一応、バーナードに追跡されにくいよう、一度川に入って馬の足跡を消すなどの対策は施してあるが、それがどれほど役に立つかはわからない。もしこの村にヤツがやってきたら、どうすればいいのか―

(いや、まずは自分のことが先だな)

コウは頭を振って、不穏な考えを打ち消した。そもそも、不審者として門前払いを食らうかもしれないし、逆に村ぐるみの追剥にあう可能性すらある。全てはこの村の対応次第だな、と結論を出し、コウはやおら立ち上がった。

……どうするつもり?

とりあえず、正面から訪問かな。情報も欲しいし、物資も揃えないとね

不安げなイリスに、コウは小さく肩をすくめて見せた。

とりあえず現実世界への帰還を目指して動こう、という結論には達したものの、それを為すためには全てが不足している。そもそもこの村の住人が人間なのかもわからないし、言葉が通じるかも未知数だ。まずは、それらを確かめなければならない。もし交流が可能ならば、食料に着替えに位置情報に―欲しいものは山とある。

そして幸いなことに、コウたちはわずかながら金目の物を所持していた。『こちら』に来る直前、ゲーム内で村を襲って金品を強奪していたお陰だ。ならず者として、普段は失っても惜しくない程度の最低限の武具と、ボロ布のような服しか持っていなかったコウたちにとって、これは望外の幸運と言えた。

(こちらの通貨はどうなってるか、だなぁ。金貨と銀貨なら最悪、貴金属としても取引には使えるか……言葉が通じればの話だけど)

ゲーム内に酷似している、というのはあくまでコウたちの見解だ。実際は似ても似つかない、全くの別世界という可能性もある。言葉が通じなければかなり厳しいな、などと胸の内で呟きながら、小さく溜息をついたコウは、その場で軽くストレッチして手に握った杖の感触を確かめた。

杖―その辺の木を荒く削り出しただけの自作の棒だ。一応、自分の魔力を馴染ませてあるので、ただの棒よりは頑丈で、魔術の反動を軽減する効果もある。

コウは、他プレイヤーとは戦闘以外の交流を持たない、完全な無法者(アウトロー)としてゲームをプレイしていたので、武器を自給自足するための最低限の木工作、移動手段のために騎乗、そして近接戦闘用に杖術を育て、キャラクターの残りのリソースは全て魔術に割り振ってある。有り体に言えば、そこそこ手先が器用で、長時間の乗馬が苦にならない程度に足腰が丈夫で、杖を思った通りに振り回す筋力と体力がある魔術師だ。

正直なところ、魔術師と呼ぶにも魔法戦士と呼ぶにも、かなり中途半端なキャラだ。元々はただ棍棒を振り回すだけの荒くれ者にする予定だったのだが、思いがけず妖精と契約できてしまったので、急遽魔術寄りに育成方針を変更したという事情もある。課金で加齢させて無理やり最大魔力を確保してあるのだが―そういえば、この体の年齢はどうなっているのだろう? と首を傾げつつ、コウはおもむろに杖を振るった。

仮想敵を思い描き、剣や槍の攻撃を払う動きをなぞる。頭を打つコンパクトな突き、側頭部を叩き割るアグレッシヴな薙ぎ払い。

……突けば槍、払えば薙刀、持たば太刀ってね

ゲーム内と遜色なく身体は動く。よし、と一人頷いた。

……何してるの?

相手が友好的とは限らないから。護身術のおさらい、かな

イリスの問いに、事も無げに答えてコウ。イリスの顔が強張るのに気づいて、どうしたものかと頭を悩ませる。ゲーム内では豪胆な女豹だったのが、一転、実際は気の弱いお嬢様のようだ。この調子では蚊の一匹も殺せるか怪しい。

まあその点では自分も大差ないが、と自嘲しつつ、杖を地面に立てて高さを測る。

身長は変わらず、と

ゲーム内の『コウ』の身長は、現実と同様170cm後半に設定してあった。横に立てた杖の長さに違和感を感じないということは、身長もゲーム内に準拠しているはず。これで間合いなどの感覚は、普段通りで構わないということがわかった。

最後に、腰のポーチを再確認。そこに収められているのは、魔術に必要不可欠な触媒の数々だ。満月の光に晒した清浄な砂、摘み取ったばかりの花びら、とっておきの砂糖菓子、水晶の塊、そして塩。

イリスは、どうだい? 体の調子は

コウが尋ねると、イリスはおずおずと立ち上がった。

彼女のゲーム内での種族―『豹人(パンサニア)』は、メスの方がオスよりも力が強いという設定で、身体能力に非常に優れているのが特徴だ。実際、素の状態での筋力は、並の物理特化のプレイヤーよりも強く、ゲーム内では石ころを素手で砕くことすら可能だった。

その腕力で振るわれる投石器(スリング)の威力は尋常ではなかったのだが―『こちら』では、なぜか現実準拠の見かけ(豹耳を生やした若い女)になっているせいで、そんな怪力の持ち主には到底見えなくなってしまっている。

身体のコンディションを確かめるように、その場で軽く飛び跳ねるイリス。

んっ、と

身をかがめ、イリスはひょいと跳び上がった。全く力のこもっていない垂直跳びだったが、軽々とコウの身長を超える高さまで到達する。

身体は……なんだか、軽く感じる。ゲームのときよりも。力はあんまり変わってないかな? ちょっと弱くなってるかもしれないわね

何かしっくりこないのか、首を傾げたイリスは、おもむろに前腕部に巻きつけていた黒布をはらりと解いた。無論、ただの布切れではない。折り返せばちょうど真ん中にあたる部分に、革製の受け皿のようなものがついている。

投石器(スリング)だ。

ゲーム内では製造・入手が容易であったことから、無法者御用達の飛び道具だった。使いこなすのは弓よりも難しいが、その威力は折り紙つきだ。

特に、豹人の筋力があれば―

足元から適当な拳大の石ころを拾い上げたイリスは、受け皿にそれをセットし、スリングの両端を握って無造作に振り回し始める。

ヒュン、ヒュンと風を切る音が、段々とブゥンブゥンと鈍い音に変わっていく―

勢いをつけ、イリスはスリングの片端を離した。

ボヒュッと解き放たれた石ころが、夜暗に吸い込まれていく。一拍遅れて、カツーンと何かが砕ける音。コウは知る由もなかったが、イリスはその輝く瞳で、遠くの木の幹が揺れ、森の鳥たちがバサバサと羽ばたいていくのをしかと見届けた。

ん。投石の方は大丈夫みたい

しっかりと狙い通り命中させられたことで、イリスは気を良くしたようだった。少なくとも、先ほどまでのようなオドオドとした雰囲気は鳴りを潜めている。実際に荒事に巻き込まれればどうなるかはわからないが―

(ま、あまり期待はしないでおこう)

最初からアテにしていなければ、足元を掬われることもないのだから、とコウは心の中で呟いた。

良かったよ、調子が出てきたなイリス

ま、足手まといにならない程度に頑張るわ。頼りにしてるわよコウ

ひらひらと手を振りながら斜に構えるイリスは、少々強がっているようにも見える。

一方で、村にも、少しばかり動きが出てきたようだ。イリスの投石の音、そして突然飛び立っていった野鳥の群れを訝しんだ者がいるらしい。何やら人が動いているような気配がある。

さて……じゃあ初接触(ファーストコンタクト)と行きましょうかね。僕が話すよ。イリスは、フードをしっかりかぶっておいて。そ(・)れ(・)がどう反応されるかわからないから

……わかったわ

ちょいちょいと、頭の上の耳を示しながらコウ。神妙な顔で頷いたイリスは、ばさりと目深にフードをかぶった。

馬の手綱を引いて、木立を出る。村の入り口まで辿り着いたところで、馬の手綱をグイッと引いて、敢えていななかせた。

…………? なっ、おいっ、誰だお前ら!?

と、近くの民家からランタンを手にした男が顔を出し、コウたちの姿を認めてぎょっとしたように叫ぶ。

それは、英語だった。

(言葉は通じる!)

住民が普通の人間だったことに安堵しつつ、まずは第一関門突破、と心の中で快哉を叫んだコウは、しかしそんな様子をおくびにも出さず、神妙な顔で口を開いた。

すまない、旅の者なのだが、道に迷ってしまった。この村で宿を取ることはできるだろうか?

宿は取れるか などとわざとらしく聞いたが、もちろん話を切り出すための口実にすぎない。こんな田舎の村に宿屋があるとも思えない―というより、そもそもまともな商店があるかどうかすら怪しい。

はぁ? 旅? 宿ぉ?

じろじろと無遠慮な視線を向けてくる村人。それはそうだろうな、とコウも内心苦笑する。半袖シャツに粗雑な麻のズボンという格好で、荒削りな杖だけを手にした男と、灰色のボロ布のようなローブを身にまとい、フードで顔を隠した女。

あからさまに不審者だ。

旅をしているには軽装だし、夜中に訪ねてくるのも不気味すぎる。

……ちょっと待て

警戒心も露わに、村人は隣家へと走った。ドンドンドンッと遠慮のないノック、隣人を叩き起こす。そして寝ぼけ眼で顔を出した隣人も、ランタンと月明かりに照らされた訪問者二人の姿にぎょっと目を見開いた。

なんだアイツら!

曰く旅(・)の(・)者(・)だそうだよ。村長呼んできてくれ

わかった。ってか前もこんなことあったな……

ランタンを掲げて第一村人がコウたちを監視する中、叩き起こされた隣人が走って村の奥へと向かう。村長を呼ぶ、という言葉は、コウにも辛うじて聞き取れた。

(はてさて、どうなりますやら)

杖をトントンと指先で叩きながら、月を見上げるコウ。

……イリス

……ん?

僕に合わせてくれ

端からそのつもりよ

小声でのやり取り。コウは臨機応変に行くつもりだ。

そのまま待たされること十分近く。周囲に見張り、あるいは野次馬の村人が増えてきたところで、村の奥からザッザッと足音。

それで、貴方が旅の者とやらか

気持ちよく寝ていたところを叩き起こされたのだろう、流石に少しばかり不機嫌な様子の、腰の曲がった白髪の老人と恰幅のいい中年男性が姿を現した。

この”タアフ”村のまとめ役をやっておる、ベネットだ

その息子、ダニーという

老人の方は『ベネット』、太った男は『ダニー』とそれぞれ名乗った。

……夜分にお休みのところ、大変申し訳ない。僕はヨネガワという

コウが言葉通り、大変恐縮した様子で一礼すると、老人―ベネットもまた愛想笑いを浮かべて礼を返した。一方で、その息子のダニーとやらは、鼻を鳴らしてコウを一瞥し、興味を失ったように視線を逸らす。

その態度の違いを看て取ったコウは、話し相手をベネットに定める。しばし、互いが互いを観察するような時間。

……改めて、僕はヨネガワという。コウタロウ=ヨネガワ。コウタロウが名、ヨネガワが家名だ。こちらは連れで、イリスという

ほほう、これはこれは……して、ヨネガワ殿は我らが村にどのような御用で?

曖昧な笑みを崩さぬまま、ベネット。

説明すれば長くなるが、旅の途中で道に迷ってしまったんだ。ご覧の通り、衣服にすら不自由する始末でね。一晩の宿を―できれば、食料などを融通してもらえないものだろうか。無論、それ相応の対価は払う

ふんっ、『旅の途中』だと! 戯言もいい加減にしろ!

と、ここでダニーが声を荒げる。

そんな軽装で、ろくに荷物すら持たずに旅などと、片腹痛いわ! その服も、まるでその辺の死体から剥ぎ取ってきたような酷いものじゃないか! 貴様ら、まさか野盗の一味ではあるまいな!

剣呑な視線を向けるダニー。コウは思わず言葉に詰まった。今着ているシャツもズボンも、まさしくゲーム内で村人を襲って剥ぎ取ったものだったからだ。

しかも、一晩の宿、だと!? 貴様もそうだが、その隣の女もだ! 顔さえ見せないような怪しい輩を、村の中に入れるわけにはいかん! 頼み事をするなら、まずは最低限の礼を尽くすことだな!

と、ダニーが矛先をイリスへ向ける。突然、村人たちの剣呑な視線に晒されたイリスは、フードをかぶったままビクンと震えた。

うーん……

予想はしていたが、あまり村人たちの反応は良くない。額を押さえたコウは、考えを巡らせる。

(ゲーム内に酷似した世界なのは間違いない……ここの連中の話し方はゲームのNPCそっくりだ)

コウが着目したのは、村人たちの英語の『訛り』だった。日系ではあるが、生まれも育ちも英国のコウは、生粋の英語話者だ。故に村人たちの使う英語の微妙なアクセントが、ゲーム内で『公国語』とされていたものと同じであることに気づいていた。

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