致命的な一瞬。
ケイは新たに、次なる矢をつがえていた。
カァン! と小気味良い音が響き渡るのと、ハッと我に返った馬賊たちが、再び銀の光と相見えるのとが同時。
血の色をした暴風が吹き抜ける。
人馬合わせて七つの命が、たちどころに吹き飛んだ。
散開ッ!
射掛けろ!
慌てて指示が飛び、魚の群れのように密集していた馬賊たちは、ぐんと騎馬同士の間隔を開く。ケイが真正面から突撃した理由がこれだった。細長い魚鱗隊形で密集していたため、貫通力のある『長矢』を使うならば正面から撃ち込むのが一番効果的だったのだ。
散開した馬賊たちから、ぱらぱらと射掛けられる迎撃の矢。それらは射手の心境を反映したかのように、ふらふらと狙いが定まらず、力のないものだった。それでも比較的狙いの精確だった矢を難なくいなし、ケイは再び前方の標的を見据える。
その、黒い瞳は、『標的』に対し、さぞかし冷徹に映ったことだろう―
全力で駆ける双方の相対距離は、まもなく零になろうとしていた。
互いの眉間の皺すらも数えられそうな近距離。顔を引きつらせた馬賊の面々にざっと視線を走らせ、素早く矢筒から矢を抜き取ったケイは、コンパクトな射撃を続けざまに放つ。
コンパクトな、というのは、先ほどに比べての話だ。人の命を奪い去るには十分すぎる威力。それでいて狙いは針の穴を通すように精確で、放たれた矢の数だけ馬上からぽろぽろと肉塊が転がり落ちた。
そしてそれには一瞥もくれず、ケイは一気に左へ馬首を巡らせる。
同時に、“竜鱗通し”を右手に持ち替えるのも忘れない。
至近距離を、馬賊の右手側を、ケイを乗せたサスケが勢い良く駆け抜ける。
やれッ!
射殺せ!
怒号が上がるが、即応の矢は放たれない。ケイが見たところ、馬賊の多くは右利きで、右手に矢を、左手に弓を握る者が大半だった。故に馬上弓において、右手側は射角が制限され死角となる。そして数少ない左利きの射手は、先ほどのケイの『コンパクト』な射撃で、そのほとんどが絶命していた。
左利きの射手がやられていることに気付いた者たちが、慌てて右手に弓を持ち替え矢を放つ。が、吹き荒れる風、慣れない右手側への射撃、そして未だ冷めやらぬ動揺、万が一にも標的に命中させられる要素がなかった。
まるで見当違いの方向へ飛んで行く矢をよそに、悠々と駆けるケイはむしろすれ違いざまに馬賊を射殺していく。弓に関して言えば、ケイは両利きだった。利き手での射撃に比べれば若干精度は落ちるものの、この距離ではあってないような誤差にすぎない。
気がつけば、馬賊は三十騎弱にまで数を減らしている。ケイはサスケを減速させることなく、真っ直ぐにそのまま駆け続けた。
逃がすか!
追えーッ!
想定外の大被害を受け、怒りに呑まれた男たちは乗騎を反転させその後を追う。一部冷静に、隊商への攻撃と天秤にかけた者もいたが、結局そのまま周りに合わせて追跡を開始した。
馬には、自信があったのだ。厄介な騎兵を処理してから、じっくり鈍亀を始末すればいい。そんな考えもあった。
しかし―
バカなッ、速い!
離されてるぞ!
ぐんぐんと彼我の距離が開いていく。一目散に逃げるサスケは、速い。先ほどまでとは比べ物にならないほど速い。
ピョートルと並走していたときと違い、今はサスケ一騎だ。もはや『普通の馬』にペースをあわせる必要がない。そしてサスケは、本来は凶悪なポテンシャルを秘める『バウザーホース』という名の魔物。むせるような血臭に、彼もまた昂ぶっていた。
その背に揺られるケイはというと、勿論ぼんやりしているわけではない。サスケの背に仰向けに倒れこむようにして、反転した視界の中、次々に矢を射かけていた。無理な体勢のせいで狙いは甘くなっているが、一騎、また一騎と人馬がぬかるんだ大地に倒れていく。
クソッ、追いつけん!
また一人やられたぞ!
そっちは後回しだ! 先に隊商をやる!
とうとう半数にまで数を減らされてしまった馬賊たちは、歯ぎしりしながらケイの追跡を取りやめ反転、隊商の方へと戻っていく。
……意外と何とかなるもんだな
遠く、一人と一頭で残されたケイは、手綱を引いてサスケを休ませながら他人事のように呟いた。久々の全力疾走に、ゼエ、ゼエと荒い息をつくサスケの首筋を優しく撫でて、その労をねぎらう。
人馬ともに傷一つないどころか、シーヴの魔術に頼る必要さえなかったのにはケイも驚いた。やはり最初に一当てした際、先頭の一騎が抜刀したお陰で一斉射撃を喰らわずに済んだのが大きい。酔狂な真似に助けられた、と考えるべきだろうか。その助けとなった人物が真っ先に死亡する結果となったのには、皮肉な笑みを禁じ得ないが。
顔布の下で、ケイは乾いた笑みを浮かべた。見れば、そこら中にごろごろと人馬の死体が転がっている。食物のための狩りとは全く違う、格段に濃い血の匂いに頭がくらくらしていた。
……すまん、サスケ、もう一頑張りしてもらうぞ
ケイがそう言ってぽんと首筋を叩くと、 しかたないな と言わんばかりにサスケは鼻を鳴らした。チラッ、と首を巡らせて意味ありげにケイを見やったのは、終わったあとでのご褒美の催促だろうか。体力を消耗したことだし、何かの肉とたっぷりの水を上げよう、とケイは思った。忘れがちだが、サスケは雑食性の魔物だ。
よし、行けッ
ケイがぽんと足で合図すると、サスケは再び滑るようにして走り出す。
前方、隊商目掛けて駆けながらもちらちらと背後を窺っていた馬賊たちが、迫り来るケイの姿に血相を変えて馬を加速させる。
―逃がすものか。
そんな想いを獣のような笑みに変えて、血臭に酔うケイもまた弓を構える。
果たして、死神の追撃が始まった。
バウザーホースの性能に物を言わせてあっという間に距離を詰め、馬賊たちの背中に容赦なく致死の矢を見舞う。
散開し―ぎゃぁァッ!
慌てるな、落ち着いて―ぐえッ!
旋回して反げ―あガぁッ!
馬賊たちもどうにか組織だって抵抗しようとするが、無慈悲な矢がその生命を刈り取っていく。
聡い者は、すぐに気付いた。皆をまとめようと声を張り上げる者から先に、死神に目をつけられていることに。
気付かずに声を張り上げる者は、当然のように死んでいった。気付いても尚、現状を打開しようと試みた者は、続いて葬り去られていく。それを目の当たりにした、目端の利く臆病な者は口をつぐんだ。そもそも気付かず、リーダーシップも取れない者は、端から脅威足り得ない。
結果的に、烏合の衆だけがその場に残される。
まとまりもなくただ逃げることしかできず、それでいて各自自由に散開することもできない。何故ならば、群れから離れようとした者から真っ先に死んでいくからだ。己の命惜しさに、小魚のように群れることしかできない。
そしてそれは、―ケイからすれば、もはやただの鴨打ち(ダックハント)だった。
当初、五十騎以上もいた馬賊の一群は呆気ないほど簡単に壊滅し、今やケイただ一騎に追い回されるだけの、惨めな存在に成り果てたのだった。
そして、それを遠巻きに、驚愕をもって見守る者たちが居る。
奴は鬼神か……!?
その中の一人は、隊商の責任者の中年親父、ゲーンリフだ。思わず迎撃の準備の手も止めて、愕然とケイの猛攻を眺めている。だがそれを咎める者は、その場に一人もいなかった。ゲーンリフが最高責任者ということもあるが、何より周囲の者たちもケイの凄まじい馬上弓に度肝を抜かれていた。
元々、ゲーンリフはケイを信用していなかった。経歴も、敵ではないという意志表明も、その弓の腕前さえも。ケイの何から何までもだ。
最初にケイがピョートルを残して反転したときは、 裏切り者が尻尾を出した と激怒していた。敵の部隊に合流する動きと見たからだ。
だが、蓋を開けてみればどうだ。
死屍累々。まさにその一言に尽きる。あまりに現実離れした光景に、この短い間に何度目を擦ったかわからない。
―そう、短い間に。
ケイの弓で死体の山が築かれるまで、本当にあっという間だった。ケイが戦闘状態に移行した直後は敵の演技や自作自演さえも疑ったゲーンリフだが、あまりの死体の多さにその考えを改めざるを得なかった。いくらなんでも、胴体と首を切り離すふ(・)り(・)ができる人間はいないし、こちらを油断させる罠にしては死人が出すぎているし、そもそもそんな罠を張る必要性もないと理性で判断できる。
だからこそ、恐ろしかった。
目の前で起きていることが―全て現実であると、認めざるをえなかったから。
そしてそれは、おそらく周囲の面々も同じであった。これまでケイに敵対的であった者たちも、ピョートルを含む極少数の友好的・中立的であった者さえも。
あの弓が自身に向けられていたら―そう考えてしまうのは、ある種の生物としての本能だろう。それと同時に、馬賊の一群が壊滅しつつある現状に安堵も覚えつつある。その相反する感情は、思考停止という形で表れた。
しかし、それも長くは続かない。
ゲーンリフたちと同様に、あるいはそれ以上に衝撃を覚えていた馬賊の別働隊がすぐそばまで迫ってきたからだ。自身を鼓舞するような雄叫びが、地鳴りにも似た蹄の音に混じって聴こえてくる。
ゲーンリフ隊長、連中が来ます!
……迎撃態勢に入れ! 弓が使える者は構えろ、射程に入ったら順次放て! 馬を狙えよ! 手が空いてる奴は一枚でも多く盾と板を並べろ!
自身も弓を構えながら、ゲーンリフは指示を飛ばす。護衛の戦士や商人たちが弓と弩を構え、見習いたちが板や盾を手に走り回っている。
そして、ゲーンリフのだみ声は、隊商の真ん中までハッキリと届いていた。
……嬢ちゃん、隠れてた方がいいんじゃないか? 荷箱の間に隙間を作っといたから、ここに潜り込んでりゃ流れ矢くらいなら防げるぜ
公国の薬商人ランダールが、緊張した面持ちで円盾を構えながら荷台のアイリーンに声をかける。
気持ちはありがたいけど、オレも戦うぜ
サーベルを片手に、しかしアイリーンは毅然と答えた。
……つってもよ、嬢ちゃん
勇ましいのはいいが、と何とも言えない顔をするランダール。彼からすれば、可憐な少女が無理して粋がっているようにしか見えないのだろう。
女だということもあるが、それ以上に見かけのせいで過小評価されるのはいつものことだ。アイリーンも慣れたもので、溜息をつくことすらせずに、ただ右手のサーベルを軽く振るって見せる。
ピッ、ビシュッと腕の先がブレて見えるような、鋭い剣閃。決して力任せに振り回しているわけではない、無駄を削ぎ落とし、洗練された斬撃だった。
……なるほどな。お飾りじゃなかったのか
ランダールも、力量を推し量れるだけの目は持っているらしい。気負う風もなく斬撃を披露したアイリーンに、神妙な顔で頷き、それ以上はとやかく言わなくなった。
嬢ちゃんはなかなかできそうだな。期待してるぜ
護身程度さ。自分の身は自分で守ってくれよな
軽口を叩きながら、アイリーンは空いた左手で腰のベルトから投げナイフを取り出し―自分の手が震えていることに気付いた。ランダールから見えないよう、背後に手を隠しながら、苦笑する。
ランダールの言うことも、あながち間違っていなかったかも知れない、と思ったのだ。
だが。
ここで、自分だけ隠れるわけにはいかなかった。
遠く前方を見やれば、馬賊を追い回す騎兵―ケイの姿が見える。
(……ケイが、あれだけやってるんだ)
周囲の人間はケイの武威に恐れ慄いているようだが、それ以上にアイリーンからすれば、その姿は痛々しかった。
好きで、やっているわけではない。
顔布の下がどのような表情であれ、今この瞬間に何を考えていようとも、それはケイが自分自身に冷徹な殺人機械であることを強いているだけなのだ。
わかるだけに、痛々しい。
だからこの痛みを、ケイにだけ押し付けるわけにはいかない。
サーベルを握る手が震えて、カタカタと音が立っている。
馬賊の雄叫びと蹄の音に、かき消されて聞こえないのは幸か、不幸か。
……やってやるさ
深呼吸し、誰にも聞こえないよう小さく呟く。
いよいよ迫りつつある馬賊を、アイリーンはただ、キッと睨みつけた。
45. 迎撃
隊商の面々にすら畏怖の念を齎(もたら)したケイだが、『当事者』たる馬賊たちの受けた衝撃はその比ではなかった。
いっ……いったい何なんだアイツはッ!
木立の中、一人の男は絶叫する。