そして―これが最重要だが―ゲーム内においては、毒を受けた後の発汗や発熱といった生理的反応が、存在しなかったのだ。
そのため、今回のアイリーンの症状を、ケイは『毒』によるものだと即座に結び付けることができなかった。せいぜい、痛みによるショックでうなされている、と。
その程度の認識だった。
もしも―。
もしも、クローネンが、アイリーンの傍に付いていなかったら。
そう考えると、ケイは、背筋にゾッと薄ら寒いものが走るのを感じた。
ケイも、最初はアイリーンの傍についておくつもりだったが、ひょっとすると疲れで自分自身すぐに寝付いてしまったかもしれない。そうすれば、朝に目を覚ますと、アイリーンが毒にやられて冷たくなっていた、などということも―。
婆さん。……この症状が毒によるものだ、というのは、俺もそう思う。……だが、何の毒だと思う?
アンカの目をまっすぐ見つめながら、ケイは問いかける。
毒による継続ダメージ。絶望的な状況だ。毒は自然治癒せず、またポーションでも治せない。
しかし、仮にこの『毒』が、 DEMONDAL のゲーム仕様に準拠したものであるならば、まだ、対策の立てようはある。ポシェットを探ったケイは、その中から小さな金属製のケースを取り出した。
ここに解毒薬がある。それぞれ”隷属(スレイヴリ)”、“夢魔(インクブス)”、“単色(モノクローム)“系統の特効薬だ
“隷属(スレイヴリ)”
“夢魔(インクブス)”
“単色(モノクローム)”
ゲーム内では『三大対人毒』とまで呼ばれた、対人戦闘において最もメジャーな系統の毒だ。上級プレイヤーにも通用する毒性を持ち、そしてある程度の使い勝手も兼ね揃えた毒は、多少成分が違えどもこの三系統の派生であることが多かった。
この娘―アイリーンは、こう見えて毒にはかなりの耐性がある
アイリーンは、各種毒物に対する耐性や、肉体の強靭性が飛躍的に上昇する『身体強化』の紋章を、その身に刻んでいる。
だから、生半可な毒は効かない。矢じりにちょっと塗りたくった程度の量で、こいつの生命力を削り切ることができる毒は、この三種類ぐらいしかないはずなんだ
そして、それぞれの毒は対応した特効薬を飲めば、すぐに中和され無害になる。
……ならば、その薬を三つとも飲ませれば……
それはできない……
ケイは絞り出すように言う、
飲み合わせが悪いんだ。間違えた特効薬を飲めば、激しい拒否反応が起きる
少なくともゲーム内では、誤った特効薬を服用するとショック症状が起き、むしろ容体の悪化を招いた。万全の状態であればまだしも、今のアイリーンは体が弱りすぎている。ロシアンルーレットを試して、万が一のとき、拒否反応に体が耐え切れるか分からない。
だから、アイリーンがどの毒にやられているのか、見極めないといけないんだ
藁にもすがる思いで、ケイは問いかける。
婆さん。アイリーンは、どの毒にやられてると思う……?
口を開きかけたアンカは―
…………
つっ、と、目を逸らして俯いた。
やはり分からないか、と。歯を食いしばる。
ゲーム内。
ゲーム内であれば。
この三つの毒は、簡単に見分けがつく。それぞれ継続ダメージに加えて、特徴的な効果があるからだ。
“隷属(スレイヴリ)“系統は、感覚が鈍り、体が異常に重く感じられる。
“夢魔(インクブス)“系統は、毒を受けた時点で、『昏迷』状態となる。
“単色(モノクローム)“系統は、視覚から色彩感覚が失われ、また視野狭窄も併発する。
身体の動きを麻痺させるような毒もあるが―ゲーム内では、アバターの動きは制限されても、プ(・)レ(・)イ(・)ヤ(・)ー(・)が(・)意(・)識(・)を(・)失(・)う(・)こ(・)と(・)は(・)な(・)い(・)。
つまり、毒を受けた本人が、症状を自己申告できたわけだ。
体が重くて動かないならば “隷属(スレイヴリ)”。視野狭窄が生じれば”単色(モノクローム)”。そして、自己申告できない、すなわち会話が不可能な状態に陥っていれば、“夢魔(インクブス)“といった風に―。
それで充分だった。あとは周囲の者が、対応する特効薬を与えてやればよかった。
しかし、今。
アイリーンの意識は、混濁したまま戻らない。
本人に、どのような毒の症状が表れているのか、確認することが、出来ない。
……個人的には、意識を失ってるから、“夢魔”系統が怪しいんじゃないかと思う
ぽつぽつと、ケイは静かに言葉を続ける。
しかし断言もできない。“隷属”系統も身体感覚を鈍らせる以上、それが重症化して意識が混濁しているという可能性もある
“単色”系統を除いたところで、確率は2分の1。
……どうすればいいんだ
ケイの呟きに、しかし部屋の面々は沈黙したままだった。
数分か、あるいは数十秒か―再び顔色が悪化しつつあったアイリーンに、手持ちのポーションを全て飲ませたケイは、すっと立ち上がった。
ちょっと待っててくれ
お、おい……
クローネンの制止も聞かず、小走りでベネットの家に戻る。
玄関口、杭につながれていたミカヅキが、 ぶるるっ と鼻を鳴らしてケイを出迎えた。
……大変なことになった。本当に間抜けだな……毒かもしれないなんて、少し考えれば分かったろうに……
はぁ、と重いため息をつくケイ。サスケが だいじょうぶ? と心配げに、顔を覗き込んでくる。
……大丈夫。アイリーンは助けるさ
サスケの鼻づらを優しく撫でてやり、ケイはぎこちなく微笑んだ。鞍に取りつけてあった革袋を取り外して、再びアイリーンの元へと戻る。
……お若い方よ。どうなさるおつもりか
ゆらゆらと揺れるランプの光。枕元でアイリーンの汗をぬぐっていたアンカが、悲痛な声で尋ねてきた。
婆さん。少し頼みがある
……ワシにできることなら、何なりと
こ(・)れ(・)をアイリーンに。顔色が悪くなるたびに、飲ませてやってくれ
革袋を、アンカの足元の床に、そっと置く。
怪訝な顔で袋を開き、中を覗き見たアンカが―、はっと息を呑んだ。
十数本にも及ぶ、ハイポーションの瓶。
そして、これだ
ポシェットから取り出したのは、金属製の小さなケース。それからそれぞれ色の違う丸薬を数粒つまんで、そっとアンカに手渡した。
……俺(・)が(・)戻(・)ら(・)な(・)か(・)っ(・)た(・)ら(・)、どれか一つを、アイリーンに飲ませてやってくれ
ケイの言葉に、全員が目を剥いた。
ケイ殿!?
お若いの、まさか!
ケイは小さく笑う。
分からないんだったら……使った奴に聞くのが、一番早い
頼んだ、と言い残して。
背後からの声には耳を貸さずに、ケイは足早に部屋を出た。
†††
お、おい、ケイ!!
ベネットの家の前、ミカヅキの手綱を引いていくケイを、クローネンが呼びとめる。
無茶だ! いくら装備が良いからって!
ケイは答えず、ひらりとミカヅキに飛び乗った。
……随分と騒がしいが
ぬっ、と建物の陰から、マンデルが姿を現す。
ケイ。……相手は、十人近いんじゃなかったのか
そうだな、大体そのくらいだろう
だから無茶だ! 一人でそんな人数相手に、勝てるわけがない! しかも聞いたぞ、賊はあのイグナーツ盗賊団なんだろ!?
槍を振り上げて、クローネンが叫ぶ。
じゃあ、何だ。ついてきてくれるか?
えっ。それは……
ケイのからかい混じりの返しに、短槍使いの男はぐっと声を詰まらせた。
冗談さ。俺一人で十分だ。こちらは騎兵、向こうは数が多いとはいえ所詮は徒歩……弓のいい練習になるよ
楽観的に言ってのけるケイ、しかしクローネンとマンデルは顔を曇らせる。
しかし、こんな新月の夜に……
眉をひそめたクローネンは、思わず空を振り仰いだ。夜の真の暗さの前には、星明かりすら闇に呑まれるかのようだ。こんなに暗闇の中、単騎で駆けるなど自殺行為以外の何物でもない。
―少なくとも、クローネンにとっては。
しかしケイは笑って見せる。
だから、心配しなくても大丈夫だ。ほら、
無造作に矢筒から矢を引き抜き、一切のた(・)め(・)も気迫も感じさせずに、すっと空へ向けて弓を引き絞った。
快音。
ギィッ、と鋭い鳴き声が頭上から聴こえてきたかと思うと、ぼとりと黒い塊が地面に落ちる。
―それは、矢に射抜かれた、一羽の蝙蝠だった。
…………
胴体を貫かれ、ばたばたともがき苦しむ蝙蝠。クローネンとマンデルは顎が外れんばかりにぽかんと口をあけて、絶句した。
言ったろう? 夜目は効く方なんだ
馬上から、蝙蝠の矢を引き抜き回収したケイは、にやりと口の端を釣り上げる。
……それじゃあ、行ってくる
唖然としたままの二人をおいて、ケイはミカヅキの横腹を軽く蹴った。
いななきの声ひとつ漏らさずに、滑るようにして褐色の馬は走り出す。
その馬上で揺られながら、ケイは顔布で口元を覆い隠し、今一度その左手に朱塗の弓を握り直した。
……急ぐぞ。頼んだ、ミカヅキ
主の声に、忠実なる駿馬は短く鼻を鳴らして応える。
果たして、新月の宵闇に。
―死神は、放たれた。
9. 会敵
火の中で小枝が爆ぜて、ぱちりと音を立てる。
木立の中、焚き火を囲み、男たちは思い思いの格好で身体を休めていた。
火に当たり暖を取る者、地面にマントを敷き寝転がる者、堅焼きのビスケットをかじる者、壁に寄りかかり周囲を見張る者―。
盗賊団『イグナーツ』の構成員たちだ。肌の色も髪の色も、体格も民族も、てんでばらばらな寄せ集めの集団。しかし、全員が黒染めの革鎧に身を包み、『片方の瞳が白く濁っている』という点で不気味に似通っていた。
風のそよぐ、肌寒い新月の夜。盗賊たちは見張りの一名を除き、程よく肩の力を抜いてリラックスしている。だが同時に、その表情にはどこか覇気がなく、皆、ぼんやりと眠たげな様子だった。
それは、―悪く言えば、シ(・)ケ(・)た(・)面というやつだ。
はぁ~あ
焚き火の前、平石の上に腰かけた痩せぎすな男が、大きな溜息をつく。
陰気な男だ。シケた面をした盗賊たちの中でも、際立って暗い雰囲気を漂わせている。
栄養状態がよろしくないのか、はたまた、元からそういう骨格なのか。痩せこけた頬に落ち窪んだ眼窩と、まるで髑髏のような顔立ち。薄暗い焚き火の明かりが投じる陰影に、伸ばしっ放しのぼさぼさな長髪も相まって、その姿はまるで幽鬼か何かのようだ。
盗賊よりも墓守でもしている方が、よほど似合いそうなこの男。その名をモリセットという。イグナーツ盗賊団が実働隊、九人の手下を率いる隊長だ。
はぁ~……
小枝に刺した燻製肉を焚き火で炙りながら、モリセットは再び溜息をついた。どんよりとした不自然な白と黒のオッドアイに、じゅうじゅうと脂を滲ませる肉が映り込む。ある程度炙ったところで、くるんと手を返し、今度は反対側にもじっくりと火を通し始めた。
……なぁ、モリセットよぉ
モリセットの対面、胡坐をかいて座る小太りの男が、間延びした声で話しかけた。
なんだ
ちら、と目だけを動かして、モリセットは答える。
あんまりなぁ、焼きすぎると、おいら、脂がもったいないと思うんだぁ
これでいいんだ。……贅沢だろ
ぽたぽたと滴り落ちる肉の脂を眺めながら、モリセットは暗い笑みを浮かべた。
程よく脂の抜けた肉が好きなんだよ、俺は
……んだども、その調子だと、『程よく』どころか、からからになっちまうぞぅ?
それが、俺にとっての『程よい』加減よ
もったいねぇなぁ。そんなだから、モリセットはいつまでたってもガリガリなんだぁ
呆れたような、諦めたような口調でお手上げのポーズを取る。
ほっとけ。生まれてこの方、不便はしてねえよ
ぶっきらぼうに返すモリセット。そうしている間に、肉は程(・)よ(・)い(・)加減に仕上がっていた。炙るのを止め、ふうふうと息を吹きかけてから、がぶりと勢いよくかぶりつく。
……腹、減ったなぁ。モリセット、おいらにも肉、分けておくれよぅ
悪いな、これで最後だ
あぁ~。んじゃあ、一口だけでも―
手下が最後まで言い終わる前に、大口を開けたモリセットは肉を全て口に詰め込んだ。
あぁ~~~!
そんな目で見ても、無いもんは無いぞ
くっちゃくっちゃと口を動かしながら、モリセット。
くそぅ。モリセットだけ、ずるいぞぅ
……。あのな、ラト。こちとら食料は公平に分配してんだ。テメェの食い物の管理くらいテメェでしやがれ
ずる呼ばわりされたモリセットが、小太りの手下―ラトをジト目で見やる。意地汚く指をくわえるラトは、周囲の仲間たちに、
おぅい、誰か、肉持ってないかぁ肉