ポーションも大切だが、道に迷えば、あるいは野営の設営場所の選定に失敗すれば、命の危険も出てくる。それこそ、本末転倒ではないのか。ポーションを奪われないために集団を離れ、逆に窮地に陥るようでは―

……ケイ

そっと。

アイリーンが、ケイの肩に手を載せた。

…………

片手をアイリーンの手に重ねて、ケイは考える。

アイリーンは、どう思うのかを。

(……いや)

思わず、ほろ苦い笑みが口の端にこぼれた。

考えるまでもないことだ。

仮にここでポーションが一つ減り、将来窮地に陥ることがあったとしても。

アイリーンはむしろ、この選択を誇るだろう。

仮にここで隊商を離脱することになり、苦難の旅が始まることになったとしても。

アイリーンは、この選択を後悔しないだろう。

それが、考えるまでもなくわかる。

そして―それは、ケイのくすんだ心に澄んだ風を吹き込み、ケイには眩しすぎるほどの、あたたかな希望の光を灯した。

合理的ではない。惜しい。取り返しがつかない。

考えれば、その通りだ。きっとそうなのだろう。

だが―

思い出す。脳裏をよぎる。ここ数日の短い旅路が。ピョートルとともに過ごした思い出が、目まぐるしく移り変わっては、消えていく。

儚くも切ない。そんな想いとともに。

ケイは、決断した。

……アイリーン、

顔を上げる。透き通るような、蒼い瞳と正面から視線がぶつかった。

悲しむような、ケイを案じるような。それでいて何かを、期待するような。

アイリーンのまっすぐな瞳を見つめ返しながら、ケイは口を開く。

……荷物の用意を、頼めるか

真剣な表情のケイの問いに。

―アイリーンは、花開くような、心底嬉しそうな微笑みを浮かべた。

うん。……任せろ、すぐに用意してくる

力強く頷き、するりと人ごみをすり抜けて、ランダールの馬車の方へと駆けていく。

―たったこれだけで、全てが通じた。

アイリーンもやはり、同じことを考えていたのだ。

そのことが無性に嬉しく―ケイは、アイリーンと同じ考えに至った自分が少しだけ誇らしくも感じた。

ピョートル

……なんだ?

ありがとう。ピョートルのお陰で、色々と助けられた

両手をピョートルの手にしっかりと重ね合わせ、目を見て言葉を紡ぐ。

―良くしてくれて、ありがとう。色々と教えてくれて、ありがとう。本当に楽しかった。短い間だったが、ピョートルと出会えて本当に良かった

ゆっくりと、噛み締めるように。そして公国語が不自由なピョートルにも、自身の気持ちが十全に伝わるように。ケイは平易な言葉で、しかし万感の想いを込めて、言う。

一瞬、きょとんとしたピョートルは、それでも、ケイの手を握り返しながら朗らかに笑った。

わたしもだ。ケイと会えて良かった。そして、楽しかった。一緒にいられて、斥候の仕事をできて、良かった……ありがとう、ケイ。ありがとう……わたしも、きみと出会えて、本当に良かった……

そこまで告げてから、ピョートルは眠たげに、目を瞬いた。

少し……疲れた。眠くなってきた……

青褪めていながらも、穏やかだった表情に、陰りが差す。

今まで数十人となく命を奪い去ってきたケイは、本能的に、ピョートルに忍び寄りつつある濃厚な死の気配を、確かに感じ取った。

(……あまり時間に余裕がない)

―明らかに、死に喚ばれている。治療は一刻を争うだろう。ポーチの中のポーションを強く意識しつつ、ケイはぺろりと唇を舐めた。

どうするべきか。

『ピョートル……』

『嘘だ、こんなこと……』

『また一緒に、美味い酒を飲もうって……約束したじゃねえかよぉ』

あるいは、そろそろ危ないと聞きつけたのか、周囲にはピョートルとの別れを惜しむ人が続々と集まりつつあった。皆、涙を堪えながらも寄ってきては、口々に何事かを話しかけている。ピョートルは段々と意識が薄れてきているのか、寝ぼけたような口調で彼らに答えていた。隊商内におけるピョートルの人望が窺い知れる一幕だが、しかし、今のケイには少々都合が悪い。

(どうにかして、ポーションを飲ませたいんだが……)

傷口に直接かける手は、使わない。経口摂取とは比べ物にならない即効性があるが、やはり治癒の苦痛が尋常ではないし、何よりピョートルは傷口を包帯でギリギリ巻きにすることで辛うじて止血している状態だ。下手に包帯を外すと再び血が噴き出して、失血死してしまう可能性もある。自分で試してみてわかったが、経口摂取でも充分に傷を癒やし、体力を回復させることは可能だ。一瓶分のポーションを飲ませられれば問題なく快癒するだろう、というのがケイの見立てだった。

だが現状、ピョートルは十数名を超える仲間に取り囲まれており、密かにポーションを飲ませることなどできそうになかった。終いには、話を聞きつけてゲーンリフまでもが様子を見に来る始末だ。

(……どうする)

この場にいる全員にバレずに、ピョートルにポーションを飲ませる方法。

あるいは―この場にいる全員に、ポーションの存在を悟らせない方法。

考えを巡らせ、一つの手を思いつく。

あれやこれやと勘案した結果、最終的にそれしかないという結論に至った。

……今、助ける

小さな声で呟き。今一度ピョートルの手をギュッと握ったケイは、おもむろに立ち上がって周りを取り囲む人の輪を抜けた。

そして、近くの馬車の陰。皆がピョートルに注目しており、誰にも見られていないことをよく確認してから、ポーチからポーションの瓶を取り出し中身をあおる。

口の中、しゅわしゅわとしたポーション独特の微炭酸のような刺激を感じながら、覚悟を決めたケイは再び人混みに割って入った。

ピョートルの傍で跪いたケイは、覆いかぶさるようにして―

えっ

その場の全員が、困惑の声を上げた。

突然、それも無言のまま、ケイが自らの口でピョートルの唇を塞いだからだ。

凍りついたような空気を感じながらも、ケイは口移しでピョートルにポーションを飲ませていった。半ば意識を失いつつあったピョートルは、ほぼ無意識で、コクコクと命の雫を飲み干していく。

……ぷはっ

時間にして数十秒は経っただろうか。ポーション一瓶分を、ケイは周囲の誰にも悟らせることなく、ピョートルに飲ませることに成功した。見れば青褪めていたピョートルの頬にうっすらと赤みが差し、少し苦しげだった呼吸も安定しているようだ。おそらく、腹の傷も修復が進んでいることだろう、とケイは満足気に笑う。完治するのにポーションが足りているかは分からないが、少なくともこれで死の危険はなくなったはずだ。痛みがなくなり、体力の消耗と疲労がピークに達したためか、ピョートルは微睡みに誘われるようにして規則正しい寝息を立て始めた。

……今、何をした?

公国語で、困惑したままのゲーンリフが尋ねてくる。それは、この場にいる全員の総意だったことだろう。傍から見れば、ケイが突然濃厚な口づけをお見舞いし、それでピョートルが劇的な回復を遂げたようにしか見えなかったのだ。

…………

ケイは何も答えずに立ち上がり、ピゥッと指笛を吹き鳴らした。

ブルルッ、と楽しげにいななきながら、サスケが駆けてくる。再び強引に人の輪を抜けたケイは、“竜鱗通し”を片手にサスケへ飛び乗った。

アイリーンは、この短時間でしっかりと出立の用意をしてくれていたらしい。ランダールの馬車に積ませてもらっていた予備の矢がしっかりと補充されており、サスケの負担にならない程度に夜営の道具などが鞍に括りつけられている。

サスケから少し遅れて、荷物を背負ったスズカに跨がりアイリーンも駆けてくる。スズカもまたフル装備だ。準備万端、いつでも出発できる。

ケイとアイリーン、そしてその乗騎の姿に、只事ではないと察した隊商の面々がざわついた。

……ゲーンリフ殿。悪いが、俺たちはここで離脱させてもらう

何ッ!?

ケイの思いもよらぬ言葉に、ゲーンリフは驚いた。と、同時に焦った。たった今、ピョートルを一瞬で回復させた奇跡の業について、聞きたいことが山ほどあったからだ。

まっ、待って欲しい! 今のは、ケイ、いやケイ殿が今なされたのは、一体……!

元々、隊商に加えてもらうのは、馬賊から身を守るためだった。しかしこうして馬賊は壊滅させたし、もう同行する必要を感じないんだ。俺たちは、先を急ぐんでな

『……まあ、そういうことね。悪いけど、先に行かせてもらうわよ』

慌てるゲーンリフをよそにケイは淡々と告げ、アイリーンが肩をすくめながら母国語で今一度告げる。

きょろきょろと忙しなく視線を彷徨わせたゲーンリフは、必死に次の言葉を考えているようだった。

今、ピョートルに使った御業は、まだ使えるのだろうか!?

いや、もう使えない。一度きりだ

前のめりになったゲーンリフの問いに、ケイは素っ気なく、そして淡々と答えた。元より隠すつもりもそれほどなかったため、ゲーンリフはそれが嘘だと一瞬で見抜く。どの辺が嘘かは分からないが、少なくとも本当のことは言っていないと、看破した。

……恥を忍んでお願い申し上げる! 隊商には、まだ重傷者が沢山いるのだ! どうか彼らの怪我も見てやっては頂けないものか!

だから、無理だ。すまないな。失礼させてもらう

『馬賊の報奨金は、そっちで好きにしておいて。私たちは途中で抜けさせて貰うけど、迷惑料はその分でチャラってことで』

あくまで素っ気ないケイ、畳み掛けるように話をまとめようとするアイリーン。それぞれの乗騎の腹をぽんと足で蹴り、ゆっくりと駆け始める。

まっ、待って……待ってくれ!

ゲーンリフは一瞬躊躇ってから、

『行かせるな! どうにかして止めるんだ!』

護衛戦士の騎兵に命じようとしたが、その足元にビシュッと鋭い音を立てて、白羽の矢が突き立った。

ケイだ。

言ったはずだ。今のが最初で最後。俺はもう『あれ』は使えない……これ以上追ってくるのならば、それ相応の(・・・・・)対応をさせてもらう!

矢をつがえた”竜鱗通し”をこれ見よがしに見せつけながら、ケイは叫んだ。それをすかさずアイリーンが雪原の民の言葉に翻訳して叫び、ケイの正確無比な騎射の腕と、“竜鱗通し”の化け物じみた威力を思い出した騎兵たちは、ゲーンリフの命令に従う気を一瞬で喪失した。

もはや誰にも邪魔されずに、平野を駆け始める。

揺れる馬上で、ケイは振り返った。呆気に取られたように立ち尽くす隊商の面々、そして彼らに囲まれた中心で、穏やかに寝息を立てるピョートル。

このような別れ方になってしまったからには、もう会えるかどうかはわからない。

……さようなら

一抹の寂しさを感じながら。

別れの言葉を風に乗せたケイは、ピョートルの姿を目に焼き付けながら、微笑んだ。

前方に向き直る。

そして、二人は北東へと突き進み、

やがてその姿は、隊商からは見えない、地平の果てへと消えていった。

49. 行方

隊商から離れ、ひたすら北東へ駆け続けること数時間。

ケイたちの行く手に、小さな川が現れた。

幅は数メートルもない、ささやかな水の流れ。ここ最近の雨の影響か、川面は土色に濁っていたが、見たところ沸騰させればどうにか飲用に耐えそうな水だ。普通の現代人なら腹を下す可能性もあったが、幸いなことにケイたちの肉体は頑強なので、泥臭い風味にさえ目を瞑れば何とかなる。

―これでもう乾きに怯える必要はない。

旅の序盤、エゴール街道での苦難を思い出しながら、二人は胸を撫で下ろした。

サスケとスズカに水を飲ませながら、ビスケットやサラミなどで遅めの昼食を摂る。戦闘の直後は食欲など微塵も感じられなかったが、一口噛み締めるごとに滋養が全身に染み渡るようだ。生ける肉体(からだ)のなんと貪欲なことか―と、口に食料を詰め込みながらケイはまるで他人事のように思った。

その後、休憩もそこそこに、川に沿って東へ進む。この川のお陰で、大まかな現在位置は把握できていた。地図によると、このまま進めばやがて街道に合流するはず。

それを信じて、駆け続ける。

隊商から追いかけてくる者はなく、周囲に人影も見えず。代わり映えしない雨上がりの風景、湿り気を失いゆく土の匂い。地平線まで白茶けた平野が延々と広がり、時折、思い出したかのように緑の木立が現れては、視界の果てに流れ去っていく。会話もない、ただ川の流れる音と風のさざめきだけが響く静かな旅路。

そんなケイたちが足を止めたのは、日が傾き始めた頃だった。川沿いの小高い岩山に、たまたま洞穴(ほらあな)を見つけたのだ。

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