引きつった笑みを浮かべるモリセットに、間延びした声を努めて維持するラトは、
分からね。……だども、相手は一人だと思うぞぅ
自信なさげなラトの推測は、そうであって欲しいという、ある種消極的な願望も多分に含んでいた。だが、それはおそらく正解だろうと、モリセットの勘が告げる。
(クソッ、俺らを襲っても盗る物なんてロクにねえぞ……!?)
しかもムサい男所帯だ。これほどの弓の腕前の持ち主なら、盗賊などしなくても充分に食っていけるはず。なんでわざわざ自分たちなんかを―
腹立ち混じりにそう考えていたモリセットだったが、そのときふと、木に突き刺さったままの矢に目を止めた。一点の汚れもない、白羽の矢。
(……待てよ、最初にネイハムを殺(や)ったのは、たしか黒羽の矢だったはず)
腰の剣を抜き、そっと壁の陰から突き出す。よく手入れしてある刃は、鏡のように周囲の景色を映し出した。襲撃者の矢に倒れた手下たちを見やると、その身体に突き立っているのもまた白羽の矢。
(黒い矢羽……)
モリセットの視線が、自然と、自分の矢筒に吸い寄せられる。
ぎっしりと詰まった、黒羽の矢束。
……まさか
たらり、と額を嫌な汗が流れる。
一本だけの黒羽の矢。
草原の民が得意とする、弓という得物。
モリセットを凌ぐ高い技量に、今宵この場所で襲撃してきたという事実。
それらの要素が絡まりあい、一つの推論へと収束していく。
あの野郎……ッ!
草原の民の格好をした青年。
成る程、『彼』ならば、モリセットたちを襲う理由は、充分すぎるほどにある―
(仇討ちに戻ってきやがったのかッ!)
―襲う相手を、間違えた。
苦虫を潰したような顔で、モリセットは天を振り仰いだ。
だが、いつまでも悔やんでいる暇はなかった。自分ひとりならまだしも、モリセットは手下たちの五人の命を預かる隊長だ。ここに隠れていたところで、壁は二面しかない。側面に迂回するぐらいのことは、子供でも思いつく。
(遮蔽物―林の方に逃げるしかねえな)
南の森は、矢を防ぐには絶好の場所かもしれないが、夜に踏み込むには木々が生い茂りすぎている。東西に広がる木立の方が、人の身には歩きやすいだろう。ではそのどちらへ逃げるか、とモリセットが考えを巡らせたところで、再び夜空に快音が響き渡った。
回り込まれたか、と肝を冷やしたが、自分たちに矢が飛んでくることはなく、ボフンッという音と共に焚き火の明かりが吹き飛ばされる。火勢が弱まり、暗闇が下りてきた。
(……矢で焚き火を吹き飛ばした?)
なぜ、と考えながらも、目を瞬いて暗闇に適応しようと試みる。そして不意に、『奴』も夜目が効く様子だったと思い当たり、モリセットはおぼろげに敵の考えを読み取った。
パヴエル、点眼しとけ。奴が仕掛けてくるぞ
はっ、はい
モリセットの言葉に、パヴエルが慌てた様子で懐を探る。取り出したのは、小さな金属製の容器。ふたを開け、白い液体を一滴、左目に垂らした。その薄く白濁した瞳に液体が触れた瞬間、パヴエルは うっ と苦しげな声を洩らす。液体は、とある猛毒を改良して作られた目薬で、点眼し続ければ色の見分けがつかなくなる代わりに、フクロウのように夜目が効くようになる。モリセットを含め隊の全員は、これを片目に点眼していた。
おい、煙玉持ってる奴いるか?
二個あるっす
オレも二個持ってます
一個だけなら……
続いたモリセットの問いかけに、口々に手下たちが答える。
よし。すぐにでも奴は迂回してくるはずだ。ちっとでも怪しい音がしたら、順番にばら撒きながら反対側に逃げるぞ
敵意を剥き出しに、唸るようにしてモリセット。
クソッお陰でとんでもねえ散財だ! あの野郎、絶対ブッ殺してやる……ッ
腰のポーチから取り出した、直径五センチほどの球体に目を落とし、モリセットは鬱々と呪詛の言葉を吐く。
と、その瞬間、モリセットたちから見て東の茂みが、ガサガサと派手に音を立てる。それに混ざって聴こえる蹄の音―
来たぞッ東だ、最初は俺が撒く! お前たちは走れ!
球体についていた紐を引っ張り、投げる。
これでも食らいやがれッ
煙玉(スモーク)。地面に叩きつけられたそれは、勢いよく灰色の煙を噴き出した。続いて手下たちが一つずつ投じ、廃墟の周辺はあっという間に濃い煙に包まれる。
視界を遮るよう手際よく煙玉を投げながら、モリセットたちは西に向かって一目散に逃げ始めた。
ワンテンポ遅れて、煙の尾を引くケイとミカヅキが、咳き込みながら煙幕の中から飛び出てくる。
ゲホッゴホッなんだこれッ!?
顔の前で手を振って煙を振り払いながら、慌てた様子でケイ。少なくともゲーム内にはこんな形の煙幕は存在しなかった。幸いなことに、煙に毒の成分は含まれてないらしい。
木立の奥、未だ濃く立ち込める灰色の煙を睨む。
…………
顔布の下の険しい表情。
先ほど、『襲撃者はケイである』という正しい推測をしたモリセットであったが、一つだけ大きな勘違いをしていた。
ケイの目的は仇討ちではなく、ましてや盗賊の皆殺しでもない。
モリセットたちが使った毒の種類を特定すること。
そして一刻も早く、アイリーンに解毒剤を処方すること。
その二つこそがケイの考える全てであり、他のことに気を回す余裕などなかった。むしろ、刻一刻とアイリーンが弱っていく現状、焦りすら感じていたといっていい。
周囲を見回して敵がいないことを確認したケイは、素早くミカヅキから下りて空き地に転がる盗賊たちを見て回った。
……死んだか
まるで他人事のように、ぽつりと呟く。身体に矢の突き刺さった四人。最初に仕留めた見張りは別としても、他の三人は即死ではなかった。念のため、使いかけのポーションを一瓶持ってきていたので、意識さえあれば助命を餌に、毒について聞き出せないかと考えていたのだが―。
……時間を無駄にした
緊張と焦りの色を濃くし、再びミカヅキに飛び乗る。矢筒から矢を引き抜いていつでも放てるように準備しつつ、盗賊たちの跡を追って木立に突っ込んだ。
(絶対に逃がさん……!)
煙幕は想定外だったが、追跡に支障はない。煙を辿っていけば逃げた方向は分かるし、ケイの視力を持ってすれば暗い木立の中でも盗賊たちを見つけられる。森の中では騎兵のアドバンテージ―機動力こそ活かし辛いものの、それでも構いやしないと思った。逃げるのであれば何処までも追いかけて、漏れなく矢を叩き込んでくれる。
アイリーンを救うことが至上命令であるケイにとって、盗賊の生死など心底どうでもいいことだった。裏を貸せば、情報さえ聞き出せるなら、生き残りは一人でも構わない―
……いた
早速ひとり、視界に捉える。時折こちらを振り返り、木の根に足を取られそうになりながら、必死で逃げる痩せぎすの男。きりきりと弓の弦を引き、ケイはどす黒い感情の赴くままに、迷いなくその背中に狙いをつける。
快音。
左手の強弓より放たれた銀光が、唸りを上げて盗賊に襲い掛かった。
しかし弓の音を耳にしてびくりと身体をすくませた男は、そのまま足を何かに引っ掛けて盛大に転んだ。男の頭上すれすれを、致命の一撃が切り裂いていく。身体を起こして、ますます必死に逃げ始める男。運の良い奴だ、とケイは嗤う。だが次はない、と矢をつがえる。胸の奥で、ぐらぐらと悪意が煮え滾るようだ。それは狩りの高揚に似ていた。
―強いてこのときの、ケイの失敗を挙げるとするならば。
それは、最初に四人を仕留め、迫撃の勢いに酔ううちに、『自分こそが狩る側である』と確信してしまったことだろう。
だが、こうして無様に逃げ惑う盗賊もまた、本来は他者を喰らう獣だ。
その性質は残忍。冷酷にして狡猾。
連携し、群れで追い込む狩りこそが―彼らの本領であり、真骨頂。
木立のどこかで、ピィッと指笛の音が響いた。
何だ、と思考するより早く、 オゥンッ! と獣の鳴き声。
ミカヅキの足元の茂みから、夜の闇より黒い、大きな塊が飛び出してくる。
ハウンド―!?
体格の良い黒毛の狼が、大口を開けてミカヅキの前脚に喰らいついた。牙が食い込み爪で引き裂かれ、ミカヅキが悲鳴のようないななき声を上げて急停止する。暴れる馬上、必死でバランスを取りつつ、ケイは弓を引き絞った。
銀光が閃く。
水気のある音と共に、狼の胴を白矢の矢が撃ち抜いた。地面に縫い付けられ、吐血しながら身を震わせるハウンドウルフ。盛大にいなないたミカヅキが仕返しとばかりのその頭蓋骨を踏み抜き、蹄で粉砕する。飛び散る赤い色。
だが―奇襲はそれで終わりではなかった。ギリッと何かが軋む音に、ケイはハッと顔を上げる。前方、十歩ほどの距離。茂みから、木の陰から、革鎧に身を包んだ盗賊たちが姿を現した。短槍使いが一人、剣士が一人、弓使いが二人。
弓使いたちの背後、ケイが追いかけていた痩せぎすの男(モリセット)もまた、その手に弓を引き絞る。
毒の滴る鏃―
―やれッ!
その顔を凄惨な笑みで彩った、モリセットの号令一下。
鋭い風切り音とともに、一斉に毒矢が放たれた。
つよい(確信)
追伸. 2018/09/06
10. 逆境
―これは、捌ききれない。
ひと目見て即座に、ケイは悟った。
仮初(ゲーム)の、しかし豊富な戦闘経験が告げる。
自分はまだいい。矢の一、二本は避けられるだろう。だがミカヅキが避けるには―その体が、投影面積が大きすぎる。
身体を捻って一本は回避し、続くもう一本は右手の篭手で弾き飛ばした。が、最後の矢がミカヅキの胴体に突き刺さる。
―ッ!!
苦痛に身体をよじり倒れ伏すミカヅキ。その動きに逆らわず、ケイも半ば振り落とされるような形で転がり落ちた。柔らかな森の大地で受身を取り、衝撃を殺したケイはばさりとマントを翻して立ち上がる。
騎兵が地に落ちた。快哉を上げた盗賊たちが、武器を振り上げて殺到しようするが―
不意にその足が止まった。
貴様ら
低く抑えられた声から、滲み出る怒りの色。顔布の下、獣のように歯を剥き出しにしたケイは、燃え滾るような血走った瞳で盗賊たちを睥睨した。
ぶわりと。
澱んだ空気の森に、重たい風が吹き付ける。
ケイを中心に爆発した濃密な殺気に、圧倒されたモリセットたちは思わず息を呑んだ。
が、それも一瞬のこと。
まばたきほどの間に、ケイの強烈な殺気はぱたりと鳴りを潜めた。
唐突に。跡形もなく。
静かに佇むケイは、何も感じさせなかった。怒気も覇気も殺気もなく。
ただ茫洋として地を踏みしめる、まるで人形のような存在感―
(いや、違う!)
矢を引き抜こうとする体勢のまま固まったモリセットは、全身をぶるりと震わせた。背筋に焼けつくような感覚が走る。
これは、そう。
危機感だ。
胸の奥底で、直感(シックスセンス)が警鐘を鳴らしている。
それは、何も感じ取れないからこそ不味いと。それは、自分を超越した何かが、そこに潜んでいることの証左であると―
カァン、カンッと。
風にたなびくマントの下、軽やかに響く快音の二重奏。
前触れもなく、唐突に、革の生地を突き破った二筋の銀閃が奔る。
避―
けろ、というモリセットの警告を過去のものとして、眼前、弓を構えていた手下が二人、弾け飛んだ。
一人は額をかち割られ。
一人は右肩を粉砕され。
まるで独楽のように空中でくるくると―、そのまま地に叩き付けられる。
―ッぎやあああああああぁぁァァ!
衝撃で矢が折れ、肩の傷口をさらに抉られた弓使いが絶叫した。右肩を押さえて地面をのた打ち回る彼は、自分の身に何が起きたのかをまだ正確に把握できていない。風に翻弄される木の葉のように、濁流に呑まれた小魚のように、圧倒的な武を前にして無力。
(……何も、感知できなかった)
口の中がからからに乾いていた。モリセットの額からたらりと汗が滴り落ちる。
目と鼻の先に射手がいるにも関わらず。
風圧を感じるほどの至近距離であったにも関わらず。何も、感じられなかった。
これはひょっとすると、夢か幻ではないかと。そんな、現実感をも殺すほどの凄まじい一撃。
かろうじて理解できたのは、この青年がマントの下に弓を構え、視覚的にも射線の予測を出来なくした上で、またたく間に殺気のない矢を二連射してみせたということだ。
(なんて野郎だ……!)
そんなまるで曲芸のようなことを、実戦で事も無げに実行してみせた。とんでもない奴に手を出してしまった、と嘆くことも後悔することも、今のモリセットには許されない。粘り気すら感じる冷たい空気の中で、弓を握る手に力を込める。