ケイが別働隊を引きつけ壊滅させたお陰で、奇襲であったにもかかわらず、隊商はある程度の余裕をもって対処できていた。しかし馬賊は馬賊で、これまで孤立無援でありながら北の大地を荒らし回ってきた強者(つわもの)たちだ。ただの一斉射撃では効果が薄いと見るや、すぐさま次の手を打ってきた。
松明を手にした複数の騎馬が、動きを止めた馬賊たちの間を駆け回る。ぽつぽつと、火の数が増えていく。
矢の先端部に、油を染み込ませたボロ布を巻きつけたもの―
火矢だァ!
誰かの、悲鳴のような叫び声。
おいおい……こいつぁヤバイぞ
荷台から空を見上げてランダールが呟いた。アイリーンも天を振り仰ぐ。先ほどまで雨がぱらついていた空は、今は憎々しいまでに晴れ渡りつつあった。
バババヒュンッ、と鈍い音を立てて、一斉に火矢が放たれる。それらは大盾に突き立ち、人馬を傷つけ、馬車の幌に火を放った。防水のために脂を塗りこんだ幌は、乾いた干し草よりもよく燃える。
そしてそれはランダールの馬車も例外ではない。
旦那ッ!
外してくれ! 支柱ごとやっても構わねえ!
めらめらと火の手を上げる幌に、アイリーンが切迫した声で指示を仰ぐと、手近にあった斧で幌の支柱を叩き切りながらランダールが返す。右手に握りっぱなしだったサーベルを閃かせ、アイリーンも細い木の支柱を全て切断した。
ッ、!
その瞬間、ピリッとした殺気を感じ取りサーベルを振るう。燃える幌を突き破って、真っ直ぐに飛んできた矢をすんでのところで切り払い、事なきを得る。
それを目にしたランダールがピゥッと口笛を鳴らしたが、それ以上はお互いに軽口を叩く余裕もなく、燃える幌を車外に投げ捨て火の粉を払う作業に集中した。
アイリーンたちは幸いなことに迅速に対応することができていたが、既に隊商内には取り返しがつかないほど火が回ってしまった馬車も見かけられた。燃え上がる馬車を前に商人が頭を抱え、護衛の戦士たちが弓を引きどうにか馬賊を牽制しようと試みる。しかし、そこに浴びせかけられる矢の集中砲火、馬車という盾を失った見習いの少年がハリネズミのようになって倒れ伏す。人馬の悲鳴が入り乱れる様はまさに阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
焦げ付く煙の匂い、泥水の跳ねる音、馬のいななき、男の悲鳴、戦士の雄叫び、矢の風切り音、そして濃厚な血臭。
五感を圧倒する暴虐。木箱にぴったりと背をつけて死角を殺したアイリーンの顔は、すっかり血の気を失っていた。
だが、このような状況で、ただ呆然としているだけの『贅沢』は許されない。
バオン、ウォンという野太い吠え声。アイリーンはハッとした、どこか聞き覚えのあるタイプの吠え声だ。
なんだあれはッ!
狼だ! 馬鹿みたいデカいぞ!
護衛の戦士たちの困惑の声が聴こえる。黒い毛並みの巨大な狼が数頭、隊商に向かって真っ直ぐ突っ込んできている。
狩猟狼(ハウンドウルフ)!!
アイリーンとランダールの声が重なった。ぬかるんだ地面を物ともせず、風のように駆け抜けたハウンドウルフたちは、そのままの勢いで獲物に食らいつく。荷台に飛び乗ってきた一頭に喉元を噛み千切られた商人が血溜まりに沈み、至近距離にまで迫られた馬たちが恐慌状態に陥り暴れ始める。馬を宥めようと試みた見習いの少年が、後ろ足に蹴り飛ばされて大盾の向こうへ吹き飛んでいった。護衛の戦士たちもこの凶悪な獣に対処しようとしていたが、馬車が燃え上がり四方八方から矢が飛んで来る状況では万全の戦いなど望むべくもない。かなりの苦戦を強いられていた。
さらに、その隙を突いて、二人乗りをしていた騎馬のうち、片方の草原の民が下馬し混乱が大きい箇所に斬り込みを開始している。円盾と曲刀を装備した草原の民の戦士と、重装の雪原の民の戦士がそこかしこで打ち合っていた。
そして一頭のハウンドウルフが、ランダールの馬車にも接近しつつある。どうやら大盾の内側、幸いなことにまだ一矢も受けていない元気な馬を狙っているようだ。
スズカ!!
怯える黒毛の乗騎の名を呼びながら、アイリーンは荷台から飛び降りる。背後で 嬢ちゃん! とランダールが呼ぶ声がするが、顧みない。ハウンドウルフ一頭など、アイリーン単独で対処可能な相手だ。
地を這うように、そしてフェイントをかけるようにジグザグに走るハウンドウルフ。その黄色い瞳が狡猾に、獰猛に、アイリーンの隙を窺っていた。
来いよ
対するアイリーンは、ゆらゆらと身体を揺らしながら、右手のサーベルをだらりと下げて不自然なまでに脱力して見せる。
と、真横から飛来する矢。
上体を逸らして回避。それを隙と見たか、グルルと唸ったハウンドウルフが一気に加速して飛びかかってくる。
しかしアイリーンからすればあまりにお粗末な突撃だった。まるでそれそのものが一つの生命体であるかのように、くんっと跳ね上がるサーベル、空中のハウンドウルフの胴体を銀閃が薙いだ。
ギャインッ!
臓物をぶちまけながら泥水に突っ込む黒い獣。アイリーンは返り血どころか、跳ねた泥すら浴びていなかった。ジタバタと暴れるハウンドウルフに止めを刺そうとしたところで、その頭部にビスッと矢が突き立つ。
嬢ちゃん、あんまり無茶はすんなよ
ランダールだ。緊張感で彩られた顔、荷台で構えていた複合弓を下ろす。
無茶じゃねえよ、このくらい
思わず苦笑して答えるアイリーンだったが、その顔がハッと強張る。
旦那! 後ろ!!
いつの間にか、ランダールの背後、荷台に馬賊の戦士が二人も乗り込んできていた。一人は曲刀を掲げ、もう一人は短槍を手に、無言でランダールに襲いかかる。
うおォッ!?
アイリーンの視線と表情の変化でそれを察し、咄嗟に振り返ったランダールが槍の刺突を回避する。ぐらりと姿勢を崩して倒れ込みそうになるランダール、苦し紛れに左手の複合弓を投げつけて時間を稼ごうとするが、曲刀であえなく叩き落とした戦士が踊るように斬りかかる―
旦那ァ!!
時間がゆっくり流れていく。咄嗟に左手を腰の投げナイフに伸ばすアイリーンだが、相手は二人、どうしても間に合わない―と思ったその瞬間。
ランダールの動きが、ブ(・)レ(・)た(・)。
疾い。目にも留まらぬ抜刀、斬りかかってきた戦士の首を長剣で刎ね飛ばす。
さらに、荷台の縁に体当たりして、その反動で無理やり体勢を立て直し、短槍持ちの戦士目掛けて稲妻のような突きを放った。
突然の相方の死、そして予想外の反撃に硬直していた短槍使いの喉を長剣の刃が無慈悲に抉る。信じられない、という顔でぱくぱくと口を動かした戦士は、そのまま喉を押さえて倒れ伏した。
なっ……
ランダールの豪剣に、アイリーンは思わず絶句する。ゆっくりと振り返った、一介の公国の薬商人―であるはずの男は、鮮血を滴らせる長剣を手に、どこかバツの悪そうな顔をした。
いや……まあ、その、なんだ。昔とったなんちゃらってヤツよ
何かを尋ねたわけでもないのに、ひとり言い訳がましいことを口にするランダール。が、アイリーンが口を開くよりも前に、 うおおお! という雄叫びが聴こえてくる。
馬車の横をすり抜けるようにして、一人の草原の民の戦士が襲いかかってきた。得物は奪い取ったものだろうか、草原の民よりもむしろ平原の民が好んで使う長剣。痩せこけて無精髭を生やした中年の男だが、アイリーンの美貌を見るや、その瞳にぎらりと欲望の炎をたぎらせる。
そのことに何の感慨も抱かず、おそらく致命傷を避けるために肩を狙った突きを難なく回避し、アイリーンもサーベルを閃かせた。半ば反射的に、最適解をもって男の首筋へと伸びた刃は―アイリーンが表情を曇らせると同時にぶれ、頬を切り裂いて怯ませてから、手足の腱を軽くなぞった。
そして悲鳴を上げて倒れ込む男を、間髪入れずに回し蹴りで吹き飛ばす。男は泥まみれになってゴロゴロと転がっていき、そのまま馬車の車輪に頭をぶつけて気絶した。
嬢ちゃん……
事の顛末を見届けたランダールが、呆れたような声を出す。アイリーンの手加減―手抜きと言い換えてもいい―を見逃さなかったのだ。先ほど豪剣を繰り出し一瞬で二人を屠ったランダールから見ても、今のアイリーンの剣閃は知覚するのがやっとな速さだった。しかしそれほどの一撃を放っておきながら、直前で迷い、無理やり殺人剣を活人剣にしてしまったアイリーンの思考プロセスに、呆れる。この隊商の戦士の中でも指折りであろう、抜きん出た高次元の剣術を実現しておきながら、そこにいまさら躊躇う余地があること自体が、ランダールとっては不可解でしかなかった。
まあ、その、アレだよ
アイリーンは先ほどのランダールよろしく、口の中でもごもごと言いながら、小さく肩をすくめてみせた。実は、アイリーンも自分自身に呆れていたのだった。あれほど前もって覚悟を決めておきながら、土壇場になって迷ってしまった自分に。
(全然ダメじゃん)
はは、と力のない笑みがこぼれた。タン、タンッと軽く地面を蹴って荷台に戻る。
ランダールが斬った二人の死体が転がっていた。
…………
グロテスクな生の死体を見るのは、これが初めてではない。そう、あれは『こちら』の世界に来て数日後のことだった、タアフ村からサティナの街に向かう途中で、草原の民に襲われたときのこと。ケイが撃退した連中から、色々と物品を剥ぎ取ったのだ―
―ケイ。
死体から視線を外して、アイリーンは無意識のうちに彼の存在を求めていた。
荷台の外、遥か遠くを見やって。
―え?
しかし、その青い目が見開かれる。
―ケイ?
先ほどまで、あれほど苛烈に馬賊の別働隊を攻め立てていたケイが。
―なんで
今は力なく、サスケの背に縋り付くようにして。
逆に、十数騎の馬賊に追い立てられている。
何が起きたのか、わからない。
だが―普通ではない。目を離した隙に、何かが。
そんな、
魔法もある。“竜鱗通し”もある。サスケの速力もある。負ける要素はないはずだ。
―だから『絶対に大丈夫だ』と信じていたのに。
混乱するアイリーンを嘲笑うように、ケイは力なく。
そのままサスケの背中からずり落ちて、泥の中に倒れた。
そこに、ハゲタカのように群がろうとする馬賊たち―
―
アイリーンの頭の中が、真っ白になった。
ケイッッ!!!
気がついたときには、アイリーンは馬車を飛び出して走りだしていた。
ランダールの制止の声にも耳を貸さずに。
ケイの名を叫びながら。
―が、単身で隊商を飛び出したアイリーンを、馬賊が放っておくはずもない。四方八方から矢が飛んでくる。
この―ッ!
体を捻って極力回避し、避けられないものはサーベルで払い落とす。しかし矢の雨を突破したあとに待ち構えていたのは、弓や槍を構えた馬賊たちだった。
ぎり、とサーベルを握る手に力が篭もる。
―邪魔をするな。
アイリーンの瞳に、剣呑な光が宿る。
どけえええェェェェッッ!
余裕というものが全て吹き飛んだ表情で、少女は、吠える。
だが馬賊は止まらない。全力の突撃。
激突。
―サーベルは、一切の躊躇なく振り抜かれた。
46. 剣閃
馬に罪はない。
だが無慈悲なサーベルが唸る。
褐色の騎馬の首に、びしりと赤い線が走った。
撒き散らされる鮮血、悲鳴のようないななきを聞き流しアイリーンは駆ける。突進の勢いもそのままに転倒する騎馬―大質量の肉体が大地に叩きつけられる衝撃をブーツ越しに感じ取る。
騎乗していた馬賊も何かを喚き散らしながら鞍から放り出され、どしゃりと地に落ちた。それに一瞥もくれることなく、アイリーンは眼前を睨む。
迫る銀色の刃。
続く一騎が、アイリーン目掛けて容赦なく槍を繰り出す。
身体を仰け反らせ、紙一重での回避。空を抉る穂先、風圧が髪を揺らす。
そしてただ避けるだけでなく、槍の柄に左手を添えて思い切り引いた。引き込む動きは、アイリーンに更なる加速を。逆に使い手の馬上での体勢を大きく崩す。
うわ―
ぐらりと倒れ込む馬賊の顔面に、右手のサーベルの柄を叩き込んだ。
ゴリュンッという嫌な感触。砕けた歯の破片が混じるどす黒い血を吐き出し、地面に転がる馬賊。その体を踏みつけて、がら空きになった鞍に飛び乗る。
どう、どう!
突然主が入れ替わり混乱する馬を宥めようと、アイリーンは手綱を引いてその制御を試みた。が、すぐに露骨な殺気を感じ取り、鐙に全体重を預けて曲芸師のように馬の左側面にぶら下がる。