身体の不調は身体能力を低下させる呪い(デバフ)。全身の痛みは継続的なダメージだろう。先ほどからずっと、遠く離れた木立に赤い光を感じている。告死鳥の邪眼は目視した相手に直接作用し、視線が通る限り回避不能だが、邪眼の対象となった人物からは発生源を赤い光として知覚できる。おそらく、あの木立に邪眼の使い手が潜んでいる―しかし反撃しようにも、筋力が低下しているせいで現状のケイでは”竜鱗通し”を引くことができなくなってしまった。
幸いなことに、呪い(デバフ)で身体能力が低下しても尚、並の成人男性程度の力はあるので馬賊たちの複合弓ならば辛うじて扱うことができた。それが、ケイが弱っても馬賊たちが攻勢を仕掛けて来ない理由の一つだ。先ほどから数回、馬賊たちは騎馬の突進でケイを轢き殺そうと試みているが、そのたびに弓の連射でこれを撃退していたのだ。
その後はケイが失血死することを期待して、ぐるぐると周囲を回りながらひたすら矢を打ち込んでくるだけだ。リーダーシップが取れる者も勇敢な者も、ケイに粗方狩られている。そんな消極的な戦法しか取れない、臆病な連中だけが残されていた。
(だが、ジリ貧だ)
ポーションも残り少ないし、流石に背中の矢傷が洒落にならないことになっている。幾ら傷が治ると言っても矢が刺さったままでは限界があった。さらにマントでどうにか隠しているが、ケイも残りの矢が心許なくなりつつあり―このまま敵も弾切れになり、白兵戦を挑まれればかなり不味いことになる。多勢に無勢だ。
先んじて、まだ元気があるうちに接近戦を仕掛けてきた相手を斬殺したので、それを恐れて近づくことに抵抗があるらしいが―と、ケイは傍らに転がる死体を見やった。呪い(デバフ)も考慮して、長剣でとにかく力任せにぶっ叩いた結果、革兜ごと頭を叩き割ってしまい、まるでザクロのような酷い有様になっている。
と、再び射撃。
一本の矢は頭突きのようにして兜で弾き、数本は篭手と弓で逸し、最後の一本は胸で受ける。胸板の部分の厚い革が大幅に勢いを殺し、その下の鎖帷子に食い込むが、貫通するほどの威力はない。ただドスンッという衝撃のせいで、 ぐうぅ といかにも苦しげな声が漏れた。
いい加減に死ねええええッッ!
それを好機と見たか、背後から曲刀を抜いた馬賊が仕掛けようとするが、ケイが複合弓を構えると慌てて反転していく。
反転しようがしまいが弓の射程範囲内ではあったのだが、矢傷よりも先に邪眼のせいでダメージの蓄積が危険な領域にまで達しつつある。視界がぼやけて腕が震えるせいで、ろくに狙いを合わせることもできない。
(いかん……このままだと、呪いに削り殺される……)
意識が薄れていく。馬賊の浴びせかけてきた矢にもロクに対処できず、太腿や肩に鋭い痛みが走る。
だが、そのとき、新たな蹄の音が徐々に大きくなるのを、ケイは感じ取った。
ケ―イッッ!
そして、そこに聞き慣れた声も混じる。ハッと顔を上げれば、サスケに跨がったアイリーンと、その後ろを追随する重装騎兵の姿が目に入った。
ああ―と。心の奥底が、否応なくほぐれるのを感じる。安堵の溜息。
が、対するアイリーンは安堵と程遠いところにあった。矢が刺さってボロボロのケイを見て、アイリーンの眼尻が吊り上がる。それはまさしく悪魔か鬼かという形相で―少なくとも今までケイが見てきた表情の中で、一番おっかないものだった。
貴ッ様ッらァァァァアァッッ!
激昂したアイリーンが、サスケの鞍の上に立ったかと思うとそのまま跳躍する。
軽業、と呼ぶにはあまりにもアグレッシブな動きで馬賊の馬に飛び移ったアイリーンは、そのまま容赦なく騎手の首をサーベルで刎ね飛ばした。
それを見て、顔を強張らせたのはケイだ。
あまりの躊躇いのなさに―察する。既にもう、彼女は何人か斬っているのだと。
そして、愛しの人にそれを強いた状況に、馬賊に―ふつふつと暗い怒りが湧き出てくるのを、ケイは感じた。
『よぉ、英雄。生きてるか?』
『そう簡単にはくたばらねえようだな!』
『助太刀にきたぜェ!』
少し遅れて駆けつけた重装騎兵の三人組が、笑顔で何事か話しかけてきたがロシア語なのでわからない。しかし悪い内容ではないだろうと思ったケイは、疲れた笑みで スパスィーバ とだけ返した。気持ちは伝わったらしく、三人組はガハハと笑いながら残り少なくなった馬賊たちを追い散らしていく。複合弓から放たれる矢を物ともせず、得物で払い落とし、あるいは鎖帷子や鎧で弾き飛ばしながら突撃する様は、今のケイからすれば軍神のように頼もしかった。
ケイ! 大丈夫か!
血塗れのサーベルを片手に、サスケから飛び降りたアイリーンが駆け寄ってくる。
どうにか、な
ひどい怪我だ……ごめん、ごめんよケイ
先ほどまでの般若のような表情から一転、泣きそうな顔をするアイリーンにケイは思わず苦笑した。
だが、何よりもありがたかった。色々と思うところや、言いたいことはあったが。
助かった、アイリーン。ありがとう
これ、ポーション飲んでんのか? とりあえず、背中の矢抜くぞ
頼む。……ンぐッ
ズチュッ、と矢を引き抜かれる痛みに、思わず顔をしかめる。アイリーンは至極申し訳無さそうだったが、ゆっくりやっても痛いだけなので、手早くケイの全身から矢を引き抜いていった。
腰のポーチからポーションの瓶を取り出し、さらに飲み込んで体力の回復を図る。
しかし、まだ厄介な敵がいるぞ
ケイは木立を睨む。安心するにはまだ早い。この期に及んでも邪眼の呪い(デバフ)は解けていないのだ。邪眼を止める手段は限られている。視線を遮るか、術者を殺すかの二つ。
現に、マントを掲げることでかなり呪いを軽減はできているが、マントもケイの装備品の一つなので呪いを遮断する効果としては今ひとつだ。せめて衝立なり大盾なりを壁にできれば、ほぼ完全に視線をブロックできるのだが。
厄介な敵?
告死鳥だ。それもかなり高位の
デバフのせいで”竜鱗通し”が使えない、と言うとアイリーンはそれで全てを理解したようだった。
どこからだ?
あの木立だ
オレが片付けるッ
ピィーゥィッと指笛を鳴らしたアイリーンが、サスケを呼んで駆け出そうとするも、不意にその場でガクッと膝をついた。
代わりに、スッとケイの身体が軽くなる。
ぐっ、あっ、クッソ、キツい……!
ふらふらと立ち上がるアイリーン。どうやら敵は呪いの対象をケイからアイリーンに変更したらしい。咄嗟に足元に転がる”竜鱗通し”を拾い上げるケイだったが、その瞬間今度はケイに呪いが飛んで来る。
ぐっ……
チクショウ、あの木立だな!? それはわかるのに……!
入れ替わりで呪いから解放されたアイリーンが、悔しげな声を漏らす。
オレたちの魔術耐性を完全に貫通するなんて……
胸元の魔除けの護符(タリスマン)を押さえながら、アイリーン。
バリア型じゃないのが裏目に出たな
唸るようにして、ケイも答える。タリスマンには、『バリア型』と呼ばれる一定のダメージを防ぐ使い捨てタイプと、持ち主の魔術耐性そのものを高める永続型の二つが存在する。ケイとアイリーンが使っているのは、後者だ。バリア型よりも永続型の方が貴重で高価だが、そもそもケイたちは肉体(アバター)の耐性が強いため、そちらを強化した方が効率が良かったのだ。
だが、今相手にしているような、自分たちよりはるかに高位の魔術師に対しては、効き目が薄い。
くっ、どうするケイ!?
アイリーンがケイを見やる。先ほどから、邪眼は重点的にケイに向けられているが、アイリーンが動こうとした瞬間にそちらへ切り替えられている。幸いなことに邪眼の性質上、同時に二人は『視れない』ようだが。
……アイリーン、真っ直ぐ突っ込むんじゃなくて、横から行くのはどうだ
胸元をごそごそと漁りながら、ケイは顎で円を描くようにルートを示してみせる。
……なるほど、視線を戻すのに時間がかかるように……だな?
俺が矢を打ち込むのが先か、アイリーンが斬り込むのが先か、だ
ケイの矢が本命だろう?
まあな
首のチェーンを引っ張り、自前のタリスマンを出したケイは、ニヤリと笑う。
どうせ役に立たないんだ。一発お見舞いしてやるさ
タリスマンは、優れた魔術触媒にもなるのだ。
木立までは遠い。ここから視線の主を精確に射抜くのは、流石のケイでも不可能だが―魔術の補佐があれば、話は別だった。
手伝ってくれるか? アイリーン
言われるまでもねえ、よッ!
ケイが矢筒に手を伸ばすと同時、アイリーンが地を蹴り風のように駆け出す。
木立から注がれる邪眼が、当惑したように、アイリーンと自分との間でブレるのを確かに感じ取り―
ケイはより一層、獰猛な笑みを濃くした。
次話で決着です。
47. 反撃
―Siv.
一言、その名を喚ぶと、風が応えた。
大気の鳴動。湿り気を帯びた雨の残り香。
淀んでいた空気が、動き出す。
ぬかるんだ大地に膝を突き、泥と血に塗れたケイを慰撫するように、清浄な風が吹き抜けた。
くすくすくす、と微かに響く笑い声。
あどけなく、それでいて不釣り合いなまでに妖艶な。
風が渦を巻く。足元の水たまりがさざなみを立て、映り込んだ空が、何かを待ちわびるようにうち震えた。
自身の内面、奥深くに、魔力の励起を感じ取る。
振り仰げば、灰色の雨雲が散り散りに浮かぶ、まだら模様の蒼い空。
その澄んだ水色の世界に、ひとりの乙女を幻視する。
羽衣をまとい、艶やかに笑う風の精霊の姿を―
―
ケイもまた、微かに笑みを浮かべ、前方の木立へと視線を転じた。
薄闇の奥にちらつく赤い光。
全身を苛む疼痛―魔術師の邪眼がケイの身を焦がす。
放置すれば死に至る、邪悪な呪いだ。
が、現時点ではケイに残された唯一の反撃の導でもある。
(自分はここに居るぞ、と喧伝しているようなものだ)
視線を媒介し、呪い(デバフ)と死を撒き散らす告死鳥(プラーグ)の邪眼。それは万能のように思えるが、術を受ける者はその瞳の輝きを赤い光として知覚できる―つまり術者の居場所が露見する。
これがただの戦士であれば、敵の位置がわかったところで、手も足も出ないだろう。普通に弓を射たり石を投げたりして撃退できる距離ではない。
だが、魔術の使い手であれば話が別だ。
この光の存在により―敵を定義することができる。
少しでも呪いを軽減するために、壁のように掲げたマントの裏側で、ケイは胸元から護符(タリスマン)を引き抜いた。
Siv. Mi dedicas al vi tiun katalizilo.
魔除けの文言が刻まれた銀の円盤に、そっと口付ける。
Vi vidos la ligno. Ruĝa lumo, mi difinis kiel malamikon.
パキンッ、と音を立ててタリスマンがひび割れ、砕け、風に散って消えていく。
Mia pafaĵo estos gvidita de la vento. Ĝi mortigos la malamiko.
矢筒から矢を引き抜き、“竜鱗通し”につがえる。ふわりと、風が首筋を撫でる感触があった。周囲に満ちていた無音のざわめきが収束し、空気がぴんと張り詰める。
準備は整った。後は―
―アイリーン
視線を横にずらせば、地を這うように低い姿勢で疾駆するアイリーンの姿。
ケイに負けず劣らず、泥と血で汚れた姿だ。白磁のように滑らかな肌も、輝かんばかりの金髪も、今やくすんでしまっている。そしてその後ろには、ぱっかぱっかと蹄の音を響かせながら、 僕に乗りなよ! という顔で追随するサスケの姿もあった。邪眼の脅威を知らないサスケは親切心からアイリーンを追いかけているようだ。邪眼を受ければ転倒・落馬の危険性があると承知しているアイリーンは、自力で走り続けているが。
そう―敵の魔術師の注意を引き付けるための陽動。一瞬、ほんの一瞬でいい、視線が外れて呪い(デバフ)から解放されれば、ケイは本来の筋力で”竜鱗通し”を引ける。
弱体化した現状の腕力でも引ける、馬賊の複合弓を使うことも考えたが、木立までの距離を考えると今ひとつ威力が足りない。敵の魔術師を確実に仕留めるならば、やはり”竜鱗通し”を頼りたかった。
また、このままアイリーンが殴り込みをかけ、直接魔術師の息の根を止めるという手もあるが、木立の中にまだ伏兵がいる可能性を考えるとリスクが高く、そんな危険な目には遭って欲しくなかった。
とりわけ、彼女(アイリーン)には。