―ッ! ―ッ!
暴れて戦士の腕からどうにか脱そうとする女だったが、容赦なく顔を数発殴られて黙らされる。
『おおっと、暴れるなよ。間違えて別の指まで落としちまう』
そうしている間にも、少年はもう片方の手を掴まれて、同様に人差し指と中指を斧で切り落とされていた。
……行こう
流石に、ケイも見ていられなかった。マントの裏側で無意識のうちに手を握ったり開いたりしながら、アイリーンの肩を抱きその場を離れる。俯くアイリーンはされるがまま、ふらふらとした足取りで歩き始めた。
もう、うんざりだった。
ゲーンリフたちの会話が理解できなかったので、『アレ』がどのような意図に基づくものかは予想するしかないが、ただひとつ、ろくでもないことなのは確かだった。ケイ自身、数十人もの命を奪った手前、今更綺麗事を言うつもりはないが、それでも幼い子供が苦痛と恐怖で泣き叫ぶのを目の当たりにするのは、耐えようもなく不快だった。
クソ食らえ、と日本語で呟く。鳥でも捌くかの如く無造作に酷(むご)い仕打ちを加えたゲーンリフたちに。何もせず、見なかったことにしようとする自分自身に。そしてそれら全てを強いるこの状況そのものに。
今はただ、アイリーンを苦しめるものから、一刻も早く遠ざかりたい。
ただそんな気持ちを胸に、足を動かす。
気がつけばケイは、なんとはなしに、公国の薬商人―ランダールの馬車の前までやってきていた。
はい、はい、急がなくてもいいぞー。まだあるからなー、色々と
奇妙なことに、ランダールの馬車の周囲には人だかりができている。見れば、愛想笑いを浮かべたランダールが、隊商の面々に薬を配っていた。
隊商の馬車列に対し火矢が使われたのはケイも見ていたが、どうやらランダールの馬車はほとんど無事なようだ。ほとんど、というのは、幌が支柱ごとなくなっているので完全に無傷とは言えないことを指す。荷台が剥き出しになったままでは、次の街に着くまでに雨が降ったとき大変なことになるだろうな、とケイは他人事のように思った。
……随分と人気だな
おおっ、ケイ! 大活躍だったな、遠目からだが見てたぞ!
ケイが声をかけると、ランダールは疲れたような笑みを浮かべて答える。押し合いへし合いする隊商の面々をなだめ、額の汗を拭って一息ついたランダールは、傍らの水筒から喉を鳴らして水を飲んでいた。
それを見て、ケイも突然、猛烈な喉の渇きを自覚する。考えてみれば当然のことだ、朝に村を出てからずっと斥候の任についており、それから今に至るまで全力で戦っていたのだから。
俺も水をもらっていいか。喉がからからだ
おう、好きなだけ飲め英雄! こっちに上がってこいよ、それとついでと言っちゃなんだが、薬を配るのを手伝ってくれないか。おれ一人じゃなかなか手が回らなくてな
ランダールの馬車には金属製の瓶が備え付けられており、数人分の飲料水でたっぷりと満たされている。未だ呆然としたままのアイリーンを伴い馬車へと上がったケイは、再び薬を配り始めるランダールを尻目に、瓶の水をカップにすくって思う存分に喉の渇きを癒やした。
それにしても、大盤振る舞いだな。非常時とはいえ薬を配るなんて……
際限なく、怪我薬や消毒剤、解熱剤などを求めてくる隊商の面々と、それに応えるランダールを見ながら、ケイは思わず呟く。
いや、だってよ……
それを耳にして、ランダールは渋い顔だ。ケイの耳元に口を寄せ、他には聞こえないような小さな声で、
この状況で出し渋ってみろ。……殺されて奪い取られるよりはマシだろ、おれなんてしがない公国出の商人で、ただでさえ後ろ盾がないんだからよ……
……成る程
馬車の周囲で必死に薬を求める面々を見やり、ケイは納得して頷いた。確かに、ここで薬を出し渋ればタダでは済まされないだろう。命があればまだ良い方で、最悪、罪を全て馬賊にかぶせた上で身包みを剥がされ、闇に葬り去られる可能性すらある。
一応、保険はかけてあるんだけどな。流石に全部は補填できないだろうし、何より目的地のベルヤンスクについても売る品物がねえ……おれは一文無しになっちまう……
トホホ、といった様子で肩を落とすランダール。 まあ、まあ とケイは慰めるようにその背中を叩いたが、何となく、ランダールから切羽詰まった雰囲気が感じられなかったので、それほど熱のこもった励ましの言葉は出てこなかった。
それにしても、と水で喉を潤しながら、ケイは改めて周囲の面々を観察する。仲間のために、あるいは友人のために、皆が血走った目で薬を求めている―その鬼気迫る雰囲気は、確かに尋常ではない。おそらく予断を許さない状況下にある怪我人も多いのだろう。
いつまでものんびりはしていられない、と思ったケイは、ランダールの指示の下、薬を手渡す作業を手伝い始めた。少し遅れて復帰したアイリーンも、のろのろとした動きではあるが、それに加勢する。
しばらく、無料での大盤振る舞いが続いた。しかしどれほど手伝っただろうか、薬が残り少なくなってきたところで、見知った顔が現れる。
周囲を取り囲む人々を押し退けるようにして、強引に馬車に近づいてくる男。順番は守れ、とケイは口を開きかけたが、やめた。
男は、先ほど共に戦った重装騎兵三人組の一人だった。相変わらず板金仕込みの鎧を身につけたままで、武装は解除していない。付着した返り血すら拭き取らず―その表情は、ケイが初めて見るような厳しいものだった。いつも仲良し三人組でつるんでいる彼は、戦闘時においてすら、何処か余裕のある笑みを崩していなかったと記憶しているのだが―
少なくとも、彼の目的は薬ではないようだった
真っ直ぐに、真摯な瞳がケイを見据える。
ケイ。……ピョートルが、呼んでル
短い、片言の公国語。
たったそれだけの、言葉が。
ケイにはどうしようもなく、不吉な響きを孕んでいるように聞こえたのだった。
†††
やあ、ケイ
まるで散歩の途中、道端でたまたま出くわしたかのような気軽さで、ピョートルは声をかけてきた。
……、……
ケイは、口を開いたが、言葉が出てこない。ただ、立ち尽くした。
ピョートルの顔は真っ青だ。
そしてそれに反比例するように、腹に巻かれた包帯が、鮮烈な赤に染まっている。
隊商の後列、大型テントの布を用いて負傷者がひとまとめに寝かされた場所。そこは今、まさに野戦病院のような様相を呈していた。ランダールから提供された質の良い医薬品を手に、医療知識のある戦士や商人が怪我人たちの間を飛び回っている。皆に手足を押さえつけられ、傷口を縫合されている男がこの世の終わりが訪れたような顔で泣き叫び、逆にある程度の治療を施された者は疲れ果てたのか、死んだようにこんこんと眠り込んでいる。
それ以外にも、―手遅れだったのだろう、顔に布を被せられ、安置されている者もいた。そんな彼らの中で、ピョートルは、比較的静かに過ごしているようだ。
―つまり。
助かる見込みはない、と。
もう治療は意味がない、と、見放されているのだ。
その証拠に、ピョートルに施された手当ては、どうやら簡単な消毒と、包帯をキツく巻きつけるだけの止血のみのようだった。実際、人体解剖学について造詣の深いケイから見ても、ピョートルは生きているのが不思議なほどの傷を負っていた。脇腹を深く抉るような一撃。おそらくは槍やそれに類する刺突武器によって、鎧の隙間を突かれたのだろう。
どう見ても、致命傷だった。
少し……無茶をした。最善を尽くそうと、した。しすぎた
ところどころ、言葉に詰まりながらも、しかしピョートルは場違いなほどに穏やかな表情を浮かべていた。それ以上、立っていられなかったケイは、かくんと膝を折って、ピョートルの傍らに力なく座り込む。
呆然とするケイに、寝転がるピョートルは儚く笑いかけた。
……そんな顔をするな。ケイ
いや、だが、ピョートル……
どうして、こんな、と。ピョートルは、直接手合わせして力量を確かめたわけではないが、それでもかなりの使い手だと、ケイは勝手に思っていた。確かに馬賊の数は脅威的だったが、完全武装のピョートルが、そう易々と遅れを取るとも思えない―
ピョートルは、
アイリーンが、震える声で口を開いた。
オレが、ケイを助けに行ったとき……一人で、追手を……
その言葉は尻すぼみになってしまったが、それだけでケイは全てを理解した。
……すまない。すまない、ピョートル
……いいんだ。……謝るな、わたしが……やりたい、ことだった
声を絞り出すようなケイに、微かに首を振ってピョートルは答える。
満足気だった。どこまでも、自分勝手に。清々しいまでに。
…………
ピョートルの手を握り締めたケイは、その腹部の傷口に視線を落とし、下唇を血が滲み出るほど強く噛み締めた。
致命傷、ではある。それは確かだ。
しかしケイには―何とかする手段が、残されている。
―高等魔法薬(ハイポーション)。
命に関わるような怪我でもたちどころに回復させてしまう、文字通り魔法の薬があるのだ。残り数少ないとはいえ、ケイのポーチやアイリーンの懐に、しっかりと収まっている。
それを使えば、助けられる。
しかし―
(ポーションは……生命線だ)
今回の戦いもそうだが、『こちら』の世界に来て以来、何度その奇跡に命を救われたかわからない。
アイリーンが毒矢を受けたときも、盗賊との戦いでケイが負傷したときも。
ポーションがなければ、確実に死んでいた。
故に、ケイは自分たちの所有物の中で、ポーションの優先順位を『最高位』に設定している。“竜鱗通し”と手持ちのポーション、どちらかを選べと言われれば、迷いなくポーションを選び取るほどに。
“竜鱗通し”は、なくなっても普通の弓である程度代用できる。しかし、ポーションに代わるものはない。それがわかっているだけに、どうしても必要に迫られなければ使うことさえなかった。そうであるが故に、たとえタアフ村の呪い師の老婆(アンカ)に、赤子を救うためと理由をつけて懇願されても、譲渡することはなかったのだ。
冷静になれ、と。
自分の中で、声がする。聞き慣れた声だ。
それは、『乃川(のがわ)圭一(けいいち)』の声。ケイの中で、生きることに執着し続け、これまで共に半生を歩んできた、ケイ自身の声。
その声が告げている。たかだか出会って数日程度の男に、貴重な霊薬を使ってしまうのはあまりに勿体ない、と。それよりも万が一のときのために、温存しておくべきだ、と。
合理的に考えれば、その通りであるに違いない。かつて、タアフ村でアンカを見放したときのように、今このときもまた、見て見ぬふりをすればいい。
また、それ以外にも一つ、大きな問題がある。仮にここでポーションを使い、ピョートルを回復させたとしよう。そうすれば、周りの皆はどのように反応するだろうか。
ケイは、おもむろに周囲を見回した。既に事切れている者たちを除いて、ピョートルは最も重篤な怪我人だったが、他にも危険な状態の者は沢山いる。
そんな彼らに。あるいは、彼らの友人に。
―ポーションの存在が知られれば、どうなるか。
思い出すのは、先ほどのランダールの言葉だ。
『この状況で出し渋ってみろ―』
命があれば、運の良い方だ。普通の医薬品ですら、皆が血相を変えて殺到する有様だった。ましてやそれが、どんな怪我でも一瞬で治してしまう霊薬ともなれば。
何が起きるかなど―想像に難くない。
もし、隊商の皆にポーションを明け渡すのを拒否するならば、必然的にここにはもう居られなくなるだろう。戦うか、逃げるか―ここで殺し合いに発展するのは流石に本末転倒なので、ケイとしては逃げの一手を打ちたいところだが、そこにも問題がある。
今ここで隊商から離脱して、無事に目的地のシャリトの村に辿り着けるのか。
ブラーチヤ街道周辺の地図は持っているが、土地勘はなく、地図の情報も古いため現在でも使える水場があるか不明瞭だ。仮に隊商から離脱するならば、見知らぬ土地で水不足や物資不足に怯えながら、独力で北の大地を横断する羽目になる。
果たして、―それは可能なのか。
そのリスクの大きさに、慄く。今回の隊商護衛の旅の直前に、エゴール街道で辛酸を嘗めさせられているだけに、尚更のこと。