昼間から、こんなにのんびりできているのは久方ぶりだ、とケイは思う。ここ数日は斥候の任務で忙しかったし、ディランニレンに辿り着くまでの道中も、何だかんだであまり余裕がなかった。

今日は早めに野営を始めたということもあるだろうが、隊商の面々が村の方に出張っているというのも、ケイにとっては居心地の良さの遠因だ。なぜ出張っているのか、を考えると少し欝が入りそうになるが、そこはアルコールに任せて程よく忘れることにした。

このノリで無事にベルヤンスクまで着けばいいんだけどな~

……そうだな

切実なアイリーンの言葉に、思わず そういうのはやめろ と言いそうになったが、死亡フラグの概念から説明する羽目になりそうだったので同意するに留める。

……ん?

そしてそれよりも、たなびく雲の切れ間から、気になるものが見えて上体を起こす。

目を凝らし、そこにあるものを読み取る。自身の記憶と知識と照らし合わせる。

ん? どしたケイ?

……参ったな、今晩から明日にかけて雨が降るぞ

ケイの言葉に、その場の全員が え? と反応した。

雨?

たしかに雲は出ているが……

ピョートルとランダールも手をかざして空を見上げる。アイリーンはケイの星読みによる天気予報を知っているが、そうであるが故に怪訝な顔をしていた。

マジで? でもここ数日は晴れだって、前に言ってなかったっけ?

あの時はまだディランニレンの近くだったからなぁ。所変われば天気も変わる……

呟くようにしてケイ。

星読みによる天気の予測は的中率ほぼ100%だ。ただし、これには一つだけ大きな欠点がある。

それは観測者の『真上』の天気しか分からないことだ。

例えばA地点で星を読み、今後一週間の天気が晴れになると予想したとする。ではそのとき、A地点から100km北に離れたB地点の天気はどうなるだろうか。

そう、必ずしもA地点と同じ天気になるとは限らない。地理的条件によっては局所的に雨が降るかもしれないし、寒ければ雨が雪に変わる可能性もある。だが実際問題、A地点においてもB地点においても、見上げる空は同一のものだ。ではなぜ結果が変わってしまうのか。

答えは単純。実は、観測地点によって星の並びそのものが変わるのだ。

ゲーム内で『占星術』の存在を知るプレイヤーの間では、実は DEMONDAL の世界の構造は地球のそれと全く異なっており、大地にドーム状に覆いかぶさった空とその表面で自在に蠢く星や月の幻影で構築されているのではないか、と言われていた。

そしてそれは『こちら』でも変わらないようで―

ケイは、天気が分かるのか?

おれには普通の空模様にしか見えんがなぁ

ピョートルとランダールの二人も、空を見上げている。

俺は……目が良いからな。微妙な空の具合が分かるのさ

占星術のことを今ここで話すのは面倒なので、適当に誤魔化す。

そうなのか……

もし雨が降ったらなかなか厄介だな。しっかり幌かぶせとかないと……あと、寝床がない奴らは明日苦労するだろうな

あ。オレたちもヤバいじゃん、普通のテントしかないぞケイ?

アイリーンが枕代わりにしていたテントをつんつんと指先でつつく。布製のそれは朝露を凌ぐのがせいぜいな防水機能しかない。本格的な雨にも、ぬかるんだ地面にも対応していないのだ。

そう……だな。困った、村には泊めてもらえないしな……

お二人さんさえよけりゃ、おれの馬車に来るか? 狭いがあと二人が寝転がるくらいのスペースはあるぞ?

あ、マジで? ありがとう!

そうしてもらえるならありがたい

おう、良いってことよ。……ただし、寝てる最中、二人でおっぱじめるのは勘弁してくれよ

ぐへへとゲスい笑みを浮かべ、何やら手で卑猥なジェスチャーをするランダール。

なっ

ばっ

思わず顔を紅潮させたケイたちは するわけないだろ! と叫んだが、その完全にシンクロした叫びがツボに入ったらしく、ランダールは腹を抱えて笑い出す。

……若いとはいいことだ

ふっと笑ったピョートルが馬車の車輪にもたれかかり、再び杯を傾け始めた。

†††

夕暮れ。

日が沈む前に、ランダールは馬車の幌を張り直して雨に備え始めた。

ついでに予備の幌を出してそばの木に引っ掛け、サスケを初めとする馬たちが濡れずに済むよう、簡易的なテントも設営する。ケイたちが持ってきたテントとは違い、幌にはしっかりと水避けの油が塗りこまれており、かなり強固に水を弾く。

この時点で、まだ空は晴れていた。雨に備えるランダールを不思議がって、周囲の商人たちが理由を尋ねてきたが、雨が降るという予測、そしてその情報の出所がケイであるということで、大半の商人は一笑に付して何の対策もしなかった。

ケイは自身に何のメリットもなかったので、特段信じさせようと努力もしなかったが、一部 それほど手間ではないからと 一応の備えをした商人もいたようだ。

とりあえず明日の旅路がハードなものにならないことをただ祈りながら、ランダールの馬車にお邪魔して、ケイはアイリーンとともに床に就いた。

そして、その夜半。

しとしとと、雨が降り始めた。

次回 43. 雨天

はねる泥、ぬかるむ道、白く霞む視界。

雨に打たれる男は、ひとり何を思う。

43. 雨天

前回のあらすじ

ケイ 今夜から明日にかけて雨降るわ

一同 マジか

隊商の面々 降るわけねえだろ

サスケ キジうめえ

夜中、ケイが目を覚ましたのは、馬車の外が騒がしかったからだ。

ポロポロポロ、と幌を打つ雨音。わいわい、がやがやと男たちの声が聞こえる。が、さして緊張感のあるものではなかった。何か毒づいているようにも聞こえたが、雪原の民の言葉なので詳しい内容は分からない。

……ん

ケイの身じろぎに、同じ毛布の中、猫のように丸まっていたアイリーンがうっすらと目を開く。

……どしたの

ああ、すまん起こしたか

寝ぼけ眼のアイリーンに、囁き返すケイ。

敵? じゃないよな? ……雨か

騒いでるみたいだな、何と言ってるかは分からんが

ん……『幌かぶせないと商品が駄目になる~』とか言ってる

ああ……

肩をすくめるケイ。それ見たことか、とせせら笑う意地悪な自分がいることも自覚しつつ、それ以上に明日の旅路が心配になった。

止むといいんだがな……

なー

半ば諦めが混ざるケイ、それを察しながらも相槌を打つアイリーン。湿気が出てきたためか、今宵は少し冷える。

おやすみアイリーン

おやすみ、ケイ

ケイたちは毛布の中、身を寄せ合って再び眠りについた。

…………

木箱を隔てた荷台の反対側、聞き耳を立てていたランダールもまた、静かに瞳を閉じて寝息を立て始めた。

†††

夜が明けても尚、雨は降り続いている。

降り始めに比べると雨脚は弱くなっているが、一向に止む気配は感じられなかった。馬車の幌から顔を出して辺りの様子を窺うと、隊商の面々は馬車に避難しているか、あるいは村に雨宿りに行ったようで、外に出ている者もほとんどいない。ただ一部、行く宛てが見つからなかったのか、木の下で馬共々濡れ鼠になっている者もいた。

ケイの言う通りになったなぁ

口の端を吊り上げて、おどけたような笑みを向けてくるランダール。

……まあな。しかし、昼過ぎまで降り続けるだろうなこれは

灰色の空を見上げてケイは溜息をつく。予報を的中させた喜びなど欠片もない。この雨の中を進むのか、と考えると、馬車の外に出るのすら億劫になる。

……よっ、と

しかしいつまでも管を巻いているわけにも行かないので、皮のマントを羽織り、ケイは意を決して荷台から飛び降りた。

ばしゃりと足元で跳ねる泥、フードに当たって弾ける雨粒。水はけが悪い土質なのか、野営地の地面はぬかるんでグズグズになっていた。続いて降り立ったアイリーンは、勢いがありすぎたのか泥水が顔にまで跳ねて うえ~! と服の袖で頬を拭っている。

馬車横の簡易テントで寛いでいたサスケが、 まさかこの天気で出かけるんすか? とびっくりしたような顔をしているが、現実は非情だ。 諦めろ とケイが首を振って見せると、呆然としたサスケの口の端からぽろりと食べかけの草が落ちた。

実は、この世界に降り立っておおよそ八十日が経過しようとしているが、ケイたちが雨の中で行動するのは今日が初めてだ。公国においても雨は幾度となく経験していたが、そういった日は積極的に遠出しようとは思わなかった。せいぜい、レインコート代わりのマントを引っ掛けて、少し外を出歩いたぐらいのもの。

今回の旅路に備えて、一応ブーツもマントも防水性能が高いものに新調してある。それがどこまで通用するかだな、とケイは今一度空を見上げた。

雨が降っている。ケイの言った通りだった

と、村の方からピョートルが歩いてきた。彼は知り合いの家に泊まっていたらしい。普段の鎧一式の上にゆったりとした皮の外套を羽織っており、背中に丸盾を背負っているのも相まって、その姿はまるで大きな亀のようだ。

おはようピョートル。鬱陶しい天気だよ

おはよう。雨は本当に珍しい。人々にとっては水のために良いことだが

困ったように肩をすくめて見せるピョートル。

軽く朝食を摂ってから、四人は出発の準備を始めた。村に泊まり込んでいた面子も続々と集結しつつある。その中に、ケイは例の奴隷の女を見かけた。憔悴して引きずられるように歩いていたが、少なくとも生きてはいる。

…………

ケイー、そっちのロープ引っ張ってくれ

ん、ああ

ランダールの声に呼び戻されたケイは、女から視線を外してロープを手繰る動きに意識を集中させる。二人がかりで木に引っ掛けていた幌を回収し、地面に触れないよう気をつけながら折り畳んでいく。

簡易テントを片付ける際、濡れたくなかったのかサスケが いやん と駄々をこねたが、スズカを始めとする他の馬たちが気にせずそそくさと外に出ていったので、渋々といった様子で自分も続いていた。

……そんな顔するなって、どうせ今日中には止むさ

濡れそぼって、どこか憮然とした表情のサスケ。ぽんぽんと優しくその首筋を叩いて慰めの言葉をかけたケイは、 よっ と勢いをつけて鞍によじ登った。

気をつけてな~

ありがとうアイリーン、また後で

ひらひらとハンカチを振るアイリーンに見送られながら、ケイはピョートルとともに一足先に出発する。

隊商の円陣を抜け出し、村の土壁の横を通り過ぎる際、ドン、ドドン、と響く太鼓の音を耳にした。

なんだ? これは

壁の内側、村の方から響いてきている。それにかすかな歌声と、鈴の音。

雨が降ったから、祝っているのだろう。小さな祭りだ

右手の槍で空を示して、ピョートルが解説する。

大地と、空の精霊、そして祖先の霊に感謝している。雪原の民はそうする

……成る程

頷いたケイは、今一度、村と外界を隔てる壁を見やった。

ドドン、ドンドドンと独特なリズムを刻む太鼓。歌声は徐々に大きくなり、人々の踊る足音が聞こえる。楽しげな子供らの笑い声、彼らの姿は見えないが、喜ぶ顔が目に浮かぶようだ。

彼らも自然に感謝することを知っているのだな、と。

ケイはふと、そんなことを思った。北の大地を訪れて以来、雪原の民に対するイメージは総合的に悪化しつつあったが―初めて、そんな彼らが少しだけ身近に感じられた瞬間であった。

視線を前に向ける。降り続ける雨のせいで、視界は白く霞み索敵もままならない。

ただ、こういう気分になれるなら、悪くはなかったかもしれないな、と。

“竜鱗通し(ドラゴンスティンガー)“に矢をつがえながら、ケイは小さく笑みを浮かべた。

†††

が、十分も過ぎる頃には、そんな気分など吹き飛んでいた。

やはり雨は駄目だ。視界が悪くなるのは当然としても、時折フードから顔に垂れる雨粒が鬱陶しくていけない。水滴が目に入るとそれだけで集中力が削がれるし、かといってフードを深くかぶり過ぎると、ただでさえ悪い視界が更に狭まってしまう。

また、新調したマントは遺憾なくその防水性能を発揮していたが、やはり限度があるのか革鎧の隙間から水が染み込んできていた。特に首元から胸にかけて、じわじわと湿っていくのがたまらなく不快だ。無性に肌着を引っ張り出したくなる。

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