ま、どっちにせよ世界を渡る魔力なんて捻出できないけどなー。どんくらい必要なのか見当もつかねーし。それとも、旦那にお願いすれば一肌脱いでくれるのかい?
頭の後ろで手を組んで、茶目っ気たっぷりに尋ねるアイリーン。なんとなく、その笑顔は、ケイの目には痛々しいもののように映った。
いや、頼まれておいそれとできるようなものではないね、なにせ、とんでもない魔力を消費してしまうから……対価を要求しても君らに払いきれないだろう。まだこの大陸全土を一晩で耕せと頼まれた方がマシなくらいだよ
そんなにか
大陸をくまなく掘り返すのに、どれほどの魔力が必要だろうか―まず数十メートル四方の土地をシーヴの力で耕すことを想定したケイは、それを大陸に適用しようとして要求されるであろうとてつもない触媒の量に呆れた。
無理だな
まあ、人の身では厳しいだろうね
しかしオズの旦那は、『無理』とは言わないんだな……
かなり苦しい、と言っておこう
飄々と答えるオズは、言葉とは裏腹に、鼻歌交じりにやってのけそうな雰囲気を漂わせている。
まあ、世界渡りは無理だが、それ以外のことなら善処しようじゃないか。遠路遥々、別の次元から、せっかく我が家を訪ねてくれたんだ。多少お話をして終わりというのも芸がない。記念に何か、ささやかな『願い』を一人一つ、叶えてあげよう。『こちら』での君らの暮らしが、充実するようなことを頼むといい
ニヤリ、と捉えどころのない笑みを浮かべるオズに、ケイたちは不安げに顔を見合わせた。申し出自体はありがたいのだが―
……それって、あとで魂取られたりしない?
取るつもりならもう取ってるよ
うまい話には裏がある。半信半疑のアイリーンに、オズはさらりと答えた。
なに、貴重な異界の記憶を貰ったからね、あくまでそのお礼さ。心配せずとも、あまりに大それたことを頼まれたら、それは断るつもりだよ
例えば、どんな願いなら良いんだ? あ、この質問は願いじゃないぞ
予防線を張るケイに、オズは愉快そうにくつくつと喉を鳴らして笑う。
そうだね、どんな傷でも癒やすハイポーションでもいいし、あらゆる毒や病の特効薬でもいい。もちろん、望むならある程度まとまった量の金銀財宝でもいいよ
……『ささやか』じゃない気がするんだが
僕にとってはジュースと大差ないのさ
チンッ、とテーブルの上のジュースの瓶を指で弾いてオズ。
……別に、『物品』じゃなくても良いのか? お願いでも?
アイリーンが確認する。
もちろん、良いとも
オズはどこか含みのある様子で頷いた。その緑色の眼は、観察するように、そして楽しげにケイたちを見据えている。
……どうする? ケイ
……困ったな
選択肢が多すぎて、どうしたものかわからない。二人は再び顔を見合わせた。
ハイポーションは魅力だよなぁ……
腰のポーチを撫でながら、ケイ。ハイポーションには、今まで何度命を救われたかわからない。しかしそれも残すところ僅か数瓶だ。
ハイポーションならお安い御用さ。一人の願いでダース単位で上げよう
魔法の武具も可能か?
うーん、それは物に依るね。『何でも斬れる剣』や『あらゆるものを防ぐ盾』なんてのは無理かな、せいぜい矢避けの羽衣とか、姿を隠せる指輪とか……
……それはそれで凄いな
思わず興味をそそられるケイ。ゲーム内にもそういった伝説級(レジェンダリ)アイテムは存在していたが、盗難や紛失を恐れるあまり、貴重すぎて使う機会がなく、専ら銀行に仕舞い込まれているのが常だった。
うーん、でも物品よりもっと抽象的な願いの方がいいんじゃねーかな。汎用性が高くなるし
調子良く物品を勧めようとするオズに対し、アイリーンは冷静に考え込んでいる。
金銀財宝……は、要らない。ケルスティンやシーヴの力を利用した魔道具なら幾らでも作れるし、商会のツテもあるから販売経路は心配ない。多分、今後オレもケイも稼ぎには困らないはずだ。それにケイ、矢避けのマントなりアミュレットなりなら、魔力が育ってきたら自力で作れるんじゃね?
……確かにそうだった
アイリーンの指摘に、ペシッと額を叩くケイ。現時点でも、貴重な触媒を消費すれば矢の雨を逸らすことくらいはできる。オズが与えてくれるような、伝説級のアイテムの再現は流石に無理だろうが、小粒の宝石を担保に不意の矢を逸らす程度の魔道具なら、自力で作成できるようになるはずだ。
それと、ポーションは確かに魅力的だけど、保存・運搬に難があるし……いや、待てケイ! もっと良い『答え』を思いついた!
何?
ここは……保留だ! 願い事を聞いてもらえる権利を保持しておいた方がいい。何か手に負えないことが起きたとき、臨機応変に助けてもらおうぜ!
どうだこれが正解だろう、と言わんばかりに得意げな顔でアイリーン。ぱちぱちと目を瞬くケイに、苦笑するオズ。
……それもそうだな。それが一番汎用性が高いな
ケイも納得した。今この場で答えを出す必要はない、ということだ。例えばポーションが追加で欲しくなるような事態や、独力では解決できない事件が発生したときに、改めてオズに助けを求めればいい。
じゃあ、願いはそれでいいか
だな!!
……二人とも物欲がないねえ。いやはや、困ったものだ
苦笑の色を濃くして、オズは髪の毛をいじっている。
しかし二人とも、権利を保持するのは自由だけれども、何か困ったことが起きたときに、またわざわざこの森を訪ねるつもりかい?
えっ
意地の悪い笑みを浮かべるオズに、二人とも固まった。
……じゃあ、『困ったときにオズを呼んだら助けてもらえる権利』で!
いやいやアイリーン、それは駄目だよ
即座にアイリーンが言い換えるが、オズは否定する。
君らもお察しのように、その願いは二つの願いを内包している。『困ったときに呼べば僕がその場に出向く』という願いと、そこで『僕が君らを助ける』という願いの二つだ。……それを一つにまとめるのは、認められないねえ
……そこを何とか! 頼むよオズの旦那!
アイリーンが愛嬌たっぷりにウィンクするが、オズは捉えどころのない半笑いのような表情を一ミリたりとも崩さなかった。
駄目だね
クソッ、オレも所詮はただの人、上位者に下等生物の媚びは通じない……!
おいおい、僕を誰だと思っているんだい? 下等生物云々はさておくとして、表面的な媚びが通じるわけないだろう。君が心の底から愛しているのはケイだけじゃないか
なっ
オズの返しに、絶句するアイリーン。口をぱくぱくとさせたまま、頬を染めている。隣でなぜか被弾してしまったケイも、照れたように後頭部に手をやった。
いや……まあ、……そうだけど……
アイリーン……
ふふふ。じゃあ願いはそれでいいかな
何やら見つめ合う二人を前に、笑いを噛み殺すオズは懐を探った。
それでは、こうしよう。君らにはこの指輪をあげる
オズが取り出したのは、シンプルな赤銅色のリングだ。
これは、一度使えば消えてしまう連絡用の魔道具みたいなものだ。この指輪に僕の名を呼べば、世界のどこへでも一瞬で駆けつけよう。そして願いを言えば、一度だけそれを叶えてあげる
テーブルの上にそれを置き、スッとケイたちに差し出す。
風情があるだろう? 本当は、キュッキュと擦れば僕が飛び出す魔法のランプにでもしようかと思ったんだがね。指輪の方が持ち運びに便利だろうから
ランプの先端からオズがニュルッと飛び出す様を想像し、それはそれで面白いな、などと考えてしまうケイだった。
う……ぐぬぬ……ううっ、ケイ、本当にこれでいいのか!?
鈍く輝きを放つ指輪を前に、悔しそうなアイリーン。一度それを手に取れば、負けを認めることになってしまう、とでも思っているかのようだった。
……まあ、仕方ないんじゃないか。実際、北の大地(ここ)まで来るのは結構な手間だったしな……それを短縮できて、かつピンチで助けてもらえると考えれば、願ってもない幸運だろう
そりゃそうだけどさ……。くぅ~ッ! なぜ! なぜオズの旦那はこんな僻地で暮らしてるんだ! もうちょっと街中に引っ越す予定はないのか!? いろんな人間の記憶を読み取り放題だぜ!?
ぺしぺしと控え目にテーブルを叩きながらアイリーンは問う。往生際の悪いアイリーンに笑いながら、オズは答えた。
いや、僕も極々稀に人里へ足を伸ばしたりもするんだがね。でも基本的に僕は引きこもりだし、逆に一度そこの住人の記憶を読み取ってしまえば、しばらくそれで満足なんだ。そういう意味で人里に定住するメリットはあまりないね
屋敷の窓の外、霞がかかったような灰色の森を手で示して、オズは ああ とどこか恍惚とした溜息をつく。
その点、この森は良い。僕にとって存外に居心地が良いんだ。ここは、世界の魔力の吹き溜まりのような場所。外に比べて時空が少々不安定でね。お陰で、妙なモノがよく紛れ込んでくる……この世界のものに限らず、ね
そいつらの記憶がまた珍味なんだ、とオズは悪魔的な笑みを浮かべた。
あの霧の中の化け物どもか……!
やっぱり別世界の住人だったんだ……
道中で遭遇した怪異を思い出し唸るケイ、アイリーンも少々顔色を悪くしている。
DEMONDAL に酷似しているこの世界において、連中はあまりに『馴染み』のない、異質な存在だとは思っていたのだ。別世界から紛れ込んだもの、と聞けばそれも納得だった。
『彼ら』の多くは肉体と魂、あるいは物質と精神の境があやふやな世界から来たモノだね。だから魔力が濃く、世界の法則が歪みやすいこの森では存在を保っていられる
彼らにとってもまた居心地が良い場所なんだろうさ、とオズ。彼ほどの存在ともなれば、霧の中の怪異も全く無害なのだろうが、生身の人間からすれば堪ったものではない。
しかし他ならぬ彼の言葉により、霧の中の化け物は外に出られないことが証明されたので、それは思わぬ収穫だったと言うべきか。
おっと、もうこんな時間か。お茶もいいけど、そろそろ夕食の時間かな
未だ手付かずのまま放置されていたサンドイッチの類をちらりと見やり、オズ。彼がパチンッと指を鳴らすと、ティーセットが嘘のように消え去った。
二人とも疲れているだろうし、今日は泊まっていくといい。とりあえず夕食だ
ぱんっ、とオズが手を鳴らすと、テーブルの上にキャンドルが現れる。 メニューはどうしようかな と考え始めるオズをよそに、ケイは卓上の指輪を手に取った。
これは、アイリーンが持っておくと良い
いや、いいよ。ケイが持っといて
しかし……
いいんだって
テーブルに肘をついたアイリーンは、いたずらっぽくケイを見つめる。
―どうせ指輪なら、別のが欲しいな
キャンドルの光に照らされた笑顔は、艶やかで。
ケイは、どきんと心臓が跳ねるのを感じた。
……わかった
左手の小指に指輪をはめながら、ケイはこれ以上ないほどに、真摯な表情で頷く。
真面目くさったケイが可笑しかったのか、アイリーンは花開くように笑った。
ころころと表情の変わる感情豊かなアイリーンを、いつまでも見つめていたいと。
ケイは、心からそう思った―
その後、ケイたちはオズに夕食を振る舞われた。
メニューは、ハンバーグに味噌汁、白米、ボルシチ、ピロシキ、サラダ、その他ソフトドリンク、等々、てんでまとまりのないものだ。それぞれ、ケイとアイリーンの記憶から再現されたものだった。ハンバーグの焼き加減、味噌汁の具、それらはケイがうっすらと憶えている母の味そのもので、―きっとそれは、アイリーンの食べた料理も同じだったのだろう。
必然、夕食は、どこかしんみりとした空気を漂わせていた。
食後はオズが二階に用意した客室に案内される。地球の高級ホテルを思わせる、近代的な内装の立派な部屋。
久しく目にしていなかった、スプリングつきの立派なダブルベッドがあり、はしゃいだアイリーンは思わず大の字になってダイブしていた。
ケイーッ! これ凄いぞーッ、ふかふかだーッ!
ボヨンボヨンとベッドの上で跳ね回ってはしゃぐアイリーンに、いつか家を構えることになったら、立派なベッドを手配しようと決意するケイであった。
客室とは別に、風呂場も用意されていた。
それも、二つもだ。一つは日本風。もう一つは―普通の、西洋風の浴室。ただその内装は、やはりケイとアイリーンの記憶にあった、『実家の風呂場』そのものだった。