うむ。尤も、ケイ、君の想像するものとは異なるがね。『“悪”の”魔”性のもの』とは日本語では随分と酷い言われようじゃないか。それに対してアイリーンの印象は、より嫌悪感が強いようだが、はてさてこれは地球の地域による宗教観の差かな。興味深い。いずれにせよ、我々は我々自身を『デーモン』と称しているが、固有名詞に近いので地球の『悪魔』の概念とは全く異なるものだよ。だからと言って、僕自身が善性の存在、などと言い張るつもりはこれっぽっちもないがね……
クックック、と口の端を釣り上げ忍び笑いを漏らすオズは、まさしく、旅人を迷わす悪魔そのものに見えた。
…………
オズの話の情報量に、アイリーンは目を白黒させているし、ケイはケイで頭痛を堪えるようにして額を押さえた。
そこでふと、ケイは、眼前に洒落たゴブレットが出現していることに気がついた。
手に取ってしげしげと眺める。この世界では滅多と見かけないような、透明なクリスタル・ガラス製。続いて、傍らのコーラの缶にも手を伸ばす。
よく冷えている。250mlの缶、手の中にすっぽりと収まる程よい重さ。埃をかぶった記憶が、 ああ、これは確かにこういうものだった と告げていた。現実(リアル)で缶を手にしたのは、十数年ぶりのことだろうか―いや、そもそもこれは現実なのだろうか―夢でも見ているようなぼんやりとした気持ちで、プルタブに指をかける。
プシュッ、と懐かしい音。
用意されていたゴブレットを使うのも忘れて、缶から直飲みする。しゅわしゅわと爽やかな炭酸が舌の上で弾けた。
強烈な、そして人工的(アーティフィシャル)な味。うまい、と思った。だが、最後に口にしたのがあまりにも昔のことなので、この味が懐かしいのかどうかすら、ケイにはわからなかった。
……あなたは、俺たちの記憶が読めるのか
コンッ、とテーブルに缶を置き、ケイは改めて問う。
そうだね。僕は追憶と忘却を司る者だ
首肯するオズ。
ケイやアイリーンのことを『知っていた』のは、屋敷を訪れたときから、二人の記憶を読み取っていたのだろう―そしておそらく、今この瞬間の思考さえも。
自分たちの心を奥底まで、自由に覗き見られる存在。
普通に考えれば不気味に感じそうなものだが、オズの態度があまりに飄々と、そして超然としているので逆に現実味に乏しく、畏れの感情が湧いてこなかった。驚きの連続で、その辺の感覚が麻痺しているということもあるのかもしれない。
何か縋るものを求めるように、ケイは再び缶に手を伸ばし、コーラで唇を湿らせた。
……『この世界』には、あなたのような存在が大勢いるのだろうか?
ゲームの世界には、 悪魔(デーモン) などという設定は存在しなかった。タイトルからして DEMONDAL なので、どことなくその存在を示唆しているような気がしなくもないが、少なくともプレイヤーレベルでは、そういった情報に触れたことはない。
さあ、どうだろう。多分いないんじゃないかな
しかしオズの返答は、なんとも気の抜けるようなものだった。一瞬、オズはこの世界で例外的かつユニークな存在なのかと思ったが、先ほど『我々(WE)』と言っていたからには同類がいるはず。その点を尋ねようとしたところで、オズが付け加える。
―そもそも僕は、この世界の住人じゃないからね
緑色の瞳が、笑っている。
君たちと同じように、別の世界から来たのさ。尤も、僕は己の自由意志でこの世界に『降りてきた』わけだが……
意味深な台詞に、ケイとアイリーンは顔を見合わせた。
順を追って説明しよう。僕は、いやしくも我々デーモンが『天界』と称する世界の生まれだ。有り体に言えば、上位世界さ。天界の下の次元には無限に並行世界が広がっている。『この世界』もそのうちの一つだ
役者のように両手を広げて、周囲を示しながらオズ。
基本的に世界を渡るのは大変な労力を要するものだが、上から下に降りる分にはそう難しくはない。僕は天界を出奔した―堕天したのさ
……なぜ?
嫌気が差したんだ。『天界』の住人、我々デーモンは、ほぼ不滅の存在だがね、ただ安穏と不死に甘んじることを潔しとしないんだ。己の存在を、さらに上位へ押し上げること―すなわち、己の魔力を際限なく肥大化させることに、心血を注いでいる。他者を蹴落とし、他者を喰らい、ただひたすらに争い続ける。天界はデーモンが果てしなく争いを続ける、地獄のような世界だよ。僕は、知識欲こそは旺盛だがね、荒事は好まないんだ。無限の闘争なんて御免だよ
―だから、逃げてきた。
オズは、そう言ってニヤリと笑う。
しかし僕のように、天界を出るデーモンは非常に稀だ。再び天界に戻ろうとすれば、魔力を大量に消費してしまう。つまり『弱く』なるわけだ。強さを至上とするデーモンの価値観からすれば、到底受け入れられない。堕天なんてのは、肥溜めにでも飛び込むに等しい行為と見做されているのさ。僕が『多分いない』と言ったのは、そういう意味だ。堕天するデーモンは、死を恐れる臆病者か、よほどの変わり者のどちらか。そしてそんな奴はそうそういない
一息に語り、オズはクイッとグラスを傾けオレンジジュースを飲み干した。
さて、僕の話は良いとして、君たちも何か聞きたいことがあるんじゃないか?
全てを見透かしたようなニヤニヤとした笑みを浮かべて、オズは問う。その視線は、特にアイリーンへ向けられていた。ビクッ、と怯えたように肩を震わせるアイリーン。
……オレたちは、
恐る恐る、アイリーンは口を開いた。
なんで、この世界にやってきたんだ? そして……元の世界に、帰還する方法って、あるのかな
とうとう聞いたか、とケイは瞑目する。
そうさな
ふむ、と腕組みしたオズは、ケイとアイリーンをそれぞれじっと見つめた。
まず、君らには記憶の混濁があるようだね。そこをなんとかしようか
くるりと指を回す。
次の瞬間、ケイとアイリーンは うっ と頭を抱えた。脳内を蛇が這い回るような、異様な感覚。走馬灯のように記憶が蘇る。ゲームでの追い剥ぎとの戦闘、ウルヴァーン近郊の濃霧、そしてその中で遭遇した―
ヨ゛ ン゛ タ゛
……そうだっ、化け物! あれは一体……!?
のっぺりとした白色の、人型をした化け物。思い出した。ゲーム内の霧の中で、あれと遭遇したことを。むしろなぜ、今まで自分は忘れていたのか。
世界を渡る際に記憶が混濁するのはよくあることだ。僕は特にそう言った方面に強いので、そういうことはないがね。と言うより、日常生活のこと、元の世界のこと等々、君らが忘れている部分は多かったぞ。自覚はなかったかもしれないが
……そうなのか?
オズの言う通り、自覚はなかった。顔を見合わせて首を傾げるケイとアイリーン。
まあ、それは置いといて、オズの旦那、あの化け物はなんだったんだ?
気を取り直して、前のめりで尋ねるアイリーン。
おそらくだが、時の大精霊『カムイ』じゃないかな。直接、相見えたことがあるわけじゃないから、確証はないが
おかわりのジュースを注ぎながら、オズはどこか投げやりに答えた。
時の大精霊?
カムイ?
この世界の時空を司る上位精霊だ。まあ『彼』の権能なら、よその世界から魂を引っ張ってくるのはそう難しくないだろう。単純な魔力なら上位のデーモンに匹敵する存在だし、この世界に似た世界からなら、親和性が高いので力の消費も抑えられる
そうだ、旦那、そもそもなんでゲームの世界と『こちら』はこんなに似てんだ?
それは、偶然、あるいは必然だよ。無限に世界があるんだよ? 世界同士が干渉することもある。ゲームという仮想世界で、この世界を再現するものがいても何もおかしいことはない。逆にゲームなり創作なりで、地球を再現しているまた別の世界も存在するだろうさ
……では、それはいいとしても、なぜ大精霊が、わざわざ俺たちをこの世界に呼んだんだ?
恐れ慄きつつも、ケイは問う。
さあ?
が、オズはただ肩を竦めた。眉をひそめるケイたちに、 仕方がないだろう とお手上げのポーズを取ってみせる。
本人に直接会えばまだ思考や意図も読み取れるが、君らの記憶越しにその存在を感知しただけだからね。それに、あのレベルの上位精霊は世界を管理維持する『仕組み(システム)』に近いから、思考が突飛すぎて何がしたいのか僕にもよくわからないんだ
アイリーンは釈然としない顔だ。ケイも、これには肩透かしの感が否めない。そんな高位の精霊が、なぜ自分たちを呼び寄せたのか―理由がはっきりしないままなのは、気持ちが悪かった。
……じゃあ、……元の世界への、帰還は?
恐る恐る、アイリーン。
オズは、捉えどころのない笑みを浮かべて、アイリーンを見据えた。
その前に、アイリーン。君の気持ちをはっきりと聞かせてほしいね
テーブル越しに―しかしアイリーンは、息がかかるほどの至近距離で、オズに顔を覗き込まれているような錯覚を抱く。
君は、そもそもどうしたいのかね? 帰りたいのかな?
……オレ、は
硬直したアイリーンは、ちらりとケイを見やる。
そしてそのまま―俯いた。
……ごめん、ケイ
えっ?
突然の謝罪に、顔色を変えるケイ。
……あっ、待って待って。そういう意味じゃない、そういう意味じゃないんだ
じわりと目の端に涙を滲ませたケイに、慌ててわたわたと手を振るアイリーン。
違うんだ……その、はっきり言うよ。オレは、帰るつもりはない。ケイを放って一人で帰るなんて、そんな……そんなこと、できないよ
……アイリーン
テーブルの上、少女は、ケイの手をしっかりと握る。ごしごしと服の袖で目元を拭いたケイは、恥じ入って赤面した。アイリーンが帰りたがるようなら笑って送り出そう、と決意していたのに、いざとなったらこのざまだ。
でも、それならなんで謝ったんだ?
……そんなあやふやな覚悟で、ケイをここまで連れてきてしまったことが、申し訳なくってさ。色々あったし……
北の大地を縦断し、魔の森を訪れるため、ケイには多大な苦労をかけた。危険な目にも遭った。
……悩まなかったと言えば、嘘になる。けど、やっぱりケイと一緒にいたいって思ったんだ。……でも、せめてパパとかママとか、姉ちゃんに、『オレは元気だよ』『幸せに暮らしていくよ』って、そんな風にメッセージを送れないかな、って
おどおどとこちらを見つめる青い瞳を、ケイはまっすぐに見つめ直した。
……謝らなくていい。気持ちはわかる。俺だって、できるならそうしたいさ。父も母も、安心させてあげたいしな……
アイリーンの手に、そっと自分の手を重ねるケイ。
……そうか、よくわかったよ
見つめ合う二人に、オズはうむうむと頷いた。
では、意志の確認ができたところで、答えよう
姿勢を正したオズは、
結論から言うと、帰還は事実上、不可能だ。メッセージを送るのも難しい
非情な宣告だった。ケイはそれを重々しく受け止める。アイリーンは表情を変えなかったが、その手にぎゅっと力がこもった。
が、オズはさらに衝撃的な言葉を紡ぐ。
―というか、君らの元の世界の肉体は、おそらくもう死んでるよ
56. 魂魄
―肉体が、もう死んでいる。
ケイたちを襲った衝撃は、『帰れない』という宣告の比ではなかった。
……どういう、こと?
声を絞り出すようにして、アイリーン。
そのままの意味だ。君らは、時の大精霊カムイによって魂を抜き取られ、この世界で再受肉した。いわば、『抜け殻』となった元の世界の肉体は、既に死んでいるだろう。『地球』はこの世界に比べて魂と肉体の結びつきが弱いようだが、それでも魂なしに、身体は生き続けられない
本当に、何でもないことのように、オズは解説する。
その言葉を咀嚼し、理解するのには、しばしの時間を要した。
『帰還は不可能』というのは、そういう意味だったのか……
やがて、顎を撫でながら、呟くようにしてケイ。完全に思考停止しているアイリーンに対して、ケイは動揺しつつもまだ落ち着いていた。
まあ、そうだね。帰ったところで身体がない、というのが理由の一つ。次に、魂だけでも世界を渡るにはやはり膨大な魔力が必要であり、人の身である君らにはそれが賄い切れない、というのが一つ
……メッセージが難しい、というのは?