『相性の問題だがね』

ゲーンリフのあからさまに落胆した言い方に、自尊心を傷つけられたのか、若干ムッとした様子でヴァシリー。

『私の魔術は鳥を介する。闇そのものを媒体とする彼女の術とは根本的に異なるのだ。特に夜目が利く鳥は限られているからね……まあ、昼間に限定するなら似たような物が作れるんじゃないだろうか。ただし専用の鳥も一緒に連れて行かないとだから、その辺は面倒になるだろう』

『は、はぁ……』

『いや、それにしても面白い。良かったらお嬢さん、こんなところで立ち話もなんだし、中でお茶でも如何かね』

『喜んで、と言いたいところだけど、まだ用事が済んでないのよね……』

『ふぅん? というか、何故こんなところで立ち話なんてしてるんだ君たちは』

不思議そうなヴァシリーに、改めて隊商に同行したい旨を伝える。

『なんだ、そんなことか。ゲーンリフくん、そんなに術式の中身が不安なら、警報機を使う前に私が確かめれば万事解決なのではないかね』

『……と、いいますと?』

『夕暮れ時に私が鴉に憑依して、遠隔的に術式を確かめるのだよ』

話によると、ヴァシリーの魔術の恩恵に与り、ガブリロフ商会の隊商は常に伝書鴉を数羽連れているらしい。基本的には緊急時の連絡用だが、ヴァシリーがその気になれば憑依してリアルタイムの会話が可能なのだという。

『まあそういうわけで、明らかに変な真似をしたら私が教えて上げられるんだが』

『う、う~む……』

『それに今後のことを考えると、試験運用と考えてもいいんじゃないか。警報機を使いつつ、平素よろしく夜番もすればいい』

『まあ、それは確かに……しかし……』

『まだ何かあるのか? 私は君が何故迷っているのか図りかねるのだが』

渋るゲーンリフに、ヴァシリーが首を傾げる。

『……やはり、信用の問題だ。彼女がかなりの魔術の使い手であることは疑う余地がないが、だからこそ敵であったときが恐ろしい』

『ああ、なんだそんなことか』

得心した様子のヴァシリーは改めてアイリーンに向き直り、

『お嬢さん。確認するが、きみは我々に害を為す者ではないのだね?』

『違うわ』

『誓えるかね?』

『もちろん』

『ならば、お手を拝借』

すっと、ヴァシリーはアイリーンの手を取った。

―Wohlfart, la sekreto estas elmontrita.

と同時に、唱える。

ヴァシリーの瞳が赤く輝き、アイリーンはその背後に漆黒の翼を幻視した。

ズグン、と胸の奥が鈍く脈動する異様な感覚。

『……うん。彼女は嘘をついていないよ。私が保証しよう』

手を離して、ローブの袖の中で腕を組みながらヴァシリー。

『……今のは、嘘を看破する魔術? いや、邪眼?』

『ほう、これは驚いた。お嬢さんは告死鳥の魔術にも精通していると見える』

気味が悪そうに胸を撫でさするアイリーンに、ヴァシリーは愉快そうに笑った。ゲーンリフらが怪訝な顔をしている。

『ヴァシリー殿、今の術は?』

『ん、まあ邪眼の一種だ。端的に言えば、嘘をついたら呪われる』

ヴァシリーは楽しそうに解説するが、一方でアイリーンは渋い顔だった。

(今の邪眼、オレの耐性を貫通しやがった……)

邪眼―それは告死鳥の術の一つ。ゲーム内では、術者の視線上にいる存在に身体能力低下のデバフや継続ダメージを与える技であった。術者の瞳が赤く発光するのが特徴で、視線を浴びてしまえば距離に関係なく効果が発揮される。

ある程度魔術に耐性があれば抵抗(レジスト)できるのだが―ヴァシリーのそれは、アイリーンに抵抗を許さなかった。術が成立したということはそういうことだ。

ヴァシリーがその気になれば、距離を問わず強烈な呪いをかけられる―アイリーンはこの老魔術師の評価を上方修正した。やはり、年の功は伊達ではない。

『……初めて聞きましたな、そんな術があるとは』

『言ってなかったからね。いや、けっこう疲れるんだコレは』

少しテンションを下げて言うヴァシリーは、確かにどこか気だるげな雰囲気も漂わせている。邪眼はそれなりに魔力を消費するらしい。

『ともあれ、これで彼女が同行することに問題はないんじゃないかね』

『……ですな』

『それは良かった。さてお嬢さん、改めてお茶でも……』

『待ってくれ! この男はどうなる』

と、護衛のうちの一人が、ケイを指差して言った。先ほどアイリーンに下劣な視線を向けてきた男だ。

『いくら魔術師のお供でも、俺ァ草原の民と仕事なんざ御免だぜ!』

心底嫌そうな顔をする男。アイリーンは溜息をついた。

『……最初にも言ったけど、彼は草原の民じゃないわ。まったく』

……なにか問題が起きたか

言葉は分からないまでも、自身に向けられる視線に状況を察するケイ。

うん、面倒なヤツが約一名。悪いけどケイ、身分証見せてくんない?

おう

ごそごそと胸元を探り、ケイは公国の身分証を取り出してアイリーンに手渡した。ごつい丈夫な羊皮紙に、びっしりとプロフィールが記入されており、ケイの似顔絵まで描かれている。

『はいこれ、彼の身分証。ウルヴァーンの名誉市民よ。一ヶ月前にあった武闘大会の優勝者でもあるわ』

胡散臭げな顔をするゲーンリフに、押し付けるようにして身分証を渡す。件の護衛を含めた商会の男たちが、額を寄せ合って身分証の文言を読み始める。

『たしかに、名誉市民とあるが』

『クソッ公国語は苦手なんだよ……』

『うーん……大丈夫じゃないのか? 流石に素性がハッキリしないヤツは市民権なんて取れないだろう』

『いやしかし、だからといって油断は……賊じゃないという証拠にはならないぞ』

『武闘大会の優勝者か。噂では草原の民が優勝したと聞いたが、こいつのことか?』

『やっぱり草原の出なんじゃないか!』

どうやら武闘大会の件が微妙に曲解された形で伝わっているらしく、話がややこしい方向へと進んでいく。アイリーンは天を仰いだ。

『……そうだ、ヴァシリーさん。よければ彼にも、さっきの術使ってくれない?』

が、すぐに嘘看破の邪眼の存在に思い至り、アイリーンはヴァシリーへ期待の眼差しを向けた。

『……ああ。彼、我々の言葉は話さないのかね』

『雪原の民の言葉は話せないわ。公国語なら……』

『私は公国語ができないんだ。あの邪眼は言葉が通じる者同士でないと意味がない』

『……“精霊語(エスペラント)“ならどうかしら?』

『ほう? なるほど、彼も(・)か?』

意外そうに、しかしどこか得心がいった風に、ヴァシリーは頷く。

『……しかし……悪いが、少し自信がない。というのも、あまり不用意に精霊語は話したくないのだ。なんというべきか、私の精霊は融通が利かなくて、術と邪眼が干渉するかもしれないし、……率直に言うと危険だ』

忸怩たる様子でヴァシリー。転移して以来、ゲームのAIだった頃に比べケルスティンの思考が飛躍的に柔軟になったことから、『こちら』の精霊は皆そういった感じなのだとアイリーンは思っていたが、どうやらそうとも限らないらしい。

(人型と動物型の精霊の差かな……?)

はっきりとは分からないが、留意しておくべきだろう。

『なら、私が”彼の敵意のなさ”を宣言するのはどう?』

『ああ、それならいいか。まあ彼らが納得するなら、だが……ああ、疲れるなぁ』

やいのやいのと騒いでいる男らに冷めた目を向け、ヴァシリーもまた溜息をついた。

†††

結果的に、ヴァシリーがアイリーン経由で『ケイの敵意のなさ』を証明したため、次の日の同行は許可される運びとなった。

護衛のうちの一人、穏やかな口調の赤毛の偉丈夫―ピョートルという名らしい―が援護射撃をしてくれたのも大きかったかもしれない。草原の民嫌いの男がなお難色を示していた際、ピョートルはケイに向かって何事か、短いフレーズを言い放った。

ケイもアイリーンも全く理解できなかったが、どうやら草原の民の言語で酷い侮辱の言葉であったらしく、それに全く反応しなかったケイは晴れて自身が草原の民と関係がないことを証明したわけだ。

その後は、ヴァシリーが魔力の使いすぎでバテてしまったためお茶会は中止となり、次回ディランニレンに寄る際は必ず魔術談義をする、という約束を交わした上で、ケイたちはそのまま宿屋へと戻った。

翌朝、空が白みかけた頃。

ディランニレンの北門前には、ガブリロフ商会主催の隊商が集結していた。幌馬車や馬に乗った傭兵・商人たちが、出発のときを待って列を成している。

ケイは、隊長であるゲーンリフに、斥候の役を命じられた。

ケイとアイリーンの立場は、客人兼傭兵兼ただの旅人とでもいうべき、なんとも宙ぶらりんなものだ。だがぶっきらぼうな英語でケイに命令するゲーンリフには、全く遠慮というものがなかった。

ケイに対する隊商内の風当たりは決して弱くなく、それを庇った上でわざわざ仲間に入れてやったのだから、それなりに仕事をしろとでも言わんばかりの態度だった。それに対してアイリーンは隊商の真ん中で大事に守られているのだから、その扱いの差は一目瞭然といわざるを得ない。

アイリーンは不満げだったが、これ以上のトラブルを巻き起こしたくないケイは粛々とゲーンリフの指示に従うことにした。

隊商の面々の冷たい視線を浴び、針のむしろのような気分を味わいながら、サスケに跨ったケイは隊の先頭を目指す。馬車十数台に及ぶ長蛇の列―辿り着いてみれば、そこには、取り回しのよさそうな馬上槍を装備した赤毛の偉丈夫の姿があった。

やあ、また会った、ケイ

ピョートルだ。そしておそらくこの隊商内でも数少ない、ケイへの態度が普通な人物でもある。どうやら彼が同僚であるらしいことに、ケイは少なからず安堵した。

おはよう、また会ったな。ピョートルも斥候なのか

そうだ、その通りだ

そいつは嬉しいよ

肩をすくめるケイに、ピョートルも苦笑する。

きみは嫌われている。斥候は危険な仕事だ、やりたがる者はあまりいない

だろうな

ところでわたしは、あまり公国の言葉を上手く話すことはない。簡単な会話なら可能だが、難しい言い回しは分からない

大丈夫だ。俺もネイティブじゃないから、安心してくれ

それは良かった。易しい言葉で話してほしい。そうであればわたしは理解できる

任せてくれ

ケイも英語を話すようになって実に十数年が経つが、しかし所詮は後天的なものなのでネイティブの会話にはついていけないこともある。『簡単な会話』は、むしろ望むところだった。

とにかく、ケイ、今日からしばらくよろしく頼む

こちらこそ

互いに騎乗で、がっちりと握手を交わす。そのあとは、隊商の準備が整うまでの間、つたないなりにピョートルから斥候の注意点などを聞いていた。

そして朝の太陽がはっきり見えるようになったあたりで、後方からロシア語の指示が飛んでくる。

よし、行こうケイ。出発だ

ああ

斥候は、隊商よりも先行し進行方向の安全を確かめるのがその本領だ。隊商が本格的に動き出すより前に、先んじて進み始める。

振り返れば、遥か後方で、馬車の列の間からひょっこり顔を出したアイリーンが、心配げにこちらを見ていた。

アイリーンから見えているかは分からなかったが、ひらひらと手を振ってみせたケイは、おもむろにサスケの腹を蹴る。

ピョートルと街道を併走しながら、左手の”竜鱗通し(ドラゴンスティンガー)“を握り直し、睨む前方。

ブラーチヤ街道を北上する旅路は、こうして静かに始まった。

40. 斥候

北の大地は起伏に乏しい。内陸部では特にそれが顕著だ。

地平の果ての険しい山脈に突き当たるまで、延々と続くなだらかな平野。生い茂る草は枯れかけているような薄茶のもので、吹き抜ける風にかさかさと音を立てている。夏の降水量が少ないため、空気が非常に乾燥しており、風も心なしか埃っぽい。瑞々しい青色が一面に広がる公国の丘陵地帯とは大違いだ。

そしてそんな乾いた大地を真っ直ぐに貫く石畳の道―ブラーチヤ街道。

ディランニレンを発ってから一時間余り。

隊商から百メートル強の距離を保ち、ケイとピョートルは警戒任務にあたっていた。

左手に”竜鱗通し(ドラゴンスティンガー)“を、右手には手綱と矢を握るケイは、臨戦態勢にありながらも程よく肩の力を抜き、良い意味で気楽に構えている。ぱかぱかと蹄の音を立てるサスケは、いつもよりキリッと、凛々しく見えた。おそらく隣のピョートルが跨っている黒毛の雌馬に、良いところを見せようと張り切っているのだろう。

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