心配げな口調だ。戦役による特需がなくなり、多くの職人があぶれているサティナの街の現状を思い出す。
ああ。公国産のは、そうだな。ただ北の大地の武具はとにかく質がいい! 銀よりも更に輝くような金属―“真なる銀(ヴェラ・アルジェント)“と呼ばれているんだが、それで造られた武具は鋼の一級品より遥かに頑丈なんだよ。そして高値で売れるんだなぁコレが!
熱の篭ったランダールの説明に、ケイは瞬間的に、とある青年を思い出した。まるで嵐のように青い風をケイとアイリーンに吹きかけてきた、あの雪原の民の若き戦士を。
アイリーンを見れば、彼女も同時に思い出したのか、苦笑している。
ん、どうした、二人とも?
いや、ある雪原の民の戦士を思い出してな。そいつもその白銀の武具を使っていたよ、確かに驚くほど頑丈だった
“大熊(グランドゥルス)“さえ一撃で絶命せしめた矢を、真正面から叩き込んでも貫通させられなかったほどだ。あれに”真なる銀(ヴェラ・アルジェント)“なる呼び名があったとはケイも知らなかった。
“真なる銀”の武具はとても珍しい。入手できるのか?
興味深げなピョートル。ランダールは悪戯っ子のような笑みでウィンクした。
まあ、アテはある、とだけ言っておこう!
ほう。凄いな
感心した様子で何度も頷くピョートルに、ランダールも心なしか自慢げだ。
(俺も欲しいな……)
ケイは、どちらかというと物欲がないタイプの人間だが、それでも”真なる銀”の武具は非常に魅力的だった。実際、ケイの”竜鱗通し(ドラゴンスティンガー)“の一撃を弾ける防具など、そうそうお目にかかれない。胸当てか、兜か。一箇所でもいいので、急所を守るために欲しいところ。
なあ、相談なんだが……
もしその武具が手に入ったら、予算はあるので売ってもらえないか、とケイが言おうとした、その瞬間。
野営地に悲鳴が響き渡る。
か細い女のそれだ。ケイは思わず傍らの”竜鱗通し”に手を伸ばしたが、立ち上がる前に様子がおかしいことに気付く。
周りの者たちが―特に雪原の民の商人や護衛たちが、にやにやと笑っていたのだ。皆の目はケイたちの居場所の対面、円陣の反対側に向けられていた。
その視線を辿っていくと、―ひとりの女。
この肌寒い中、ボロ布のような服しか着ておらず、何人かの男たちに手足を押さえつけられて、いやいやと首を振って必死に抵抗していた。
髪は、黒色。そしてその顔には、複雑な模様の刺青が刻まれている。
―草原の民だ。
『なんでぇ、女がいやがるのか!』
『おう、今回に備えて一人買っておいたわけよ』
冷やかすような声に、恰幅の良い中年の商人が上機嫌で答えた。そして未だ抵抗を続ける草原の民の女に視線を移し、見下すように顔をしかめたかと思えば、その手の鞭を無造作に振り下ろす。
バシンッ、バシィッという激しい音、再び絹を裂くような悲鳴が上がった。
『大人しくしねえかッ! くびり殺すぞ!!』
乱暴に髪を掴んだ男の罵声に、怯えた女は身体を縮こまらせて動かなくなる。
ただ、それでは終わらなかった。
むしろ、始まりであった。
彼女の手を押さえつけていた男の一人が、そのボロ布のような服を無理やり剥ぎ取ったのだ。焚き火の明かりに、褐色の裸身が曝される。
当然のように身体をくねらせて抵抗しようとする女だが、そこに更に鞭が叩きつけられ、ビシィッと先ほどよりも鋭い音が鳴り響く。
もはや悲鳴すら上げず、大人しくなった彼女に、周りの男たちが群がっていった。
『おい! それ終わったら、あとで使わせてくれよ』
『構わんが、金は取るぞ』
『幾らだ!』
『んん、まあ小銀1といったところか』
『高い! 銅5で上等だろう』
『アホか、流石に安すぎるわ』
やいのやいのと、周囲の傭兵たちもまた騒ぎ始める。
…………
ケイは、彼らが何を言っているのかはさっぱり分からなかったが、しかし何が起きているのかはハッキリと分かった。
対して、彼らの言葉が全て分かるアイリーンは、顔面を蒼白にしていた。目の前で、あまりにも普通に行われている『それ』のおぞましさに、ただただ悪夢を見ているような、冷たい震えが、走る。
ランダールは目を背けていた。ただ瞳に鋭利な光を湛え、どこまでも無表情に。
そして全く見向きもしないピョートルは、スープの残りをかき込んで、ふぅと小さく溜息をついた。
……普通、この大きさの隊商には、娼婦がいる
木の器を足元に置いて、ピョートルは訥々と語る。
だが、最近は馬賊のせいで、娼婦が隊商についてこない。だから―
無感動な目が。
―奴隷を買った。彼らはそういうことをしている
沈黙。
ただ向こう側から聞こえてくる男たちの声と、ひとり、押し殺すような泣き声と。
…………
ケイは動かないし、動けない。
庇い立てするようなことをしたり、あるいはひどく同情するような言動を取れば、隊商内での立ち位置が更に危うくなると容易に想像できたからだ。
それでも、胸糞は悪い。
愛の介在しない一方的な行為がここまでおぞましいものであったとは、考えれば想像の届く範囲、しかし理解の範疇を超えていた。顔から血の気の引くような感覚はある。だが心はまるで凍りついたように動かない。
隣を見ればアイリーンが、無意識の所作なのか、己の身体を抱いて震えていた。その顔は気の毒なまでに蒼い。
そしてケイは気付く。
周囲の、享楽の宴に参加していない、できていない男たちが、アイリーンに酷く粘着質な視線を向けていることに―
要塞のように頼もしかった隊商の円陣が、一転、今は蟻地獄のように感じられた。
……スープが冷めちまう
沈黙を打ち破ろうとするかのように、呟いたランダールが、器にスープを注ぎ足して黙々と食べ始める。ケイもそれに倣い、冷えかけのスープをひとさじ、口に運んだ。
…………
相変わらず、濃い味付けと肉の旨みが感じられた。
ケイは何ともいえない遣る瀬無さを、スープの具とともに噛み締め、飲み下した。
†††
結局、男たちの唾棄すべき行為はなかなか終わる気配を見せなかったが、明日に備えてケイたちは寝てしまうことにした。
ランダールの馬車のそばにテントを張る。はからずも、それはこの限られた円陣内の領域において、暴虐の現場から最も遠い場所でもあった。
ひとつだけ、この隊商に参加して、良いと思えることがある。
それはケイもアイリーンも、夜の見張りをする必要がないということだ。アイリーンは警戒魔術の対価として。ケイは翌日の斥候の任務に支障が出ないようにするため。
ちなみにケイと同様、ピョートルも夜番を免除されているらしい。
会話もないままテントに潜り込んだケイたちは、しかし、寝転がると同時に、やはり互いの存在を意識した。せざるを得なかった。
テントの布越しに、外からは男たちの声と、くぐもった呻き声のようなものがかすかに聞こえてきている。泣き声だと萎える、という意見を受けて、女の口に詰め物がされたからだ。それを『幸いにして』とは、とてもではないが言える気分ではない。
……ケイ
暗闇の中、アイリーンがそっと手を握ってきた。
こうして、彼女と肩の触れ合う距離にいても、性欲は欠片もわかなかった。どちらかと言えば 吐き気を催す という表現に一番近いものがある。
ケイも、ぎゅっとアイリーンの手を握り返した。互いに何も言わないが、少なくとも同じ気持ちを共有できている、という確信はあった。
ある種の諦めにも似た気持ちで、ケイは密かに嘆息する。この調子ではぐっすりとは眠れまい。
明日の斥候に響かねばよいが、と思いながら、ケイは静かに瞼を閉じた。
―しかし、その浅い眠りが、この日に限っては良い方向へ働いた。
真夜中のことだ。唐突に、キーンッという澄んだ金属音が響く。眠り込んでいたケイもアイリーンも、カッと目を見開いて跳ね起きた。
“警報機”が鳴ったのだ。
アイリーンは枕元のサーベルを手に、ケイは弦を外した状態の”竜鱗通し”と矢筒を引っつかんでテントから飛び出した。
『何が起きたの!』
『わ、わからねえ! これが急に……!』
アイリーンが見張り担当の男に尋ねるが、彼は”警報機”のそばでうろたえているだけだった。何か目に見えて異変が起きているわけではないらしい―少なくとも、まだ。
騒動を聞きつけたか、隊商の面々も続々と目を覚ましつつあった。取り敢えず、ケイは急いで”竜鱗通し”に弦を張る。そしてそれ終えるとほぼ同時、“警報機”から影の手が伸びて西を指差した。
西へ駆ける。
おい、どうしたんだ?
騒ぎに目を覚ましたらしいランダールが―叩き起こされた割には全く眠気を感じさせない様子だ―尋ねかけてくる。ケイはそれに答えずに、幌を外された彼の馬車の荷台に飛び乗り、暗闇の向こうへと目を凝らした。
僅かな月明かりの下で、木立の向こう側、短い草が風に揺れている。
―いや、それだけではない。
ケイの瞳孔が拡大する。
見透かされる闇。
そう、それは視線だ。
ケイは見つけ出した。遥か前方、草むらの影に潜み、こちらを窺う一対の瞳を―
咄嗟に矢筒から矢を引き抜き、つがえ、放つ。
快音。
白羽が夜の闇をつんざいて引き裂いていく。
鋭い音が鳴り響くと同時、反射的に身を起こした『それ』の肩に矢が突き立った。風にまぎれて、かすかに ギャンッ という鳴き声。
狼……!
顔を険しくするケイの隣、同じく荷台に上がってきていたランダールが、闇の向こうから聞こえてきた悲鳴にピゥッと口笛を吹く。
凄いじゃないか、中(あ)てたのか!
いや、仕留め損なった。……サスケ!
ケイが指笛を吹き鳴らすと、馬車の近くで待機していたサスケがトットットッと駆け寄ってくる。その背中に飛び乗り、ケイは追撃を仕掛けるべく円陣の外へ出ようとした、が―
待て! 何処へ行くつもりだ!
隊商の長、ゲーンリフが厳しい表情で眼前に立ち塞がった。
追撃だ。仕留め損なった
敵が何人いるかもわからん。状況がはっきりするまで防御するべきだ、留まれ
いや、俺が見たところ敵はいなかったが、ただ―
留まれと言っている!
ケイが事情を説明しようとするも、でっぷりとした腹の肉を揺らしたゲーンリフが不機嫌な顔でその言葉を遮った。
勘違いするな。ヴァシリー殿はああ言われたが、私はそもそもお前のことを信用していない。……お前が馬賊の一員である可能性を忘れたわけではないのだ
ふん、と鼻を鳴らしてゲーンリフ。
兎に角、状況がはっきりしない以上、無闇に動くことはならん
しかし―
何度も言わせるつもりか? ……今、そこまでして外に出たいのか?
ゲーンリフは、すっと目を細める。あまりに恣意的な解釈に流石のケイも閉口したが、ここは事情を説明するべきだと再び口を開こうとして―やめた。
周りを取り囲む、隊商の面々を見たからだ。
皆、無言のうちに、ケイに疑うような目を向けていた。何人かは、剣の柄に手をかけている。
この状況で抗弁するのは、あまりに雰囲気がまずい。そして時間が経つうちに、自分の『見たもの』への確信が揺らいでくるのを感じたケイは、小さく溜息をついてサスケから降りた。
……明るくなったら、何人かつけて現場の確認に行かせてくれ
うむ、それなら許可しよう
鷹揚に頷いたゲーンリフは、周囲の面々に何か一言二言声をかけて手を振った。男たちが四方へと散っていく。大方 警戒に戻れ とでも言ったのか。
サスケの手綱を引きながら、歩いてアイリーンの元へ戻るケイは、それでも背中にチクチクと刺さる猜疑の眼差しを感じていた。
……あれは
不安げな顔で、ケイは西を見やる。
先ほどの狼。
やはり考えれば考えるほど、妙な点が多すぎる。
ピョートルが言っていたではないか。北の大地の狼は、銀色の毛で比較的小柄、かつ群れで行動すると。だが先ほどの『あれ』は一頭だけだった。
しかも、闇に溶け込む毛の色は、黒。限りなく夜に近い色。
そして、その体格―ケイの目に狂いがなければあれは間違いなく、大の大人と同等か、あるいはそれ以上のものがあった。
黒毛で、かつ巨大な狼など、ケイは一種しか知らない。
―ハウンドウルフ
ぽつりと。
ケイの呟きは、冷たい夜風に流され、そのまま消えていった。
42. 狩猟
朝の空気は冴え渡っている。
北の大地の夜明けは乾いていて、どこかよそよそしく、冷たい。これが公国であれば瑞々しい草の香りを楽しめたものを。
朝焼けの空を眺めながら埃っぽい風に吹かれていると、ケイは一日の始まりに何ともいえない疎外感のようなものを抱くのであった。
……行こうか