ケイはピョートルほか数人の戦士を連れて、狼に矢を中(あ)てた現場へと向かう。
ピョートルには既に、昨夜のハウンドウルフの件を話してある。そしてそれが単なる見間違いでなかったときの『飼い主』の懸念についても。
ハウンドウルフ、か……
話を聞いたピョートルは、頭ごなしに否定こそしなかったものの、どちらかといえば半信半疑の様子だった。北の大地にはハウンドウルフがおらず、それを飼い馴らすイグナーツ盗賊団もあまり知られていない。説明されても具体的な『脅威』としてはいまいちピンとこないのだろう。
(まあ、話を聞いてもらえるだけでも有難いもんだ)
監視を兼ねているとはいえ、こうしてついてきてもらえるのだから、とケイはひとり肩をすくめた。
木立を西に抜けて、例の狼がいた草むらへ。サスケから飛び降りたケイは、草を掻き分け地面に視線を走らせる。
……あった
かさかさに乾いた草の上、べったりと付着したどす黒い血痕。それは点々と西の方角へ続いていた。
(やはり仕留め損なったか……)
分かってはいたものの、嘆息せずにはいられない。その辺で力尽きていることを密かに期待していたのだが、そうは問屋が卸さないようだ。
すぐさまサスケに飛び乗って血痕を追跡しようとしたが、―そこで雪原の民の一人から待ったがかかった。
ケイ。彼が『本当にそれはハウンドウルフだったのか』と聞いている
心底面倒臭そうな顔をした戦士の言を、ピョートルが翻訳する。
『探す必要はあるのか』『ただの野犬と見間違えたんじゃないか』とも言っている
……ふむ
長々と説明してもいいが、こういった場合は分かりやすく力を示した方が良いだろうと考えたケイは、馬上、おもむろに”竜鱗通し(ドラゴンスティンガー)“を構え、近くの細い潅木へ無造作に矢を叩き込んだ。
ビシィッ、と鋭い音を立てて矢が突き立つ。
穿たれた幹に大きなヒビが入り、そこを基点にゆっくりと傾いた潅木は、めりめりと軋みを上げながらそのまま真っ二つになって倒れた。
ぽかん、と呆気に取られる男たち。
ただの野犬なら死んでいる、とでも伝えてくれ
……わかった
信じられないものを見た、とばかりに呆然としつつも、ある種の畏敬の念を浮かべたピョートルがケイの言葉を訳す。我に返った戦士たちはもはや面倒臭さなど吹き飛んだ様子で、今度は堰を切ったように何やら問いかけてきた。
『おい、どんな矢を使ってるんだ!?』
『ひゃーすげえ、衝撃で矢が砕けてらァ!』
『凄い弓だなぁオイ!』
ピョートル曰く彼らはそんなことを言っているらしく、 普通の矢だ 張りが強い弓を使っている などとケイも苦笑混じりに答えた。“竜鱗通し”が盗られたら嫌なので、“飛竜(ワイバーン)“や”古の樹巨人(エルダートレント)“の貴重な素材を使っているとは言わなかったが。
その後しばらくピョートル越しに質問に答えたり、少し迷ったが”竜鱗通し”を触らせたりして戦士たちとの交流を図る。皆、“竜鱗通し”の化け物じみた張りの強さと、その見た目を裏切る軽さには驚いたようで、ケイが軽々と弦を引いてみせると子供のようにはしゃいでいた。
そうしてほんの少しだけ戦士たちと打ち解けたところで、改めて血痕を辿っていく。
百メートル、二百メートルと行くうちにどす黒い点の間隔は徐々に短くなり、最後は地面を這いずっていったかのようにべったりと血のあとが続いていた。出血量から考えて、やはりこの先で力尽きているのではないかとケイは予想したが―
三百メートルほど進んだであろうか。
血痕はそこで不自然にぱったり途切れており、死体は影も形もなく、結局”狼”の正体を確かめることはできなかった。
ケイたちの帰還とともに、隊商は再び動き出す。
ゲーンリフには説明しておいた。ただ、あまり真面目(シリアス)には聞いていなかった
一旦、ゲーンリフのところへ報告に行っていたピョートルが、斥候に戻ってくるなり申し訳なさそうに告げる。
そうか
言葉少なに頷くケイは、正直なところ期待していなかったので、特に落胆する様子も見せない。死体が見つからなかった時点で何を言っても説得力がないし、あれが絶対にハウンドウルフだったという確証もないのだ。
ただ、その死体を回収した者が野営地の近くにいたのは間違いないだろう。野生動物が死肉を漁ったにしては痕跡がなさ過ぎる。『死体』を見られては困る事情があったのだとすれば―きな臭い話だ。
せめて猟犬がいれば良かった。だがこの隊商にはいない
そうだな、狩人でもなきゃ普通は連れてないだろう
そう答えてからケイはふと、今後自分も狩人としてやっていくのであれば犬を飼うのはアリかもしれない、と思った。アイリーンの言っていたペットのヤギではないが。
まあ、気をつけるしかない
その通りだ。わたしが先行しよう
器用にも馬上で、背中の丸盾を左手に持ち直したピョートルが槍を構えながら進んでいく。“竜鱗通し”に矢をつがえ、いつでも放てるようにしながらケイもそれに続いた。
何やら不穏な空気を察したのか、サスケがちらりと振り返って 飛び道具はカンベンしてよね とばかりに鼻を鳴らす。
文句なら馬賊に言ってくれ
ケイがぽんぽんと首筋を叩くと、ぶるるーと不満げに溜息をつくサスケ。
周囲の植生はますます濃く、『隠れられる場所』が目に見えて増えてきている。これはなかなか骨が折れそうだ、とケイも小さく溜息をついた。
茂みを探ったり、木立を見て回ったり。
やっていること自体は昨日とさして変わらない。しかし昨日以上に緊張した面持ちで二人は進む。
ケイは定期的に、深呼吸して肩の力を抜くよう心がけていた。そうでもしなければ、気が付くと力みすぎていて筋肉が凝り固まってしまう。
一時間が過ぎ、二時間が過ぎ―
……もし馬賊が襲ってくるなら、どのタイミングで来ると思う?
薄暗い木立に目を凝らしながら、緊張に耐えかねたかのようにケイはそんな益体のないことを聞いていた。生真面目なピョートルは顎に手を当ててしばし考え、
そうだな。ゲーンリフは孤立しているときが危ないと言うし、皆もそう思っている。だがわたしは、集落の近くの方が危ないと思う
何故だ?
馬賊は人数が多い。馬のためにあまり水場からは離れられない。そして水場の近くには集落がある。集落のそばで待っていれば、隊商はいずれやってくる
成る程
馬賊の脅威が取り沙汰される割に、街道沿いの集落が全滅していないのはそういうことなのだろう。雪原の民は馬賊がいるからといって、隊商を出さなくなるような臆病な気質ではない。むしろ戦士の数を増やして迎撃する気満々だ。
相手の狙いを分かった上で、真正面から叩き潰そうとしている。
撒き餌みたいなもんか
……撒き餌? とは?
釣りをするときに、魚をおびき寄せるためにばら撒く餌のことだ
ああ。麦を撒いて鳥を呼び寄せるようなものか
そう……だな。例えるならそれが一番近いだろう
それなら分かる。実はわたしは釣りをしたことがない
成る程、と頷いたところで、ケイもはたと気付く。
(そういえば俺も釣りなんかしたことなかった)
前の世界では釣りを経験する前に入院してしまったし、『こちら』に来たあとも、魚を獲るときは専ら”竜鱗通し”を使っていた。暗い水面でも見通せるので、撒き餌を使う必要すらない。
(釣りか……)
時間があったらやってみてもいいかもな、とは思ったが、水面から魚が見えたらまどろっこしくて弓を使ってしまいそうだ。
北の大地だと、あまり釣りはしないのか?
いや、魚は貴重な食料だ。川や西の海の近くに住んでいる者は当然する。ただわたしは内陸の出身だ。あまり大きな川や湖はなかったから……
故郷を思い出したのか、すぅっ、とピョートルの目が遠くなる。
そ、そうか。まあ俺も鳥を狩る方が簡単な気がするな……
……ケイの弓の腕ならそうかもしれない。普通は罠を使う
ちなみにどんな罠を使うんだ?
基本的に狩りは弓でしかしないが、後学のために聞いておく。
うむ。その罠は、……弓に似ている。バスケットの奥に餌が置いてあって、鳥が頭を突っ込んでそれを食べようとすると、棒が外れる。すると―
もどかしげに、身振り手振りを交えたピョートルの説明を総括すると、それは弓状の器具の張力を利用して鳥の首を挟み込む罠らしい。
へえ、面白いもんだな。仕掛けておけば捕まえられるってのも良い
いや、あまりリラックスはできない。なぜなら捕まえたあとそのままにしておくと、狐や狼、他の鳥に獲物を取られてしまうからだ
ああ、結局見張るしかないわけか……
そうだ。そしてただ待っているのは結構な苦痛だ。ケイのように、すぐ狩れるのは良いことだと私は思う。どこでも生きていける
少しばかり熱の籠もったピョートルの言葉に、ケイは思わず苦笑した。しばらく前にも誰かに似たようなことを言われた気がする。 そうかな と呟いて、ケイは馬上から周囲を見渡した。
あちこちに点在する緑の木立。地平の果て、山脈に突き当たるまで延々と続く乾いた大地。そして僅かに蛇行しながら伸びる石畳の道―ブラーチヤ街道。
見上げれば、晴れ渡った空の高みにうっすらと巻雲がたなびいている。
鳥か……
目を凝らし、じっくりと観察すると、遥か前方の茂みで何かが動いたのが見えた。
ん、噂をすれば何とやらだ。あそこに鳥がいるな、何だろう
鳥? どこだ? わたしには見えない
ほら、あそこの木立の……って遠すぎるか。ちょっと近寄ってみよう
いや、その前に木立を全部見て回ろう
……そうだな、仕事を疎かにするわけにもいかないし
二手に分かれてざっと隊商の周辺をチェックして回り、何の問題もないことを確かめてから、改めて件の木立へと向かう。
街道を少し外れ、隊商からは二百メートル以上も離れていた。背後を振り返って彼我の距離を確かめたピョートルは、 参ったな とでも言わんばかりに苦笑する。
ハハッ、こんなに離れていたのか! わたしに見えるわけがなかった
シっ。静かに
唇に人差し指を当てて見せ、ちょいちょいと、茂みの奥を示す。興味深げに木立を覗き込んだピョートルが、 おっ と小さく声を上げた。
それは見事な緑色の羽根を持つ鳥だった。
頭から尾羽までは一メートルほどもあるだろうか、太い二本足でのしのしと歩きながら、餌を探して地面をつついている。頭部は鶏のとさかのような赤い肉で覆われており、ぱっちりと開いた黄色い目も相まって、存外に愛嬌のある顔つきをしていた。
Фазанじゃないか! あれは美味い
声を潜めつつも、やや興奮した様子のピョートル。
Pheasant(キジ)か……?
公国語で何と言うのかは知らない。しかしわたしたちはФазанと呼ぶ
Pheasant(フェザント)
Фазан(ファザン)
発音は似てるな……
おそらく同じ鳥だ
ということは、あれはキジか
ああ、キジだ
木立の外の来訪者二人に気付いたキジは、ぴんと首を伸ばした姿勢で、警戒しているのか落ち着きなくそわそわとしている。
あれは肉が硬いがとても美味しい。ケイ、獲れるか?
任せろ
ぺろりと唇を舐めたケイは、矢筒から慎重に質の良い矢を選り出す。
つがえて、きりきりと弦を引き絞る、流れるような一連の所作。何かまずい流れを察知したキジが、ぶわりと翼を広げて飛び立とうとするも、致命的に遅い。
カヒュンッ、と”竜鱗通し”にしては控えめな音が響く。
銀光がキジの胸に突き立ち、ぱっと緑色の羽根が散った。
よし
おお、やった!
満足げなケイ、快哉を叫ぶピョートル。馬から下りたピョートルが木立に分け入り、地面でピクピクと痙攣するキジを拾ってきた。
オスだ。たくさんの肉がある
なかなか立派な一羽だ。肉付きもよく、一人では持て余すほど食いでがあるだろう。
ニッと悪戯っ子のような笑みを浮かべて翼を広げてみせたピョートルは、矢を抜き取ってケイに返し、手際よくキジの頚動脈にナイフを差し込んだ。元々矢で致命傷を負っていたということもあるだろうが、キジは暴れることもなく静かになる。
ケイは矢に付着した血を布巾で拭い取りながら、はらはらと流れ出る赤い命の滴を眺めていた。
元来、捕食とはグロテスクな行為だ。街で暮らしていると忘れそうになるが。
よし、これでいい。あとは休憩になってからやろう