツや砂糖漬けを売っている。現代の地球に比べると砂糖が高価なので砂糖漬けはなかなか良い値段をしていたが、非常食と考えると魅力的だな、とケイは思った。
おっちゃん、この干しブドウもらえる? この袋に入るだけ
あいよ。銅貨十五枚、公国ので
アイリーンから巾着袋と小銭を受け取った店主が、壷から大匙で干しブドウを掬い取り始める。が、ふとケイに目を留めてその表情を険しくした。
おい! なんで汚らしい蛮族風情が、こんなところにいやがる!
早速罵声を浴びせかけられたが、ケイも慣れたもので なんだ、またこの手合いか と反応する気にもなれなかった。むしろ構うと相手が白熱する傾向があるので、こういった場合の最善手は”完全無視”だ。
まあまあ、彼はああ見えて草原の民じゃないんだよ
……んだぁテメェ、庇い立てする気か!
知らん振りをするケイをよそに、アイリーンが宥めようとするも今度は店主の怒りの矛先がそちらに向く。
おれはなぁ! 姪っ子が馬賊のクソどもに殺されてんだ! 草原の土人どもは許さねえし、その肩を持つヤツもそうだ! 出て行けこの売女が! 雪原の恥晒しめ!
口角泡を飛ばす勢いで罵りながら、アイリーンの顔にめがけて小銭と袋を投げつける店主。アイリーンは咄嗟に小銭を回避したが、続いて飛んできた巾着袋が顔面を直撃し へぶっ! と声を上げる。
中に詰められていた干しブドウがぱらぱらと地面にこぼれ落ちた。
―おい
ケイは二人の間に割って入る。
こういった場合は下手に反応しないのが最善手―だが、向こうが手を出してくるとなれば話は別だ。無言のまま、険しい顔で店主を見下ろす。
な、なんだ……やろうってんのか……
ごそごそと足元を探った店主が、小ぶりな棍棒を取り出した。街中で剣を抜くわけにもいかず、ケイは咄嗟に、近くの柱に立てかけてあった火かき棒を手に取った。
鉄製の、長さ一メートルほどの火かき棒。がっしりとした造りでかなり頑丈そうだ。軽く振ってみると、ビッ、ビゥと小気味の良い音を立てる。ちょっとやそっとでは折れ曲がりもしないだろう。
不穏な空気を感じ取り、周囲に野次馬が集まってきた。今のところはまだ衛兵を呼びに行く声は聞こえないが、あまり騒ぎが大きくなる前に決着をつけるべきだな、とケイは改めて店主に向き直る。
棍棒を手に臨戦態勢の店主だが、火かき棒と棍棒を見比べてリーチの違いに心細そうにしていた。が、ケイとしては本気で殴り合うつもりなど毛頭ない。この手の人間は感情が先走っているだけなので、少しビビらせてやれば大抵は大人しくなる。
右手で火かき棒の真ん中を掴み、店主の眼前に突き出した。何をするのか、と怪訝な様子の店主をよそに、ぐっと棒を握る手に力を込める。ぎりぎりぎり……と鉄が軋む音。
おお、と野次馬がどよめく。店主は呆気に取られたまま、片手の握力に屈し、ゆっくりと捻じ曲がっていく火かき棒を見つめていた。
やがて、完全にくの字に折れ曲がった火かき棒を、ケイは店主の足元に放り投げる。からんからん、と石畳を鉄が転がる音。
貴様もその火かき棒のようにしてやろうか